○土曜日の午前、5月4日、電車内
食不厭精、膾不厭細、食饐而曷魚餒而肉敗不食、食悪不食、臭悪不食、失壬不食、不時不食、割不正不食、不得其醤不食、肉雖多不使勝食気、惟酒無量、不及乱、沽酒市脯不食、不撤薑食、不多食。郷党篇八
孔夫子は、米は精白したもの、膾の肉は細かく切ったものを好まれ、饐えて味が悪くなった飯、傷んだ魚、腐った肉を口にはされず、色の悪いもの、臭いの悪いものも口にされず、煮加減が悪いもの、季節外れのもの、切り目が正しくないものは口にされず、だし汁が共に出なければ食べられなかった。肉を多く食べてもご飯を食べ過ぎることはない。お酒の量は決まっていないが、大酔はしない。市場で買った酒や乾し肉は口にすることはない。生姜は多くは食べなかった。
「二千五百年前の料理だ、興味深い。ポイントとして食中毒になるか、ならないか、当時としても長寿を全うされた孔夫子の経験則からくるチョイスは、現代でも納得いくものが多い。酒飲みとしては、孔夫子が好まれたお酒がどのような種類のお酒であったのか、興味津々だ」
#論語
○火曜日の朝、通勤
「駅に向かう途中、雨のバラに見入る散歩中の老婦人あり」
「ふと、GW明け出勤のストレスか自らの余裕なさに気付く」
「深呼吸する、対面を通過する電車の音と臭い、雨の匂い、駅の匂い、今、ここ、それだけ、南無阿弥陀仏」
#三行詩
○火曜日の朝、乗り換え
「思考を切り替えている、仕事、仕事、仕事、まず段取りと」
「人で混み合う車内、臭いに辟易するも仕方なし、今日はやけに鼻が効く(困っている)」
「車掌室から聞こえる甲高い笑い声、この時間、当番明けの人が同乗するらしい、雑談に花が咲いている」
#三行詩
○木曜日の朝、通勤
「寒暖の差が激しく、朝昼どちらに服を合わせるか迷う」
「流石にTシャツ一枚の猛者は今のところ見ない、残念、今日は長袖を下に着込み春用コートで正解だ」
「この時期、寒さに震える猛者を眺め見るのが大好きだ、他人の選択と結果の末路とは楽しいものではないか」
#三行詩
「個人的見解ではあるが、知見する富裕層とは冬でも何故か薄着が多い(某百貨店で見かける人たちとか)」
「高価な動物の薄皮を羽織り、ボクは寒い処には行かなくていいんだ、的なオーラを放つ」
「札束入りの財布、又はブラックカードとは持つだけで暖かいのだろうか、或いは進化した別人類かも知れない」
#三行詩
○木曜日の夕方、通勤
祭於公不宿肉、祭肉不出三日、出三日不食之矣、食不語、寝不言、雖疏食菜羹瓜祭、必斉如也。郷党篇八
主君の祭祀に用い、のちに頂いた肉は、その日のうちに食べる。家の祭祀の肉は三日以上は捧げず、三日を越えれば食べない。食べるときは言葉を慎み、寝ているときは寝言を言わない。粗末なお供えものであっても祭祀に用いるときは恭しい態度をすること。
「古代の中国人は羊肉を美味とし、ことのほか好んだらしい。私事ながら、北海道に旅行したときにサッポロビール園で食べたジンギスカンはとても美味しかったことと、飲み放題のビールも最高だったことを思いだした」
#論語
○金曜日の朝、通勤
「夢の中で寝ている夢をみた、ぐっすりと眠むっている夢とは夢のまた夢でも心地よいものだ」
「目覚ましが鳴る→目覚ましに気づく夢を夢の中の夢でみる」
「夢×2の中で、このまま眠っていたかったが、まず目覚ましに気づく夢に戻る→ついで目覚ましを止める現実に戻る、仕事だ」
#三行詩
○金曜日の朝、乗り換え
「ホームで電車を待っていると、横に明らかに不機嫌そうな男性あり」
「男性が咳をし、つられて咳をする、先方が睨んできたので、こちらも睨む」
「西部劇の決闘シーン(夕陽のガンマン2)のような光景、電車がホームに入り扉が開く、双方車内へ、そして別々の方向へ別れた、終わり」
#三行詩
○日曜日の午後、ウオーキング
席不正不坐。郷党篇九
(孔夫子は)自席の敷物の位置が正しく置かれていないのであれば、座られることはなかった。
「はみ出したり、曲げた敷物の上に座る孔夫子など、あり得ない、君子とは恒にそういう存在であり続けなければならない」
#論語
○日曜日の午後、森
「モーツァルト、魔笛を聴きながら少し蒸し暑さを感じる森を歩いている、緑色に包まれている」
「午前中、アマプラVでゴジラの映画を観た、面白い」
「絶対的存在に対しても屈することなく人は戦える、人の最大の敵とは常に自らの内にある」
#三行詩
「太り過ぎて身体が重い、アトピーでもお腹は空き、食欲は収まる気配すらない」
「小雨が降り出す、最近、原因不明で両足首が痛む、座禅したかのように痛む」
「万事、調子が悪いが気にすることではない、ひたすら前に進むのみ、この歳では止まる贅沢など許されない、家族を養うのだ」
#三行詩
○日曜日の午後、パン屋さん
「マクドがほぼ満席、かろうじて座るも隣人は風邪らしく、嚔、咳の嵐、諦めて外へ」
「単価マクドの2倍するパン屋さんへ、客も少なく席も広い」
「昨日きた気象学の本を読む、ほぼ貸し切り状態でバロック音楽が流れている、落ち着いた時間を過ごしている」
#三行詩
所感)
■GW
家族と大坂天満宮へ。
途中、梅田で、東梅田駅の改札口を探してぐるぐる迷う。私は方向音痴である。
途中、二軒、いわゆる千ベロする。
昨日、友人たちと呑んだせいか、体調今一つ。
一軒目のお店、ハズレ、不味い、高い、味のない生ぬるい豚足は、何か食べ物ではないものを想像するに足るナニカであった。
店員さんの態度は独自路線でクセが強く、これはこれで私たちは楽しめたが方向性はズレていると思う(前の席に居る子連れの観光客は、明らかにこの店に入ってことを後悔していた)。
二軒目、体調不良でもつ煮込みが進まない、ハイボールが進まない。隣接店からのコロッケとメンチカツは安くて美味。
次に大坂天満宮へ、家族3人で子の学業成就を祈り、3千円する絵馬に願い事をかく。
お祈りするより英単語の一つでも覚えた方が良いとは思ったが、3千円も払えば英単語300語くらいの効果があるかも知れない。
お参りのち昼飯は妻が大好きな串カツ屋さんへ。美味しかったらしい。二軒の千ベロと体調不良でハイボールをのみ、少し食べた。
のち古本屋さんを数件巡る、収穫なし。
梅田へ戻り、ロフト、丸善ジュンク堂書店で本を探し、ラーメン屋さんへ。
一蘭は、行列のお店で40分ほど並ぶ。
子のイチ押しで、事前に一蘭道のレクチャーを受ける。要は、赤いタレがミラクルらしい。
子は麺を追加し、さらにご飯を頼んで雑炊にして食べていた。
行列の半分は外国人だった。確かに美味しいが、年齢か、スープを飲み干せない。
帰りに、紀伊國屋書店本店と横の古書街に寄る。
必然的に本屋ばかり巡る、楽しい休日であった。
■学問の壁
儒学を独学で学んでいると、儒学自体は素晴らしいものであるのに、学ぶ姿勢が偏るせいか、どうしても独善的になるように思う。
一つの結論に依存してしまい、学問が進まなくなっている。常に自ら生み出した色眼鏡で経書を読んでいるように思う。
自らの学問の積み重ねが、仇になっている。
ひとえに自らが凡人であり、浅学非才であることに尽きる。
同じく、繰り返しの通読を経て二度目の論語の意訳を行っているが、郷党篇で詰まっている。
当時の風習や君子としての生活態度も、初見或いは繰り返した通読時は面白い、一度目の意訳も興味深い。しかし、二度目となると古代の習慣、以上の以外もなく、また、郷党篇がけっこう長い。
まあ、長文は終わり、郷党篇十以降は短文ばかりなので大きな山は越えた。
自らの学問が浅いから退屈してしまうのだ。
独学の辛いところばかりではあるが、しかし、初心は変わらない、自らを磨くために学問は続けるのみ。