シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

この てのひらに受けとろうと思う

   

               クロタネソウ

 

 次々に花を咲かせる草花を写真に収めようと、ベランダを一廻り

するのが朝のルーティンになっています。遥かなる大草原でもないのに、

ベランダには摩訶不思議なことが一杯。今朝も小さな “ふしぎ発見” で

一日が始まりました。

 去年、パステル画サークルで描いた八重のドクダミの花。あまりに

愛らしいので少し分けていただき、鉢植えにしました。そもそも、

コンクリートのベランダですから地植えはできませんが、ドクダミ

繁殖力が強い雑草なので、他の植物の生態系を壊さないためにも、

扱いも慎重にしなければと意識して‥。

 ようやく白い蕾をつけ、今朝、ほころんだ花を見たら、あら不思議!

なんと、八重咲きではなく、お馴染みの一重の十字形をした花でした。

なぜ? ひょっとして混在していた一重の花の勢いが勝ったのでしょうか。

自然界には驚かされることがいっぱいあるようです(~_~;)

 

 昨年、夫が園芸店で青系の花がミックスされた花の種を購入し、

プランターに蒔いたところ、矢車草、ムラサキハナナ、ネモフィラ

忘れな草スイートピーなどが順々に咲き揃い、今も最後のスイート

ピーが爽やかな彩りを見せてくれています。

 先日、おや? と見慣れない花に目が留まりました。さっそくスマホ

パチリ!レンズ機能で検索すると「クロタネソウ」「ニゲラ」と出てきました。

一見、可憐な花にも見えますが、アップにすると何とも奇妙な花の形を

しています。コスモスよりも細い糸のような葉っぱ。トゲのようにも

見えますが触ると柔らかい。なかなか個性的な花の姿に興味が湧き、少し

調べてみることにしました。

 

 クロタネソウ(ニゲラ)は南ヨーロッパ原産、キンポウゲ科一年草

5~6月に薄紫や白色の花を咲かせるそうです。種をたくさんつけるので

それだけ繁殖力が強いため、生態系に影響を及ぼさない注意も必要とのこと。

そう言えば風で種が飛んだのか、離れた場所の花鉢にもトゲのある葉っぱが

顔を出しています。

 クロタネソウの花言葉は「戸惑い」「夢で逢えたら」「未来」など‥。

ヨーロッパでは、花の姿が霧に包まれているかのような独特の外見から

「霧の中の恋人」とか「茂みの中の悪魔」などとも呼ばれているそうで、

「戸惑い」という花言葉が、なるほどと思えてきますね。また「未来」と

いうのは、多くの種をつけることから、次の世代への繁栄を象徴している

ようです。一風変わったクロタネソウとの出会いもまた、ふしぎ発見です。

 

   「花がふってくると思ふ」

 

  花がふってくるとおもふ

  この てのひらにうけとらうとおもふ

      

       八木重吉「花がふってくると思ふ」(『貧しき信徒』より)

 

 風や虫が思いのままに花粉や種を運び、別の場所に花を咲かせることが

あります。自然の営みが織りなす妙味は神さまからのプレゼント。 もし、

そんなHappy giftが用意されているのなら、私も八木重吉の詩のように

喜んで、手のひらに受け取ろうと思っています(*^^*)

 

 

星野富弘さんが教えてくれたこと

 

 

 4月28日、花の詩画集で知られる星野富弘さんが、入院先の

病院で呼吸不全のため、78歳で天に召されました。星野さんは

中学の体育教師だった20代半ば、部活動の指導中に頸髄を損傷し、

首から下の機能を失いました。

 闘病中にキリスト教信仰に導かれた星野さんは、ベッドの横に

飾られる花の絵を描き始めました。最初はお母さんと、その後は

奥さんと二人三脚で、たくさんの詩画集が発表されたのは周知の事。

愛と優しさに満ちた星野さんの詩画に、どれだけ多くの人が生きる力を

もらったことでしょう。星野さんのユーモアに救われ、人生の向きを

180度変えた人が、いったい何人いることでしょうか。

 

 私も星野さんの著書を読んで人生の方向転換をした一人です。

絶望するような状況の中にあっても揺るがない心の静けさ、希望の灯。

そして、思わずクスッと笑みをもたらすユーモア。

 「ユーモアとは、にも関わらず笑うこと」

そういう生き方が人にはできるのだということを、星野さんは教えて

くれました。

 すでにご存じの方も多いと思いますが、より多くの方に星野さんの

詩画集やエッセイを知ってほしい‥ そんな思いを込めて、いくつかの

詩を選んでみました。皆さんの心の中に星野さんの愛のメッセージが

届くことを祈りつつ‥。

 

  

  

  トンボよ

  それは 足の指だよ

  でも そこでも良いのなら

  動かないから

  安心して

  休んでいけよ

        (とんぼ・『速さのちがう時計』より)

 

  造られたもので

  目的のないものはないという

  価値のないものも

  ないという

  動かない指を見ながら

  今日は  そのことを思っていた

          (指/みぞそば・『あなたの手のひら』より)

 

  旅行です 晴れにしてください

  田植えです 雨をお願いします

  日本中から願いごとで

  神さまも困った

 

  それで

  

  半分ずつかなえてあげましょう

  というのでしょうか

   今日は曇り

         (曇り空/ウツギ・『あなたの手のひら』より)

 

  痛みを感じるのは

  生きているから

  悩みがあるのは

  生きているから

  傷つくのは

  生きているから

  私は今 かなり生きているぞ

     (生きているから/イチャクソウ・『花よりも小さく』より)

 

    貧乏くじ

   引いてみると いいですよ

   私は すごいのを

   当てたことがあります

 

   希望とか 愛とか どこにでもありそうですが

   本物はなかなか

   手に入らない

   ものが当たるんです

 

    貧乏くじ

   外れはないそうです

   引いてみると いいですよ

      (貧乏くじ/ウメバチソウ・『種まきもせず』より)

 

   冬があり 夏があり

   昼と夜があり

   晴れた日と

   雨の日があって

   一つの花が咲くように

   悲しみも 苦しみもあって

   私が私になってゆく

     (悲しみの意味/サフラン・『花よりも小さく』より)

 

   あの人のように

   なりたくて あの人の

   後を追っていたら

   あの人の前に

   キリストがいた

      (あの人のように/塩狩峠に咲いていた野菊

        三浦綾子記念文学館にて『種まきもせず』より)

 

 最後の一編は私にも重なります。星野さんの境地を知りたくなって、

後を追っていたら、星野さんの前にキリストがいた‥。まさに私が

クリスチャンになる道標となってくれた星野さん。ありがとう‥。

どうぞ天国で安らかにお休みください‥。

短き人生は時間の浪費によって いっそう短くなる

  

 

 今年は飛び飛びのGW。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

寂しいかな、まったく予定のない私はいつも通りの時間を過ごしています。

 

 GW初日はマンション公園の草むしりでした。年に一度、各戸に回ってくる

当番ですが、この時期は蔓性の雑草が繁茂していて、なかなかの重労働です。

カラスノエンドウが植え込み一面に絡みついて、除去するのに一苦労でした。

夫と二人、集めた大きなゴミ袋三個。まるで戦利品のような達成感が(^^;)

 

 実は先週行った教会のお掃除当番、翌々日の公園清掃でした。週に二回の

掃除当番。さすがに足腰にも支障が出てきました。教会堂の大きな机や

椅子の並べ替えも、なかなかの重労働で(しかも一人)、日頃使うことの

ない筋肉が悲鳴を上げたのでしょう。

 

 疲労困憊の時には極度の睡魔が襲うようで、何をしてもウツラウツラ‥。

眠くて身の置きどころもないほどなのに、カタールで開催しているサッカー

U23代表五輪最終予選も見たい。当然キックオフは深夜の時間帯ですから、

このGWは、ひたすら睡魔との戦いになりそうです(^o^;)

 

 短き人生は時間の浪費によって いっそう短くなるというサミュエル・

ジョンソン(イギリスの詩人)の言葉があります。疲れを癒やし、ストレスを

発散させ、心身をリセットするためには、適度な休息は必要不可欠な時間と

言えますが、必要以上に休んだり、惰眠を貪ることは時間の空費と言えます。

そういうもったいない人生の無駄遣いは、できるなら避けたいところ。要は、

無制限にダラダラと時間を過ごさないこと。言うは易し、行うは難しですが(~_~;) 

 GW期間のように、ゆとりがある時ほど、やるべきことの優先順序を決めて、

時間を上手に使いたい。希望的観測ではありますが、そんなふうに思っています。

「クロノス」と「カイロス」という2つの時間

  

 毎日のルーティンを決めているわけではないのですが、曜日ごとの

スケジュール帳はそれなりに埋まっていきます。予定は予定として、

それ以外の空いた時間をどう使うかは、なかなか悩ましいもの。

A型人間の几帳面さを持ち合わせている反面、突発的な案件が生じると、

そちらに心が動かされ、日課にしていることや継続していることが

後回しになってしまいます。

 

 何だかんだの言い訳をしていますが、ブログの更新もその一例です。

理想としては週に一回のアップデートをと考えているのですが、なかなか

それが果たせていません。小さなことでも自分で決めたことには忠実に!

そう自戒を込めての今日の更新になります(-_-;)

 

 以前もブログに書きましたが、「クロノス」と「カイロス」という時間を

表す2つのギリシア語をおさらいしてみます。

 「クロノス」は年、月、分、秒で測ることができる時間。つまり人間が

発明した時計で測れる時間のこと。「カイロス」はもう二度と訪れない

決定的瞬間を指します。神さまが計画し、備えてくださった特別な時と

言っても良いでしょうか。

 

 聖書に書いてある「時」について‥。 幾つか挙げてみます。

  生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 ‥‥

       泣くのに時があり、笑うのに時がある。 ‥‥

  求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。 ‥‥

       黙っているのに時があり、話すのに時がある。

  愛するのに時があり、憎むのに時がある。

  戦いの時があり、平和の時がある。  ‥‥

  神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

                                                    伝道者の書3章1-11節

 

 先日、夫とお花見に出かけた時、足元に見つけた雑草たち。

よく見るとテントウムシまで。彩りよく配置された、美しい神さまの

作品ばかり。きっとこれらの雑草との出会いも、良き「カイロス」の時

だったのでしょう(*^^*)

 

 只今、北上中の桜前線。タイミングを逃せば今年のお花見もパーに。

もちろん、「クロノス」を示す時計というものは、人間の生活に必要

欠くべからざるものですが、さらに人生という時間を豊かにするためには、

もっともっと「カイロス」に敏感な者でありたいものです。

世の中は桜一色、わがベランダはブルーガーデン

 

 ようやく桜の花便りが聞かれる季節になりました。これだけ多くの

人が開花を待ちわびる桜の引力。花冥利につきますね(^o^;)

 

 わが家の裏山には桜並木が連なっており、散り際の頃には、大量の

桜吹雪が風に乗ってベランダに舞い落ちてきます。この季節の風物詩も

楽しみの一つになっています。

 

 桜もそうですが、この時期の日本は百花繚乱。最も色彩豊かな季節

と言えるでしょう。今、わが家のベランダはブルーガーデン真っ盛り。

夫が去年、3品種がミックスされた「ブルーガーデン」という花の種を

購入し、秋口に蒔いておいたものが、今、まさに咲き揃っています。

 

 ネモフィラとムラサキハナナ(諸葛菜)と矢車草。それぞれ違う青の

色味が良い具合に調和して、爽やかさを演出してくれています。澄んだ

空のようなネモフィラの碧色、ムラサキハナナの薄紫、ロイヤルブルーの

矢車草。甲乙つけがたしとは、こういうことを言うのでしょうね‥(^_^;)

 

 ひたち海浜公園ネモフィラの群れは、風にそよぐ大海原の漣のよう。

ムラサキハナナは諸葛菜とも言われますが、その由来は中国、三国時代

諸葛孔明が南征した折、兵士達が野菜不足で栄養失調になったため、

この植物を食用として栽培したからだとか。食べられるんですね(^o^;)

 

 矢車草の青色を評して、野草研究家のマシューズという人が言いました。

「あらゆる青い花の中で、最も完全な青」だと。青の定義は別として、

私の中で「矢車草の青」には明確なイメージがあるので、マシューズの

思い入れのある言葉に1票! を入れたいと思います。

  

 明確なイメージと書きましたが、1つのエピソードがこれ‥。

童話「人魚姫」の書き出しの部分にあります。(青空文庫から拝借)

 

 海のおきへ、遠く遠く出ていきますと、水の色は、

 いちばん美しいヤグルマソウの花びらのように まっさおになり、

 きれいにすきとおったガラスのように、すみきっています。

   ハンス・クリスチャン・アンデルセン著「人魚姫」/矢崎源九郎訳

 

子どもの頃に読んだ、この冒頭のフレーズはしっかりと脳にインプット。

以来、「青い色は矢車草=人魚姫の海の色」と相成りました(~_~;)

 

 また別のエピソードとして、矢車草の特徴にも納得できます。この花は

乾燥しても色が褪せません。よくフレーバーティにきれいな青色の茶葉が

入っていますが、あれもそうなのでしょうか。

 エジプトのファラオ、ツタンカーメンの墓を発掘した際、棺に収め

られていた副葬品の中に、青い色素を残した矢車草が残っていた話を

聞いたことがあります。まだ少女だったと思われる王妃が、若くして

亡くなった愛する夫のために花を添えたことを思うと、物悲しさが

漂ってくるようですね。

 

 さて、一雨ごとに蕾が膨らみ、この週末には多くの花見見物客で

賑わうことでしょう。しかし、この季節になると決まって頭をよぎるのは、

あと何回、桜の樹の下を歩けるのかなという希望的観測‥。

 嗚呼、しょうもない。言わずともよい高齢者のたわ言でした(~_~;)

デコパージュって楽しい♪

   

 

 もともと紙を集めるのが好きで、私の周りには、さまざまな種類の

紙素材があふれています。この膨大な量の紙を幾つもの箱に入れて

一応は分類しているのですが、大きいもの、小さいものがごちゃ混ぜに

なっていて、目的の紙を取り出すまでが一苦労(-_-;) 特にシールのように

小さいものは、度々、行方不明になってしまうことも。さて工作を始め

ようという時、もっとスムーズに出し入れでき、またもっとコンパクトに

収納できないかと知恵をしぼり、こんな風に仕分けしてみました。

 

 

 余っている封筒や使い古しの茶封筒を適当な大きさにカットし、前面を

切り取ってクリアポケットを貼りつけ、窓付き封筒のように細工します。

折り紙を台紙にすると、少し大きめのサイズのものを入れられます。

 

 

 四隅をマスキングテープでカバーしたり、裏面にデコパージュもどきの

飾りを施したり‥。古い切手やいろいろな図案の切り抜き、レースペーパー

などを種類別に入れるのですが、透明窓のせいで、一目で中身が分かり、

使い勝手もかなりアップ。工作の時短効果は抜群です(*^^)v 因みに、

レースペーパーは自作のもの。半紙を折り、パンチやハサミで切り抜き、

絵の具で染めてみました。

 

 

 デコパージュはまったくの自己流。本当はもっと全面に素材を盛って

豪華版デコに仕上げるのが理想ですが、初心者としてはこれが精一杯。

これだけでも、モチーフをそろえるだけで30分くらい時間がかかって

しまいました(^o^;) 何の関連性もないバラバラの素材を、自分のバランス

感覚だけで貼り合わせていくプロセスが、実に楽しい♪ また新たな趣味を

見つけたかな‥。そんな感じではまっています。

 

 表紙にデコパージュを施したメモ帳も増殖中(^o^;) しばらく、紙と

戯れる日が続きそうな予感が‥(^_^;)

日本人のDNAは耳が悪い? 

  

 

昨日は春の嵐のような悪天候の祝日でした。朝は晴れていたけれど、

午後は雷雨の情報もあり、洗濯物は部屋干しに。夫も仕事で朝から遠出

したので、久しぶりにフリータイムを満喫した一日になりました。

 

手作りカードやデコパージュ用のモチーフを切り抜いたり、用途別に

仕分けしたり、読書をしたり‥。月に2~3日、こんな日があると

リフレッシュできるのですが、なかなかそうはいかないのも主婦業です(~_~;)

 

 古い本ですが、曽野綾子さんの『「受ける」より「与える」ほうが幸いで

ある』(大和書房)という本を読み返していたら、「なるほど」と思える

ことが書いてあり、自分にも当てはまるなぁ‥と。

 「外国語の聞き取り能力」という本題の中に“日本人のDNAは耳が悪い?

”聞き違いから生まれた外来語”という小見出しがついた記事が載っていました。

ちょっとピックアップしてみます。

 

 今は誰も知らない「チャンコロ」という言葉。中国人に対する蔑称なのだ

そうです。実は、これは日本人が、「中国人」(チュンコーレン)を聞き

違えて発音しただけのことで、けっして蔑称ではなかったはずだと。

同様にロシア人に対する蔑称とされている「ロスケ」という言葉も、実は

日本人の耳の悪さから来ているらしく、「あんたはどこの人かね」と聞く

日本人に、ロシア人が「ルスキ(ロシア人)だ」と答えた、その問答に

端を発しているのだとか。外国語に馴れない日本人ゆえの聞き違いなのだと

曽野氏は書いています。

 そう言えば、私が生まれる前の話ですが、私の家族も樺太に渡り暮らして

いた時期があります。当時、近所に住んでいたロシア人のことを、祖父が

「ロスケ」と呼んでいたのを思い出し、そうそう!そう言ってたっけと

記事の内容が合致しました。

 

 また、曽野氏が幼い頃、お母さんが四角い大きな固形石鹸を使って洗濯を

していたそうです。いわゆる「ミヨシのマルセル石鹸」のこと。そのマルセル

石鹸も日本人の耳の悪さから来たものだと書いてあります。これは曽野氏の

推測だそうですが、フランス船の乗組員が固形石鹸で洗濯をしているのを見た

日本人が、「それは何というものかね」と聞くと、どこから来たのかを問われた

と思った船員が「マルセイユだ」と答えたことから、マルセル石鹸の名前が

今日まで定着してしまったのだろうと。

 

 ちなみに私の母もマルセル石鹸の愛用者で、私もよく使っていましたが、

いつからか店頭から姿を消してしまいました。生産が中止され新製品に

変わったのかもしれません。古き善きものは、ぜひ残してほしいものですね。

 

 曽野氏は「日本人は、どうも人一倍耳が悪いらしい。おそらく日本人全般に

あるDNAの特徴なのだ」と結論づけています。それが正論かどうかは別として、

私も昔からヒアリングが苦手で、発音を正しく聞き取れないほうでした。

義務教育で若い頃から英語に触れているはずなのに、英会話は無理‥という

日本人が多いのは、このDNA説にも一理あるのかも?

 いやいや、最近の聴こえの悪さはこの仮説のせいにあらず。明らかに加齢に

よるものでしょう。コミュニケーションに支障が出る前に、一度、耳鼻科を

受診したほうが良いかもしれません(^o^;)