さびしいときの哲学

さびしいときの哲学

大切なひとを失った方、一人ぼっちで寂しいと思う方へのメッセージ

皐月の風が、陽光射す若葉を煌めかせながら吹き抜ける。この時期の風は、1年のうちでとりわけ心地よくさわやかながら、ふわっと包み込むやさしさを感じる。

 

プネウマは哲学でも重要な意味をもつ。Wikipediaを見ると、プネウマには気息、風、空気、大いなるものの息という意味があるとされているが、ギリシア哲学では存在の原理、呼吸、生命、力、エネルギー、精神、聖霊等々の意味があるとされている。また、プネウマのラテン語はスピリトゥスで、スピリットの語源となっている。

 

創世記でも、神は土で作った人形のアダムに息を吹きかけることで人間としたわけで、私たちが精神と呼ぶものも、神が吹きかけた息が源になっているのだとすれば、スピリットは個でありながら、普遍的なものに通じていると言える。言葉も息を発するものだけれども、言葉が現実化するという言霊の作用もそこにはあるのだろう。

 

風は運ぶものでもあるけど、吹く風に、なぜか懐かしい感触を覚えることがある。かと思えば、何か未知の、異国から吹いてきたもののように思える風もある。

 

風を感じるとき、それは自分が素になって、自分のなかにある何かが感応している。どういう風をどう感じるのか、感じるところに自分が在る。

 

言葉もそう、おのずと浮かび上がる言葉は、運ばれてきたもの。

 

その風は、どんな風であろうと、力を与えるもの、命を吹き込むもの、それはあなたそのものになって、そして普遍につながるもの。