デハ43200型、斯界では「第二次京浜系」と言う二つ名もある電車です。大正時代、東京から熱海までを一挙に電化し、クロスシートの電車を頻回に直通させる計画だったようですが、関東大震災で計画は烏有に帰し、復興輸送の為3扉大型車体のデハ63100型に編入されます。1949年から走り始めた「湘南電車」の元祖とも呼ぶべき野心的な電車でした。

 

画像はその原型です。

 

 

 

じゃあってんでこの木造電車を、後の80系湘南電車に寄せて描いたのがこちら。

 

 

 

編成の熱海寄りには専用の郵便荷物電車を付け、湘南色で塗り上げました。編成にするとこんな感じです。

 

 

 

以下は2018年5月8日Twitter投稿より。(以下引用)

 

関東大震災で暗澹とした世相に少しでも明るさを取り戻そうと明朗な彩色を施した結果評判となり、当初「京浜電車」の名で呼ばれたが京浜電鉄からクレームが入って「湘南電車」に改称、一世を風靡した。

 

熱海寄りに専用の荷物電車デユニ43880を併結し、多客時には東京方にデハ+サハ+デハの附属編成を付けて電車ながら堂々9両編成で馳駆した。1920年代半ばにあっては世界最長の電車列車であった。

 

特に二等車には当時の文化人経済人がひしめいていたそうで、たまたま乗り合わせた菊池寛と北原白秋が東京から熱海まで延々と論争をしていた。同じ車両に乗っていた新聞記者がその様子を記事にして有名になった話である。(引用ここまで)

 

そもそも実現しなかった電車が実際に走っていたものとして、更にその車内で起きた椿事をまことしやかに書いた屑文章です。これこそが私の仕事です。

 

その事を自分のブログでも止せばいいのに披瀝していて、2021年6月6日投稿の記事にはこの嘘に嘘を重ねた話を更に盛っています。(以下引用)

 

 

 

 

東京と熱海をダイレクトに結ぶ事から、特に二等車には当時の文化人経済人が常にひしめいていたそうで、ある時たまたま乗り合わせた菊池寛と北原白秋が車内で論争を始め、小田原で降りる筈の白秋は

 

「いやマダマダ話は終わっとらん」

 

と熱海まで乗り越し、その間

 

「そもそもっ!赤い鳥っ運動っ!はだなっ!」

「ひゅおおおおーっ!!文芸春秋ううのおおっ…理念はああだなあああっ!」

 

等と掴み合い寸前の剣幕で真剣に論争をしていた、と当時たまたま2等車に乗り合わせた東京日日新聞の千葉亀雄記者によって記事にされています。(引用ここまで)

 

 

随分前置きが長くなりましたが、砂上楼閣に屋根屋を重ねるが如き法螺話に対して、更に画像で説得力を(何の為に?)付けようとAI画伯に描かせたのが以下の画像です。全て新バージョン。以下本文。

 

 

海まで走り出した第二次京浜系の二等車の中で、文春の菊池寛と赤い鳥の北原白秋が論争を始め、その様子を東京日日新聞の記者千葉亀雄に目撃されたと言う話を「盛り付けて」いるが、その絵をAI画伯に描かせた。

 

 

 

「1920年代の日本の電車の中で激しく論争する菊池寛と北原白秋」これだけの指示でこんな絵を出して来る。AI二等兵中々やるのう。

 

 

 

と思ってたら熱海駅で場外乱闘までおっ始めさせやがった。血の気の多い文士だこと。

 

 

 

何だか電車内で文芸論の縺れから乱闘している菊池寛と北原白秋が面白くなっちゃってる。
北原「さア、まだ話は済んでおらん降りろ!」
菊池「上等だ、返り討ちにしてくれるっ」
千葉「特ダネだあっスクープだあっ!」

 

 

 

北原「待て、逃げるとは卑怯なりっ」
菊池「何を…ハァハァ…小癪な小童め…ハァハァ…」

 

 

 

AI画像ジェネレータは、身の回りのこんな所でも役に立っているんですよ!(繰り返すがこの話はデハ43200型に関するトコ以外全部ウソだからな!)

 

-本稿了

 

 

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