↑のつづき。


さて、

徳島市街での仕事を終えて
徳島駅からバスで約30分。

多家良』のバス停で下車。


ここは『多家良(たから)町』。

この多家良地区は、
徳島市の南部に位置する農村地帯である。

そして、側には『八多川』。
隣には『八多町』。

多家良(たから)の由来は
たたら製鉄の『たたら』と云われており、
この地は、
ある『宝(たから)』が生まれた聖地なのだ。
たたらと宝のダブルミーニング

周辺から出土する
弥生式土器などの出土品や古墳の特徴から、
古代金属器の製作集団が
この地にいたことを物語っている。

実際に、
明治頃まではたたら集団がおり、
村の祭りでは『たたら音頭』が踊られる。

歩いている途中には
気になるものが沢山。


阿波特有の五角形『地神塚』発見。

それぞれの面に農業五神が彫られている。




多家良町、散歩するにふさわしい
素敵な町である。


この辺に中津峰山の登山口があるらしい。

登ってみたいが、今は我慢。



かなやばし』を渡る。

バス停から15分ほど歩いただろうか。


そして、目的地に到着。
境内の案内図。

これを見るだけでもワクワクする。



『金山神社』にたどり着いた。

社号標には式内社『山方比古神社』の文字。


石段を登ってみると、
小さな祠が見えてくる。


社殿。

延喜式内社 山方比古神社 論社
『金山(かなやま)神社』

鎮座地 徳島県徳島市多家良町立岩
創建 不詳
祭神 金山比古神(鍛冶の神)
別称 御火社 金山はん

祠の右側は、たたら跡らしい。

由緒書き↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
阿波三峰の一つである
中津峰山(標高七七三メートル)の北麓 
徳島市多家良町立岩に鎮座。
延喜式内社で鍛冶の神  
金山毘古神を主祭神とし
境内に八咫の鏡を製作した
天津麻羅 (立岩神社)を祀る。

古来、この地に
銅の製練・鋳造所があったと伝えられ、
神社右脇の山が抉れた部分は
古代のたたら跡といわれている。

阿府志(1700年代末編集された徳島藩の史書)
にも
「宮井村 金谷に あり、俗に御火社と言う」
と記され、また、弥生式土器の出土や
周辺に点在する古墳等からも、
古代金属器の製作集団として
勢力を振っていたことがうかがわれる。

現在、氏子によって
たたら音頭
たたら(古代の溶鉱炉) の技術が伝承され、
また周辺の地名も
金谷」「多々羅川」 
八多町」(八咫の名の起りか)
「小路地」「尾羽丁」「居内」
「宮井」 等が残っており、
氏子の苗字にも「岩金」「金沢」「八田
「石田」 「石尾」「立岩」等がある。

また、当社に伝存する御神体は、
鏡を正面に抱いた金山比古神の神像であり
金山はん」として氏子に尊崇されており
当社の北西八十メートルに鎮座する
日本最大の巨大陽石天津麻羅とあわせ、
我が国冶金技術発祥の地と推定されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

周辺の地名に「」や「たたら製鉄」に
まつわる地名が点在する。

そして、「八多町」「八田」
などは『八咫(ヤタ)』に通ずる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
金山比古神とは

イザナミが火の神カグツチを産み、
陰部の火傷で苦しんでいる時に
嘔吐物から生まれたとされる

○神格
鉱山の神、鍛冶屋の神、金属加工の神、
金工職人の神、金物商の神。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

金山比古神を祀る神社と言えば、
金属の神の総本社と云われ、
岐阜県不破郡垂井町に鎮座する
美濃国一宮『南宮大社』。

そのホームページ記載の社伝によると、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
金山彦大神は初代神武天皇東征の際、
八咫烏を輔けて大いにお力を顕わし
不破郡府中の地にお祀りされることと
なりました。

後に第十代崇神天皇の御代に
現在の地に鎮座なされます。
古くは「仲山金山彦神社」と称されましたが
国府から南方に位置するため
南宮大社と云われる様になったと
伝えられております。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そう、金山比古神八咫烏
関わりがある。

多家良町の隣には、八多町があるのだ。

また、
南宮大社は古くは
美濃国式内社で唯一の名神大社
仲山金山彦神社』と称された。

神名の前に「仲山」とつくことから、
金山比古神の総本社と言えど
『元宮』ではないのではなかろうか。

第十代崇神天皇の御代に
現在の地に鎮座したとのことだが、
それ以前の鎮座地については
明確な記述がない。

そして、その『元宮』こそが
この多家良町の『金山神社』なのでは⁉️
と密かに思っている。


ちなみに、鍛冶の神と言えば、
金山比古・金山比売と同一視される
金屋子神(カナヤコガミ)』もいる。

金屋子神の総本社は、
島根県安来市広瀬町に鎮座する
金屋子神社だとされている。

たたら製鉄といえば島根出雲。

下記、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
奥出雲地域には、
たたら製鉄の原料となる良質な砂鉄を含む
花崗岩(真砂土)が広く分布し、
燃料の木炭を得るための森林も
広大であったため、
これらの資源を求めて
製鉄技術者が多数集まってきた。

この歴史を象徴するのが、
鉄づくりの神「金屋子神」が
白鷺に乗ってカツラの木に舞い降り、
製鉄の技術を授けたとする金屋子神話です。
今日、「金屋子神社」の総本社が
この地に鎮座し、鉄づくり発祥の地として
篤く信仰されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
金屋子神」が
白鷺に乗ってカツラの木に舞い降りて
製鉄技術を伝えたのである。

では一体、
どこから奥出雲にやってきたのだろうか。

疑問なのが、
「木に舞い降りた」と書けばよいものを
わざわざ「カツラの木」としているところ。

これが暗号だとしたら、
カツラ」とは、「勝浦」や「勝占」など
阿波(の伊津毛)に昔から残る地名と
紐付いてくる気がしている。


そんな中、
敬愛する阿波古代史の重鎮
興味深い記述が書かれております↓



たたら」の語源は
モンゴル系遊牧民『タタール』という
説がある。


日本は、鉄鉱石の産出は少なかったが、

砂鉄が豊富に採れたことから

その地質的特徴を生かし

独自の方法で鉄を精練するようになる。

それが「たたら製鉄」だったのである。



日本に鉄が伝来したのは
遅くとも弥生時代で、
国内で製鉄が本格化したのは
5~6世紀とも言われている。
実はもっと遥か昔に日本では製鉄が
行われていたが、武器としてではなく
農具として…という話もある。


しかしながら、
たたら製鉄をおこなうのに
必要なのは砂鉄だが、
国内最古とも言われるの製鉄遺跡
岡山県総社市の『千引カナクロ谷遺跡』など
初期の製鉄炉は鉄鉱石が原料だったため、
『神代の製鉄』と『たたら製鉄』は
必ずしも紐付くものではないのかもしれない。


また、八岐大蛇とスサノオの戦いを
「製鉄集団」の暴挙の象徴的比喩という
説もよく聞く話である。
八人の頭領がいたとか

興味深いのが、
タタール神話には
多頭の人食い怪物『イベルガン』が
登場するのだそうな。

まるで、八岐大蛇さながらだ。


事代主(大物主)の長女であり、
神武天皇の皇后

蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)も

気になるところ。

たたら製鉄とは関係ないとも言われているが…





一旦、石段を降りる。

ここからの景色も本当に素晴らしい。




地図にあった『立岩神社』へと向かう。

歩いてすぐの場所。




この石積の道。

ただ事ではない雰囲気。


見えてきた。

この時のドキドキは忘れられない。



どーん❗



延喜式内社 山方比古神社 論社
金山神社境内社
『立岩神社』

鎮座地 徳島県徳島市多家良町立岩
創建 不詳
祭神 天津麻羅(アマツマラ)

案内板によると↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
当社は日本一の巨大陽石を
御神体とする神社である。
陽石は高さ七メートル、
巾四メートルの巨岩で、
基部正面に左右二個の大玉石を配し、
素朴にも男性を象徴しているが
通俗的信仰はなく、
祭神は天津麻羅といわれている。

御神体の正面は
たたら跡(金山神社)を向いており、
古代金属器の製作に名工鍛冶
天津麻羅がかかわったことを暗示している。

古事記によると、八咫の鏡
「・・・天の金山の鉄を取りて、
 鍛人 天津麻羅を求ぎて
 伊斯許理度売命に
 科せて鏡を作らしめ・・・」 とあり、
この地で八咫の鏡を製作されたもの
推定されている。

八咫は、当地に隣接する八多町に由来し、
我が国冶金技術発祥の地である
といわれているが、
以来、
阿波では天津麻羅を鍛冶の神として崇め、
後に天目一神として
尊崇されるようになったものである。

また、名西郡神山町鬼籠野字元山
(ここから直線距離で13キロメートル西方)
には高さ二十メートル、巾二十メートルの
女性を象徴する 巨岩・立岩神社が鎮座する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つまり、
多家良町の立岩神社(陽石)と
神山町の立岩神社(陰石)は
陰陽の関係なのである。


祭神の天津麻羅(アマツマラ)という神名と
男根信仰を思わせる立岩(陽石)。

神山町の立岩神社は、
女陰を表すとともに、
『天岩戸』の有力候補地。



それにしても、
色々と衝撃的な説明書きである。

なにせ、
この地で八咫の鏡が作られた
と言っているのだから。


古事記の記述と地名や伝承を見る限り、
本当にそうなのでは⁉️
と、ワタシは思っている。




小さな祠がある。

この祀られ方は逆にリアルである。


立岩から見た景色。


横から立岩。

まるでティラノサウルスの大顎だ。

ガオー(「・ω・)「


ぐるっと回れる。

ここ最近、巨岩と出逢う確率が多い。


立岩の真ん中から太陽☀️。

まさに『陽石』の名に恥じない。


ぐるっと回って反対側。

圧倒的な存在感。


立岩からさらに登った丘の上にも
石が積まれている。

一体いつからこのように緻密に
石を積む技術があったのだろうか。


もはや、
倭製マチュピチュだ❗
本当にすごいところである。

感動しっぱなし(=゚ω゚=)



祭神の天津麻羅の神名に
「命」や「神」などの神号が
ついていないことから、
個人名ではなく集団名を意味するという
説もあるようだ。

例えば、
鍛冶集団『天津麻羅団』の団長が
天目一神』あるいは、
金山比古神』ということかもしれない。


古事記を読む限りでは、
天津麻羅がこの金山
製鉄(または製銅)をおこない
その材を元に伊斯許理度売命が
八咫鏡を造ったと解釈出来る。

天津麻羅と伊斯許理度売命は
八咫鏡の共同開発者だったのである。


また、天津麻羅と同一神と云われる
製鉄の神
天目一箇神(アメノマヒトツカミ)は、
ひょっとこ(火男)」の原型。

忌部の祖神『天太玉命』が率いた技術集団
「忌部五部神」にも名を連ねる。

櫛明玉命(出雲忌部)
彦狭知命(紀伊忌部)
天日鷲命(阿波忌部)
手置帆負命(讃岐忌部)
天目一筒命(筑紫忌部・伊勢忌部)


別名には天津麻羅の他、
天奇目一箇命(アメノクシマヒトツ)、
天照眞良建雄命(アマテラスマスラタケオ)、
天之御影神(アメノミカゲ)
など興味深い神名もある。

天之御影神』の「御影」で連想するのは
御影石』。
つまり、日本一の磁鉄鉱含有率を誇る
花崗岩』のことである。

花崗岩からは良質の砂鉄が得られるのだ。


また、饒速日命(ニギハヤヒ)の降臨に
随伴した三十二神の一柱でもある。

ちなみに
その父神は、徳島市八万町の
王子神社の祭神『天津彦根命』である。





ここには
どなたが祀られているのだろうか。




本当に素晴らしい。

ずっとここに居たくなる。


立岩神社を見て思い出したのは、
『剣山』は元々
立石山」や「石立山」と
呼ばれていたのだそうな。

剣山には、
現在でも岩を磨いて光を反射させる
『鏡石』が残っているのだそうな。


つまり、
今でいう『光通信』のための鏡石。

超超最先端技術である。





今回は
製鉄』がテーマになってしまったので、
興味深い話をひとつ。



ここ数年の
徳島県阿南市加茂町宮ノ前の
『加茂宮ノ前遺跡』の発掘調査で、
弥生時代中期末~後期初頭(約2000年前)の
竪穴住居跡20軒が見つかり、
そのうちの10軒では
鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた
道具類などが出土したのだそうな。

集落(むら)の半分が工房という特徴から、
県南部に大規模な鉄器の生産拠点が
形成されていた事が推測される。

県教委と県埋蔵文化財センターは、
鉄器の製造工房としては
国内最古級だと発表した。

↓の書籍を引用、参考にしております。

 

 




さてさて、冬至近しこの日は
日が暮れるのも早い。

急いで次の神社へと向かう。

土取商店』さん。

この店名もまた、製鉄の聖地を思わせる。



最寄りの『多家良』バス停から
本数の少ないはずのバスが
良きタイミングで来てくれた。


バスに揺られて約10分。


舞台は、多家良町勝占町へ。


つづく。


ではまた❗




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