↑のつづき。


さて、阿波徳島二日目の旅。

さすがに電車とバスでの神社参拝に
限界を感じたワタシは、
ついにレンタカーを借りることにした。


徳島市街から出発し、
憧れの吉野川を走って約1時間。


やってきたのは、阿波市市場町。

古事記の伝承を色濃く伝える阿波の町。


徳島二日目の旅、


その一社目は、
『建布都神社』である。



拝殿。

式内社 阿波郡 建布都神社 論社
『建布都(たけふつ)神社』

鎮座地 徳島県阿波市市場町香美字郷社本
創建 不詳
祭神 建布都神(武甕槌神タケミカヅチ)
   経津主神
   大山祇神
   事代主神


建布都神(タケフツ)とは、
高天原から葦原中ツ国に天降り、
国譲りを成立させた武神
武甕槌神(タケミカヅチ)』の別名。

建布都神の名を冠する神社は、
全国でも阿波徳島だけである。

しかも延喜式内社。

ちなみに建布都神社の式内社論社は
他にも 
建布都西宮神社 徳島県阿波市土成町郡 
赤田神社 徳島県阿波市土成町成当 
伊笠神社 徳島県阿波市市場町犬墓
八幡神社(合祀) 徳島県阿波市市場町香美

全部で5社ある。


いずれも武甕槌神らの拠点だったとも
言われている。

龍に鳳凰。その下に建布都神社の扁額。


かっけ~。


建布都神(タケフツ)の神名から、
武甕槌神の相方『経津主神』の説や、
武甕槌神経津主神(フツヌシ)が
同一神という説、

また、
神武東征では
武甕槌神が神武天皇に与えた
布都御魂(フツノミタマ)の剣を
神格化したのが経津主神(フツヌシ)
だという説もある。


いずれにせよ、

武甕槌神経津主神は対の存在であり、

関係の深い神と言える。



国譲り神話において、
経津主神は古事記には登場せず、
日本書紀に登場する。

逆に、
武甕槌神に負けた
建御名方神は古事記に登場するが、
日本書紀には登場しない。

つまり、
どちらが本当か…ではなく、
古事記と日本書紀の両方を読まなければ
理解出来ないことがあるのだ。


経津主神と言えば
下総国一宮『香取神宮』。

『香取(かとり)』の由来が実は
『舵取り』だとする説がある。

昨年、
和歌山市に出張で出向いたときに
気づいたことがある。
「かじとり」ではなく
カンドリ』と読むのだそうな。


つまり、
『香取(カトリ)』の由来『舵取り』もまた、
『舵取り(カンドリ)』と読む可能性がある。


…と思っていた矢先、
今年の1月に千葉県市川市に行った時、
市川市に香取(カンドリ)の地名が
あることを知った。

地名の由来はやはり、
この市川市の香取(かんどり)神社にある。

※市川市考古博物館



そして、徳島の吉野川では、
川魚漁に用いられる船のことを
カンドリ船と呼ぶ。



香取神宮と阿波のカンドリ船
紐付いてきたところで、
その祭神経津主神(フツヌシ)
阿波忌部の祖神天日鷲命の孫であり、
安房忌部の祖神由布津主命(ユフツヌツシ)
と紐付いてくるのである。
阿波=徳島、安房=千葉の房総半島南部

安房国に伝わる忌部系図では
天日鷲命大麻彦命由布津主命
という系譜が記される。


安房国の祖神由布津主命の別名は

阿和気彦命』。


その神名は「アワワケ」つまり、

阿波から別けた神」を連想させる。




香取神宮も

香取(カンドリ)神社も千葉県にある。


阿波忌部族は、船で黒潮に乗って

阿波から千葉の房総半島にやってきた。


房総半島を自分たちの国と同じ
安房(阿波)と名付け、開拓し、
さらに北上した場所が、上総国や
香取神宮の鎮座する下総国である。


香取神宮には阿波忌部が深く関わっていた。

香取神宮の北東4kmの場所に鎮座する
側高(そばたか)神社』。
香取神宮の第一摂社であり、
香取神宮の元宮とも云われる。

一般名称として「側高大神」が祭神とされ、
一説によると、
側高神社の主祭神は
高皇産霊尊・神皇産霊尊。
相殿神は
天日鷲命経津主命
天児屋根命・武甕槌命・姫御神

相殿神に阿波忌部の祖神天日鷲命
が名を連ねることから
阿波忌部との繋がりを感じさせる一方、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
古来より、
側高神社の御祭神は神秘とされており
言わず語らずの神」として
口外を戒められていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

言ってはいけなかったのである。

時の権力者『藤原氏(中臣)』に気をつかった
可能性もあるのではなかろうか。

元々、
香取神宮の祭祀を司っていた
天太玉命を祖とする忌部氏から、
同じく祭祀を司った
天児屋命を祖とする藤原氏(中臣)が
祭祀を独占するようになった…
という構図が見え隠れする。




また、
ある古文書には、側高(そばたか)神社は
脇鷹」「曽波鷹」などと表記される。

ちなみに、
鷲(ワシ)』と『鷹(タカ)』は
どちらもタカ目タカ科に属する鳥。

唯一の違いは、
大きさだけなのだそうな。

何が言いたいかわかりますね❓️


横から本殿。




境内社
『天満宮』
『山神宮』

石碑のみというところに古代を感じる。



美しい青緑を放つ『阿波の青石』が
いたるところにある。



境内の史跡『建布都古墳』。

徳島県立埋蔵文化財総合センターの
ホームページによる説明↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建布都古墳は直径17m程の円墳で、
北から延びる洪積台地の縁辺部に位置する。
この台地の三方は吉野川の氾濫源が拡がり
周辺から一段高い場所に古墳が築かれている。

式内社建布都神社の境内にあり、
墳丘の裾には築造年代不明の
砂岩製の立石が4ヶ所認められる。
未調査のために内部主体や築造年代は不明。
墳丘の上や裾に緑色片岩の板石が認められる。

また墳丘の南裾に、
緑色片岩製の板碑(応仁二年(1369年))が
建立されている。
主体部の石材を利用した
可能性も考えられるが、
同市山野上に所在する大野寺内にある
宝篋(ほうきょう)印塔と一緒に
別の場所に建立されていたものを、
宝篋印塔は大野寺に、
板碑は建布都神社内に移築した、
という伝承もある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


前半は経津主神と香取神社の話が
中心となってしまったが、
もちろん、
高天原最強の武神『武甕槌神』のことも
忘れていませんよ。

武甕槌神と言えば、
常陸国一宮『鹿島神宮』。

その元宮と云われるのが
茨城県潮来市大生に鎮座する
『大生(おおう)神社』。

古代、元々の鹿島神宮の祭祀を
行なっていたのは大生氏だとも云われる。

藤原氏(中臣)との勢力争いの結果、
鹿島神宮の祭祀が藤原氏が担うことなった。
香取神宮と同じ状況かな❓️

大生氏は『多(おお)氏』であり、

日本最古の皇別氏族とされる。


意富』や『飯富』とも表記される。



前述した千葉県の市川市に行く前に

船橋市の『船橋大神宮』に参拝した。


本来の社名は下総国の延喜式内社

意富比神社』であり、

明確に阿波忌部の痕跡があったのである。

いずれ記事にします






さてさて、そんな鹿島神宮は

茨城県鹿嶋市に鎮座している。


鹿嶋(カシマ)の由来としては

一説によると『常陸国風土記』にあるという。


常陸国風土記の記述↓

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

香島天之大神の名に由来している

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


元々、鹿嶋(鹿島)は

島(カシマ)』と書かれていた。



この、建布都神社の鎮座地は

徳島県阿波市市場町香美(カガミ)。


由来は鏡(カガミ)かなぁとも思いつつ、


↓の日本姓氏語源辞典というサイトによると


香美(かがみ)さんの由来
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
徳島県阿波市市場町香美発祥。
平安時代に記録のある地名
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

各地の香美(かがみ)という
地名や姓名の発祥は
阿波徳島のこの町からだった❗(可能性がある)

この地域の一族が
阿波⇒安房へ行き、
北上した先で祭祀をおこなったのが、

島神宮(槌命)や

取神宮(経津主命)だったのだとしたら…




そして、



そんな重要な神社をさらに北上すると↓


(おおみか)神社』にたどり着く。


祀られているのは

(タケハヅチ)


そして、

々背男(ミカボシカガセオ)


なのです。




この二柱の神からそれぞれの字を取ると

になるところがまた謎深し。


阿波の香りがしてきましたね~。

阿波忌部の祖『天日鷲命』の父神が
天背男命(アメノセオ)』であり、

々背男を思わせる神名である。



また、


上総忌部高山家の伝承による系図では↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神産巣日御祖大神の孫『天日鷲命』の子は

●『大麻比古命
亦の名を『津咋見命』『津杭耳命』。

次に
●『天白羽鳥命』。
亦の名を『長白羽命』

次に
●『天羽雷雄命』。
亦の名を『武羽槌命(タケハヅチ)』❗
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

やはり、忌部の神様だった。


どこまで到達したのか阿波忌部さん。。



この素晴らしい『建布都神社』のことを
建布都神社だけで語るのは難しい。

吉野川周辺には、
古事記に纏わる神々を祀る神社が
まるでそのストーリーを残すように
点在しているからである。


例えば、建布都神社から西に15㎞行くと
式内社『多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社』が
鎮座している。
『建御名方神』が祀られている。

さらに西にはその父『大国主命』を祀る
式内社『大御和神社』。
国譲り神話で忘れてはいけない
事代主命』を祀る神社はと言うと…


建布都神社から程近い場所に鎮座していた。


もちろん式内社として❗


吉野川の西側、山岳地帯は『ソラ』と呼ばれ
吉野川の東側、海側は『イツモ』と呼ばれた。

野川の由来は「ヨシ(葦(アシ))」。

大国主命や事代主が治めた国は、
原中ツ国』と呼ばれたんですよ皆様❗


日本書紀より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一書に曰く、
天神、経津主神武甕槌神を遣して
葦原中国を平らげ定めせしむ。
時に二神曰く、
「天に悪しき神有り、名を天津甕星
 亦の名を天香香背男と曰う。
 請う、先ず此の神を誅し、
 然る後に下りて葦原中国を撥わん」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
其の服わぬ者は、唯 星神香香背男のみ。 
故また倭文神建葉槌命を遣わせば、
則ち服いぬ。故、二神天に登る。
倭文神、此を斯圖梨俄未(シトリガミ)と云う
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つづく。


ではまた❗







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