お話していきます
ジブリが同名の映画を出したこともあって相当有名なタイトルになりましたね
実は私は過去にも風立ちぬについて話しました
今回は久々に通読したのでそれを記念しての動画となります
それでは風立ちぬについて 見て行きましょう
堀辰雄についてはこれまでも3本の動画で語りました
タイトルの「風立ちぬ」は元々フランスの詩人ポール・ヴァレリーの 海の墓地 の一節です
ヴァレリーの詩 『海の墓地』 南仏セト
風が吹く 今こそ生きる時だ 風立ちぬ いざいきめやも ⇒さあ生きようか いや生きる のは・・・
ヴァレリーの詩 海の墓地 についても動画をアップしています
全体の構成です
最初の序曲 これはもう散文詩です
高原の墓地 という構造になっているように感じました
1. 序曲 序 美しい高原 この美しすぎる高原で風立ちぬ と呟く それはヴァレリーの海の墓地の一節 海の墓地に対比させてこれは「高原の墓地」だ
節子を襲う悲劇 それに翻弄される自分
序曲で美しい時を過ごした女性 高原で一緒に過ごした絵を描く女性と婚約している 彼女は結核である そして 「春」 節子の家 婚約 病気
軽井沢のサナトリウムに転地する 入院する これは事実上 死への旅でした
八ヶ岳で節子と私の二人の間に 様々な永遠の一瞬のような苦しくも甘い、しかしやはり悲しいシーンが次々に訪れる
サナトリウム生活の忘れられに場面が散文詩としてそれぞれシンボリックに描かれている あまりにも悲しく美しい
少しだけ希望に手を伸ばす夏
冬に入り 絶望の影に覆われていく
その時人間の命とは何だろう?生きるとは何だろう?
節子が死んで この世に残された私の命の日々
「死のかげの谷」
死後の手記 去年手記の切れた日取りあたりから1年後手記を開始
死後 ひとりで生きる主人公
3.どんな構成の小説なのか? 2の物語をこんな書き方で書いている 散文詩 序曲と風立ちぬは小説の文章 というより場面場面が散文詩である 美しすぎる 手記1 もう散文詩は作れない あまりにも生々しく手記でしか書けない 手記2 ここでも手記でしか書けない
4.執筆の事情 実話 ●矢野綾子という婚約者との実話がベース 美術学校を出た女性 ●1933年 22歳 に出会い(美しい村に描写) 1935年24歳 に結核で死去。 ●36~37年風立ちぬ執筆 38年出版
4.●アンネフランクの日記やピーターフランクルの夜と霧の中 などは文学的才能がなくても事実を書くだけで読むものの心 を震わせる 風立ちぬはまさにそうしたもの。ところが書いたのが天才作家堀辰雄である 稀有な作品となったのである
ちなみに 堀辰雄も1953年結核で死去。 結核が治るようになったのは・・・ 先ず,1955(昭和30)年にほぼ確立 したストマイ,ヒドラジッド(以下ヒドラ),パス の3剤併用で多くの結核患者が死なないで済むよう になり,1975(昭和50)年のリファンピシン,ピラ ジナミドを含む短期化学療法の開発で結核は本当に 治るようになったと言われます。
5.風立ちぬ は何が描かれているのか?
どんなことが表現されたのか?
まずタイトルのヴァレリーの海の墓地の示す死と永遠を小説で書いたらとても生々しく痛々しい
私見|
死が決まっているものの 覚悟 哀れ
それにつきそい見守る私
そして生き残る自分は二人の存在意義を模索するが
死にゆく彼女には死しかない
それを美しすぎる散文詩で描いた 真剣な手記で描いた
出征兵士がよく読んだという
死にゆくものと生き残るものの小説だからだ 「私たち 生きられるだけ生きましょうね」 「そんなに長く生きられたら いいでしょうね」 などは 身につまされたことでしょう 死ぬことが決まっている兵士たち 生き残る妻たち 家族たち
私の祖母の話
祖母に寄り添う気持ちで 祖母に比べれば節子はまだいい。
移民の妻としてペルーへ。結核。夫の死。
財産の処分 3人の子供を日本へ返す リマの駅で永久の別れ。
そして風立ちぬの節子の最後の日々をアンデスの山中のサナトリウムでひとりで。
節子よりもきつく 父たちは私よりもきつい悲劇を生きた 死んだ
でもやがて子供たちは日本で成長しその子供が生まれそのまた子供が生まれた
ペルーの死の床でそんな、自分がいない未来を夢にみただろうか。
ノルウェイの森との比較
一方最近3度目の通読をしましたがあれは死ぬかどうかわからない直子と絶対死なない渡辺君の曖昧な ドラマ。
村上春樹は死を正面から見ることなく若者に斜に構えて薄ぼんやりと垣間見せた