リタイアおじさんの介護とシニアライフ

名古屋市在住の71歳。要介護4(身障手帳1級)の妻を在宅介護しつつ、シニアライフをそれなりに楽しんでいます。

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実家の買値評価は厳しく!

買い取り額ゼロ査定の業者も

昨日、実家の売却を依頼している不動産業者の担当者から電話がかかってきました。

実家を見せた買い取り業者(2社)からおおよその価格提示があったようです。

1件の業者の提示価格は3~4百万円とのこと。

たいした値段は付かないと思っていましたが、想定していたよりは低い金額です。

もう1件の業者から提示された金額はというと・・・

何と0円です。

実家に付属している離れと小屋の取り壊し費用及び家財等の廃棄費用を含めると買取価格はゼロになるというのです。

予想してはいましたが、現実は厳しいようです。

家財等の廃棄は業者に依頼することが前提ですので、自分で処理すれば買取価格が上がるようですが、それはそれで結構大変です。

近いうちに、もう1社にも実家を閲覧させて査定してもらうようですが、あまり期待を持たない方がよさそうです。

前面道路もネックに

先月、不動産業者と実家で打ち合わせした時に前面道路が2m程度しかないことが気になっていましたが、やはりこれも問題になっているようです。

幅員4m未満の前面道路の場合でも2項道路に指定されていれば建物建築が可能です。

2項道路 - 公益社団法人 全日本不動産協会 (zennichi.or.jp)

建築基準法が適用された時(昭和25年11月23日)、「現に建築物が立ち並んでいる幅員4m未満の道で、特定行政庁の指定したものは、前項の規定にかかわらず、同項(42条1項を指す)の道路とみなし、その中心線からの水平距離2mの線をその道路の境界線とみなす」とされたものが2項道路です。

不動産業者が役所で調べたところ実家の前面道路が特定行政庁が指定したものかどうかは確認できなかったようです。

また道路(公道)の幅員が2mない可能性もあります。

実測では2m以上ありましたが、私有地(実家の敷地)が含まれている可能性があります。

これを確認するには測量が必要になります。

測量費用は50~70万円くらいはかかるようです。

実家の建築確認は取れているようなので、違法建築ではないようですが、取り壊した場合に建物を建築できなくなる可能性がでてきます。

売却には多くのハードル

昨日の朝日新聞にタレント松本明子さんの実家じまいの記事が出ていました。

父の遺言を守り実家の維持に25年で1800万円もかけたのに、実家の査定を依頼したら200万円と聞き愕然としたという話です。

こちらのサイトにも同様の話が出ています。

実家じまいに1800万円使った松本明子さんの痛恨 リフォーム後に売ろうとしたら「マイナス査定」 | 街・住まい | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

この中では「更地にすれば買い手はつきやすいですが、費用は500万円ほどかかります」と言われたとの話も掲載されています。

実家をそれなりの値段で売るのは厳しいようです。

私はそこまで維持費をかけていませんが、それでも相続してから固定資産税を含め100万円近い費用がかかっています。売値が低くとも、早めの処分にこしたことはないようです。

とりあえず、実家の売却の障害としては

〇母の反対

〇前面道路の問題と測量

〇付属建物の取り壊し

〇家財等の廃棄

といった問題があるようです。

一つ一つ解決策を講じていく必要がありそうです。

神道と法事

実家は神道なので

実家は神道です。

母の話によると、家のそばにお寺があり元々は仏教だったようです。ただ檀家の維持費用が高く、ある時地域の人が集まって集団で神道に宗旨替えしたとのことです。私が生まれる前の話です。

お寺にお墓を置けませんので、共同墓地が作られました。(実家から数百メートル離れた場所です。)

我が家のお墓も共同墓地内にあります。

神道の場合、法事などで神主さんに祝詞をあげてもらうとお礼(祭祀料)が必要ですが、それ以外は檀家料のような費用は必要ありません。日常的なお金がかからないのが神道のよいところでもあります。

葬儀等は神式で行います。ただ日本の葬儀は9割以上が仏式のようで、神式の葬儀はかなり珍しいようです。実家の葬儀以外で、私自身が神式の葬儀に出席した経験はありません。

5年前に父が死去した時、私が喪主を務めましたが、作法を全く知らないため式場の係の人に手順を一から教えてもらい、無事葬儀を終えることができました。

神道には霊祭・式年祭がある

私は神道のしきたりは全く知らないので、都度インターネットで検索しながら対応しています。

神道にも仏教の法事・法要に当たる霊祭、式年祭があります。

霊祭には翌日祭、十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、合祀祭、百日祭があります。仏教の初七日や四十九日等に相当するものです。

神道の追悼儀式である「霊祭」「式年祭」。流れや参列する際のマナーとは?|知っておきたい葬儀の知識|ご葬儀は信頼と実績のセレモニー (sougi.info)

亡父の時は翌日祭、十日祭は葬儀の中で行い、その後は五十日祭を神主さんを招いて自宅で実施しました。(合祀祭は五十日祭と同時に実施しました)

その後、神道では式年祭が行われます。

神式の法要とは?仏式との違いや参列での注意点、マナーについて解説|小さなお葬式 (osohshiki.jp)

仏教の一周忌、三回忌等に相当するものです。一年祭、三年祭、五年祭、十年祭と続き、以後10年ごとに五十年祭まで続くようです。なお仏式で三回忌は命日から2年後となりますが、神道では命日から3年後となります。

亡父についても一年祭、三年祭は実家で実施しました。

親族を呼ぶことも考えましたが、コロナ禍であり身内だけで行いました。

五年祭も実施することに

仏教では三回忌までが重要で、それ以降の法事については執り行わない家庭も増えているようです。

神道も同様のようで、三年祭までは親族を招きますが。それ以降は身内だけで行うのが一般的なようです。

今年の8月は亡父の五年祭の時期になります。

当初は神主を呼ぶことはせず、身内だけの墓参りで済まそうかと思っていました。

ただここにきて神主さんを招いて実家で実施することにしました。

その理由は

〇長男が4年間の海外赴任から戻ってきた~長男は亡父の葬儀やその後の法事にも一切参加していません。今回は法事に参加できる貴重な機会です。夫妻で参加できれば母や私のきょうだいに長男の奥さんを紹介できます。

〇実家の売却を進めている~売却交渉が進めば実家で法事を行う事もできなくなります。五年祭を実家で行う最後の法事として執り行いたいと思っています。

ということになります。

父の法事はこれにて一区切りとし、今後はきょうだい揃って命日近辺に墓参りすることを考えています。

実家にある祭壇については五年祭が終わったら我が家に持ってこようと思っています。置く場所については検討中です。空き家に置いても誰もお参りしませんが、実家なら私がお参りできます。

母の日のプレゼントに何を贈ろう?

Amazonで探すと

もうすぐ母の日です。

昨年は母の日の前日に老人ホームを訪れて直接プレゼントを渡しました。

渡したのは薄手のカーディガンです。

今年も母の日の前後に老人ホームを訪問してプレゼントを渡すことを考えていましが、いつも妻の介護を依頼している次女が今週から来週にかけて長期出張に出かけることになり老人ホームへは行けません。

やむなくAmazonでプレゼントを探して送ることにしました。

母が老人ホームに入る前は、Amazonからお茶や湯飲みを送っていました。

ただ母は今年骨粗鬆症と診断されており、自分でお茶を入れることは困難と思われ、お茶や湯飲みは無理そうです。

Amazonで「母の日ギフト」で検索すると、スイーツや花(カーネーション等)がたくさん出てきます。

スイーツに限らず食べ物は老人ホームで食事を管理しているので好ましくありません。

花も母の状態を考えると手入れが難しそうです。

困ったなと、いろいろ調べていくと「今治タオル」が出てきました。

タオルなら入浴の際に必ず使います。

母のいる老人ホームでは週2回機械浴で入浴介助をしてもらっています。

多少の役には立ちそうです。

そこで「今治タオル ギフト  母の日」で検索すると、いろいろ出てきました。

最終的に選んだのがこちら

バスタオル1枚とフェイスタオル2枚のセットです。

さっそく昨日午前中注文手続きをしました。

すると今日の午後には老人ホームから電話がかかってきました。

もうギフトが届いたと施設長からの電話です。

母も電話口に出てお礼の言葉がありました。

老人ホームに入る際、タオルをこちらで用意して持たせたのですが、2年以上が経過したので新しいタオルが欲しかったようです。

こちらとしては贈るものが見つからず苦肉の策というところでしたが、意外に喜ばれてホットしました。

虫歯の治療が完了

本日で治療終了

今日は歯医者へ行く日です。

4月3日の歯茎の定期チェックで虫歯(右下、端から2番目の奥歯)が発見され、それから治療をしています。

虫歯は進行状況によってC1~C4の4段階に分かれ、それによって治療方法が変わってきます。

虫歯の進行段階ごとの治療法について - 三宅歯科クリニック自由が丘 (miyake-dental.net)

私の場合はC3の段階に達しています。C4だと抜歯が必要になるので、かろうじて、その前の段階にとどまったというところです。

治療には保険治療と自費治療がありますが、私の場合は歯自体が寿命に近づいてきており保険治療を選択しました。

治療は、虫歯部分と神経の除去→歯の根っこ内の清掃→薬をつめる→歯とかぶせ物をつなぐ土台を作製し形を作る→型取りしかぶせ物作製という順で進んでいきます。

前回迄に型取りが終わり、かぶせ物も出来上がったので、今日は土台を入れてかぶせ物を装着しました。

治療時間は20分程度、特に痛みもなく無事終了しました。

昨日迄は治療で歯を削ったこともあり歯がスカスカで、食べ物を噛むと歯に残る状態でしたが、これで元の状態に戻りました。

治療した歯では、まだしっかりと噛めませんが、しばらくすれば思い切り噛むことができそうです。

右の奥歯は食事の際、最もよく使う歯なので、これでおいしく食事ができそうです。

ただ歯自体の寿命がそのうち尽きそうなので、1日も長く治療した歯が持ってくれればと思っています。

ちなみに治療費は5回の診療で計13,040円(自己負担2割)でした。

虫歯の進行度からすると妥当な金額のようです。

初めて頂いた長寿銭

この袋は?

先日、102歳の叔母(母の姉)のお通夜に出席した際、会葬御礼と一緒にこんな袋が入っていました。

弔事なのに赤白の水引が描かれた祝儀袋です。

袋の中を確認すると、5円硬貨が1枚入っていました。

私は前の会社で役員として人事・総務も担当していたこともあり、社員の親族の葬儀にも結構参加しましたが、こんな袋はいただいたことはありません。

調べてみると、これは長寿銭(ちょうじゅぜに)と呼ばれるもののようです。

長寿銭とはなに?配り方と使い方を解説 | 安心葬儀 (ansinsougi.jp)

上記サイトによると、「長寿銭は、故人が長寿で旅立ったことに対するお祝いと故人の長寿にあやかるようにとの願いを込めて、葬儀の際に小銭を配る風習です」とあります。故人の長寿を祝い快くあの世へ送り出すという縁起物のようです。

振り返ってみれば、当日はお通夜特有の重苦しい雰囲気がありませんでした。読経が終わると参列者全員の記念写真を撮影したのも、故人を快く送り出そうとする意図だったのかもしれません。

地域の風習というより100歳を超えて亡くなったことへの記念か?

長寿銭は全国で行われているのではなく、千葉、埼玉、群馬の一部でみられる風習のようです。何歳から長寿に該当するかの基準はないようですが、上記サイトでは個人が80歳以上だった時に配られていることが多いと書かれています。

今回亡くなった叔母は浜松市在住で、葬儀も近くの式場で行われました。浜松市で長寿銭の風習があるとは聞いていません。浜松市に住んでいた父の姉は100歳近く、義父(妻の父)は90歳を超えてから亡くなりましたが、長寿銭は配られていません。

今回長寿銭が配られたのは、100歳を超えて亡くなったことが大きいと思っています。祝儀袋の表面には満102歳という年齢や生年月日が印刷されていました。

長寿銭を配るかどうかは喪主が決めることのようですが、斎場から勧められたのかもしれません。

長寿銭の金額には5円、10円、50円、100円、500円があるようで、それぞれ意味があるようです。

今回頂いた5円には「長寿にご縁がありますように」という願いが込められているようです。

さて、頂いた5円をどうしたらよいかが悩みどころです。

買物に使っても問題ないようですが、せっかくですから財布に入れて縁起物にするのも悪くありません。ただ財布に入れたら、うっかり使ってしまいそうです。

そこで考えたのは、袋ごと母に渡すことです。老人ホームの自室に置いてもらって、長寿のお守りに使ってもらおうかと思います。

母は今93歳ですが、お守り(長寿銭)のご利益でお姉さんと同じように100歳迄生きられるかもしれません。

もし母が100歳まで生きられたら、母の葬儀にも長寿銭を配ろうかと思います。

老人ホームを拒否する親世代

父親が老人ホーム入居を拒否

先日、おばの通夜で久しぶりにいとこに会いました。

うち二人はまだ両親が健在です。

一人は私と同い年(71歳)で、両親は共に95歳前後です。

もう一人は私の4歳下(67歳)で、父親は90歳を超え、母親は89歳です。

どちらも父親の状態がよくないようです。

私と同い年のいとこは60歳定年で仕事を辞めたようですが、がんの手術を2年毎に3回もしており体調は万全とはいかないようです。90代半ばの両親二人の世話は体力的にきつそうです。

4歳下のいとこはまだ仕事をしています。ここ数年は実家から通っていたようですが、先月から100kmくらい離れた場所で勤務するようになりました。両親の介護は奥さんがしているのかもしれませんが、こちらも大変そうです。

このため父親だけでも老人ホームに入って欲しいと考えているようですが、頑強に拒否しているようです。

私の母は自分の意志で老人ホームに入りましたが、父親は晩年老人ホームに入ることを拒否していました。

埋まらない世代間ギャップ

かたくなに拒否する背景には親の介護に対する世代間ギャップがあるような気がします。

私たちの両親の世代は子が親の介護をするのは当然という考え方が強く残っています。

生まれたのは戦前です。旧民法の考え方が離れないようです。

特に田舎ではその傾向が強いような気がします。人の移動が少なく、周りの人も同じような考え方ですから、疑念を抱く余地はないのかもしれません。

もう一つ思い当たるのは親の世代が介護であまり苦労していないことが考えられます。

昔は大家族で介護が必要な人がいても、特定の人に負担が集まることはなく、皆で分担していました。(私が小学生の頃、我が家は9人家族でした。)

また、長生きする人も少なく、介護が必要な人も少なかったような気がします。80歳迄いきれば長生きで、90歳を超えて生きている人などほとんど見かけませんでした。

我々の親の世代が思っている「子が親の世話をする」ということは、子が親を介護するという事ではなく、仕事を止めた親の金銭面を子が面倒をみることだと解釈しています。

親の世代にとっては現在の少子化と高齢化の進展を現実問題として理解できていないのかもせれません。90歳を超えて生きていることなど、親の世代は想像だにしなかったことなのでしょう。

これに対し、いとこたちの方は老後に子供の世話になるつもりはないということで一致しています。私も子供に介護して欲しいとは思っていません。

皆、親の介護で苦労しているようなので、同じような苦労を子供にさせたくないという気持ちが強いような気がします。

私自身は親の介護ではあまり苦労していませんが、妻の介護でその大変さは十分理解しています。

それにしても二人のいとこがどう対応するのか気になるところではあります。(私が口を出すべきではありませんが・・・)

いやがる親を無理やり老人ホームへ入れても、新たな問題を生み出しそうです。説得も困難でしょうから、成り行きに委ねるしかなさそうです。

同じような問題を抱えている方もたくさんおられると思います。

化石人骨発見を夢見ていた頃

化石人骨を探したが・・・

高校時代は地学クラブに所属していました。

そこで夢中になっていたのが化石の発掘です。

私が入学する1年前、谷下(やげ)というところで、地学部の先輩がワニの化石を発見しました。

発掘場所は浜松市浜名区引佐町谷下(当時は引佐郡引佐町)にあり、高校からは15kmくらい北にありますが、私の実家からは3km程度の距離です。

地層は中期更新世、人類史からみると旧石器時代に当たります。

私が高校生の頃、このあたりでは化石人骨とみられる骨が発掘されていました。

牛川人(豊橋市)、三ケ日人(浜松市浜名区)、浜北人(浜松市浜名区)の3か所です。

谷下はここから近く、化石人骨が出てきても不思議はありません。

ということで、1年生、2年生の時は7~8人くらいの部員でよく谷下に化石の発掘に行きました。

現場は石灰石の採掘場の近くで、よくダイナマイトの音が聞こえていました。

ただ残念ながら化石人骨は発見できませんでした。

ワニがいっぱいでてきた!

発掘作業の成果が全くなかったかというと、そんなことはありません。

毎回、ワニの化石が大量に見つかりました。

ワニの化石は私が入学する1年前に発見されたのですが、大量に発掘されたのは私が発掘に参加していた頃です。最終的には約10体のワニの化石が見つかったようです。

化石といっても石の中に閉じ込められたものではなく、骨そのものが出土します。

発掘された化石は高校生が研究材料とするのは無理があるので、東京の国立科学博物館に持っていっていました。

化石はワニだけでなく、カワウソや淡水魚の化石も出てきました。発掘時は何の骨かわからず、国立科学博物館で調べてもらったと思います。

ヤゲワニと命名されていた!

高校を卒業してからはワニの化石のことを気に掛けることはありませんでしたが、ネットで近況を調べてみました。

すると、浜松市文化財情報のサイトにワニの化石のことが出てきます。

文化財情報vol.73/浜松市 (city.hamamatsu.shizuoka.jp)

「約34万年前のワニの化石が、昭和43年に引佐町谷下で見つかりました。その後、約40年間にわたり静岡県立浜松北高等学校生を中心に研究調査が続けられました。化石は発見された地名にちなんでヤゲワニと命名されました。」

と、あります。

私が入学したのが昭和44年です。私の卒業後も後輩の皆さんによって研究調査が続けられてきたようです。

「ヤゲワニ」と命名されたことは初めて知りました。

現在は浜松市博物館にヤゲワニの化石が展示されているようです。

静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド : ワニ,ナウマンゾウの化石 旧石器,縄文時代の出土品 浜松市博物館 常設展示1  (静岡県浜松市中央区蜆塚4-22-1) (livedoor.jp)

「昭和42年(1967年)から5年間、浜松北高地学部によって発掘され、1,000点以上の化石が出土しました。」

とあります。写真も掲載されており、当時を思い出すと感慨深いものがあります。

妻の介護で外出もままならないですが、母の老人ホーム訪問のついでに何とか立ち寄れないかと考えています。

こちらではもう少し詳しく出てきます。

奥浜名湖ツーリズムセンターだより:浜松市博物館 市民協働展「三遠南信土の中のわくわく動物園」9/3迄 (hamazo.tv)

高校時代は深く考えませんでしたが、今振り返ると結構重要な発見であったようです。

沖縄以外で確認された化石人骨は一例のみ

話を化石人骨に戻すと、私が高校時代の頃とは状況が大きく変わりました。

化石人骨とされたものが理化学的鑑定法による再調査で大半が否定されたのです。

従来、更新世人類とされてきた牛川人(愛知県豊橋市)、三ヶ日人(静岡県浜松市)、葛生人(栃木県佐野市)、聖嶽人(大分県佐伯市)については、放射性炭素年代測定とフッ素含有量の測定にもとづく理化学的な調査が行われ、いずれも縄文時代以降の化石人骨である可能性が高くなったのです。

化石人類 - Wikipedia

旧石器時代の化石人骨としては、山下洞人(沖縄県那覇市)、浜北人(静岡県浜松市)、港川人(沖縄県島尻郡八重瀬町港川)、ピンザアブ洞人(沖縄県宮古島)などが出土しています。

沖縄以外では現時点では浜北人だけが唯一の化石人骨のようです。

浜北人が出土した場所は私が人骨を探していた谷下とは数キロしか離れていません。

谷下からも人骨が見つかる可能性があったのかもしれません。

ただ浜北人は約1万4千年前のものと推定されていますが、ワニが見つかった谷下の地層は34万年くらい前であり年代が全く異なります。

もし谷下で化石人骨が発見されていたなら原人ということになり世紀の大発見(日本では一例もなし)となりますが、その可能性は限りなくゼロに近かったと思われます。