102. イケメンもつらいよ 〜成山・仏ヶ峠〜

 

天保十二年(1841年)のことです。

中浜万次郎少年(のちのジョン万次郎)が、漁に出て漂流し無人島で生き延びてアメリカの船に助けられたのがこの年です。

つまり、江戸時代の終わりが見えてきたあたりですね。




舞台は、仁淀川が悠々と流れるまち、いの町。

その中でも土佐和紙発祥の地といわれる成山(なるやま)地区で起こったお話です。




行ったことがある人は皆口をそろえて「成山は遠い」と言います。

実際に行ってみると、ちょっと不安になるほどに続く山道。

行けども行けども辿りつかない(大げさ)

今日からのどQも「成山は遠い」と口をそろえる側に仲間入りです。


仏ヶ峠からの眺め


話は戻って、天保十二年の成山に、村次という若者がおりました。

村次は、イケメンで心も優しかったよう。

いつの世も同じ、男も女も見目麗しくて優しい人はモテます。

この頃は、ルッキズム的な発言はNGですけれども。

人間だもの。

若いうちは特に、見た目に左右されやすいものです。




そんなイケメンの村次さんに恋する乙女も多かったようで。

中でも「わが命」と慕ったのが、須波さん、お佐意さん、お純さんの三人だったそうです。

須波さんに至っては、まだ15歳。

三人は仲も良く争いもなかったので、よけい苦しんだようです。

誰かと結ばれるのをみているのも辛いし、自分が取り上げてしまうことも悲しい。




村次さんも三人の心根を思いやり、とうとう最悪な結論を出してしまいます。

四人で手を取り合い天国にて結ばれよう、と。

そして天保十二年七月七日の夜半、天神さんの境内で、村次さんの手により三人は命を散らせました。

村次さんも切腹しようとして失敗。

お兄さんにとどめを刺してもらったということです。


「活性化の会」の方が付けてくれている説明板


昔は小さな村に輝くような美形が生まれると、実は生きにくかったのではないかと思うんです。

どうしてもモテてしまう。

異性の目をひくと、そこにはどうしても妬みが芽生えます。

フランスの女優さんが若い頃、道を歩いていて知らない人から石を投げられたという記事を読んだことがあります。

かわいくて、異性の目をひきすぎるがために。

あと時代劇などで、美人だと遊郭などに高く売れるなんて言われてたりしますよね。

普通に暮らした美形もたくさんいると思うのですが、美しいなりの悩みもあったのではと思います。

美しくないので、あくまで想像ですが。




村は悲しみに沈んだことでしょう。

現在は、仏ヶ峠の八坂神社の下にお堂が作られてお地蔵さん五体が並んでいます。


お堂


高知県にも、世を儚んだ美人の伝説がいくつかあります。

室戸岬に残る、おさごさんの話もそう。

「これからは、私のように、つらい娘ができませんように・・・
どうぞ岬に、美人が生まれませんように・・・」

と言って大岩から身を投げたといわれています。

くわしくは→『44. 美人はつらいよ』の巻で


おさごさんの話が残るビシャゴ岩


仏ヶ峠の悲恋の物語。

ハイキングコースがあるようなので、次回は歩いて登ってこよう。

仏ヶ峠には、もうひとつ『七色の紙』の伝説もあるのですが(こっちの方が有名)、それはまた次の機会に。




「村次数え唄」なるものもあるらしいですよ。



一つとせ 人にすぐれし村次さん 

浮世の花が野に咲いて しおりょうかいな



二つとせ 二人心中は数あれど

三人までの約束が かなおうかいな



数え唄は十番まで続きます。



七つとせ 何にたとよな七夕の

なみだの雨を成山へ 降らそうかいな




追伸

あくまで個人の思いですが、三十、四十と歳を重ねるごとに、人を見る基準が「美」から「実」に変わってきます。

そうなると面白い人に出会う機会も増えてくるなと、しみじみ思うこの頃です。




参考資料 : 『七色の里』成山小学校史

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