↑のつづき。

さて、文化圏の境目である
岩津にて『鯰の歌碑』に驚愕した後、
折り返して東へと向かう

車を30分ほど走らせ、
やってきたのは阿波市土成町。

徳島県が生んだ唯一の首相
第66代内閣総理大臣三木武夫を
生んだ土地であり、
土御門上皇(第83代天皇)が崩御される前の
5年間を過ごしたと言われる場所。

土御門(つちみかど)上皇は、
土成の帝であった。


そんな凄い町、土成町。


今回の主役は
初代天皇『神武天皇』である。


神武東征の物語の始まりは、
イワレヒコと兄イツセ(五瀬命)
葦原中国を治めるために
日向を出発することで始まる。

ところが、この『日向』。

どうやら真実は定説とは違うようだ。


日向」の名の由来は、
日本書紀にその記述が見える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
景行天皇17年の条
「直向於日出方、故號其国曰日向也」
なおく日(ヒ)の出ずる方に向(ム)けり、
ゆえに、
その国を名付けて日向(ヒムカ)という
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

景行天皇は第12代天皇。

つまり、「日向」という地名は、
神武東征よりもずっと後についた名である。

当時、
九州に「日向」という地名は
存在しなかった。


では何処から出発したのだろうか。


そして、さらに不思議なことに、
神武東征ルートを見てみると↓
四国を完全に無視している。

イザナギイザナミが二番目に生んだ
伊予二名島』だというのに…


そんなわけで、その謎を解きたく
ワタシが向かった土成(どなり)町には、
神武天皇が祀られる神社が鎮座していた。

1890年(明治23年)創建の
橿原神宮よりも古い
『樫原神社』。

その神社には、
とんでもない逸話が記録されている↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
明治時代に奈良に橿原神宮ができた時、
徳島県阿波市土成町の
鈴川山頂上にあった樫原神社は、
ある日突然轟音とともに崩れ落ち、
谷底に埋まってしまった。
それを村民が総出で掘り起し、
現在の場所に鎮座させ、今に至る
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

当時、地震などはなく、
なぜ轟音が鳴り、神社が崩れ落ちたのかは
わかっていないのだそうな…

さて、どうしてでしょう。


土成町。

ずいぶん遠くまで来たものだ。

高台にある素晴らしい町並みに
しばらくの間、みとれてしまった。



鳥居を発見。


『樫原神社』の扁額。

その向こうにも鳥居。

山奥の静かな場所に、
こんなに素晴らしい神社があるとは…


鳥居の横には、小さな祠があった。

なにか物言いたげな雰囲気を醸す。




さらに鳥居をくぐる。

この鳥居の扁額は『鈴川神社』。



可愛らしい狛犬が迎えてくれた。



拝殿付近の狛犬は、
顔が崩れ落ちていた。

少し寂しい気持ちになる。



拝殿。

『樫原(かしはら)神社』

鎮座地 徳島県阿波市土成町土成山ノ本
創建 不詳(間違いなく橿原神宮より古い)
祭神 神倭伊波礼比古命(カムヤマトイワレヒコ)

言わずと知れた神武天皇である。


天保12年(1841年)の棟札が残っており、
その時点で、
明治23年(1890年)に創建された
奈良県の橿原神宮より間違いなく古い。



神紋『十六菊花紋』…と思ったら
花弁の数は『十五』❗

なにか意味があるのだろうか。



さて、ここからは
神武東征の物語を思い浮かべながら
お読みくだされ。




神倭伊波礼比古命は、
白檮原宮(かしはらのみや)で即位した。

その場所は、
阿波の土成(どなり)町樫原(かしはら)だった。


五瀬命(イツセ)

神武天皇の同母兄(いろせ)の五瀬命
阿波では『五王』とも呼ばれた。
以下『道は阿波より始まる』を抜粋↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
佐那県を流れる園瀬川は、
古代『木乃川』と称されており、
木乃川五瀬(地名)に小祠があった。

五瀬命を祀る宮は
多家良町五王の部落に鎮座し、
現在は五王の峰より犬飼部落に下ろして
五王神社として鎮座している。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
木乃川は和歌山の紀ノ川ではございません


また、神武東征の物語に登場する
神々や地名についても、
出発地点である日向
太陽が昇る東を意味し、
夜明けのとき、
佐那県から眺めると
太陽が現れる方角には
現在の小松島市の日峰山(天籠山)

神武天皇と兄の五瀬命
佐那県を出発し、
東に向かい津久志(海岸)を出て、
速水門(鳴門)がある堂浦町の
阿波井大明神の祭神宇豆彦(ウズヒコ)と出会う。

山下郷堂浦は古代史より
海人族の一大根拠地で
ここの蔭浦には宇豆彦の妹
山下の蔭比賣が住居していた。
山下蔭比賣は建内宿禰の母

この地から吉野川の上流に向かって
巡行していった。

その最初の戦いは
阿讃山脈の下、吉野川北岸の河口
伊太乃(板野)郡。

登美谷、中登美、東登美、西登美より
長岸までつづく長い師木津を支配する
長ノ国の大人(ウシ)
登美比古(トミノナガスネヒコ)との
戦いだった。


この阿波市土成町周辺には
神武東征物語の地名とリンクする。

高尾⇒高倉下
熊之庄⇒熊野
神邑(みわむら)⇒御所山麓部宮川内(みやごうち)
宇陀(うだ)⇒香川県境の鵜田尾


ナガスネヒコとの戦いに一度敗れ、
熊野山中で危機に陥ったとき、
高倉下が夢で建御雷神から託され
神武天皇に献上した霊剣が

布都御魂(フツノミタマ)。


阿波市には建御雷神を祀る式内社
建布都(たけふつ)神社が鎮座している。

また、土成町高尾字熊之庄には
熊野神社』が鎮座しており、
熊野の戦いの旧跡に祀られた
神社だという説がある。


さらにさらに、
古事記では、後の神武天皇の皇后となる
伊須気余理比売に声をかけた
大久米命


久米姓の比率が多い地域は
県別では徳島県、
市町村別では徳島県名西郡石井町である。

徳島県の久米姓
徳島市と石井町に集中しており、
国府町の気延山付近は「気延の庄」、
気延山を挟んだ北は「久米の庄」と
呼ばれていた。

ナガスネヒコとの戦いを目前にした
出陣の歌『久米歌』↓








日本書紀によると、
大和を平定した神武天皇
掖上の「ホホ間の丘」に登って国見をし
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「妍哉、国を獲つること
(なんと素晴らしい国を得たことか。)
木綿の真乍き国といえども
(狭い国ではあるが)、
なお蜻蛉(あきつ)の臀占せる如くあるかな
トンボが交尾して連なっているように
 山々に囲まれたところだ)」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と宣い、日本の国号は「秋津洲」となった。
秋津はトンボのこと。

日本を見渡して、わざわざ
トンボの交尾」だと表現するのであれば、
本当にそう見えなければ
思い付かない言葉である。

↓トンボの交尾

これが日本に見えるだろうか。




また、『内木綿』という言葉で
連想するのは、阿波忌部の祖であり、
木綿の神『天日鷲命』。


天日鷲の治めた
粟島(善入寺島)』のカタチは
まさにトンボの交尾のようであり、
山々に囲まれており、
狭い国(島)である↓


その島のカタチはまさに、
『トンボの交尾』❗


大好きな小説『アマテラス・サーガ』
参照↓


 


また、

五瀬命五王神社の東側の地名は

八多』であり、

神武天皇を導いた

八咫烏』を連想させる。


そして、『天日鷲命』の別名は
金鵄八咫烏』である❗





横から本殿。



本殿左側にも小さな祠があった。




神武東征に関わる史跡や地名は、
この樫原神社を中心に
東西の吉野川流域で起こった物語だった。



①佐那河内村(佐那県)
②五王神社(兄の五瀬)
③朝立彦神社(神武天皇) 八多町周辺
④宇母理比古神社(父のウガヤフキアエズ)
 速雨神社(祖母の豊玉姫)※どちらも式内社
⑤佐野神社(佐野命は神武の幼名)
⑥日峯山(アメノカゴヤマ)
⑦天石門豊玉比賣神社(春日神社境内)式内社
⑧王子和多津美神社(祖母の豊玉姫)式内社論社
伊比良咩神社(神武の后)
⑩宇志比古神社(ウズヒコ)
⑪阿波井神社
⑫鳴門の渦潮(速吸門)
⑬熊野神社
⑭鵜田尾トンネル
⑮建布都神社(布都御魂)
⑯稲井神社(神武兄は稲飯命)
樫原神社(神武天皇)
⑱善入寺島(トンボのマグワヒ)



晴れ間が覗く。

天気が崩れるかと思ったが、
初代天皇の元宮は、
よそ者のワタシにさえ優しい。



狛犬の見る景色。


素晴らしい神社であるとともに
どこか、物悲しい雰囲気があった。

顔が欠けた狛犬がそれを物語っていた。




さてさて、
今回は二本立て。

さらに車で20分ほど東へと移動する。


到着。



神武天皇の后の名を冠する
全国唯一の神社。

イチョウの落ち葉が
境内に敷き詰められていてキレイ。



拝殿。

延喜式外大社
『伊比良咩(いひらひめ)神社』

鎮座地 徳島県板野郡藍住町徳命前須西
創建 不詳
祭神 阿比良比売命(アヒラヒメ)
   大己貴命
   素盞鳴命

藍住町HP引用↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
伊比良咩神社は延喜式外大社として
高い格式を誇って東中富
鎮座していたといわれています。
その後に現地に遷座したが
その年代は不詳です。
近世中期に改築された本殿・拝殿は
ケヤキを主材とした建築で、
当地が阿波藍生産と全国市場への進出で
繁栄していたことがうかがえます。
また、200m東にあるお旅所の
緑泥片岩の鳥居も珍しいものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




龍の彫刻がかっこ良すぎる。



横から本殿。



狛犬さん。


境内社も大切に祀られている。




拝殿左のイチョウ。

境内はイチョウの巨樹が3本あった。



さてさて、

アヒラヒメなのに
 社名がイヒラヒメなのはなぜだ」

というツッコミに関しては、

阿波古代史のバイブル
『道は阿波より始まる』その二
「神武天皇考」より↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神武天皇日向に坐し時に阿多小椅の妹、
名は阿比良比賣を妻にむかえたと
記されていますが
この阿比良比賣命が祭祀された神社は
日本国唯一つ阿波国伊太乃郡藍園村前須の
伊比良比賣宮があるのみで
この神社は三大実録をみても
宮位を授けられている
藍園村唯一つの古社なのです。

の頭書きが違っていますが
これは同意語で万葉集注釈巻一上の中で
仙覚律師が

「伊は発語詞也。梵語には
 阿字を以て発語の詞為、
 和語は伊字を以発語詞と為也。」

「天笠にては阿字を以て発語とし
 和語は伊字を以為。」

と二度もくりかえして記したのも当然の事、
伊和大神となれば阿和大神と同じことで
を用いる様になるのは
中国語の影響を受けるようになる
応神期以後の習慣なのです。

阿波の国名も同様、古事記時代の
後期になり現れてきたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
阿多小椅天村雲命の別名

つまり、

板野(伊太乃)郡⇒阿多
伊和大神⇒阿和大神
伊比良比賣⇒阿比良比賣
神倭伊波礼比古命⇒神倭阿波礼比古命

伊和大神は大国主の別名。


頭書きの「イ」は「ア」に
変換可能だということ。

『阿波ノ国』は
『伊ノ国』だったということである。


いろは唄も
『イ』から始まるのだ。


阿波特有の五角形『地神塚』。

大好きです。




イチョウが素晴らしい伊比良咩神社。



注意点はひとつだけ。

ーーーーーーーーーー

銀杏を

踏んだら臭いぞ

気をつけろ

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さあ、

まだまだ阿波徳島の旅は続きます。

次はもちろん式内社。


つづく。


ではまた❗






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