2005年(平成17年)12月の「国連総会」で

制定された「国際デーの一つ」です。

 

多様性の中での人類の連帯を寿ぎ、

「貧困の撲滅」等を謳う「ミレニアム開発目標」の

達成に向けて連帯の重要性を思い起こし、

団結しましょう、という目的の記念日です。

 

グローバル化と不平等の拡大を続ける今の世界では

「連帯の強化」は不可欠のものになっています。

 

又、「連帯」の中軸を為す筈の「国際連合」の

更に中軸に位置する「五大国の一つであるロシア」

は、隣国の「ウクライナ」に侵攻し、あわよくば

自国の領土の拡大をあからさまに目論んでいますし、

我が国のお隣の「北朝鮮」は、毎月のように

ミサイルを発射し、「核兵器」の保有も、暗に

誇示しようとしています。

 

又、日本の「自由民主党」も、「党名」のもたらす

集票力を背景に政権に鎮座し、今や、憲法の解釈も

都合に合わせ、自衛隊とは名ばかりの列記とした

「軍隊、軍事力」を保持しようとしています。

 

人類が地球上に誕生して、先ずは徒党を組み、

集団化して外敵に備えてきたところまでは、

他の動植物の本源的な生存本能の域に有るように

思いますが、

 

徒党の延長線上で、地球上にそれぞれの領分の

線引きをし、それぞれの国の政権が「国益の確保」を

錦の御旗の如く掲げ、アピールしだしている

様相は、人間世界ならではの幸せにはつながりようの

ない混迷状態ではと思います。

 

以下は私見になりますが、

大航海時代、産業革命を経て、交通手段も高度化し、

人間の行動権も格段に広域化しています。

 

そんな中で、発祥を辿れば、アフリカの地溝帯発祥に

一元化できそうな人類が、その後いくつもに

枝分かれしてからの「民族意識」や、

「宗教観」等のしがらみをもとに、

「国」を形成し、互いに「国益」の多寡を競っています。

 

個人、家族の場合でしたら、「甲斐性の有る無し」は

非常に大切で、家族にひもじい思いをさせないように

「時には我慢をし」、「学歴や技能を身に着けるべく

研鑽する」等は、判りやすいものですし、

時には、命がけになる心理も判ります。

 

勿論、「国益」を問われる場合も、

「健康で文化的な生活を保障される」レベルまでの

「国富」は必要ですし、地球上のどこで暮らしていても

確保されるべきものと思います。

 

そこまで思いをいたしますと、

今こそ“国連の有り様”が問われるように思います。

 

「世界の国々、人々の認める国際憲法」を背景とした

「治安維持組織」が必要ではと思います。

 

目的は「天変地異、紛争、戦争、不法行為の予防、備え」

です。

 

国ごとの「武力、軍事力の競争」を無用のものにする

目的が有ります。

 

今は「アメリカと中国」が、「世界の盟主」の座を

廻って凌ぎを削っています。

又、「核兵器の保有」は原則として「五大国」に

限られてもいますが、

小手先の「囲い込み方策」は、歴史的にも

永続するものでは無さそうです。

 

「国連」を有用化し、実効力を備えられる方向へ

知恵や資金や努力を傾注すべきではと思います。

 

発想を従来の「天下は国家」から、

「天下は地球」へと脱皮すべき時が来ているように

思います。

 

言葉足らずで、判りにくい所も多々有るとは

思いますが、現政権の「軍事費1%枠を破却」という

政策判断に遭遇し、直面する「危機感の醸成」を

危惧するところです。

 

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