4月の済州島は桜や菜の花の咲き乱れる美しい季節です。
しかし同時に、悲しい歴史のある季節でもあります。
 
1948年から数年間にわたって済州島内で数万人が殺された「済州島四・三事件」
その始まりが4月だったのです。
 
1948年は「大韓民国」という国家が正式に樹立された年でした。
その準備段階として同年5月10日に総選挙が行われるのですが、それに反対して韓国各地では暴動が起こっていたようです。
済州島では同年4月3日、選挙に反対する勢力が島内に24か所あった警察署のうち12か所を襲撃し、10人以上が死亡。
これをきっかけに当局は済州島における暴動鎮圧を本格化するのですが、その過程で鎮圧する側が暴走を始め(おそらくどう考えても)無関係な人々を大虐殺するという事態が数年にわたって続きます。
現在「済州島四・三事件」という時には普通、4月3日の襲撃事件ではなく、それをきっかけに繰り広げられた大虐殺事件を指します。
 
この大虐殺は済州島内全土で行われたため、今でも各地に慰霊碑や祈念碑が立っています。
実は僕が毎日散歩しているコースの一角にもあります。
 

 
「徐福公園(ソボクコンウォン/서복공윈)」という公園の一角にあるこの祈念碑。
4月ということで祭壇には花が飾られています。
花の奥の石碑にはここで亡くなった人々の名前が刻まれています。
 

 

説明パネルには韓国語に続き、英語・中国語・日本語の翻訳文が添えられています。

この祈念碑の名前は「正房瀑布(滝)四・三事件跡」となっていますが、韓国語の原名は「정방폭포 4.3학살터」

直訳すると「正房瀑布4・3虐殺地」ということでしょう。

日本語訳では「虐殺」をあえて抜いていますが、翻訳時にどういうやり取りがあったのか気になるところです。

よく見ると英語も「虐殺」は省いていますが、中国語は「虐殺」を意味する「屠杀」という単語が入っていますね。

 

閑話休題。

 

日本語の説明部分を拡大してみましょう。

 
 
「正房瀑布」というのはこの付近にある滝の名前です。
「ソナンモリ」というのも地名で、松林のある海岸です。
現在この二つの中間地点が徐福公園になっているので、この祈念碑は公園の敷地内にあるわけです。
 
文中にある「大隊本部」や「討伐隊」は、島内の反体制派(共産主義者・北朝鮮支持者)を弾圧するという名目で設置された組織。
彼らが済州島南部各地から「容疑者」(説明文では「住民」となっています)を強制的に連れてきて、この場所の近くにあった「デンプン工場」と「ボタン工場」に収容したようです。
そして最終的に、そのうちの255人がこの場所で殺されました
 
この事件自体いろいろと問題があるとは思いますが、まず「反体制派」だからと正当な手続きなしに処刑したというのが大問題でしょう。
しかもこの255人のうち、何人が本当に「反体制派」だったのかは、今となってはわかりません。
当時、済州島各地でこのような「虐殺」が行われていたようです。
他の場所にある慰霊碑を見ると、どう考えても「反体制派」ではない子供たち(ひどい場合は生まれたばかりの赤ん坊)もその時殺された「犠牲者」のリストに含まれています。
反体制派の弾圧というよりは、まさに理性を失った集団による「虐殺」だったと考えるのが妥当でしょう。
 
毎朝散歩をしながら、ここがそういう歴史を持つ場所なのだということに、ささやかながら思いを致すこの頃です。