●トボトボ東海道 伊勢庄野宿~亀山城 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

寒いのに元気はつらつと、東海道の街道歩きへ。

とはいえ、何年何日かの歩きをまとめてつないでいますので、しばしば季節外れの写真がウインク

 

今回は伊勢・石薬師宿から亀山の宿あたりまで。

このあたりは道筋にビルなどの街並みがなく、こういう東海道を好んで歩いている。

 

さて、ここは石薬師宿、江戸方面からの45番目の宿場の入り口。

石薬師宿はかつてレポしたので、クルマにて通過。

石薬師本陣跡。

歌人・佐々木信綱資料館(宇治川先陣の佐々木高綱ではないよヒヒヒ)。

かつてしっかり見学。

「♪~卯の花 におう垣根に ほととぎす早も来鳴いて~♬」

あの唄って佐々木信綱さんの作詞だったんだ。

 

石薬師宿の京へ向かう方面の道筋のはずれに石薬師寺が。冬は寂しい木々。

夏はこんなだわ!

寺のすぐ近くには、あの頼朝弟の蒲冠者範頼を祀る神社が。

そして石薬師の一里塚は街はずれにあり。

ここから庄野宿へは、ほぼ田んぼ道みたいな。関西線の電車が行く。

手を振る、誰も見てないのに。

東海道46番目、庄野宿の入り口に来たぞ。

御存じ歌川広重の東海道五十三次宿場絵図の中でも、最高傑作といわれる『庄野の白雨』に描かれた庄野宿。

中学時代、美術の先生が熱く語っていた「斜線構図」の絵。

庄野宿は、今も昔ながらの家並が残り、道幅は昔とおんなじでほぼ一直線。

ここは記念館。

そして宿場町は街はずれ、京からの入り口となる。

国道1号線を渡って亀山宿へと向かうのだが、ここからの道筋がわかりにくく、地図だとこんな感じ。左側から右側に赤い線を行く。

国道1号と鈴鹿川に沿って亀山へと歩く。

中富田の一里塚を通過。

「草臥れた 奴が見つける 一里塚」

「ばててきた やつが喜ぶ コンビニ屋」 コンビニは現代の一里塚だ。

鈴鹿川の支流・安楽川の長い橋を渡る。

この時は夏、橋の下の日陰よかった!

堤防から亀山方面を望むと。

おおおぉ、飛行機が超低空!あぶね! ありゃ飾りと後でわかる。

しばらく歩くと関西線の井田川駅前に。

日本武尊像あり。

ここから数㌔のところに陵墓があるというが、とても歩いてなんて。

そろそろ亀山の街並み、目指すは亀山城ぞ。

途中、和田の一里塚が。塚も樹木も健在。葉はない冬樹だったがパチパチ撮った。

だが、どうしてもその写真が見つからない。昨夜和田一里塚の写真を探すだけで2時間も。

パソコンファイル、USBも、SDファイルもあれもこれも!

ついに見つからず、地元のパンフをお借りした(泣)

亀山城へ、行くぞ。

途中亀山市街はカットして、いきなり一番絵になる多聞櫓。

亀山中学校校庭からの写真。実はもう季節は夏(笑)。

天守台の石垣は高い!

もう一枚。

しばし中学生の躍動に見とれる。

城跡の全体像はこんな感じ。

亀山中学校の校庭は西之丸跡ということになる。

これが、広重作の「雪晴の亀山」。

絵の右上に、城の櫓と石垣が見える。また木の柵門も。

この門は、京門口というが、現代の感覚がまったくない。

昔こんなに雪の降ったことが亀山あたりであったのだろうか。

多聞櫓をあちこちから撮る。

素晴らしい石垣!

城跡の北側には城壁も復元されていた。

 

城下町の武家屋敷を眺め。

亀山宿を後にして、野村の一里塚前を通ってトボトボと、関の宿方面へ歩く列伝でした。

 

今冬、実際歩いたのは庄野京口から井田川駅あたりまでなのに疲れたこと!

むかしゃ~、もっと…、言うまい、言うまい。

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