京都駅すぐ近く、ホテルの一角に石碑がありました。
「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」と書かれています。
この周辺は新選組3番目で最後となる
不動堂村屯所の洛中屋敷跡です。
(西本願寺から3度目の引っ越し)
1867年(慶応3年)6月15日、新選組は西本願寺から屯所を葛野郡不動堂村に移転しました。3度目の引っ越しです。ここに同年12月9日まで屯所がありました。
この引っ越しは、新選組隊士達の乱暴な振る舞いに対し、西本願寺が出てもらうように懇願した形のもので、費用は西本願寺が負担しました。
(不動堂村の正確な場所は特定できず)
京都駅から西に徒歩4分ほどの、ホテル「ハトヤ瑞鳳閣」の前に、屯所跡を示す石碑が建てられています。
この石碑には「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」と書かれています。「此付近」となっているのは正確には場所が特定できないからです。
(大名屋敷並みの大きな屯所)
新選組3番目の屯所となる不動堂村の規模は、1万平方メートルで、そこには表門、高塀、玄関、長屋、使者の間、近藤、土方ら幹部の居間、平隊士の部屋、客間、馬屋などがあり、大風呂は30人が一度に入れたそうで、大名屋敷にも負けない豪華であったそうです。
現在のリーガロイヤル京都の敷地内には「新選組不動堂村屯所跡」の碑があります。
そのリーガロイヤル京都とホテル「ハトヤ瑞鳳閣」の範囲に屯所があったことを考えると、かなり広大だったことが予想されます。
(わずか半年の屯所)
この3番目となる不動堂村に屯所を引っ越した約4か月後の10月には大政奉還、そして12月には王政復古の大号令がおきます、
その2日後、新選組は幕府側として警備のために伏見奉行所へ移ります。
・・・ということで、ここが使われたのはわずか6か月=半年です。
その後、新選組は鳥羽伏見の戦いで敗走し、以後バラバラとなり事実上の解散状態となります。
<<洛中屋敷跡石碑への行き方>>
京都駅徒歩4分程度
ちょっとわかりにくい場所ですが、
京都駅から歩いてすぐ。
この周辺で新選組が寝泊まりしていたんです。