とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

雑記:少子化が問題だと思えないんだが(2)

一年前にも書いたが、やっぱり私には少子化の何が問題なのかわからない。

今日は、とりとめもなくそれについて思ったことを書く。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

というか、問題点はあるんだろう。だが、私の感覚としては

少子化は先進国では不可避で、仕方がないこと

少子化でも問題ないシステム」を考えることこそ大事

な気がしている。

 

ぶっちゃけ言っていいですか。

お金をいくら配ろうと、無駄。

なぜなら、子育てに限らず、人間というモノは「どうしてもしたいこと」はお金があろうとなかろうと、やってしまうものだから。

お金にならなくても自分のしたい仕事を続ける人。

お金にならなくても明日のスターを夢見つづける人。

生活費を削ってフェラーリを買う人。

エトセトラ。

各種アンケートでの「お金がないから結婚できない」「お金がないから子供が産めない」を真に受けるから、頓珍漢な少子化バラマキが起きる。

お金さえあれば子供をたくさん産む?

バカ言っちゃいけません(笑)

富裕層が4人以上子供産んでます?(そういう人がいないとは言いませんが)

 

たとえば私が子供の頃は、子供の医療費無料も、高校無償化も、エトセトラ、一切なかった。それでも、私らの親世代は、それが当たり前だと思って子供を育てていたし、幼児と一緒にいて幼児とかかわり続けることは「当たり前」だった。

でも、今、それをしたい人がいるのか?

 

現代人ってさ、男も女も、もはや「子育て」が嫌いなんじゃない?

私のクライアントにも、うなるほどカネがあるのに「子供の『犠牲』になりたくない」と言ってゼロ歳から保育所に突っ込み、男親も女親も仕事最優先で、結果は語彙力も共感力も幼稚園児並み(だけど数学だけはできるからヘンサチは高い)子とか結構いた。

身の回りだけではn=1になってしまうけど(笑)、実際、幼児がそばにいるのにスマホしか見ていない親を見ない日はないし、「親子で会話」してるのを見ることがものすごく少ないんだよね。

ネット上には「子供とずっと一緒なのが苦痛」という声があふれているし、「子供が邪魔で絵が描けない!コミケに行けない!」と叫ぶオタク親も多い。

(子供が幼稚園に入るまでの数年すら「自分の楽しみ」を我慢できない親が、子供に中受をさせるときに小4~6の3年間をブラック企業並みのスケジュールにして「我慢しろ」と言っているのは笑えない冗談ですが現実です)

 

誤解のないように、念を押します。

そういう親を責めたくてこのエントリーを書いているわけではない。

SNS廃人レベルで「起きている間中育児の大変さを発信し続け」ている人には「その暇があったら子供の相手できるだろ」とは思いますが(苦笑)

 

要は、前回も書いたけど、

文明レベルが上がるほど、出産率が下がるのは当たり前

ということ。

 

「子育てが嫌いで『私は誰かの犠牲になっている』と考える親」は、よくネットで吠えるし、だから「自分以外の誰か」が負担しろ!と叫ぶ。

 

でも「口を出される」のは嫌いなんだよね(苦笑)。

金を出せ、口を出すな。

学問でも仕事でも、先輩や上司から教わるものですが、なぜか育児だけは「周りは一切口を出すな!出す奴は老害!」扱い。

「親一年生」で、なぜ自分が頭の中で考えたことがすべて正しいと思えるんだろう(苦笑)

 

よく目にするのが、「私は未来の納税者を産んだんだ!」「国の宝を産んだんだ!」

いや、不登校ニートは年々増える一方ですが?

そして「国のために産む」は、女性たちが一番反発してきたことなんじゃないのかな。

「国のために産め」と言われるのは嫌なのに、「自分を」大事にしてもらうためには「国のために産んだ!」と言い張るのは、どうなんでしょう。

 

少子化を本気で止めたいなら、50年前の価値観に戻せばいい。

結婚をして子供を産むのが「当たり前」という価値観の世の中なら、人はそうするだろう。見合い結婚が当たり前なら、「結婚できない」人も相当減らせるだろう。

 

でもね、私は昭和の人間なので、このあたりの変遷を身をもって知ってるんだけど。

この50年間、「ニンゲンが種を維持するための当たり前の価値観」を破壊することを、ニンゲン自身が選んだのよ。

 

人に指示されるのは嫌。

いつ結婚していつ子供を産むのかは個人の自由。

「自分らしく」生きることが、何よりも優先する。

 

ニンゲンに良く似た生き物としては、ミツバチとアリがあげられる。

個体はそれほど強くないけど、群れることで生産性と「群れとしての生命力」を上げている。

現代の先進国は、個々のミツバチが「働きバチなんてやってらんね~、自分は私らしく生きる!」と言い出し、女王バチが「一生子供を産むだけなんてやってらんね~」って言い出した状態に似てる気がする。

念を押しますが、私はこの状況を責める気はありません。

当たり前だと思うので。

 

そしてね。

このへんは、運命なのかなんなのかわからんけど。

ニンゲンは、「ニンゲンに代わるもの」を生み出してしまった。

それは、機械でありAIですな。

 

教育や保育に携わっている人で、最低限の躾けすらできない親が年々増えているのを感じない人はいないと思う(だから成り手がどんどん減っている)。

(いじめが原因ではない)不登校児を持ち上げる風潮も、私には不思議。

年々、「子供が嫌ということはさせない」世の中になってるけど、これはまあ程度問題でもあるんだけど「健全な耐性」がついてない子は、社会に出られないよ?

 

今日は話があっちゃこっちゃ飛んでしまうな、すみません。

 

私の仕事の特性として、「明らかに学問に向いていない子に勉強を強いる親」が多く来るので、体験だけで語ってはいけないんだろうけど。

 

昭和の頃ってさ、「うちの子は勉強できないから」とあっさり認めて受け入れて、いわゆる「手に職」に行かせる親が多かったんだよね。ていうか、ほとんどそうだった。

今、あふれかえっている「明らかに学問に向いていない子を塾漬けにして『あわよくば医者に』」という親はほとんど見なかったな。

ここでも何度も書いてるけど、そういう「塾漬け」をされると、不登校ニートになる率が倍率ドン!なわけよ。

現実として、「手を汚さない、口だけで済む仕事」なんて、つける人間は限られてるわけよ。

昭和の親はそれをわかってたから、子供の出来が悪ければ、尻を叩いてホワイトカラーを目指させるより、手に職を選んだんだよ。

 

話を戻すと。

もうね、現代人は「手を汚す」ことが嫌いなんだよ。

しょうがないよ、それは。

家電の発展を見れば一目瞭然だよね。

紙オムツすら、保育所で始末しろ、親に持たせるな、という。

手が汚れることは、現代人は嫌いなんだよ。

だから、みんな「ホワイトカラー」を目指す。

でも、お茶くみやコピー取りで「仕事になった」時代と違って、どんどん「ニンゲンがやらなければいけない仕事」は減っていく。

ときどき「あなた方老害の介護をするのは、今の子供たちですよ!」という頓珍漢な意見を見かけるけど、たぶん十数年後にはその多くが機械に置き換えられてるんじゃないだろうか?

 

大きな目で考えると、先進国ほど子供が生まれないのは、「ニンゲンがそれほど必要じゃない世界」がそのうち来るからなんじゃないかな?とすら思っている。

 

要は、

いくら金をばらまいてもばらまかなくても「産みたい人は産むし、産みたくない人は『まだ足りない』というだけ」なので、「ニンゲンが減っても社会が維持できるシステム」を考えたほうがいいんじゃない?

ということでした。

 

蛇足ながら。

今の(中受をする)小学生の「スケジュール」は、絶対おかしい。

塾が週4で帰宅が夜10時、その他の日も「家庭学習」や「習い事」で埋まってる子。

いつ「ぼーっとする」の?

ブラック企業のサラリーマン以上にひどいスケジュールですよ。

 

子どもって、大人から見たらボーっとして見える間にも、いろいろ考えてる。

今の子には、その時間が与えられてない。

「子供の犠牲になりたくない」と言ってゼロ歳児から保育所に預けられて、その後ずっと塾漬けの子って、「脳のリフレッシュ時間」を与えられてない状態。

そういう親御さんの子供に望む「将来」は、もれなく「医者」「超ホワイトカラー(人気の金融とか)」なんだけど。

なんだかなあ、と思う毎日です。

 

話を戻します。

少子化、って問題ではないと思う。

魚は育児をしないから数千個タマゴを産む、育児をする哺乳類はそれが少ない、のと一緒で、ニンゲンは「親世代が『自分という個』を最優先にし始めた」背景まで考えると、むしろ「当たり前」の話。

ニンゲンは機械を生み出したので、必要なニンゲンの数が減るのも当たり前なんじゃないかなあ?

 

つらつら考えると、本当に、ニンゲンっていうのは「生き物としては」自分の首を絞める方向に進化しているんだなあと思わないでもない。

機械化が進み、AIで小説や絵画すら作れる時代になってしまった。

ニンゲンの必要性って?

自分たちがラクをしようとしていたら、肝心の「自分たち」が要らなくなってしまった。まるで、SFのようですね。

この辺は、もう少し考えていきたいと思っています。

 

最後に、蛇足ながら。

少子化が問題になり始めてから、ネット上では「老人は早く死ね」「その分の金をよこせ」という「親」をよく見かけますが、そういう「親」が子供を育てているということを、私は怖く感じます。

たしかに、社会制度というのは、ある時点だけで切り出すと「おかしく見える」ことも多々あります。

でも、今高齢者として福祉を受けてる人って、まさに戦後焼け野原の状態から、ガムシャラに働いて、今の日本を作ってくれた人たち。「私らしく生きたい!」など考えもせず、彼らがガムシャラに働き、子供を産んだから今のラクな暮らしがある。それを考えると、「老人死ね」とか、高齢者はすべて老害、とか私には言えない。

少子化を問題視しないほうが良い、というのは、こういう意味でもあります。

マスコミが少子化をあおるほど、「子供を産んだだけで(まともな躾をしなくても偉い」という風潮になるからです。

 

 

雑記:「つらさをわかって」がなんか苦手な理由

SNSを開けば、「私の辛さをわかって!」を見ない日はない。

 

冷たいようだけれど、私はあれが苦手だ。

 

誤解しないでね、辛い立場の人が苦手なのではなく

それを「不特定多数」に言い募る行為が苦手だということ。

 

なぜって、声高に自分の辛さを滔々と語り「共感」「思いやり」を欲する人が

「他人の辛さ」に共感したり手助けしたりしているのを見たことがほぼないから。

 

そして、彼らが「自分より恵まれている」と勝手に判断した相手には

辛さなどあるはずがないと決めつけ、場合によってはサンドバッグにしているから。

 

人は、〇〇ができるようになったら「あがり」にはなっていない。

能力が上がればノルマも上がる。

一時期、ある会社で利益の大部分を稼ぎ出していた時があったけど、それで楽になるどころか、「もっと稼げ」とノルマが上がっただけだったからな。社員の給料私が出していたようなもんなのに、ほかの社員からは「当たり前」だと思われたし。それであほらしくなって辞めて今に至る(笑)。

 

ノルマだけではなく、自分に対する向上心から苦しむこともある。

WBCの村上選手が記憶に新しい。あれだけ凄ければ、彼よりスキルの低い人から見たら羨ましい限りだろうに、彼は大谷選手を目の当たりにして自分にプレッシャーをかけまくり自分で自分を追い詰めて蒼白になっていた。

 

まあ、つまり、たとえ自分より恵まれているように見えても、その人にはその人の「辛さ」があるわけよ。それをわかろうとしない人が「私の辛さを知れ」というのは、自分を中心に世界が回ってるんだなあと感じる次第。

 

なんでああいう人達は「不特定多数」に訴えるんだろう?

気持ちをわかってくれる相手は、リアルの身内や友人のほうが万倍良い。

英語のたとえで「列車の隣人」という慣用句のようなものがあるんだけど、ネット切ったら付き合い切ることができる相手には、いくらでも「共感」ふるまえますよね(笑)。

身近な人とわかりあい共感しあうほうが、よほど人生がたしかに豊かなものになる気がするなあ。

 

ちなみに、私自身は、過去はたまたまたスキルの高かったために過度なノルマや期待を寄せられて非常につらかった時期もあったんだけど、「スキルの高い人間にノルマや期待を課す人たち」とすっぱり手を切って、フリーで生きていくことにしてからは、そうした辛さがほぼゼロになった。だから、不特定多数に辛さを訴え続けなくて良くなった、という面はある。

 

「できる人」には「できる人」の苦労がある。

でも、「できる人」がちょっとでも愚痴を言ったり、ちょっと品行方正でない行動をしちゃったりすると、よってたかって叩かれるからな。

大谷選手とか藤井さんとか、ほんとうに常人には計り知れないメンタルの負担があると思う。。。

 

今日は、オチがないまま終わります(笑)。

お前が言うな

一年近く空いてしまいました。

その間も、見に来てくださったりコメントをくださったりした皆様、ありがとうございます&すみません。

やっとほぼすべての教え子たちも第一志望に合格し、今年の受験も一段落したので、またちょいちょい書いていこうと思います。

 

そんな超久々のエントリーのタイトルがまた過激になってしまいましたが。。。

実は、これを書こうと思いつつ、どう書いたら伝わるかなあなどと考えているうちに気が付いたら一年経っていたという状況です。

 

お前が言うな。

誰が、何を?

その前に、以下の引用をお読みいただきたく。

 

子供というものは変なところに関心をもっているはずなんですが、いまは学校が、その関心をみんな切り捨てさせてしまっています。試験の問題になりやすいことに興味をもって、うまく解けたことに満足感を覚えるような子供は成績もどんどんよくなります。

(中略)

いまの教育で問題なのは、学校制度が大学に入るためにあるということです。なにをやるかではなく「とにかく大学に入りなさい。そのためには…」ということですね。もちろん、それを軸にして頑張る子どももいるでしょう。頑張って、うまく大学に入れる子どもも確かに多い。ただし、そこで目標が無くなってしまいますから、迷いだすんですね。

日高敏高「『数式にならない』学問の面白さ」より)

 

うん、わかります。

私も常々そういうことをここでも書いていますからね。

ですから、日高先生に対して「お前が言うな」と思っているわけではありません、もちろん(そもそも私は日高先生の著作は好きで集めているほどです)。

 

問題は、これがサピックスオープンで出題されたということ。

この手の「学校教育が子供から好奇心を奪っている」「テストでいい点を取るのが学問ではない」といった文章を出題するのは、サピックスに限りません。多くの私立中学で出題されるのを見てきました。

 

正直な感想言っていいですか?

 

お前が言うな。

 

以前も何度か書きましたが、公立の小学校や中学校は「ゆるい」です。

全員に最低限のことは教えなければいけないわけですから、どんどん先に行ける子に合わせるわけにはいきません。

だからといって、私は「退屈だ」と感じたことはありませんでした。

自分が5分で理解できることを50分かけて授業されている間も、ノートにできるだけメモをしてみたり、算数なら「別の解き方はないかな?」と考えたり、国語の授業ならさらなる深掘りを考えたり、理科なら「今度の週末、家で実験しよう」と考えて実験計画を練ったりしていました。

そういった「寄り道」的な思索が、自分の脳みそを鍛えてくれたと今でも信じています。

そして、その「寄り道」ができたのは、学校がユルかったからです。

 

今、教えている小学校4~6年生、まっっったく!!!精神的余裕がありません。

ほとんどの一般的な通塾生は、塾の課題をこなすのがやっと。

寄り道って、物理的・精神的な余裕がないとできないんですよ。

だから、理科の苦手な教え子やその親御さんに「野菜育てると植物が理解できるよ」「たまには星座を見てみたら?」「料理を手伝うと、立体切断や溶解度、比はスムーズに理解できるよ」と、いくら勧めても、やりませんね。

興味すらいだかない。

 

そうしてるのは誰なんですか?

少なくとも、公立小中じゃないですよ。

塾産業と、私立中じゃないですか?

こういっちゃなんですが、優れた教師のいない私立中は入試問題を見ればすぐわかります。文科省の指導要領内でムズカシイ問題を作ることは問題作成者が優秀でないと困難なので、そういう学校では高校数学や高校化学が平気で出されます。註釈つけておけばいいだろう、とばかりにクソ長いリード文(問題冊子1ページ以上)の説明をつければイオンやph出してもいいだろうというのは手抜きすぎませんかね?

 

で、そういう出題を見てしまった塾業界は、それを「mustの知識」と追いかける。永遠のいたちごっこ。私立中を受ける小学生が履修すべき内容は、年々増えるばかり。

 

とうてい消化しきれない量の回転ずしを、無理やり食べさせられているようなもの。

 

もちろん、理科が大好きで、強制されなくてもブルーバックスをガンガン読むような子もいるでしょう(私もそうでした)。でも、そうではない一般的な中学受験生に、四教科すべてで中高生並みの知識を「実体験なしに」押し込むのが教育だとは、私には思えない。4教科もあるわけですしね。

 

地頭がよくて好奇心も強く、学問の道を行ってほしいなあと思えるような子が、過剰な受験勉強を経て「もう勉強は嫌です」「ほどほどにやります」と言い出すケースも多々ありました。

 

何度も書いてますけど、家の周りの東西南北もわからない、冬は影が長くなることも覚えてないのに太陽の南中高度だけ計算できても意味なくないですか?

 

模試の偏差値は高いのに物語文がまったく読めない、「寂しい」と「悲しい」の違いがわからず「先生、どっちを書けば点がもらえますか?」と聞いてきた生徒。その子の家では、受験の邪魔になるからと一切の娯楽が禁じられていました。。。

 

そういう「本末転倒」な状況を生んでいる主要因として、過激になりすぎた中学受験がないとは言わせない。

子どもたちから自然な好奇心や学究心を奪ってるのは誰なんだ?

その主要因となっている一部の私立中学や塾産業がドヤ顔して

「子供たちから好奇心を奪っているのは学校教育だ」

って、開いた口がふさがらないとはこのこと。

 

自分たちこそが子供から「学問の面白さ」を奪っているという自覚はないのか?

いや、あるからこそ、罪滅ぼしのように「私たちは『本当の学問』がなんだかわかってるんだよ?」と主張しているのか?

保身のためのアリバイ作り?

 

例えは悪いですが、女性のアテンドが付く飲み屋に行ってそこのホステスさんに説教するオヤジのようです。

 

 

そもそもね、自分たちの教育とやらにそれほど自信があるなら、あんなカルトクイズのような入試はやめて抽選にしたらいい。

 

競争を生んでいる学校側がこういう出題をするのも偽善に感じるし、その片棒かついでる塾産業が「教育」を語るってヘソが茶を沸かしますね(笑)。

雑記:少子化が問題に思えないんだが

異次元の少子化対策で大増税になるかも、らしいですがそもそも昔から私は少子化の何が問題なのかさっぱり理解できないでいる。

先進国はどこも多かれ少なかれ少子化

経済はバランスが取れていればそれでよいと思える。

人間の寿命自体が伸びているので「20代の若者がいないと!」とイメージで語るより、「生涯現役」ができる人が世の中を支えていくスタイルにソフトランディングすれば大丈夫に思える(もちろん私も体がもつ限り働き納税するつもりでいる)

 

やれ労働人口が、一人で〇人の老人を支えるとかの理論は辟易している。なぜなら、子供もまた23~24歳までは「無産」であり我ら納税世代が「支える相手」なことには変わりない。しかも、昔はなかった出産一時金だの医療費無料だの、はては高校無償化まで。塾代を自治体が援助するところまで出てきている。それでもまだ「足りない!」の声が喧しい。

でも、私は金銭的援助ではもはや子供は増えないと感じている(注:個人の感想です)。

子供が増えない理由は「子供を欲しいと思う人が減った」に尽きる気がしている。金銭的に余裕が相当あるご夫妻でも「一人で十分」と言う人は多い。(そこからパーフェクトベビー願望で教育虐待まがいに繋がっていっちゃったりするんだが、それはまた別の話)

この辺については、先進国では「娯楽」が多すぎるためにしかたがないことだと感じている。一人産んだら数年間は身動き取れないわけだからさ。

 

問題は、ここから。

子供がいないと「無産」と罵る人たちがいるようだ。

子供が苦手という人を人でなし扱いし、「日本は子連れに冷たい!」「日本は子育てがしにくい!」と声高に叫ぶ人たちも最近目立つ。

これに関しては、はっきり異を唱えたい。

子連れに冷たいのではなく、躾けが出来ていない子供をTPOわきまえず連れ出したあげく両親ともにスマホばっか見ていて騒がせっぱなしの「だめな親」に怒っている人は多いと思うが、子供自身にヘイトを向けている人は少ないのではないだろうか。

ぶっちゃけ、ウチの上の階も毎晩凄まじく、毎晩決まった時間になると一時間ほど子供が床を踏み鳴らす(22~23時)。なんでそれで高層階に住もうと思ったんだろう。その子供自身には腹は立たない。だが、「人の迷惑をまったく考えない親」には猛烈に腹が立つ。ちなみに、その子はマンションのロビーで自転車を乗り回したりしているが親はそばにいても全く注意しない。(ちなみにウチは「そういう民度」のマンションではまったくありません。ほとんどの住民はTPOをわきまえているし躾けもできている)

 

つまり「子連れに冷たい」のではなく「子供を錦の御旗に好き勝手する親が」「躾もできない親が」嫌われているだけで、子供自体が嫌われているわけではないんだけど、ダメな親ほどここを混同して相手を罵倒するわけだ。

 

そもそもですね、親の多くが「育児は勘弁」「仕事のほうがずっと楽」と言って薄給の保育士にトイレトレから何からすべて押し付けているのを見ても、子供がいる人が必ずしも「子供が好き」というわけではないのは自明。

子供を一番邪魔者扱いしているのは当の親だし、子供にひどいことをするのも統計上「親」がトップだ。

私自身は「子供」は好きな方だと思う。

虐待事件には血が沸騰するくらい腹が立つ。

教育虐待も、同じくらい許せない。と思うくらいには、「子供」が好きである。

でも、「よそのおじさんおばさん」がルール違反の子供を叱ったら「事案」になる昨今、「子供は地域で育てるもの」と言われても空疎なたわごとにしか思えないですね。

 

「自分が邪魔に思っているもの(子供)」を他人が邪魔に思ったら糾弾するという一部の(でも最近かなり多い)親が私には不思議です。自分が大事にしていないものを他人が大事にするべきだとなんで思えるんだろう。

自分はスマホばっかり見て遠ざけている存在(子供)を、自分がスマホに熱中する間は社会(周りの大人)が面倒みるべきだとなんで思えるんだろう。

「子供は未来の宝だ」と言われても、教育現場にいる人間からすると「ニートになる率高いのになあ」と感じてしまうし、成人した大人の全員が善人ではないのでね。

 

某S学園で、床に寝そべった問題児くんを教師が廊下に出したらモンペに怒鳴り込まれて教師が辞めさせられた事件がありましたね。モンペの増加は、明らかに!直接的に!教師や保育士を減少させています。

 

モンペに関しては、「恥を感じない親」が増えたのが一因かな。

 

また項を改めて書きたいと思っているネタですが、私は子供が成長するときに「恥の意識」ほど成長を後押しするものはないとすら思っています。誤解のないように念を押しますが「人として恥ずかしい」の「恥」です。容姿や能力なんてどうでもいいです。

小6にもなって、幼児のような行動(寝そべる、ふんぞり返る、あいさつひとつできない、他人の目の前で親に「命令」する、他人の前で下着に手を入れる、エトセトラ)あるいは、ズルをして人を陥れて自分が得をしようという行動は「人として恥ずかしいこと」だと思うんですが、最近の親御さんは全然そう感じないようですね。

昔の親はそういうときすぐ子供を窘めつつ「ほんとお恥ずかしいところを見せてしまって…」と言ったものですが、親がそういうのを恥ずかしいと思ってないんだからしょうがないね。世も末。

教育者が立場をかさに着て「嗜虐心から子供に恥をかかせる」のはもちろん言語道断ですが、「お前、その行動は人として恥ずかしくないか?」という説諭は一番子供に刺さると思うんですけれどね。それをするとまず子供が「恥をかかされた!」と親にチクリ、丸のみした親が学校に怒鳴り込むわけですから世も末ということです。

 

それもこれも、「少子化の解決こそ最優先!」という間違った命題が遠因な気がするんですがいかがでしょうか。

高橋洋一氏も指摘されていましたが、あんなにも政府と行政が少子化少子化言うのって少子化対策」と言えば予算がいくらでもぶんどれるからではないかなと邪推したりしています。

同様に、少子化がさも大問題のように喧伝されるせいで「躾とかしなくても子供は宝!」と誤解させている面も多いのでは。

 

それとね、女同士がマウント取り合って争うのもたいがいにしたらいいと思ってる。

母親の中には我が子を可愛いと思えない人も少なくなくて、そういう人は「女に『母性』を押し付けるな!」と怒る。でもその一方で「子供を『無条件に』かわいいと思えない独身女はクズ!」と言う(苦笑)。ダブスタの極み。自分が母性を押し付けられると怒るのに、「よその女」には母性(というより自分の子への愛情)を要求するのってどうなのかな。

 

子供は普通に好きです。

そして、子供への虐待・犯罪は絶対に許せない。

でも同時に

最低限の躾をせず、周囲や社会に「配慮」ばかり求める親

教育虐待する親

は苦手(自主規制しました・苦笑)です。

 

 

偏差値40の真実(1)~「偏差値40でも小学生全体で見たら優秀」のウソ

過激なタイトルですみません。

でも、いつか書かなければいけないと思っていたことを少しずつ書いていこうと思う。

 

「偏差値40と言っても『中学受験する優秀な集団』の中での偏差値だから小学生全体で見たら上位!」

ウソだらけの「二月の勝者」でも黒木がしたり顔で語っていた理論ですが、うん、これ真っ赤なウソ。

 

小4、下手をしたら小2から塾漬けにして

「解法」をバンバン教え込み

数年間ガッツリ受験勉強させてそれでも6年になって

割合でどっちで割るのかしょっちゅう間違えていたり

速さの概念があやふやだったり

読解が偏差値40割っていたり

理科でありえない答えを連発している場合

少なくとも現時点では「優秀」とはいえない。

 

「二月の勝者」ではY偏差値40でも小学校のカラーテストは満点!と描かれていましたが、実際の偏差値40前後の子の学力はそんな甘いもんじゃないです。

●そう難しくない漢字のヘンとツクリを逆に書く。

●語彙を覚えるのは「暗記」だと思い込んでいるので、小テストをやると

前提:この上もないこと。

至上:結論を導き出す根拠。

とか平気で答えます(苦笑)。つまり、言葉を理解しようとしているのではなく、暗記クイズなんですね。だから、一ページに5個語彙が載っているページを丸暗記して、間違えて覚える。逆になってしまっても「ミスだ」と考えてしまう。

●カラーテスト満点どころか7割くらい

●算数のカラーテストは「意地悪くない」ので、テキトーにかけたり割ったりすれば数字は合うことが多いのに、それでも間違える

 

こういう子でも、Y偏差値40台前半の学校には「合格」します(経験談)。

 

このブログをずっと読んでくださっている方ならわかってくださると信じていますが、私は学力偏差値は「モノサシのひとつでしかない」と考えています。ですから、偏差値40の学校が悪いというつもりは毛筋ほどもありません。

ですが、だからといって「中受偏差値40でも優秀ですから!」と親をおだてて中受に参戦させるギョーカイには辟易しています。

 

「でも、偏差値40の学校からも早慶が出ているじゃない」

という声が聞こえてきそうです。

たしかに、私も以前そのバンドの学校の子を教えて早慶上理に合格させた経験はあります。でも、その子の場合は「擦り切れるまで勉強してギリギリその学校だったわけではない(親御さんがそこの卒業生で熱望していた)」という特殊要因があり、なおかつこれを自分で言うのも口幅ったいですが、私と出会ったことも大きいです。高2までその学校でも低空飛行だったのが、私と出会って人生観が変わって勉強大好きになりバクノビした結果です。これもある意味特殊要因です。

 

偏差値40前後の学校は、さすがに国立上位は無理なので早慶MARCHの進学実績を売りにしていますが、ここにカラクリが潜んでいます。

上述したような大器晩成バクノビケースも、もちろんあるでしょう。

でも、みなさん中学受験が「浪人できない一発勝負」ってこと忘れてませんか。

学力が高くても、「2月1日の勝負」に負ける子が大半。

ですから、もともとの学力より低い学校にくる子も多いわけです。

そういう子の中にはクサってしまって地滑りしていくことも少なくはないですから必ずしも「第一志望残念組」が進学実績を叩き出していると断言するつもりはないですが、でもやはりそういうケースは多いです。

さらに、「特待生」が複数進学実績を叩き出しているケースも多いですね。

もっと言うと、これが私学の不思議なところなんですが、偏差値40くらいでも早慶MARCHの推薦枠を持っている学校は多いです。この辺は私大の苦肉の策と言うか私大の闇というか。一般受験したら間違いなく落ちる学生が、この推薦枠で早慶MARCHに入っていく。

この「推薦枠」を「オトク」と見るからこそ「なにがなんでも私立中」と色めき立つ親御さんも多いようですが、それこそいばらの道ですよ。公立中の内申制度以上に不透明ですよ、この推薦枠。公立中なら内申がおかしいと思ったら教育委員会に怒鳴り込むことも可能でしょうが、私立は不可能。この辺については、ン百万もかけて私立に行かせた親御さんはいわゆる「サンクコスト」がでかすぎて「それでもやっぱり私立が良かった!公立はクソ!」としかいわないので、冷静に見ていただけたらと願うばかりですね。

 

何が言いたいかと言うと。

その学校から早慶MARCH進学者が出ているからと言って

あなたのお子さんが早慶MARCHに行くことには必ずしもつながらない

ということです。

 

もちろん、ここで何度も書いているように、中受なんて通過点でしかありません。

身体もメンタルも成長しきっていない時点での「試験」なんて、誤差です。

(突き抜けた天才たちは別)

中学入学偏差値40でも、大器晩成でバクノビすることはある。

でも、それはレアケースでもある。

その「レアケース」を盛大に掻き立て、「あなたのお子さんも私立に入れさえすれば人生バラ色!」と煽っているのが中学受験「産業」ということです。

 

大器晩成バクノビのケースとしては

・小学生のときは親からやらされるだけだったのが、勉強の面白さに目覚めた

・良い「師」に出会って価値観変わった

・たんに12歳時は幼すぎた

・余力があった

などいろいろありますが、「その子」が大器晩成バクノビするかどうかはその子次第。

その子の「実力」がどれくらいか一番わかるのは親のはずなのに、親が一番わかっていないのも事実。希望的観測が入ってしまうからですね。

 

つくづく、株と一緒やなあと思います。

某教育掲示板などを見ても「今さら降りられない」「これまでやったことは無駄じゃないからこのまま突っ走る」という言葉をいやというほど見ます。

株って損切りが一番大事なんだけどね。

証券マンは「今売ったら損ですよ」「もう少し持っていれば」と鬼ホールドを勧めるか、カネヅルになると思えば手数料目当てでどんどん新しい株を買わせようとします。中受で言えば「鬼ホールド」は「中受から撤退させないこと」であり、「新しい株」はオプション講座や提携の個別指導ですね。

 

中受というのは、心身未発達の「子供」が確固たる自我を持つ前にとりあえず刷り込んで押し込んでしまえという意識を強く感じます。

中受ギョーカイは「公立は魔窟」「3年ごとに受験があるのは大変」とことさらに親を煽りますが、盗んだバイクで走り出して夜中にガラスを割って回る学生が多い地域でなければ公立中はいたってフツーの環境ですし、3年に一度「試練」が来るのって私はむしろ良いと思いますけどね。まあこの辺は個人の好みなのでどっちがいいという気はないですが、「ことさらに片方をいいと持ち上げる人間が多い」事象に関しては、眉に唾をつけて聞いた方がいいんじゃないかなあ。

 

あと、これも項を改めて書こうと思ってるんですけど。

最近目につくのが「私立で男女別学だとオタクにも居場所があるから」的な志望理由。

男女別学は良い面もたくさんあります。

思春期の人間にとって「異性から勝手に評価されるランキング」ほど心を傷つけるものはありませんからね。そういうのから無縁に過ごせるのは良いことでしょう。

でも、「オタクがオタクのまま過ごせるから」私学別学、というのはちょっと危険かな。(その意味で「二月の勝者」の加藤くんに対する黒木の勧誘は疑問)

「学校」を出たら、「オタクが活かせる業界」に進むのではない限り、いつか「一般人」と普通に渡り合わなければいけないときがくるわけで。こういうのこそ、先に延ばせば延ばすほど取り返しがつかなくなりますね。

 

とりとめもなく長くなりました。

続きは次回。

「勉強ができる」だけでは「受験勉強のコーチ」は無理な件について

何かのスキルを持っている場合、「人に教える」のはとても楽しいことだと思う。

車の運転。

スキーの滑り方。

ピアノの弾き方。

エトセトラ、エトセトラ。

 

以前も書いたが、東大生はたいてい「教えたがり」である・笑。

いや、東大生に限らない。

「学問のスキル」がある人は教えるのが好きだ。

ここに大きな落とし穴、そして塾講師や家庭教師が虚無感をおぼえるポイントがある。

 

たとえば、ピアノ教室。

たとえば、リトルリーグ。

たとえば、バレエ教室。

これらに通う子で「本人にまったくやる気がない」ケースは少ないんじゃないかな。

ない、とは言わない。

親だけが夢を見てしまって本人が嫌がっているのにレッスンに連れて行くケースもないわけではないだろう。

でも、ほとんどの場合は「本人」がやりたがってのことだろう。

 

ひるがえって、受験勉強はどうだろうか。

集団塾についていけず個人コーチを必要とする場合、多くが「子供本人は勉強が嫌い」

 

私の場合は、私と出会ったことで「勉強が好き!」になるケースも多い。「ある師匠との出会いがきっかけでやる気になる」ケースは否定できない。

でも。

いかなるメソッドを繰り出そうが「勉強が嫌い」な子は一定数いる。

 

受験勉強以外の「コーチ業」の方は「〇〇が好き」な子に教えればいいのに比べ、

受験ギョーカイの「コーチ」は「勉強が嫌い」な子にも教えなければいけない

さらにモンペからは「ウチの子がやる気にならないのはコーチのせい」と言われる

うん、受験ギョーカイって全然ラクじゃないんで「問題の解説ができる」くらいで踏み込むと病むかもしれないね。

だって、「生徒は『やりたがってない』という非常に特殊な世界」なので。

スキー教室とかピアノ教室とかサッカー教室だったら少なくとも本人にやる気はあるので。

 

自分の大好きなジャンル(野球、フィギュア、水泳、絵画などなど)を愛してくれている生徒に教えるのは楽しいだろう。

でも、学問を嫌いな子に(学問を好きなコーチが)教えるのはしんどいぞ。

逆に、学問を好きな子・楽しんでいる子に教えるならヘンサチがどうだろうと楽しい。

たぶん塾ギョーカイは、学問が好きだった人が講師になるんだろう。

結構しんどいぞ、というのは先達として書いておきたい。

 

ちなみに、私自身はもう再来年から「本人に向上心がない場合は断る」方針。

だってさ。

本人にやる気がなくて親だけが必死な子に教えても砂漠に水を撒くようなものだからさ。

 

ほんとヘンなんですよ、このギョーカイ。

たとえば、ピアノを習いに行かせるときに「この子はピアノが嫌いなので先生がやる気にさせてください」と言いますかね? それはあり得ないんじゃない?

でも、なぜか勉強だけは「やる気を起こさせるのもセンセイの仕事」になってます。

おかしいわ(笑)。

 

私は割とそういう子に「やる気」を出させるのがうまいというのは自負しているけど、そもそも私は保育士ではないし(笑)。親に勉強させられているだけの向上心のない子に教えるのって、結構こっちが病みかねないんだよね。なので、今、塾講師とか家庭教師とか目指している人たちには、「金になるからとなんでも仕事を受けるな」と言いたい。勉強に限らず、やる気ない人間に自分の専門スキルを教えるのってマジで病みますよ。

私が書いたのか!?と思う本を見つけた(笑

すごい本を見つけました。kindleよ、勧めてくれてありがとう。

 

私の持論とピッタリ一致しすぎて、もしや寝てる間に自動書記したかと思ったぞ(笑)。という冗談はさておき、さらに客観的なところが素晴らしい。

過熱しすぎた中受に真っ向から切り込んでいるがゆえに「私立万歳」な方からは苦言も呈されているようだが、それは著者があえてやっていること。つまり、今やギョーカイは中受礼賛しかしないので、偏りすぎたバランスに一石を投じるために極論を言っているだけ。いやあ、素晴らしかったです。ぜひ、多くの方に読んでいただきたい…!!!!

 

東京はもはや「中受しないのなら人にあらず」の様相。

 

もし私に子供がいてその子が私ほど勉強が好きでない子だったなら、私は東京脱出していたと思う。そして違う道を自分で探せるようにしただろう。

 

これほど中受が過熱した状況下では「私の望む小学生時代&中学生時代」を送らせてあげられないだろうから。「おばさん、時代は変わったんだよ」という声が聞こえてきそうですが、私はやはり身体も出来上がっていない子供が21時まで塾にいて、小4からは外で遊ぼうと思っても遊ぶ友達がいないというのは生物の本能として受け入れがたい。21時なんて子供は寝る時間だろ笑。

 

著者の瀬川さんもはっきり書いておいでですが、そして偏差値にこだわるのは私の最も嫌うところではありますが、「偏差値40でも私立中に行くほうが公立中より頭がいい」なんていうのは真っ赤なウソです。「偏差値40未満の真実」と題して記事を書こうと思いながらいまだ書けていませんが。経験上、偏差値40前後の私立中の「ボリュームゾーンの子」は、決して小学校のカラーテストで満点なんか取れていません。むしろ、ヤバさを感じるレベルです。漢字テストのヘンとツクリが逆になったり、カラーテストレベルの算数の文章題が読み取れなかったり。それでも偏差値40前後の学校には受かっていきます。そういう学校も、なぜか進学実績としては(国公立は無理でも)上位はMARCHに十人くらい受かったり、たまに早慶が1~2名出たりします。これに親御さんたちは騙されちゃうんですよね…(汗)。

 

偏差値40前後の「全入」に近い私立中から早慶やMARCHに入る子は

(過去の私の教え子のように)中高で開花した子もいますが、激レアだと肝に銘じていただきたい。ちなみにその教え子ちゃんは、なぜ開花できたかというと(私の指導も良かったとは自負していますが)中受時にはものすごく余力を残していたからなんです。親御さんが「少しでもヘンサチ高い学校へ」ではなく「自分の母校へ」だったので、ほぼ全入な中学に入りその後伸びたという次第。そしてこれは超レアケースです。

ほとんどの場合、

偏差値40前後で「進学実績」を稼いでいる子は

・併願がいわゆる「特攻」で全落ちでやむなく来た子

・特待が必要だから来た優秀児

ですね。

ま、だからこそ少なくない私立中が特待生制度を採ってるわけですよ。

「進学実績」に、その子が特待生だったかどうかなんて書いてないからね。

宣伝としてはこれ以上ない宣伝になる。

 

私立中に行かせた親御さんで、ことさらに「公立にいかせなくてよかった!」「公立はクソ!」と言ってる方多いですけど、いわゆる「サンクコスト」デカすぎで迷惑だからやめてほしいわ。

自分の選んだ道を否定したくない気持ちはわかる。

でも、「選んでない道=公立中」を腐すのはたいがいにしてほしい。

もちろん、私は公立>私立と言いたいわけではないです念のため。

でも、私立がパラダイスかと言ったら絶対そんなことはないと言っておきたい。

以前も書きましたが、内申制度。私立の「評定」も学校によってはかなり不透明です。進学実績を上げるために、テストの点の良い子にはあえて低評価をつけその分をテストで点が取れない子に「回して」指定校推薦を取る、という手は良く聞きます。実際、私の教え子もやられました。公立中なら喧嘩上等で乗り込むこともできますが、私立の場合「ウチが嫌なら出てってどうぞ」になるのでできないんですよね。

 

私立ならイジメや不登校やなんやかんやがない、なんていうのも真っ赤なウソ。

私は中受で終わりではなく継続を望まれることが多いので「その後」の話もよく聞きますが、聞いていると人間関係の面倒くささはどこ行っても一緒ですね。

不登校も結構な割合で起きているのですが、私立は「退学」しちゃう/させちゃうから(苦笑)。高校に上がるときに「肩たたき」があるのは周知の事実。

(これはいまだに悔恨している教え子ですが、親御さんのプレッシャーで無理くり御三家に押し込んだ子で、一年目から不登校になって退学になった子がいました。鶏口牛後を言う気はありません。牛後で入って頑張れる子もいるから。でも、子供自身が牛後で良いと思っていなかった場合、牛後を狙う受験は子供に取り返しのつかない傷をつけるんだなとわかりました。)

私立だからといってイジメは普通にあるし、不登校からの退学もあるのが私立中。

 

何度も言いますが、私は私立中が嫌いなわけではないです。学問が好きな子は、じゃんじゃん行ったらいい。野球上手い子が中学の部活では満足できずにリトルリーグ行ったり、サッカーうまい子が動揺にユースに行くのと一緒です。

でもね。

学問が好きな子が、なんで塾の宿題をやらないんですか?

「塾の宿題すら、親に叱られないとできない子」は、中受向いてないですよ。

私は、中受せずに小学生の頃はセミの抜け殻集めたりして遊んでた子が中高で「目覚めて」自発的に勉強始めて(人が憧れるような)志望校に受かるというパターンをたくさん見てきているだけに(そしてそういう子は今でも気軽に私の私塾に遊びに来ます)「勉強が嫌いになってしまうほど負荷を与える」のは間違っていると思っています。とにかく、今の中受の「負荷」はおかしい(自発的にやるトップ層除く)。

 

では、なんでここまで中受熱が高まる一方なのか。

それはね。

そうなると「得をする」人がいるからです。

中受ギョーカイはもちろん、ギョーカイにぶら下がってるマスコミ関連。

以前記事に書いたおおたとしまさ氏なんかもそのたぐいでしょうね。

今回ご紹介した瀬川松子氏の書籍にたびたび出てきた「プレジデント」なんかもその筆頭ですね。

 

「プレジデント」という名前で「セレブになりたい人たち」の心をくすぐってますが、ちょっと冷静に考えてみましょう。

 

以前も何度も書いていますが、「庶民出身」の場合、たとえ東大に行っても、一流企業に勤めて出世するだけでは「プレジデント」がお勧めする時計やスーツなどを買えるようにはなりません(苦笑)。なぜなら、日本は「よくできた社会主義=わりと平等な社会」だからです。だから「一代で」巨万の富を得るならば、三木谷さんや堀江さんや前園さんのようなエポックメイキングな偉業が必要です。そしてそれをするためには、学力プラスアルファが必要なんです。

 

「セレブ向けの雑誌に載っている車や時計が買える人」というのは、そういう一代で成り上がった人ももちろんそうでしょうが、この「わりと公平な日本」では、おおむね「代々財産を持っていた名家」絡みでしょう。ウチの近所にも名だたる高級住宅街がありますが、あの辺の御屋敷は東大行ったくらいじゃ絶対買えません(笑)。そういうことをね、言わずにね、「頑張ればあれらが手に入る」とばかりに煽るプレジデントもまた中受ギョーカイが下火になっては困る人たちなんでしょう。

東京で「スゲー」って感じの家に住んでる人は、ほぼもれなく「代々の土地持ち」です。資産と言う意味では、私のような、ただ単に東大行って仕事で成功しただけの庶民にはかないませんね。私は、むしろああいう方々には「ぜひ頑張って相続税払って『お屋敷』を維持してほしい」と願っています。だって「お屋敷街」って歩くだけで楽しくないですか?分割されたら悲しいです。

 

これは「プレジデント」だったかどうか忘れましたが、サピックスの社主のインタビューがあったんですよね。で、サピックスの社主は、自分の子供を開成にも筑駒にも入れる気はまったくなく、海外の超一流校を目指しているという話でした。皮肉にもほどがある(苦笑)。そういうことなんですよ。エポックメイキングなことをして巨万の富を得た人は「小さなコップ」の中の上下なんか気にしてない。「庶民」が「タワマンの何階か」でマウントを取り合っているのを尻目に、その「庶民」から稼いだ金で全然違う地平を見ている。ま、ビジネス的に言えばサピの社主はあんなインタビュー受けるべきではなかったと思いますがね。自分たちが推奨する「サピックスメソッド」を自分の子らにはやらせないというだけで、いろいろ見えてくるものがありますね。

 

話が逸れました。

「プレジデント」をはじめとした「セレブ向け雑誌」がね、そういう実態を知らないはずがないんです。

自分の雑誌が喧伝している「けた外れの富豪」は実は

・代々の土地持ち

・エポックメイキングなことを成し遂げた人

・スポーツ選手や漫画家など、ものすごく低確率で才能を昇華させた人

であるということを。

なのに、なぜ彼らは中受を煽るのでしょうか。

答え:売れるから。

 

何度も書いているように、そういう「〇〇に行けば××が手に入る」ではなく、今の成績にかかわらず勉強が好きで「学問というフィールド」で競い合いたいなら好きなだけやればいい。でも、いろんな中受ブログ見てもそんな子は一握りですよね。

 

公立中がそれだけで素晴らしいというつもりはないです。身分が保証されているということが人を甘やかしてしまう側面は嫌と言うほどわかっています。

でも、ここで強調しておきたいのは「公立中教師は反論できないサンドバッグにされている」という点です。

公立中や公立小の教諭は、たとえ生徒側に比があってもその子の親がTwitterあたりで「こんなことをされた!クソ!」というのに反論できません、ルール上。

だから承認欲求の強いモンペは、四六時中Twitterあたりで先生をやり玉に挙げる。

それを「しめしめ」と利用しているのが、中受ギョーカイな一面は確かにあります。

 

上述の瀬川松子さんの著書に詳しいですが、私立中の中でいろいろな問題が起きても「報告義務」がないんですよね。有名人の子息がイジメの首謀者でもいつの間にか「なかったこと」になっているのも珍しい話ではありません。

 

「なにがなんでも私立でなきゃ」となる前に

・なぜそう思い込んでしまったのか(煽られたのではないのか)

・本当に私立はパラダイスなのか

・公立を下げることで得する人たちは誰なのか

を、一度立ち止まって考えてみても良いのではないでしょうか。

 

ギョーカイやギョーカイにぶら下がったコバンザメに煽られて「大学に行けば〇〇が手に入る!」と思い込んだあげく、親子ともども「かけがえのない小学校時代」を失うことのありませんように、と願うばかりです。

付け加えますと「塾漬け」にしても「基本的な問題」すら解けない子に無理やり「(そこそこの)学歴」をつけるといろいろ問題が起きがちですし、社会の側から言わせていただくと結構迷惑です。

 

次回は「学歴と学力は違う」ということを書ければと考えています。