↑のつづき。

さて、
伊加加志神社を後にして、
さらに吉野川沿いを西へ。

車で約15分。

舞台は川島町から山川町へ。


途中、山道を登っていき
多少の不安を覚えながらも
無事たどり着くことが出来た。


境内からは、吉野川の町を一望できる。


地名の「」は
旧麻植郡瀬町と田町の合成地名。

田町の種穂忌部神社、


徳島県美馬郡つるぎ町の御所神社、

そして、
瀬駅から程近いこの忌部神社とともに
式内名神大社論争が巻き起こり、
妥協策として最高行政機関『太政官』が
徳島市二軒屋町に社地を定めたのが
後継社『忌部神社』である↓

大昔、阿波の開祖である忌部氏が
麻を植えて開拓した山。

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海抜230~242mの緩やかな尾根上には、
古墳時代後期の横穴式石室をもつ
5基の円墳群が造営され
「忌部山古墳群」と命名されている。
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『忌部神社正蹟』の碑。



拝殿。

阿波国麻殖郡 式内名神大社 忌部神社 論社
『山崎忌部神社』

鎮座地 徳島県吉野川市山川町忌部山
創建 不詳
祭神
天日鷲命・后神 言筥女命
天太玉命・后神 比理能賣命
津咋見命・長白羽命
由布洲主命・衣織比女命


祭神は錚々たる忌部の神々。


この山崎忌部神社は忌部山麓に鎮座し、
「忌部山古墳群」へと向かう登山道を登ると、
忌部神社の元宮と言われる
黒岩磐座遺跡」がある。

さらに、頂上付近の忌部山古墳では
旧麻植郡周辺に多く見られる
忌部山型石室が今もなお遺されている。


由緒書き↓
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当社の祭神は天日鷲命・后神言筥女命・
天太玉命・后神比理能賣命・
津咋見命・長白羽命・
由布洲主命・衣織比女命である。

住時は黒岩と呼ばれる處(ところ)にあったが
応永2年(1396年)秋の地震で社地が崩れ
現地に祀られる様になったと言われる。

忌部神社に就いては
延喜神名帳にも記載されて居り、
明治4年(1871年)には
国幣中社として列せられているが、
その正蹟に就いては神社間に
種々争いやもめごともあったが、
忌部神社正蹟考の研究資料に基く
各方面からの考察に依って見ても
忌部神社の正蹟は山崎の地であることは
先ず正しいと考えられる。

大正、昭和、平成大嘗祭には
この境内に織殿を設け
荒妙(アラタエ)を織り貢進した事績や
裏山の忌部山一帯には古墳を初め
数多くの歴史的事蹟を蔵している。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

忌部神社論争は一旦置いておいて、
日本の天皇が皇位継承に際して行う
宮中祭祀『践祚大嘗祭』では、
古代から麻織物麁服(アラタエ)
調進してきたのは阿波忌部である。
「践祚(せんそ)」とは天子の位を受け継ぐこと


麁服は『神御衣』。

大麻は『神の依り代』。


大嘗祭で用いられる
阿波の山間部、美馬市小屋平で栽培され、
麁服が阿波から運ばれることが
決まっていることに大きな意味を感じる。

徳島県の吉野川上流、
阿波の山間部は『ソラ』と呼ばれ
そこが『高天原』だった。

つまり、天皇家の故郷なのだ。

国指定重要文化財『三木家住宅』がある
周辺の地名は美馬市小屋平貢(みつぎ)。
みつぎ」⇒「三つ木

かつてそこは『ソラノチ』と呼ばれていた。


現在阿波忌部の末裔ともいわれる
三木家が継承する麁服奉仕者は、
総称して
『御衣御殿人(みぞみあらかんど)と呼ばれる。

参考資料↓

 

↑によると、

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阿波忌部は『古語拾遺』(807年)にも、

大嘗祭の年に由加物を取り揃え

調進していたことがわかる。

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天日鷲命の孫が、木綿麻(ぬさ)

織布(あらたえ)(古語で阿良多倍といふ)

を造る。

仍りて、天富命をして日鷲命が孫を率いて、

肥饒き土地を求ぎて阿波国に遣はして、

穀・麻の種を植ゑしむ。


の裔、今彼の国に在り。

大嘗の年に当たりて、

木綿(ゆふ)・麻布及種々の物を貢る。

所以に、郡の名を麻植と為る縁なり。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一般に、阿波忌部は、

奈良から阿波に使わされたと思われているが

『古語拾遺』を読む限りでは、

奈良から阿波に来たのではなく、

小屋平から吉野川流域

阿波市周辺に降りてきた。


『古語拾遺』には、

「肥饒き土地を求ぎて阿波国に遣はして」

と書かれているように、

肥えた地を求めてきたのなら、

肥沃ではない山間部の

小屋平に入ってきたのでは

書かれていることに合わない。


奈良から肥えた地を探して来たのではなく

小屋平から肥えた地を求め

吉野川流域に降りて、

阿波の郡の一部を麻植と名付けたのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


確かに、
奈良県橿原市にも忌部山
存在するが、阿波を意識していることは
明白なのである↓





横から本殿。


践祚大嘗祭と阿波を紐付けるものは、
麁服』だけではない。

大嘗祭のときに献上される
『三種の御膳(みけ)』の内容を見れば、
天皇家と阿波国との関連を
比定することは出来なくなる。↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲天都御膳(アマツミケ)

阿波忌部の故郷に関連する。

●鮎喰川の鮎
●木綿麻山(ゆうまやま)の木綿(ゆう)
※現在の高越山 
●乾羊蹄(カモシカの肉)
●橘子(たちばなのみ)

高越山はイザナミの神陵とされている。

天都御膳の『』は「ソラ」、
つまり高天原のことである。

阿波国山間部を本拠地とした
高天原から山の幸を献上。



長乃御膳(ナカノミケ)

勝浦川〜園瀬川鮎喰川
那賀郡から奉供されるもの。

●鰒(アワビ)
●細螺(シタタミ)
●雲丹(ウニ)
石華
※書籍『道は阿波より始まる』では
石華は『丹(水銀朱)』だと説明されている。
卑弥呼の時代の水銀朱の採掘場は、
全国でも徳島県阿南市でのみ発見されている。
阿南市は元は長ノ国


長乃御膳の「」とは

阿波国の海側『長ノ国』のこと。


海を統べた国の海の幸を献上。




▲遠つ御膳

淡路島と紀州郡那賀郡から奉供されるもの。
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また、
書籍『道は阿波より始まる その三』79頁では
三種の御膳(みけ)についてこう説明される↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次いで先祖の神々が常食として用いた
食物を奉供しなければなりません。

天日鷲命直系阿波忌部
故郷の麻植郡で調達する
「天のみけ」(天都御膳)と申します。
鮎喰川の鮎、木綿麻山の木綿、
「乾羊蹄」、カモシカの乾肉ですが
現在でもこの山系で見られます。
火であぶり食しますと大変な美味で
神々もよろこんで食していた食物を
しっかりと奉供しています。

橘子」、今日の
すだち」であったのかもしれません。

神代の王城地で神域とされてきた
勝浦川流域佐那県園瀬川流域
鮎喰川流域を昔から
「阿波三渓(みたに)」とよび
古代史上最重要地で大王の居住地です。

地形図では徳島県阿波三渓となってますから
入手してください。

天桁山(アメノケタヤマ)から阿波三渓をはさんで
東側の那賀郡から「長のみけ」(長乃御膳)
奉供されます。

昔の神々とて人間、
生前に食していられた美味しいものは
ちゃんと覚えていられるとみえて
現在とて那賀郡
「あわび」「うに」「さざえ」は
最高級品として珍重されています。

次に、太古より阿波人の路として
重要視された阿波路島
同族が住みついていた紀州那賀郡からも
合わせて奉供されますが
「遠つみけ」(遠御膳)なのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


※文中の天桁山(アメノケタヤマ)とは

現在の美馬市小屋平にある

剣山系『天行山(あまぎょうさん)のこと。


旧麻植郡小屋平(コヤダイラ)は、

現在でも御衣御殿人を勤める三木家

三木家住宅があり、

天小屋根命天日鷲命の居住地とされている。


小屋平の地名の由来は、

天桁山と東宮山と連なる峯が

建物の大屋根のように見えることから、

また、

なんと「天小屋根命(アメノコヤネ)」の

神名に関わる説も指摘されている。

小屋平(こやたいら)の地名には「小屋平氏」つまり、
壇ノ浦の合戦で逃げ延びた
安徳天皇と平家の伝承とも関連する説がある。
「小屋の内裏(だいり)」の話はまたいつか。



紀州那賀郡は、現在の和歌山県紀ノ川市・
和歌山市の一部・海南市の一部などで
四国や淡路島側の
紀伊水道に面した地域にあった。

那賀郡』は明らかに
徳島県の旧長ノ国の伊津毛系海人族や
阿波忌部族が
移り住んだことによる地名である。

例えば、関西が天皇の故郷だった場合、
和歌山県だけが「遠つみけ」なのは
おかしなことだ。
大阪にいたっては、すぐ隣

和歌山が「遠つみけ」なのであれば、
阿波の麻植郡や阿波の那賀郡の
みけ」も「遠つみけ」であるべきである。
和歌山よりもっと遠いのだし(笑)

ところが、
阿波麻植郡は『天のみけ』
阿波那賀郡は『長のみけ』なのである。

Google Mapで超アバウトに作成


『三種の御膳(みけ)』の内
二種が阿波国内のものであり
残りの一種も
阿波に関連する淡路島
長ノ国に関連する那賀郡のもの。


そして、麁服の存在。


どう考えても、大嘗祭は
阿波国を中心に執り行われているとしか
思えないのですよ皆さん❗



『平成二年大嘗祭 麁服製織記念碑』



『令和元年大嘗祭 麁服製織記念碑』



旧山崎村村域に鎮座する忌部神社の
境外摂社七社。

⛩️白山比売神社(山川町忌部山)
⛩️玖奴師神社(山川町忌部山)
⛩️岩戸神社(山川町岩戸)
⛩️建美神社(岩戸神社と同所)
⛩️天村雲神社(山川町流または村雲)
⛩️若宮神社(山川町東麓)
⛩️淤騰山神社(山川町祇園)


阿波忌部氏の面白さは
どえらく果てしない(笑)



『さざれ石』。



狛犬の見る景色。

吉野川市平野部を見守っているようだ。


さてさて、
吉野川流域の旅は
まだまだ続きます。


次回もスゴい神社。


八岐大蛇とは…


草薙剣とは…


つづく。


ではまた❗






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