↑のつづき。

さて、山崎忌部神社を後にして、
さらに吉野川流域を西へ。

車で数分の場所に
忌部神社七摂社のひとつが鎮座している。

その神社は、
延喜式内社の論社にして、
その神名を冠するのは全国で阿波のみ。


阿波にしか存在しない神社である。



鳥居。
扁額の回りには
「勾玉」のような
「渦巻き」のような
不思議な模様が彫られていた。



社号標
「式内小祀 忌部社攝社 牟羅久毛神社



拝殿。

延喜式内社 阿波國麻殖郡 
天村雲神伊自波夜比売神社 二座 論社
『天村雲(あまのむらくも)神社』

鎮座地 徳島県吉野川市山川町流
創建 不詳
祭神 天村雲命 伊自波夜比売命 

同じく山川町村雲に鎮座する
天村雲神社とともに式内社の論社である。



説明書き↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天村雲神社は忌部神社の攝社である。
村雲神は水政の神であり、低地における
農耕集落の祭神として信仰せられ、
旱魃(かんばつ)の際は村人が集まり
雨乞いを祈願したことと思われる。

旧事紀には、
村雲神の系統について
天照太神天降りし代の随神として
降臨した饒速日命の孫にあたると記され、
尊い神として忌部の人々が、
地主神または守護神として崇めこの地、
阿波国忌部郷雲宮に祭ったと思われる。

また、この神社は、延喜式神名帳にも
祭神天村雲神伊自波夜比売神二座を祭る
式内社であると記されている。

尚、当神社が
忌部神社神域内におわします神社で、
阿淡両国神社録にも忌部神社の摂社
牟羅久毛神社と明記されている。

神社創建については定かでないが
文献に天和四年(一六八四)に
忌部常応が書いたと言われる紙幟に
天村雲神社」とあり
この地に村雲神社があったことが
記録されている。

また、山崎八幡神社に保存されていた
棟札七十七枚の中に、
村雲神社に関する一枚の棟札があり、
それには、
「奉再興天村雲神社御殿一宇遷宮
 文政二己卯五月十二日 大工藤原浅吉」
とあり、
時代を検証する貴重な資料として、
大切に保存する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

阿波国忌部郷雲宮は、

この付近の山川町雲宮のことだろう。


村雲神社に関する棟札が保存されていた

山崎八幡神社はここから徒歩5分の場所に

鎮座している。



横から本殿。


さてさて、
祭神のことを書かねばなるまい。

祭神 天村雲命 伊自波夜比売命




もう何回も書いているかもしれないが、
大事なことなので念のため。

伊勢神道の根本経典と言われる
『神道五部書』の
『豊受皇太神御鎮座本記』には
こう記述されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天村雲命伊勢大神主上祖也。
神皇産霊神六世之孫也。
阿波國麻植郡忌部神社
天村雲神社
二座是也
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
代々、外宮の祭祀を努めてきた
『度会(ワタライ)氏』の祖神が、
神皇産霊神(カミムスヒ)の六世之孫で
阿波国麻植郡に座す『天村雲命』である
と伝えられている。


また、
天牟羅雲命(天村雲命)の孫の
天日別命(アメノヒワケ)」。

『伊勢国風土記』逸文では
初代伊勢国造とされ、
その正体は阿波忌部の祖神
天日鷲(アメノヒワシ)』であり、

伊勢神宮外宮の敷地にある山域での
最高峰は『日鷲山(ひわしやま)』❗


伊勢神宮外宮の摂社第3位
『度会国御神社』の祭神は、

天日別命(天日鷲命)の子である

彦国見加岐建與束命(ヒコクニミガキタケヨツカ)

そしてなんと、
伊勢神宮外宮の摂社第1位は
草奈伎(くさなぎ)神社』である。

※三種の神器のひとつ
天叢雲剣(アメノムラクモ)』の
別名は『草薙剣(クサナギ)』。


阿波忌部が開拓した麻植郡

天村雲命を祀る式内社が存在する意味が

お分かりいただけただろうか。


つまり、

神宮の神官と阿波忌部には

繋がりがあるのだ。





そして、もちろん

外宮の祭神 豊受大御神は、

阿波の国魂神『オオゲツヒメ』と

同一神だと言われている。




そこから、丹後の話にも繋がってくる。


伊勢や丹後などの考察に関しては、
最も信頼出来る阿波古代史研究家の1柱
コラクさんのブログをご参照下さい。
こう言った優秀な方々の影響を色濃く
受けているのであります。

引用させていただくと、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天村雲命の別名

 ・天二上命(あめのふたのぼりのみこと)

 ・後小橋命(のちのおばしのみこと)

 ・天五多底命(あめのいだてのみこと)

式内社天村雲神社が鎮座する、
徳島県吉野川市山川町は元、
忌部郷と射立郷の二郷からなっており
(『和名抄』にある
阿波国麻植郡射立郷(伊多知))
現在の山川町にあるの地名「湯立」は
射立郷」からの転訛なのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
ここで、『イタテ』と『天村雲命』が
同一神または、近しい存在なのがわかる。




書いたのだが、やはり『五十』と言えば
五十猛命(イタケル・イソタケル)』。

丹波国桑田郡の式内社
伊達(だて)神社』の祭神は
五十猛命(イタケル)』であり、
伊達(イダテ)」の由来となりえる。



7世紀の律令制以前は
但馬、丹後も含み丹波国だった。

丹後の国と言えば、一宮の『籠神社』。
籠神社の社家海部氏に伝わる国宝
『海部氏勘注系図』では
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
始祖彦火明命
天香語山命
天村雲命
倭宿禰命 …
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

また、『海部系図』には
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
始祖彦火明命の御子
天香語山命穂屋姫命を娶り
天村雲命を生む。
天村雲命の亦名を
天五十楯(イタテ)天香語山命と云う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とあり、
イタテ』と『天村雲命』を
同一神だと伝えている。

※徳島県南部には
海部(かいふ)郡』の地名あり


天村雲命の父神
天香語山命については↓
わかれば、父神が何処にいたかもわかる。


また、祖父の天火明命は、
尾張氏の祖とも言われ、
尾張の熱田神宮には
草薙神剣(天叢雲剣)が祀られていることに
不思議な繋がりを感じる。

名古屋西部にも
海部(あま)郡という地名もあり、
徳島の海部郡
丹後の海部氏
尾張の海部郡海人族繋がり。

後小橋命だが、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
山崎村「天村雲神社」のすぐ傍に
小橋」という地名があり、
「阿波國族風土記」麻植郡の部で
確認する事ができます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とあり、

『後小橋命』の神名と『小橋』地名が

しっかりリンクしている。

五十猛命は、日本書紀によれば、
スサノオと新羅国に渡っているが、
徳島県鳴門市の土佐泊浦には
新羅神社』が鎮座しており、
祭神は『五十猛命』。

五十猛命新羅に旅立った時の
出発港の地であったというのだ。


その後に帰ってきた場所が
木の国だったのだろうか。

『後小橋命(のちのおばし)』

神名から繋がりそうなのが、

『阿多の小椅君(アタノオバシ)』

「後(のち)」『後(アト)』と読めば
『阿多(アタ)』とほぼ同音である。


『古事記』中巻の「神武記」↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 故、坐日向時、
娶 阿多之小椅君 妹・名阿比良比売生子、
多芸志美美命、次岐須美美命、二柱坐也。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

阿多之小椅君の妹が

神武天皇の后『阿比良比売(アヒラヒメ)』。


阿比良比売が祀られているのは全国一社

徳島県板野郡藍住町

伊比良咩(イヒラヒメ)神社』である。


ヒラヒメ』が『ヒラヒメ』に

なっているように、

板野(いたの)」の地名は

阿多(アタ)」が転訛した言葉。


また、

阿多之小椅君と同一神天村雲命

后神は阿俾良依姫(アヒラヨリヒメ)


阿俾良依姫天村雲命(天五多底)の子

天忍人命・天忍男命・忍日女命は

伊予国の式内社に祀られていた↓



阿俾良依姫の神名から推測するに、

阿比良比売の妹か、または

近しい存在なのは明白であり、

どちらも日向の姫だとされるが、

九州宮崎を日向国と名付けたのは

神武天皇よりずっと後の時代の

第12代景行天皇である。


したがって、日向とは

「太陽が昇る東の方角」

を意味すると解釈できる。



阿比良比売の出身地は、一般的に

日向の吾田邑(あたむら)と言われるが

阿比良比売を祀る神社が板野郡にある為、

徳島県東側の板野郡(旧阿多(あた))

該当するのではなかろうか。


また、

阿比良比売の父は

『火須勢理命(ホスセリ)』と言われており、

火須勢理命の母は

神阿多都比売(神聖な阿多の巫女)。

後のコノハナハクヤヒメ


アタの姫様なのである。



さらにキリがないことに、

神阿多都比売の父神は『大山祇神』。


かつて、

板野郡上板町には『大山村』があった。


上板町は1955年の吸収合併以前は

松島町、大山村、名西郡高志村

別れていた。


高志(たかし)村と言えば、

同じく名西郡の石井町浦庄字諏訪に鎮座する

元諏訪『多祁御奈刀弥神社』であり、

祭神は建御名方神(タケミナカタ)。


建御名方神の孫にはなんと、

天村雲神社の祭神の一柱であり、

大日本神祇誌では

天村雲命の后とされる

伊自波夜比売命(イジハヤヒメ)。


別名には
伊志波夜比売命、伊津早媛命、出速姫命
そして、


『会津比売神(アイヅヒメ)』



伊比良咩(イヒラヒメ)神社』が

鎮座するのは

徳島県板野郡藍住(あいずみ)町なのである。



繋がりまくったところで

神武天皇を祀る

橿原神宮より古い樫原神社

天村雲の御子神『倭宿禰命(ウヅヒコ)』が

鳴門のウズシオに関連することも含め

地図上に表すと、こうなる↓


①天村雲神社(山川町村雲)

②天村雲神社(山川町流)

③多祁御奈刀弥神社(元諏訪)

④伊比良咩神社

⑤藍住町

⑥板野郡(旧阿多)

⑦大山寺(旧板野郡大山村)

⑧日峯山(天香久山)

⑨新羅神社

⑩鳴門のうずしお

⑪樫原神社

何箇所かは後日記事になります


この連想ゲームはまだまだ終わりがない。

それがまた、
楽しくてしょうがないのである。


阿波古代史を知らない方には
何を言っているのか
わからないかもしれないが、
いたって真面目です(イタテの神だけに)


鬼瓦が覗いている。

空を見ると雲が集まっていた。

まさに天叢雲である。


気温も低くなってきており、
また雪が降りそうな予感がした。
天雪雲…
参拝日2023/12/21



吉野川は三大暴れ川の一つであり、
吉野川流域は氾濫の多い地域だった。

氾濫は反乱とかかり、
八岐大蛇とは
吉野川のことだとする説がある。


例えば、天村雲命がスサノオとともに、
吉野川の治水作業で活躍したのであれば、
八岐大蛇の尾から出てきた剣の名が
天叢雲剣と名付けられる根拠にもなる。

叢雲⇒雲が群がる。

つまり、
大雨から洪水を引き起こす
前触れが『叢雲』という現象なのだ。



境内には、小さな祠もあるが
どなたを祀っているのかはわからない。





こぢんまりとした神社だが、
ワタシのような
古代史好きの人生を豊かにしてくれる。

このように史跡を大切に扱う
阿波の方々には感謝しかありません。

ちなみに、ネットで
イヒラヒメ」で検索すると…


なぜか、
沖縄の『伊平屋島』が出てきた🤣



「神武天皇は琉球の
 恵平屋島(今の伊平屋島)に
 生誕あそばされたり」

By 江戸時代の学者 藤井貞幹


長い長い『阿波のトンネル』を抜けた先には

ワタシの住む琉球(竜宮)が待っている


叢雲を掻き分けた先には

きっと藍色の空が広がっているだろう


なんつって(笑)



つづく。


ではまた❗






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