日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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龍馬の敵討ちで襲撃するも、新選組に返り討ちにあう!!~天満屋跡 中井正五郎殉難の地~

幕末の京都は本当に殺伐としていました。
坂本龍馬に心酔する中井正五郎は、
龍馬暗殺の敵討ちで怒りを抱き
切り込みを行います。
しかし、
返り討ちに遭い死亡します。
その事件があった天満屋のあとには
中井正五郎殉難の碑が建っています。

(ポツンと小さな石碑)
西本願寺から堀川通を渡って東へ、一本目の油小路通沿いを少し北へ行ったところにある天満屋跡・ 中井正五郎殉難の地。
ここでは、1868年(慶応3年)12月7日、殺しあいが行われました。
今は、お地蔵さんの脇にひっそりと当時を物語る石碑が立っています。

(龍馬に心酔した中井正五郎)
1866年(慶応2年)当時20才だった中井正五郎は、京都・寺田屋で当時30才だった坂本龍馬と逢い、時勢を論じ合います。このとき、中井は、まだ20歳だった自分と対等に話をしてくれた龍馬に感激し「彼の為ならいつでも死ねる。」と心酔します。

翌年の11月15日、その龍馬が京の近江屋で何者かによって暗殺されます。龍馬暗殺を知った中井正五郎は、陸奥宗光らとともに、敵討ちをと、龍馬暗殺の容疑者となっていた紀州藩の三浦休太郎の襲撃を計画します。
同年12月7日、三浦と新選組の護衛隊数人が、油小路通花屋町下ルの旅宿天満屋で宴会を行っていました。そこを中井達が襲撃し、新選組と斬り合いになります。
この戦いで中井は、新選組隊士に斬りつけられて死亡します。享年21。
この戦いには後に外務大臣として活躍し、日清戦争下関条約では日本全権となる陸奥宗光紀州藩士)もいました。しかし、陸奥は同じ紀州藩の三浦休太郎を襲撃しています。このへんが複雑な人間関係を感じますね。

(殉難??)
この「中井正五郎殉難の地」の碑は油小路通り沿い。お地蔵さんの脇に小さな石柱が見つかります。襲撃した側なのに「殉難」という二文字が刻まれています。

<<天満屋跡 中井正五郎殉難の地への行き方>>

JR京都駅から北西へ徒歩10分くらいの
住所:京都府京都市下京区仏具屋町

新選組に襲撃をかけ正五郎正五郎、まだ21才でした!
そして、この場所で斬り合いが繰り広げられたんです。