↑のつづき。
さて、
卑弥呼の後継者『壱与』の
伝承を伝える宅宮神社を後にし、
さらに徳島市上八万町をゆく。
徒歩で15分ほど歩いただろうか。
この素晴らしい田園風景。
その道の先に鳥居が見えてきた。
すでに参道がはじまっているかのようだ。
たどり着いたのは、『朝宮神社』である。
見るからに小さい神社だが、
その荘厳な雰囲気は
写真では伝わらないかもしれない。
鳥居をくぐると、六芒星の紋章が。
阿波忌部の『麻の葉紋』である。
さらに、石段を登ると、狛犬。
そして、拝殿が見えてきた。
美しい石積の灯籠。
拝殿。
『朝宮神社』
鎮座地 徳島県徳島市上八万町広田
創建 ?
祭神 ?
由緒書きなどは見当たらなかった。
宅宮神社境内社の『朝宮神社』には
大日孁尊と月読尊が祀られていた。
ここから南西、
園瀬川を登った佐那河内村にも
『朝宮神社』が鎮座しており、
祭神はなんと、
『瀬織津姫(天照皇大神荒御魂)』である。
この朝宮神社の祭神も瀬織津姫だろうか。
地名の『広田(ひろた)』は、
兵庫県西宮市に鎮座する
『廣田(ひろた)神社』にも繋がりそうだ。
廣田神社の祭神もまた、
天照大神荒魂である。
(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)
すくなくとも、
神功皇后の御代には
廣田神社周辺は『広田国』と呼ばれていた。
古代、徳島県上八万町は大きな港であり、
川を利用して運搬などをおこなっていた。
瀬織津姫は、祓戸四神の一柱であり、
人の穢れを早川の瀬で浄める女神。
つまり、川の神様でもある。
運搬ルートの要所要所に
川の女神を祀ることに違和感はない。
その向こうには宅宮神社と
その境内社『朝宮神社』が鎮座していた。
天照大神荒魂(瀬織津姫)を祀る『朝宮神社』。
鎮座している佐那河内(さなごうち)村や
徳島市上八万町などは、
かつて『以西(いさい)郡』だった。
敬愛するawa-otokoさん のブログを
参照させて頂きますと↓
佐那河内村の朝宮神社は
『大宮神社』の末社なのだそうな。
『大宮神社』とは佐那河内村の
『大宮八幡神社』のことである。
※後日参拝しました。
さらに、古書にはこうある。
「上八万の朝宮祠より佐那河の朝宮へ遷し」
「上八万の朝宮祠」はもちろん、
この上八万町の朝宮神社である。
さらに、
吉野川市鴨島町牛島に鎮座し、
阿波忌部の祖神『天日鷲命』を祀る
「牛島八幡神社」の元の社名は
『麻宮』であり、後に『大宮』となった。
ちなみに、
『麻(あさ)』の古称は
『苧(お)』。
つまり、
本来は『苧(麻)宮(おみや)」であり、
転訛して「大宮(おおみや)」となったのだ。
※地名の牛島(うしのしま)も、
元は「苧師ノ島(おしのしま)」。
つまり、
『朝宮』=『麻宮』=『苧宮』=『大宮』。
『大宮』と言えば、
『大宮売神(オオミヤノメ)』。
古語拾遺では
忌部の祖神『天太玉命』の子とされ、
別名は『天鈿女命(アメノウズメ)』。
『ウズ』の名を持つ女神である。
※徳島と言えば、うず潮
古代より朝廷の祭祀に携わった
『猿女君』の一族の祖であり、
ご存知、
『猿田彦大神』の配偶神である。
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10月におこなわれる
佐那河内村の『朝宮神社』のお祭りでは、
神主により、ご神体が御神輿に鎮座され、
その御神輿は氏子の家を回った後、
天狗を先頭に園瀬川に入っていく。
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『天狗』と言えば、猿田彦大神。
天孫降臨のシーンでは、
ニニギを吾田の笠沙御前に導いた猿田彦は、
こう言った。
「伊勢の狭長田の五十鈴川上に到るべし」
この時の「伊勢(いせ)」は現在の伊勢ではない。
そして、
佐那河内村は『以西郡』にあった。
つまり、『以西(いせ)』だった❗
徳島県のホームページでは、
佐那河内村をこう説明している↓
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佐那河内村(さなごうちそん)は、
古代「狭長村」とも呼ばれた。
中峰山が南北二渓に分ける地形を表すとも、
「棚田(狭田と長田)」を表すとも言われる。
佐那河内村の棚田で収穫される米は
非常に味が良く、藩政時代には
蜂須賀公への「献上米」としても名を馳せた。
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と、いうわけで、
猿田彦が至った
「伊勢の狭長田の五十鈴川」
とは、
「伊勢(以西)の
狭長田(佐那河内)の
五十鈴川(園瀬川)」
だったんですよ皆さん❗
証拠❓️
あります。
だって、
佐那河内村の大宮八幡神社には↓
さてさて、次の神社はお隣の八万町。
そこにはなんと…
猫の神様がいた…(=゚ω゚=)
つづく。
ではまた❗
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