一年前にも書いたが、やっぱり私には少子化の何が問題なのかわからない。
今日は、とりとめもなくそれについて思ったことを書く。
というか、問題点はあるんだろう。だが、私の感覚としては
少子化は先進国では不可避で、仕方がないこと
「少子化でも問題ないシステム」を考えることこそ大事
な気がしている。
ぶっちゃけ言っていいですか。
お金をいくら配ろうと、無駄。
なぜなら、子育てに限らず、人間というモノは「どうしてもしたいこと」はお金があろうとなかろうと、やってしまうものだから。
お金にならなくても自分のしたい仕事を続ける人。
お金にならなくても明日のスターを夢見つづける人。
生活費を削ってフェラーリを買う人。
エトセトラ。
各種アンケートでの「お金がないから結婚できない」「お金がないから子供が産めない」を真に受けるから、頓珍漢な少子化バラマキが起きる。
お金さえあれば子供をたくさん産む?
バカ言っちゃいけません(笑)
富裕層が4人以上子供産んでます?(そういう人がいないとは言いませんが)
たとえば私が子供の頃は、子供の医療費無料も、高校無償化も、エトセトラ、一切なかった。それでも、私らの親世代は、それが当たり前だと思って子供を育てていたし、幼児と一緒にいて幼児とかかわり続けることは「当たり前」だった。
でも、今、それをしたい人がいるのか?
現代人ってさ、男も女も、もはや「子育て」が嫌いなんじゃない?
私のクライアントにも、うなるほどカネがあるのに「子供の『犠牲』になりたくない」と言ってゼロ歳から保育所に突っ込み、男親も女親も仕事最優先で、結果は語彙力も共感力も幼稚園児並み(だけど数学だけはできるからヘンサチは高い)子とか結構いた。
身の回りだけではn=1になってしまうけど(笑)、実際、幼児がそばにいるのにスマホしか見ていない親を見ない日はないし、「親子で会話」してるのを見ることがものすごく少ないんだよね。
ネット上には「子供とずっと一緒なのが苦痛」という声があふれているし、「子供が邪魔で絵が描けない!コミケに行けない!」と叫ぶオタク親も多い。
(子供が幼稚園に入るまでの数年すら「自分の楽しみ」を我慢できない親が、子供に中受をさせるときに小4~6の3年間をブラック企業並みのスケジュールにして「我慢しろ」と言っているのは笑えない冗談ですが現実です)
誤解のないように、念を押します。
そういう親を責めたくてこのエントリーを書いているわけではない。
(SNS廃人レベルで「起きている間中育児の大変さを発信し続け」ている人には「その暇があったら子供の相手できるだろ」とは思いますが(苦笑)
要は、前回も書いたけど、
文明レベルが上がるほど、出産率が下がるのは当たり前
ということ。
「子育てが嫌いで『私は誰かの犠牲になっている』と考える親」は、よくネットで吠えるし、だから「自分以外の誰か」が負担しろ!と叫ぶ。
でも「口を出される」のは嫌いなんだよね(苦笑)。
金を出せ、口を出すな。
学問でも仕事でも、先輩や上司から教わるものですが、なぜか育児だけは「周りは一切口を出すな!出す奴は老害!」扱い。
「親一年生」で、なぜ自分が頭の中で考えたことがすべて正しいと思えるんだろう(苦笑)
よく目にするのが、「私は未来の納税者を産んだんだ!」「国の宝を産んだんだ!」
そして「国のために産む」は、女性たちが一番反発してきたことなんじゃないのかな。
「国のために産め」と言われるのは嫌なのに、「自分を」大事にしてもらうためには「国のために産んだ!」と言い張るのは、どうなんでしょう。
少子化を本気で止めたいなら、50年前の価値観に戻せばいい。
結婚をして子供を産むのが「当たり前」という価値観の世の中なら、人はそうするだろう。見合い結婚が当たり前なら、「結婚できない」人も相当減らせるだろう。
でもね、私は昭和の人間なので、このあたりの変遷を身をもって知ってるんだけど。
この50年間、「ニンゲンが種を維持するための当たり前の価値観」を破壊することを、ニンゲン自身が選んだのよ。
人に指示されるのは嫌。
いつ結婚していつ子供を産むのかは個人の自由。
「自分らしく」生きることが、何よりも優先する。
ニンゲンに良く似た生き物としては、ミツバチとアリがあげられる。
個体はそれほど強くないけど、群れることで生産性と「群れとしての生命力」を上げている。
現代の先進国は、個々のミツバチが「働きバチなんてやってらんね~、自分は私らしく生きる!」と言い出し、女王バチが「一生子供を産むだけなんてやってらんね~」って言い出した状態に似てる気がする。
念を押しますが、私はこの状況を責める気はありません。
当たり前だと思うので。
そしてね。
このへんは、運命なのかなんなのかわからんけど。
ニンゲンは、「ニンゲンに代わるもの」を生み出してしまった。
それは、機械でありAIですな。
教育や保育に携わっている人で、最低限の躾けすらできない親が年々増えているのを感じない人はいないと思う(だから成り手がどんどん減っている)。
(いじめが原因ではない)不登校児を持ち上げる風潮も、私には不思議。
年々、「子供が嫌ということはさせない」世の中になってるけど、これはまあ程度問題でもあるんだけど「健全な耐性」がついてない子は、社会に出られないよ?
今日は話があっちゃこっちゃ飛んでしまうな、すみません。
私の仕事の特性として、「明らかに学問に向いていない子に勉強を強いる親」が多く来るので、体験だけで語ってはいけないんだろうけど。
昭和の頃ってさ、「うちの子は勉強できないから」とあっさり認めて受け入れて、いわゆる「手に職」に行かせる親が多かったんだよね。ていうか、ほとんどそうだった。
今、あふれかえっている「明らかに学問に向いていない子を塾漬けにして『あわよくば医者に』」という親はほとんど見なかったな。
ここでも何度も書いてるけど、そういう「塾漬け」をされると、不登校やニートになる率が倍率ドン!なわけよ。
現実として、「手を汚さない、口だけで済む仕事」なんて、つける人間は限られてるわけよ。
昭和の親はそれをわかってたから、子供の出来が悪ければ、尻を叩いてホワイトカラーを目指させるより、手に職を選んだんだよ。
話を戻すと。
もうね、現代人は「手を汚す」ことが嫌いなんだよ。
しょうがないよ、それは。
家電の発展を見れば一目瞭然だよね。
紙オムツすら、保育所で始末しろ、親に持たせるな、という。
手が汚れることは、現代人は嫌いなんだよ。
だから、みんな「ホワイトカラー」を目指す。
でも、お茶くみやコピー取りで「仕事になった」時代と違って、どんどん「ニンゲンがやらなければいけない仕事」は減っていく。
ときどき「あなた方老害の介護をするのは、今の子供たちですよ!」という頓珍漢な意見を見かけるけど、たぶん十数年後にはその多くが機械に置き換えられてるんじゃないだろうか?
大きな目で考えると、先進国ほど子供が生まれないのは、「ニンゲンがそれほど必要じゃない世界」がそのうち来るからなんじゃないかな?とすら思っている。
要は、
いくら金をばらまいてもばらまかなくても「産みたい人は産むし、産みたくない人は『まだ足りない』というだけ」なので、「ニンゲンが減っても社会が維持できるシステム」を考えたほうがいいんじゃない?
ということでした。
蛇足ながら。
今の(中受をする)小学生の「スケジュール」は、絶対おかしい。
塾が週4で帰宅が夜10時、その他の日も「家庭学習」や「習い事」で埋まってる子。
いつ「ぼーっとする」の?
ブラック企業のサラリーマン以上にひどいスケジュールですよ。
子どもって、大人から見たらボーっとして見える間にも、いろいろ考えてる。
今の子には、その時間が与えられてない。
「子供の犠牲になりたくない」と言ってゼロ歳児から保育所に預けられて、その後ずっと塾漬けの子って、「脳のリフレッシュ時間」を与えられてない状態。
そういう親御さんの子供に望む「将来」は、もれなく「医者」「超ホワイトカラー(人気の金融とか)」なんだけど。
なんだかなあ、と思う毎日です。
話を戻します。
少子化、って問題ではないと思う。
魚は育児をしないから数千個タマゴを産む、育児をする哺乳類はそれが少ない、のと一緒で、ニンゲンは「親世代が『自分という個』を最優先にし始めた」背景まで考えると、むしろ「当たり前」の話。
ニンゲンは機械を生み出したので、必要なニンゲンの数が減るのも当たり前なんじゃないかなあ?
つらつら考えると、本当に、ニンゲンっていうのは「生き物としては」自分の首を絞める方向に進化しているんだなあと思わないでもない。
機械化が進み、AIで小説や絵画すら作れる時代になってしまった。
ニンゲンの必要性って?
自分たちがラクをしようとしていたら、肝心の「自分たち」が要らなくなってしまった。まるで、SFのようですね。
この辺は、もう少し考えていきたいと思っています。
最後に、蛇足ながら。
少子化が問題になり始めてから、ネット上では「老人は早く死ね」「その分の金をよこせ」という「親」をよく見かけますが、そういう「親」が子供を育てているということを、私は怖く感じます。
たしかに、社会制度というのは、ある時点だけで切り出すと「おかしく見える」ことも多々あります。
でも、今高齢者として福祉を受けてる人って、まさに戦後焼け野原の状態から、ガムシャラに働いて、今の日本を作ってくれた人たち。「私らしく生きたい!」など考えもせず、彼らがガムシャラに働き、子供を産んだから今のラクな暮らしがある。それを考えると、「老人死ね」とか、高齢者はすべて老害、とか私には言えない。
少子化を問題視しないほうが良い、というのは、こういう意味でもあります。
マスコミが少子化をあおるほど、「子供を産んだだけで(まともな躾をしなくても偉い」という風潮になるからです。