【日常・BLOG】お寺が消える日【終活】(私の昭和奏鳴曲)

宗教が消えていく日は来るか

ここのところ、宗教団体関連の話題・問題点などがクローズアップされているが、これにも偏りがあり、マスコミの傾向も関係してくるのだろうが、なにかひとつの宗教団体を叩くと、そこばかりを叩くようになる。

宗教団体で、問題ありの団体は、今騒がれている団体だけではないと思うが、そこには「背後に自民党あり」というところが、よけい、その一団体を叩く要因になってもいるだろうし、教祖の妻のあの一連の言動も問題ではあるだろうけど……。政争になっていることは否めない。

古来、日本の仏教界にも色々あったとはいえ、近代日本で、多くの国民がお世話になってきた神道・仏教が、今度は市井の人々の集団や国外勢力から、そのように叩かれる日は来るのだろうか。

この分だと、いずれ、必ず、その日は来ると思っている。すでに、その布石は、少しずつおかれ始めている。あちらこちらの神社仏閣への悪戯、放火、窃盗なども、個人の犯行ではないものも、ずいぶんあるらしい。

これまでなら、近隣アジアの複数国によるものくらいしか発覚していなかったが、最近は、仏教圏以外の宗教信者による、神社仏閣への悪戯破損も始まった。ここでは、そのひとつひとつには言及はしないが、確実に、「日本の国体がゆらぐ、文化の破壊」が仕掛けられている。
そして、なんらかの、一般的には見えない力が、日本をだいぶ覆い始めていて、このまま、国民が気づかずにいれば、あるいは、聴こえないふりをしていれば、あっという間に日本は消える。そして、もう手遅れかもしれないとさえ思っている。
葬儀において、

 

 

買われてはいけないものが、どんどん買われて行く日本

先日のブログ記事で、少し触れた、日本の焼却技術の高度さは、たぶん、軍事転用できる技術でもあるだろう。

しかし、日本は、その優秀な焼却技術をアピールするわけでも、技術提供するわけでもなく……。さりとて、その技術を守る訳でもない。

あの焼却技術には、軍事転用できるようなものがあるのか?

専門的技術に関してはよくわからないが、火葬場の火葬技術もかなり高度で、それを中国は喉から手が出る程ほしかったらしい。日本人にとっては悲報だが、そのどうしてもほしかった日本の火葬技術を、中国は合法的に手に入れた。今、都内の火葬場、葬儀場の大半は、すでに中国企業に売却されている。

これに関する、負の側面は恐ろしいことがあるが、ここでは触れない。

しかし、明らかに変わったのは、「おくりびと」なんて、「なにそれ」って世界であり、もはや、死生に対する、一大事という考え方は葬儀場から消えている。死者を葬るための儀式ではなくイベント。

経営者が中国企業なので、僧侶への配慮は一切なくなってきつつあるらしい。

中国から伝わった仏教ではあるが、今の中国では、僧侶に対する考え方は他国とは違う。政府の下に宗教があり、宗教の教義は、共産主義の範囲内の共産主義国の思想を伝導する人たちである。だから、僧侶たちは、仏教の修行より、中国共産党の僧侶としてのイデオロギーを徹底的に学習するための研修をする。

日本ではなく、他国のことなので、それについては何もいわないが、日本の場合は、そこは違うと思う。

僧侶が着替えをする場所もなく、お袈裟をおく場所もない。中には、トイレや給湯室の横で着替えるなんて場合もあるそうだ。こんな罰当たりな葬儀を主宰している葬儀場で葬儀をあげる都民の心情はいかばかりか。

しかも、葬儀代は爆上がりしたらしい。僧侶も、葬儀場指定の僧侶が呼ばれることが増えていると嘆く僧侶もいる。

私は、まだ、人の死生に対し、良心をもって接する界隈に住んでいるので幸いだ。私は、葬儀はやらないし、そんな余裕もない暮らしだ。しかし、僧侶に経をよんでもらい送り出してもらうくらいのことはしたい。

最近は葬儀をせず、直葬で位牌や仏壇もなく、海へ遺骨を流す人が増えているらしい。これも、ロマンチックな意味ではなく、経済上の理由、家族構成、暮らしぶりからの理由が大半を占める理由。やもおえぬ事情も絡まってのこと。だから、形式が多様化していることすべてを、一概に悪いとは言い切れないけれど………。寂しい事である。

亡くなった人を送り出すとき、最も大切なのは、送り出す側の、死人への感謝だと思うが、次に大切なのは、僧侶の読経であり、太鼓や妙鉢、おりん、木魚など、僧侶が集中して響かせるあの音なのだ。

これは、私見であり、あくまで仏教の場合ということになるが、他の宗教であっても、司祭が行う「集中した一連の動き、声」に、送る側の人たちの、祈りと感謝が重なって波動となり、死人と、一瞬でも繋がり一体になることで、感謝と想いが伝わるのだと思っている。

「気」とか「波動」とか、これはもう、現代科学でも、否定できなくなっている。

 

『人の死生が軽視されていく時代』であることは否めない。

 

この先の未来に、宗教は消えていくのだろうか。

世紀末のような、末世の時代。

いずれ、また、宗教が台頭してくるようにも思うが、

テクノロジーの発達で、もう、そこに戻ることはないのだろうか?

 

余談だが・・・

仏教と化学・科学はリンクしていると思う。

だから、化学も科学もなかった時代に、仏教でその教えを説いたことに、仏教の凄さがある。

多分、人類は、何度も、やり直しているのだろうと思う。

だから、その知恵が宗教に色濃く残っているのかと……。

予言もね。

エゼキエルの予言書と、

日月神示などは、同じようなことが書いてあるようだ。

聴くと、その通りに今、進んでいる。

 

日本人が衰退させてはいけない具体的なもの

神道・仏教・伝統的な祭り

そして、戸籍

これさえ、しっかり守っていれば、エネルギーとブレない心、自分を信じる気概が消えないと思う。

まず、ここが完全に破壊されれば、日本は消える。

 

※中国の話題に触れましたが、日本を消すのは、一見、中国でも欧米でもあるように思う人も増えています。

しかし、真の意味で日本を消し去るのは、中国の覇権主義でもなければ、欧米のキャンセルカルチャーグローバリズムでもなく、日本人自身です。

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