羽生くんに救われたお話、その① | 羽生結弦さんの見つめる先を見ていたい

羽生結弦さんの見つめる先を見ていたい

羽生結弦選手を敬愛しています。羽生さんを応援する素敵ブログ様方を日々の心の糧にしている、ソチ落ち主婦のブログです。(横浜在住)

ご無沙汰しています。🙇‍♀️

2023年9月6日以来です。

7ヶ月以上もブログを更新することが出来ないままでした。

それまで当ブログにおいでくださっていた皆さま、申し訳ありませんでした。🙇‍♀️💦


今日は、ちょっと私のことを話させてくださいね。

つい先日、2024年4月10日(大楽翌日)に、羽生くんの「→RE PRAY←」宮城公演をTVで観るまで、ずっと私は、まるで白黒世界の洞窟に独りぼっちで取り残されているような心地で日々を過ごしていました。



羽生くんのスケートが私の洞窟に光を差してくれたのです🙏



遡ること、昨年夏。

事の起こりは、近所で一人住まいの義母が認知症を発症したこと。それをキッカケに7月から同居を開始しました。

と言っても本格的な同居ではなくて、元々、夫の実家から歩いて5分のところに住んでいましたので、とにかく必要なものだけカバンに詰めて、夫婦で実家に住み込んでお世話することにしたのです。


お世話といっても義母の症状は比較的軽く、身の回りの事は全て自分でできましたし、ただ、料理の仕方を忘れてしまい困っているとのことでしたので、私は朝昼晩3食の用意をして、時々話し相手になれば良いというものでした。それまでの関係も良好でしたし、夫は長男ですから、私も同居は自然で容易いことと考えていました。

もともと家業の宝くじ販売業の事務仕事は実家でしていたので、むしろ移動の手間がなくて快適だと思い、いつも通りブログを更新し続ける時間の余裕も持てていました。


ところが、8月ごろから少しずつ私の身体に異変が起きてきました。驚き

どういうわけか毎晩3時ごろに中途覚醒してしまい、そのまま朝まで眠れない日々が続きました。

体重もみるみる減少し、1ヶ月でなんと10kgも減ってしまいました。脂肪も筋肉も全身くまなく削ぎ落とされたような有様でした。もの忘れも激しくなり、私自身が料理のレシピを忘れてしまい、台所に立つことが日増しに辛くなってしまいました。

スーパーに行けば、何を買ったらよいのか分からなくなって、買い物カートにすがったまま固まり、1〜3時間も過ごしてしまう始末!

当然ながらブログを書く時間も、心の余裕も無くしてしまいました。


これはマズイと、とにかく不眠症をなんとかしようと心療内科に行く決心をしました。

それまで病気知らずの健康自慢だった私。

とにかく 初めてのことで、なんとかネットで調べて近くの心療内科医院に予約をしました。

でも、その初診の9月15日、初対面のお医者さまが、ひとしきり私の症状の説明を聞いた後、放った言葉は、

「貴女は認知症です。」

私は、とにかく不眠症を改善するお薬を頂きたい一心で受診したのですが、

「うつ病でないから出せる薬はない。治療なら脳神経外科へ行くように。」

…もう、頭の中が真っ白というか、パニック状態で…そこからどうやって自転車をこいで無事に帰宅できたものか、一切記憶がありません。ただただもの凄い絶望感&喪失感に襲われていました。


『認知症ということは、もう治らない?どんどん何もかも分から無くなってしまうのかしら?』ガーン


今思えば笑い話になるかもしれないのですけれど、

生来、私は単純で、言われたことを何でも鵜呑みにしてしまう性質でしたから、もう完全なパニック状態でした。

そんな混乱した頭でまず考えたのは、「家族に打ち明けるか否か?」ということ。

実は10月末に「長男の結婚式」という大イベントを控えていました。


『どうしよう⁉︎ 大姑に加えて姑まで同時に認知症なんてことになったら、相手の親御さんに《苦労すると分かっている家に娘は嫁がせられない!》なんて言われないかしら⁈ 息子の幸せをぶち壊してしまったらどうしよう!?それだけは、絶対ダメ!!』


本当に我ながら単細胞だと思うのですけれど、セカンドオピニオンなどは微塵も頭に浮かばず、

『とにかく、今は誰にも話せない』

と思い詰めてしまいました、


幸い、私のあまりの衰弱ぶりを心配した夫が、「同居のプレッシャーに違いない」と考え、8月末に、私達は自宅に戻っていました。

実は、夫には有能な二人の妹がいて、彼女らは、車の運転はもちろん、家事全般をスピーディーにこなし、料理も大得意なスーパー主婦コンビです。幸い二人とも実家から車で40〜60分の距離に居を構えていますので、彼女達が月〜金の料理を用意し、私は週末だけ食事の世話をすれば良いことになりました。


でも、その頃の私には困った症状が次々と表れていました。

想像妊娠と言う言葉があるけれど、私のそれはまさに「想像認知症」の様相でした。「私は認知症なのだ」と信じ込んで、実際に身体や行動にその兆候が出てしまったのですから。


🔳記憶障害…これまで主婦歴30年以上のベテランのはず。なのに、その間に作り続けてきたはずのレシピの殆どが記憶から抜け落ちてしまいました。培ってきた家事能力が全く活かせない…自信喪失の極みです。

更に、漢字を忘れる。TVを観ても、俳優やタレントの名前が思い出せない。

自宅や実家の住所や電話番号さえ覚束なくなって、銀行や郵便局で立ち往生することもしばしば。


なんと、なんと、この私が、羽生くんの過去プログラム名やスケート技を言えなくなったのです…愕然としました😭


◼️味覚障害…何を食べても、生米を噛むような味に感じられて、塩味、甘味等、ほとんど判別できなくなりました。なにせ、刺身もチョコレートも同じ味に感じられるのですから、重症です。

こんな状態では、到底、料理などできません。でも、やらなければならない。毎日が崖っぷち、毎食が綱渡り状態でした。💦



◼️不眠症(中途覚醒)…毎晩なかなか寝付けず、ようやくウトウトしても2時間ほどで目覚めてしまい、そのまま眠れず暗闇の中で悶々と過ごしつつ朝を迎える…その反動で、日中はひたすら眠くてソファに横になるものの、目を瞑るだけで眠りに入れない…これは自律神経失調症というのでしょうね。枕が合っていないのかと疑い、取っ替え引っ替えしてみました、でも効果なし汗

こうなると、毎夜の寝床さえ拷問台のように感じられるもので、冬だというのに全身冷や汗びっしょりで迎える朝も数知れず…またその度に体重もじわじわと落ちていくのが怖くて怖くて💦


そして、こんな状態でも、家業は待ってくれない。週2日の昼間の宝くじ売りと、週5日間の夜間の集計は、きちんとこなさなければならない。

九九でさえ忘れた、お釣りをちゃんと渡したか否か、5秒前の自分の行動さえ覚束ない…それでもシフトを代わってもらえる人的余裕はなく、とにかく、毎回、死に物狂いでこなしていました。


浅はかと言われるかもしれないけれど、

とにかく、当時の私は"自分の病"を隠すことに必死でした。

ただただ、長男の結婚式が無事に済みますようにと、祈るばかり🙏


私は、子供の結婚式には自分で着付けた着物姿で参列するのが夢で、着付けもきちんと習ったというのに、当時の私は肝心の帯の結び方すら忘れていたのでした。

髪もかなり抜けて薄くなっていて、果たして地毛でセットアップできるかしらと心配になるほどでした。


羽生くんの重大ごと「RE PRAY」公演もニュースは追っていたけれど、観に行くことはとても選択できなかった。あの頃の私は大勢の中に入っていくことは、ただただ恐怖で…不安

もちろん、TV中継はすべて録画していました。羽生くんのアイスストーリーは眩すぎる別世界のようで、こんな自分が観覧するなんて恐れ多いとしか感じられなかったのです。せっかく羽生くんが私の地元、横浜で公演してくれると言うのに、私は、チケットを申し込む勇気すら出せなかった。

公演当日、会場からわずか2kmの距離に居ながら、私はと言えば、勤務中で「いらっしゃいませ」と頭を下げ続けていたのでした。

いまでも痛恨の極みです。😭


昨シーズンは、プロローグ、GIFT、ノッテステラータ、スターズオンアイス、FaOIと全て現地観戦したというのに、なんたる変わり様! 

羽生くんのスケートを求めて、精力的に動けていた日々が幻のように感じられたものです。



…さて、話が長くなりすぎましたので、ここで一旦、切らせていただきます。

続きはまた改めて。認知症が誤診であったと判明したことも含めてお話しいたします。


今では、かなり気分も落ち着き、FaOI幕張のチケットをゲットするまでに回復しました。

いましばし、私のサバイバル話にお付き合いいただけると有り難いです。🙏






素敵な表紙ですラブラブ




今日も羽生くんを全力応援!(ò_óˇ)


羽生くんが痛みなく滑れていますように!

羽生くんが笑ってくださっていますように!

羽生くんの幸せを心から願い、祈ります🙏

 

画像や記事や動画は感謝してお借りしました。

 

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