1941年(昭和16年)12月8日、アメリカ、イギリスに

対して、「昭和天皇の詔勅」を以て、

「開戦の布告」をしました。

 

日清、日露戦争から、第一次世界大戦への参加、更に

1931年(昭和6年)の「柳条湖事件」に端を発した

「満州事変」と、

「先軍政策による国益の確保」を命題としてきた

「大日本帝国」の行き方にに鉄槌が振るわれる

時がやってきたとも言えます。

 

当時のアメリカ単独と比較しても五分の一以下の

国力に過ぎなかった「大日本帝国」にとって、

唯一の勝機を見出し得るのは「奇襲作戦」による

短期決戦のみでしたので、

「仏印、シンガポール方面」を皮切りに、

「真珠湾への奇襲攻撃」を、

宣戦布告を前にして敢行するという作戦により

第二次大戦へ枢軸方国家として突入することに

なりました。

 

「大日本帝国の戦線での死者数」は、日本だけでも

約300万人、大東亜共栄圏の範囲では、2000万人に

及ぶ、戦争による死者を出してしまう事になります。

 

最終的には「広島、長崎への原爆」や「首都を含む

日本本土への大空襲」更には、

「ソ連による北方領土の侵食」を受け、

国家としては壊滅状態に至ってしまいます。

 

アメリカによる暫くの占領下で、

「新憲法」の発布による「平和の希求」、「国民の

臣民から主権者への変更の自覚と保障」、

「農地解放」と「天皇の象徴化」による「国体の変革」

など、

 

形態面と心情面共に「一皮むけた日本になれる可能性が

持てた」のではと思います。

 

これには「アメリカ進駐軍の駐留」の意義には

極めて大きなものが有ったように思います。

 

「軍」に変わって「自衛隊」が創設されました。

「天変地異や戦争」による「国難」に対処すべき

役割を持ちますが、「戦争への対処の面では、

あくまでも、自衛、防御の域に留める」ことが

明記されており、

「世界に誇り得る、日本の宝物」とも称される

ところです。

 

昨今の「日本の政権リーダー」の言動を見ていますと

ともすれば「敗戦後の進駐軍の駐留時の憲法の制定」を

迷惑なものと評価してしまいそうな、

心配をさせられるものが有ります。

 

「敵を想定し、戦時の緊張と上意下達を旨とする」という

ことで、支持率を確保し、多様で自由闊達な意見の

噴出を制限するという、

低次元の国家の運用をしている国も有りますが、

我が国が、自ら進んでそんな方向に行くことこそ

愚か千番ではと思います。

 

日本の敗戦、進駐軍の駐留には

「神、仏の采配」ではとも

思わさせられるところです。

我家の“リオ君”は

かなりのビビリ屋です。

 

食べ物も、

始めてのものには

警戒心が先行してしまいます。

 

果物でも、バナナ、いちご、ぶどう、りんご、

梨、すいかあたりは大丈夫ですが、

柿やメロンは、警戒心が解けず、

未だ、口にできません。

 

スプーンや箸で口に運ぶときでも、

いちいち点検してからでないと

口に入れません。

 

汚れていたり、

変なものが付いていないか、

固さや、味の良しあしまで

値踏みをしている様子です。

 

以前、安城の「デンパーク」の

「恐竜コーナー」へ行った時には、

大きな「恐竜の鳴き声」に

ビビりまくりでしたが、

 

手元の写真では

「恐竜の大きな口の中で笑っている」

“リオ君”が居ます。

 

大きな声や音で、

べそをかいたり、

大笑いをしたり、

忙しい“リオ君”です。

 

いつも飽きない“リオ君”、

「ありがとう」です。

今日も、

師走にふさわしい

小忙しい一日になりそうです。

 

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト