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母親の呪縛、親子のカルマは相当根深くしんどい事を痛感した #毒親 #過干渉 #虐待 #前世 #アダルトチルドレン

これは、前に書いた記事⇩“左肩の痛みの原因”
の答えがようやく見つかったという内容になります。

今回の内容は物凄くヘビーでどす黒い内容になっています。

ホラーでサイコでバイオレンスな内容に耐性がある方はよかったら見てください。

母親の呪縛、親子のカルマは相当根深くしんどい事を痛感した ©hook
©2024 hook 

癒しフェア2024 in Osaka感想


そのきっかけは4月20、21日に大阪で開催されていた癒しフェアに行った際に判明しました。

癒しフェアに行くのは今回2回目でした。

因みに以前行った時の事はコチラ⇩に書いております。

今回は特に目的もなくなんとなく行ってみたんですが、普段YouTubeで拝見している有名人達のお姿を生で拝見することが出来て超ラッキーというか感動でした。

私が存じていた方は、リズ山崎さん、グレゴリーサリバンさん、穴口恵子さん、トレイシーアッシュさん、カリーラさん、森美智代さんなどなどです。

他にも今回初めて知る先生方の貴重な無料講演をたくさん拝見させていただき新たな知識や情報ゲット&勉強になりました。(穴口さんのだけ時間の都合で見に行けなかった)

そして出店ブースをウロウロしていると、結構勧誘されたり声をかけていただく事があります。

私は未だに人見知り体質が抜けなくて、気になるブースがあってもなかなかジロジロ見に行けない癖があり、そんな時相手から声をかけてもらえるのは非常に助かるのです。
(学生時代、コミケ・同人即売会に行っても自分からなかなか積極的に買いに行けなかった苦い記憶を憶い出した)

その誘われた中のあるブースで、どんなことでも10分千円で視てくれるという説明の勧誘を受け、おそらくお客さんの大半が使命とか仕事や人間関係などの悩みや相談系が多いような印象に感じましたが、私は肩の痛みとかそういうのもいけるのか?と聞くと、何でも大丈夫ですよということだったのでお願いする事にしました。

以前の記事で書いたように、私の中学1年から痛み出した左肩の痛みの原因は姿勢や筋肉など物理的なもの以外にこれはもう霊的なものなのでは?と的を絞っていて、そういう目に見えない世界の事に詳しい先生がこういうフェスにはきっといて何か答えやヒントがあるかもと少し期待していたのです。

鍼灸師の先生に視てもらった左肩の痛みの原因解答


そのブースには視てくれる先生方が3名居られて(全て男性の先生)、私を担当してくださった先生は普段鍼灸師をしているとおっしゃっていました。

先に予約が必要という事で予約の際に紙に名前や生年月日、住所など個人情報や悩みの内容などを記入してからの対面セッションでした。

座った状態で、最初に紙に書いた内容の悩みを話し、先生はじっと集中して霊視しているような感じでした。

そして、先生に言われたのは、多分睡眠が不足しているという事でした。

さらに普段気質とかどんな感じかと聞かれ、昔から神経質なとこがあったり、変に潔癖症だったり、完璧じゃないのに部分的に完璧症みたいな嫌な癖がある事も話しました。

また、普段焦ったりとかあるかとかも聞かれて、それは凄く感じるという事、時に近年時間がとても短く感じるのもあったり自分のやりたい事がほとんどできなくて一日が終わってしまうことなど人生に焦りを感じてしまう的な事も話しました。

先生が言うには、そういう焦りや完璧主義みたいな精神面や身体の疲労も睡眠をしっかり取れば治まっていくと言われました。

私は昔から多分ロングスリーパーな方で、7時間でもまだ寝足りないと感じたり、日によると12時間くらい寝てしまっていてとても勿体無い一日になってしまう日もあって罪悪感を感じるという事も話しました。

それでも私の場合は、それだけ睡眠が必要なタイプだとの事で、身体と心の疲れをちゃんと取ってバランスよくするには平均的に8〜9時間は寝た方が良いと言われました。

そしてなるべく毎日一定の寝る時間を習慣付けた方が良いと。

長時間寝てしまう時はそれだけ睡眠が必要な状態との事でした。

先生に言われた事はまさしく、自分は睡眠に対してはかなり軽視していたし、長時間寝てしまう事もとても罪悪感を感じていたし寝る時間も割とバラバラだったりかなり不規則な生活をしていたので、やっぱ基本って大事だなぁと痛感しました。

そして、やはり鍼灸師とか整体やカイロプラクターの先生って霊的な感性を持ってたりヒーラーな人だったりするんだなぁと改めて凄いなと思いました。

そして、治らない感じには思わないですけどねと言われました。

あんな短時間で、身体に触れもせず対面だけでパッと分かるというのがやはり霊能力凄いなと思います。

その後、フェス終りかけの時間が近付く中、何か興味深いブースは無いかとまたウロウロ徘徊していたら、前世、霊視、過去世チャネリングetcなどと書かれたブースを発見し、めちゃくちゃ惹かれて、しかもその時丁度お客さんも居ない様子だったので話しかけてみました。

するともうあまり時間が無いからワンコインで少しだけなら良いよと言われて視てもらえることになりました。

霊能者の先生に視てもらった左肩の痛みの原因衝撃の解答


私は単純に“前世”というワードに惹かれてこの先生のブースに飛びつきました。

以前癒しフェアに行った際にも前世を視てもらいとても感動したのですが、欲張りにもまた違う先生に前世を視てもらったら今度はどう言われるのかな〜?とワクワク感があったのです。

先に名前と生年月日を記入しました。

私:前世とか視てもらいたいです。エヘヘ( ´ ▽ ` )

先生:何か悩みとかありますか?

私:あ〜、えっと昔から左肩がよく痛くなって困ってます。長引く時は首や頭も凄く痛くて生活に支障がでて、今まで整体やカイロに行ったり自分で色々姿勢とか気を付けたりしてるんですがなかなか改善されないんです。中学1年の時から急になりだしたんです。

先生:あ〜、生き霊だね。

私:え!!!怖っ!(マジか、まさか私に生き霊が憑いてたなんて…!マジでそっち系やったんかい!)

先生:お母さんの生き霊が憑いとるね。

私:え゛ーー!!!!!(そ、そんな…´д` ;でもなんか、あっやっぱり左側の痛みは母親関係っていう話…やっぱ自分もそうやったんか…)

先生:お母さんとhook(筆者)さんは前世で恋人同士だったみたいね。

私:え゛ーーーー!!!!!!え゛ーーーーー!!!!!!!!((((;゚Д゚))))))) :(;゙゚'ω゚'):《マジで今までの今世一番の驚愕の事実すぎて思わず2回絶叫してしまった》

先生:お母さんの方が女性で、hookさんの方は男性だったみたいだね。

私:そ、そうなんすか…
《母と恋愛の仲という事だけでもうショックすぎるのと気持ち悪すぎてついていけてないのに私の前世は男だという事実まで判明、さらに生き霊が自分に憑いてたという、もうトリプルパンチで気絶しそうになった》

しかし、後で冷静になって憶い出すと、当時学生の頃、まだスピリチュアルも何も知らなかった頃、オカルトや怪談系は好きだったので、この左肩の痛みはもしかして幽霊とか生き霊に憑かれてたりするのかな?と考えたりする時があった。

親に、「お祓いしてもらおっかな?」とか話したりしても「アホか」とキチガイ扱いされていた。

しかし自分自身霊感も無く幽霊もUFOも見たこともないし、まだそういう見えない世界の事をほとんど信じれていなくて所詮エンタメ程度にしか思ってなかったので、また自分の勝手な妄想だろうなと、そういう霊的なせいにする考えは掻き消していた。

先生:お母さんとはどんな感じ?

私:あ〜、仲は良いと思うんです。でも、嫌なところは、割と過干渉なところがあって…

先生:そうだね…、お母さん、すーごい関わってくるよね…、そしてhookさんの事物凄く縛ってくるよね…

私:(うわっ、え、なんで分かるんやろ!ヤバい…そのまま過ぎて怖っ!)そ、そうなんです、特に学生の時、帰る時間とか遊びに行く場所とか友達もあの子とは遊ぶなとか急に言ってきたりめちゃくちゃ嫌でした。

先生:うんうん、門限とか、場所も限定してきたり行動範囲も制限してくるよね、友達だって、凄い良い子なのにね…

私:そうなんです、それでウチが融通効かないから友達に責められたり、だんだん誘ってくれなくなったりして…

先生:そう、友達なくなったよね…

私:そうなんです!!!(T ^ T)

先生:それね、お母さんの前世の魂とお母さんの子供の頃の未練・感情とかそういうのが影響してるのよ。そしてhookさんが思春期になった頃に特に強く出だしたんだね。hookさんが友達と楽しそうに遊びに行かれるのとか凄ーく嫌だったみたい。

さらに、先生が霊視すると母は多分学生時代に友達とあまりうまくいってなかった?いじめとかされてたかもしれないと、それで私が友達と仲良くされると嫉妬心や、束縛するような異常な心配心が出てくるらしいとの事だった。

母は自分の子供時代と私を重ねてしまい、イライラしてしまうところもあるらしいとの事。

また、ただの親子愛からではなく、前世の男女関係のドロドロした執念の歪んだ愛情からくる嫉妬心と、他人に取られたくないし余計な変な事を吹き込まれたくないという支配欲から縛りつけたいみたいな複雑な状態だという事だった。

そういえば…と、つい春分の日数日前に母から電話があり、祖父母の墓参りに誘われて、ここ数年行けてなかったから行こうと思い、行って、その後家族でお昼にお店でご飯を食べようとした時にそれまで何ともなかったのに急に左肩が物凄く痛くなった(その時は今までで一番強烈に痛みが走った。しばらく肩から腕が動かせないくらい攣ってる感じになった)事を話した。

私は丁度その数日前にこの長年の忌々しい肩凝りをもう今度こそ根本改善したいなという気持ちになっていて、ある整体師の方の動画を何本か観て、肩凝りの原因は腕の筋肉にあるという根本原因を知り、そのストレッチをしまくって、確かに痛みが軽減したので効果あるなぁとか思っていたので、もしかしてそのストレッチをしまくった反動が急にきたのかな?とその時は思っていた。

先生はそれについて、「会っちゃったからだね…」と言われた。

母の話では、私が生まれた時、病院で産まれたての私を看護師さんが母の前に持ってきてくれた時に、それまで泣いていた私が急に泣き止んで母の目をじっと見てきたのがなんか変な感じで印象的だったと言っていたのを思い出し、そんな話も先生に話した。

それは、魂が再開したって事なんだろうねとの事だった。

カルマのスタートの合図という事か…?

私の前世の魂はどう感じていたのだろうか…?

そうこうしてるうちにフェスの終わりの時間が来たらしく、係の人が巡回してきて鑑定中の人ももう終了して下さいと言いに回っていて強制終了に追い込まれた。

私はまだ解決方法など他にも聞きたいことが沢山あるなぁと思っていたら、先生は明日も出るらしく良かったら明日も来てと明日の無料入場券もくれた。

本当は21日は無料入場券も持ってなかったし行く予定ではなかったのですが、この鑑定を受けたら、まだ聞きたい事や解決方法など知りたい事がどんどん膨らんできて色々気になりすぎて翌日も行く事にした。

先生から衝撃の話を聞いてから、帰りの電車の中も帰宅した後も頭の中は母親との過去の記憶でいっぱいになりました。

たくさんの恨み辛みが出てきたりして、明日先生に話したい事をまとめようと頭に浮かんでくる事をなるべく全て紙に書き出してみたりした。

それをやってるとあっという間に深夜4時とかになっていてまたもや睡眠時間が消えて、超寝不足の状態で癒しフェア2日目に挑みました。

書きだした紙はA4用紙4枚程にもなり、時間的に全部は話せないだろうけど、聞きたい事や心の整理になったなぁと思いながらも紙を持参して先生に見せると、先生は、昨日のあんなたった10分程でこんなに膿を出せたんだから凄い事、凄い前進してると褒めて下さいました。

その自分がまとめて書き出した内容は以下のようなものになります。

母親との関係で先生に質問したい事


  1. 母と私の前世の恋愛関係について、母の前世は私を縛り独占するような人だったのかもしれないが、今世の私からすると、親としての親子愛はあるけど、それ以外はウザい気持ちしかないので私の魂の前世の男はどういう気持ちを持っている人だったのだろうか?
  2. 今後、母とどのように接するというか距離感、関係性を持つようにすれば、生き霊現象・左肩の痛み改善に向かうのか?解決方法。
  3. 母と私はカルマ的な関係?
  4. カルマが解消されないまま(私が母との関係に無頓着にネガティブな気持ちや身体の痛みの不調などを無視して放置して生きていく場合or今までと同じ状態を続けた場合)この先母が亡くなった後、左肩の痛みは続行するのか?幽霊として憑かれる事になるのか?
  5. 私が先に亡くなったとしても、カルマが残ってたらあの世でも母の魂に執着されるのか?
  6. 私がもし男として生まれていたらどうなっていたのか?
  7. 私の左肩が長年痛いのは母の生き霊に憑かれてるのが原因だと本人に言うのは良くないのか?
  8. 今後もし実家に戻らないといけない事態になった時、私は母と一緒に暮らすのは私にとって良くない環境になるのだろうか?(去年4ヶ月くらい実家に戻る機会があり、母は正直嬉しいと言っていて、私も家事などから少し解放されて漫画作業の時間を捻出できた点は良かったが、やはり環境的な面では自分らしくいられなくてストレスを感じていた)
このQに関する先生のアンサーは後で書きます。

母親と娘(筆者)のキャラクタータイプの違い


母と私(筆者)はタイプが正反対なほど似ていない。

母曰く私の体質や性格はほぼ全部父に似ているらしい。

友達や知り合いの人、今まで出会ったどの人にも母と私は嘘かと思うくらい全然似ていないと言われてきた。

(あくまで筆者の主観による特徴になっています)

母:健康で丈夫な身体(肩凝り・頭痛など経験無し)

筆者:幼少期から喘息やアレルギー持ち、虚弱体質、薬漬け、入院、病院通いが当たり前

母:[性格]社交的、思った事をそのまま口に出す、裏表無い、嘘が下手(態度や顔に出てる)

筆者:[性格]内向的(実際小学生の頃友達にも言われた)、人に変に気を遣って本音を言えない、激しく人見知りする、裏と表が違いすぎて腹黒い、嘘は息を吐くようにつける(顔や態度に出ない。こういう時だけ変に演技が出来てしまう。中1の頃完全犯罪を成し遂げた事もある)

母:[交友関係]広く浅く、異性との交際経験も沢山らしい(よく自慢してくる)

筆者:[交友関係]狭く深く、友達少ない、仲良くなるのに(打ち解けるのに)凄く時間かかる(学生の頃だと一年終わりかけの頃になってようやくクラスのいろんな子と話せた)、異性との交際経験極少

母:すぐ怒る、キレる、ヒステリー

筆者:気が長い方、よっぽどの事じゃないとキレない(怒りを溜めがちかもしれない)、平和主義(なるべく争いたくない。後の事を考えるとめんどいから)

母:大雑把、雑、割と汚くても平気、全てに於いて速さ重視(「遅いのは誰でも出来る!」とよく怒られた)

筆者:几帳面、神経質、勝手潔癖症、速さより質重視

母:オシャレ・美容に無頓着、芸術分野にあまり関心が無い、センス悪い

筆者:服飾・美容・芸術が好きで凄く拘りがある

母:基本的にひたすら没頭できるような趣味が無い

筆者:時間を忘れて没入してしまう趣味があり時間が足りなすぎて困っている

母:常にせかせかしていて側にいると落ち着かない、フットワークが軽い、声が無駄にデカい

筆者:常にダラダラのんびりしていてだらしないと怒られる、行動を始めるまでが遅い、声が小さすぎて学校や職場で何度も怒られた

母:ちょっとでも風邪引いたり何か不調があると物凄く大袈裟に喚き散らす

筆者:デフォルトが慢性体調不良なので身体の辛さや痛み、精神面で結構忍耐力がある、極限まで我慢しすぎた時に急にぶっ倒れたり吐いたりして周囲の人にびっくりされる


このような違いを見てもらったら、先生曰く、母の特徴はADHDっぽいと言われた。

ADHDというのは名前だけ聞いたことがあったが内容はイマイチ知らなかったので、また調べてみてという事だった。

実はまだ、これを書いている現時点では調べれていないのだが、なんとなく、あまり落ち着きがないとか、母の嫌な癖の一つとして、会話のキャッチボールが成り立たないという部分があり、多分そういうところなのかな?と感じる。

母は基本的に常に誰か話し相手が必要な人で、ターゲットを見つけると(特に家族)一方的にマシンガントークでダラダラと自分の言いたい事を話し、時折こちらに質問を投げかけてくるのでこちらがまともに返答を返そうとすると、それに被せるようにもうさっきと全く違う話題を話してきてそれについての返答をまた求めてきたりする。

そしてこちらの話す隙を中々与えてくれない。

最初から相手の話を聞く気がなくて、こちらがまともに考えて答えたり話をしようとするとかなりイライラするし疲れる。

母が云うには、これは父親(祖父)の遺伝だとの事。

確かに、私が学生の頃や祖父が生前元気だった頃よく祖父から電話がかかってきていて母と長電話していたが、祖父が一方的に話していて、母が相槌を打たずに受話器を置きっぱなしにして電話から離れていても祖父の会話は続いていて、一通り話し終わったらガチャっと電話を一方的に切っているというそんな光景を何度も見てきた。

ADHD気質も祖父からの遺伝なのだろうか?

また母の過干渉癖も祖父が過干渉で自分がそうされてきたからだと言ってくる。

しかし、ここで客観的に見て疑問に感じるのは、私には2歳下の弟がいるが母は私にだけ異常に過干渉だったという事だ。

この点から考えても、やはり前世の人間関係の話と辻褄が合うように思った。

また、今世の母は全くといって良いほど女性らしくない。

仕事以外はメイクもしないし(仕事の時でも何か凄い雑なメイク)服も何年も同じ服でどーでもいいような変な服装しか見たことがない。

大人になった自分から見ても全く品がないしセンスが無い。(祖母も母はセンス無いと言っていた)

父にも、たまに出かける時などに「何なんその服」と突っ込まれているのを見たことがある。

そして近所の主婦や職場の女性がメイクや服装も女性らしく綺麗にしていたりするとそういう人の事を「何あの人、派手、ケバい、やらしい」みたいに凄く悪く言っていた。

どちらかといえば父の方が大人しくか弱いし繊細なので女性性が強いんじゃ?とか思っていた。

しかし先生にこの事を話すと、母は、表面はそんなんでも精神はめちゃくちゃ女の魂だという事らしい。

凄く嫉妬深くて、わがままで束縛や執着するような執念深い女の魂が見えているらしい。

それを聞くと、確かに母から常に感じていた特徴にめちゃくちゃ当たっててびっくりした。

例えば、一度キレると同じ事を何回もしつこく言ってくる。

部屋の扉をバンと閉めて出ていったかと思うとすぐまた走ってきてバンと開けて戻ってきてわざわざ呪いのような嫌味だけを言って去って行ったりとかする。

私は子供の頃からウチの母はなんて大人気ないんだろうとドン引きしていた記憶がある。

母のなんかねちっこくてドロドロ感があり距離感も妙に近いとことか「蠍座やから」みたいに本人も言ってたけど、それだけじゃなかった事が判明。(てか蠍座に失礼)

イメージとしては、ジャパニーズホラーによく出てくるしつこく陰湿な凄まじい怨念の女の幽霊みたいなヤベーやつです。

呪怨みたいな…~_~;

動きが急で素早いとこは走ってくる系のゾンビ映画を思い出すくらいリアルに怖いです(T . T)

母親にされて嫌だったこと・辛かったこと(毒吐きコーナー)


私と2歳しか違わない弟との育て方の差が激しく違っていた。

幼少期は特に私だけ暴力的な怒られ方や虐待的な事をされた。

弟の方が明らかに酷い事や迷惑になるような事をやっていても私のような叱り方を一切しない。

毎回普通のぬるい怒り方しかしない。

この件を母になんでなのか聞くと、「あんたは反省して学習するから怒りがいがあるけど、あの子(弟)は暖簾に腕押しみたいな感じで何回怒っても全く反応ないからや」とかそんな回答だった。

要は真面目な子にはより厳しくすると言いたいのだろうが、私はその考えに当時幼少期から違和感しかなかった。

いつも自分と弟の贔屓が激しすぎると感じていた。

特に母は私にだけ「誰に向かってそんな口聞いてんねん!憎たらしい!」とか面と向かって言って口をつねってよく暴力的な事をしてこられた。

その事を父に言うと「お前は口答えするからお母さんはお前の事嫌ってるんやろ、〇〇(弟)はアホやから何も言いよらへん、だから可愛いんちゃうか」とか言われた。

この時マジでウチの親終わってる、集団いじめかと絶望した。

小学生くらいから徐々に、友達の家庭や親からの叱られ方などを聞いたり見たりすると、自分の家と違っている事に気づかされた。

私が友達になった子はみんな親から叩かれたり体罰的な事もされた事が一切無いと言っていて、そんな世界線があることに当時衝撃を受けた。

具体的エピソード⇩

*3、4歳頃、家の斜め前の近所の1歳年下の女の子(Hちゃん)とよく遊んでいてウチによく上がってきていた。
母は、Hちゃんの家はガラが悪い家庭などとよくディスっていた。(確かにHちゃんの母親は見た目も不良・ギャルっぽくて声もかなりデカいしウチの母と似ててすぐキレるし、その後私も9歳くらいの誕生日の日に夕方自宅外のガレージで1時間くらいひたすら罵声を浴びせられて怒鳴り散らされた事もあったし、Hちゃんも私と友達の自転車の鍵を隠したり、ウチの母の悪口を書いてぐしゃぐしゃにした紙をポストに入れて来たりなど色々された事もあった)
母はいつもHちゃんやHちゃんの母親の前ではニコニコ笑っているが、Hちゃんがウチの玄関から外に出た瞬間、母の表情は豹変して一瞬で鬼(レプ)のようになり異常にヒステリックな大声で毎回とても酷く怒られた。
「あの子を家に上げるなって言ってんのになんでまた上らせてんの?!」
Hちゃんは当時とても馴れ馴れしくていつも自然に勝手に上がってきていたのでどうにも止められなかった。
せいぜい外に出て遊ぼうと声をかけてみるくらいしかなかった。
そんなこちらの言い分も聞いてくれるような冷静さを完全に失っている状態の母は次々と私を責めてきて「そんなにあの子と遊びたいならあの子ん家の子になりなさい!」「ほら、さっさと出てけよ!」みたいな感じで、幼い私は廊下から玄関に突き落とされたことがあった。
ウチの実家の玄関は床が石のタイルになっていて、廊下に上がるのに高さ40センチくらいの段差がある。
私は頭を玄関の石のタイルに酷く打ち付けてゴンっと音がなっていた。
その音に反応して母が我に帰ったのか急に「ごめん」と言って私は拾い上げられハグされた。
そして後頭部を触られ、たんこぶが出来ていると言われた。
たんこぶが出来るほど打ったのに、それよりもその時の恐怖・悲しみ・怒り・憎しみ・苦しさ・絶望感、また何故こんなにも責められるのかという感情の痛みと混乱の方が強烈でその時の頭の痛みはほとんど覚えていない。
物心ついてからの記憶で多分一番強烈に覚えてる母から受けた暴力で、特に母の怖さを思い知らされたのと絶大な悲しみや急な母の愛の登場で色々パニックだった事件の一つ。
今思うとDVしてきた後急に優しくしてくる加害者と被害者みたいな光景に思える。
母はよその子が家に入ってくる事がそんなに嫌だったのかもしれないが、弟の場合を思い出してみると私の時と全然対応が違っていた事に気づいた。
弟が幼稚園頃から小学生時代まで数年間ずっと毎日ように友達5〜8人が帰宅後から夜18、19時頃までゲームをしにウチに入り浸っていて一階の居間は男子達の馬鹿騒ぎで物凄くうるさかった。
中にはまだ弟が帰宅していないのに先に友達だけが来て勝手にゲームをし始めているという状況の日もあった。
またゲームソフトやコントローラーを壊されたりもしていて色々問題にもなったりしていた。
しかし母はそんな弟には鬱陶しいとは言うものの特に怒ったり暴力を振るうなどということは一度もなかった。
私としては、弟がやっていた事の方が遥かに迷惑な事のように思えるし、ほんの数十分or1時間、自宅前の近所のしかも幼い娘よりさらに年下の幼児が家に入るだけで何故あんなにもヒステリックに暴力的に叱ってきたのか意味が分からない。
この時の事をたまに未だに母に言うと「そんな事いつまでもよう覚えてるなぁ、アホか、あれは親の愛情やろ」などと言われる。
子供を持つ年齢に達する大人になった自分が改めて客観的に考えてもやはりそんなもの愛情とは到底思えない。
かなりサイコパスで狂ってるし歪んでるとしか思えない。
私には母親の勝手な都合やストレスの吐口に子供を利用していたとしか思えない。
母には「あんたは子供産んでへんから分からへんだけや」と言われて終了される。
確かにそう言われたら未経験の立場上何も言えないが、自分だったら小さな子にそんな傷付けるような弱いものイジメみたいな事死んでも出来そうにない。
自分がされて嫌な事は他人には出来ない。
まして自分のDNAを受け継ぐ我が子だとしたら特に大事に感じると思うのだ。
子育ては精神的にも肉体的にも物凄く大変な事だろうと昔から感じていた。
あんな責任重大な事自分なんかには到底出来ないだろうと、子育てしながら仕事までやってる人なんて本当に尊敬しかない。
精神的にキツい時など、子供に八つ当たりしてしまう事もあるのだろうか?

*私は幼少期とても食が細かったし偏食もあった。
肉も魚も野菜も嫌いだった。
特に肉はなかなか飲み込めなくて苦労していた。
食べるのも遅いし学校でも小学2年までは残さず食べなさいという厳しい決まりがあるらしく、先生が給食時間の後の休み時間の間もずっと教室にいて見張られていた。
毎日給食時間の後教室の端に机を追いやられて食べ終わるまで休み時間全部使って無理やり食べないといけなかった。
そしてその後の掃除時間になる頃に走ってお皿を給食センターの返却場所に返しに行くという情けなく辛い記憶しかない。
それは弟も同じだったようだ。
幼稚園の頃から給食で、弟はなかなか食べ終われずに居残りさせられていて、友達だけがウチにゲームをしに来ていて母が訊くと「あいつまだ給食食べさせられてる」とか言っていたらしい。
幼少期は私も弟も食が細く食べるのも遅かった。
(あの躾けは今思うと意味ないと感じる。大人になると偏食も特に無くなるし食べる速さも自然と調節出来るようになる。弟も今ではめちゃくちゃ高速で食べる)
子供時代に食事で楽しいと感じた事は一度も無い。
母は時間や好き嫌いや食べ残しにうるさく、父は変にテーブルマナーにうるさかった。
食事に関しては辛く苦しく叱られるから無理やり食べるといった思い出しかなく、食事時間はいつも苦痛の時間だった。
これも3〜5歳頃、晩御飯を母が決めた時間内に私が全部食べれないと、お皿を持って家の外に追い出され、外で立って食べさせられた。
雨の時は傘をさしながら食べろと言われ濡れながら無理やり食べたりしていた。
すると家の隣の人がたまたま帰宅してきた際に私に声をかけてきてくれて何度か助けてもらったことがあった。
隣の家の奥さんや旦那さんにも何度か助けてもらった。
隣の奥さんは母に「hookちゃんになんでこんなことしたんの?可哀想に…」とよく言ってくれた。
めちゃくちゃ嬉しかったし当時の私は天使のように感じていた。
母はお隣さんの前では軽くあしらっていたが、私を家に入れるとまた豹変して凄く機嫌悪くなって怒られた。
「なんで他所の人に助けてもらったりするん?!あんたを外に出してる意味ないやんか?!ズル賢いな」みたいな感じで。
その後玄関前だと近所の人の目につくからと勝手口の方の狭い外の通路側に立たされる事になった。
そこに立っても脇の道路から近所の人が通ると見えるので、結局何回かまた声をかけてくれて助けてもらえた。
私が3歳頃から食事に関してこのような躾け方をされたが、弟が私と同じ歳になった頃、弟は私より圧倒的に食べるのが遅かったのにも関わらず(弟は小学校高学年くらいまでけっこう遅かった)、母は弟に対してはこのような事を一度もしなかった。
私がなんでなのかと母に抗議しても、あのやり方はあんまり意味なかったし飽きたからみたいな返答であしらわれた。
因みに、このお隣さん家庭は父の遠い親戚に当たる方で新築を建てる時に父が敢えて隣通しに建てたとの事だった。
母はこのお隣さんの事もどうやら好かないらしく、よく悪口を言っていた。
私からするとご夫婦二人共上品で私や弟や父にはいつもとても優しかったし私個人的には良い印象と感謝しかない。
旦那さんはその後若くして癌で亡くなってしまい、奥さんも去年の春に急死してしまった。
直前までいつも通り若々しく元気な方だったのにとてもショッキングで信じられない出来事だった。
母はその時まで未だに奥さんの事がとても嫌いらしく悪く言っていた。

以前エッセイ漫画を描きかけて途中になってるヤツで、上記のシーンが出てくる部分⇩
(因みに1コマ目の玄関はリアルな実家の玄関とは全く違っててウソです。実家の玄関はドアじゃなく引き戸)

母親の呪縛、親子のカルマは相当根深くしんどい事を痛感した ©hook
わたしの中にいる天使と悪魔02 ©2019 hook 

ぐちゃぐちゃの下書き途中だったりコマも字も細かすぎて見にくくてすいません~_~;

*また、この幼少期の頃は、他にも躾けとしてらしいが母に押し入れに長時間閉じ込められたりもした。
私が何をしてそんなことをされたのか記憶にないが、とにかくこういうことをされるのは毎回私だけで母は弟には一切そういう怒り方をしなかった。
弟の方が外出先でも一人で勝手にウロウロして居なくなってみんなで探し回ったりなど迷惑行為ばかりしていた印象が強い。
私はというと、ショッピングモールなど大きな店舗などで親が私を置いていつの間にか居なくなった時によく近くの大人に言って店内放送で親を呼び出してもらう事が何度もあった。
弟の場合は逆で親や私も必死で探させられる事が多かった。
あの頃から完全に兄弟間で不平等だと感じていて母に抗議していたが、母は「あんたら平等にしてる」の一点張りだった。
この頃から私は母は私が女だから嫌ってていじめてくるんだと、女のドロドロした怨念や嫉妬みたいなものを感じるようになりだした。

*(このエピソードは、母に直接されて嫌だった内容ではないですが、以前どこかで、幼少期の喘息や肺炎系の疾患は母親の問題が原因の事が多いという情報を知ったので一応加えてみました)
4歳の時私は肺炎で緊急入院した。
自分の記憶ではそのきっかけなどは覚えていないが、入院する前から夜になると息が吸えなくて凄く苦しくて上半身を起こした体勢になって堪えていてあまり寝れなかった日々が多かったのを覚えている。
大人になってから聞いた母の話では、その日、私は風邪気味だったが、上記のHちゃんの母親から近所の小学校の運動会を観に誘われ嫌々付き合ったらしい。
その夜私の風邪が悪化したのか様子が急変し近所の町医者に電話すると医大病院に先生が連絡してくれたらしく夜間救急搬送窓口へ親に連れて行かれたようだ。
そこで憶えているのは、病院に着くと緑白いライトに照らされた病院内で赤い聴診器をした若い女の先生がすぐ私を診察してくれて、次に白い霧みたいな煙が充満した透明のプラスチックのボックスに繋がってる管からその煙をいっぱい吸ってと言われ、言う通りにすると呼吸が少し楽になった。
そのまま個室に入院になった。
その夜からずっと点滴や鼻に変な管を装着されたりをされ続け1ヶ月程入院していた。
5歳児以下は親同伴という事らしく、母はその夜からまさか入院と思ってなかったらしく用意も何もしてなかったから初日は個室病棟の床で寝るハメになったと言っていた。
この時以降、退院後も喘息という形で常に慢性的に病院通いと薬漬けの日々が始まった。
因みに弟も喘息を発症して大人になってもまだたまになっているらしい。
父も子供の頃喘息だったらしく父の生みの親(父は幼い頃養子に出されていてとてもややこしい家庭環境)も喘息の吸入器を病院から貰っているというのを小学生の頃に見て、その薬を分けてもらったりなどしていた。
母は自分以外の3人が病弱なのを見て、自分はなった事ないからその苦しみが分からないといつも言っていてしょっちゅう馬鹿にされた。
特に私の方が病院に行く事が多かったのでいつも「あんたは普通の子じゃない、だいぶおかしい」と良く言われ、その頃から私は変なビジョンを持ちはじめた。
「自分の身体表面は他の人間と変わりない姿をしているが、自分の身体の中、内臓などは普通の人間の臓器と色も形も違ってて配置も全然違う多分エイリアンみたいにグロい感じになっていて、自分は一般的な人間じゃないんだろうな。いつか手術とかで解剖されたら自分がミュータントだとバレてしまうのかな?」
丁度映画やアニメで青い血などのビジョンを目にしていた影響もあったのかこのような考えを本気で小学生の頃まで思っていた。

*小学5年の夏頃、私は盲腸と診断された。
しかしその時、一旦薬で散らして再発するか経過観察という処置になった。
まさか自分が手術なんて、絶対したくない怖い!と思っていたので薬で治るならラッキーとか思っていた。
しかし、1月末の冬にやはり再発し、私は学校の保健室で物凄い大量の嘔吐をやらかしてしまい、翌日に手術する事になった。
盲腸が化膿して酷かったらしく手術は6時間以上かかっていたらしい。
部分麻酔で手術中も術後もひたすら地獄のような痛みに苦しんだ。
今の時点の自分の今世で経験した痛みワーストトップ3の中でも1位に輝くかもしれないくらい信じられないレベルのエグい激痛体験だった。
また病院も、当初親が相談した町医者の先生が勧めてくれた医大病院は遠方で見舞いに行きにくいからという理由でもう少し近場の別の病院に申し込んだらしくそこで手術となった。
そして退院後もどうやら通院が必要だったらしいが(後で聞かされた)知らずに全く通院なんてしなかったせいなのか、手術の跡がケロイドになって数年経ってもなかなか腫れが治らなくて学生時代はずっと恥ずかしくコンプレックスだった。(今は腫れこそはないがケロイド状にしっかり跡が残っていて辛い)
そして私が大人になってから母が言うには、当時、私が盲腸と診断された時、母の母(祖母)が癌の再発で入院し始めていた頃で、他府県の病院まで見舞いに行ったりする毎日でバタバタして忙しかったから私のことは後回しにしたかったと病院の先生に言うと、薬で経過観察という処置になったとの事だった。
祖母はその年の9月に亡くなった。
抗癌剤で自ら安楽死の道を選択した。
私の手術が予想外に長時間だった事や術後の先生の話や切除した私の化膿した盲腸を見せられた親は、私に対して「なんか悪かった」とか当時言っていたが、当時の私は状況など全く分かっていなかった。
私は自分のそんなグロい臓器も勿論見もしていない。
母は祖母が亡くなった後ストレスなのか数年間生理が止まって病院にも通ったとか話していたのでそのくらい大切な存在だったのだろうと思う。
私も当時祖母の死はとても悲しい事だった。
だが母の都合の話を聞くと、母の中で祖母と私とを天秤にかけると私は二の次の存在だったという証拠に思えてしまい、母からの純粋な愛情を感じられないと思った一つである。

*小学6年頃から、帰りが18時頃になってしまった時「不良!」と言われ家に鍵をかけられ閉め出されるようになった。
その時は、自転車で友達と隣の市へ映画を観に行った(田舎なので遠方に行かないと映画館などなかった)帰りでよりによって激しい雨に打たれて全身ずぶ濡れになっていた時とかだった。
友達の家ではそんな対応一切されないらしくとても羨ましかった。
とても地味で真面目な子供だったと当時も自己認識していて、これの一体どこが不良なのか?と凄く憤りを感じ反抗心が芽生え始めた頃だった。

*中学生になってからも、遊びに出かける際、行き先、誰と行くのか、何時に帰るのかなど凄くしつこく聞かれたりした。
そして外出先が他府県や電車を使うような場合は特に凄く機嫌が悪くなって嫌な顔をされた。そのくせ、母は「あたしは小学生の時にもう普通に兄弟だけで(母には兄がいる)大阪市内の電車乗って祖母の家などに行けるくらいしっかりしてた。あんたらは何も出来へんから子供だけで電車とかよう乗れへんやろ」などとよく見下すような事を言ってきた。
母の過干渉がとても重いのを振り切ってなんとか友達付き合いをしていた。
私が仲の良い友達と遊びに行く事で母は何故か機嫌が悪くなるので家に帰るのが怖かった。
そして自分が凄く悪い事をしているような気分にもなった。
そして次第に母の目を気にしてコソコソするような自分になっていた。
めちゃくちゃ地味で真面目な風貌で友達の家でただアニメを観たり漫画を描いたり図書館に行ったりなど地味な遊びしかしていない私より、もっと大人っぽくてオシャレな服装で他府県などに行ったり時間も気にせず自由に遊んでる同級生の女子達の親はどう思ってるんだ?といつも思っていた。
それに仲良かった女友達の家の親はこんなに厳しくうるさく言わないらしいという事も母に何度話しても、「心配しないそこの親は変すぎるからもうそういう子とは遊ぶな、縁を切れ」などと言われるだけだった。
この干渉は社会人になっても仕事や病院の通院系以外のプライベートの外出は私だけされ続けた。
干渉を辞めてほしい、もっと自由にさせてほしいと何度母に言っても、母は父(祖父)から過干渉に育てられたからそういう育て方をしてしまうと言う。
しかし、母の過干渉は弟には無く、私にだけしてこられるのが凄く嫌だったし上記の理由になっていないと感じていた。
弟に対しては学生の頃から母が私と同じように干渉している所をほぼ見た事がない。
この件に関しての理由は「あんたは女やからやろ!あの子は男やからや」とかそれだけらしいが、私は当時からこの回答にも納得いかなかった。
これについて先生に聞いてもらうと、一般的に母親は大抵男の子を可愛がるから男の子の方をもっと心配しそうなのに…と言われた。
そもそも家族内で親から女の子だからと特別大切な扱いをされた記憶がなかった。
むしろ女だからと嫉妬されて虐められてきたように感じていた。
なのにこういう時だけ女だから心配してるというようなセリフを言ってきて都合良すぎると感じていた。

*さらに10代後半以降は「あんたなんか風俗かどっかで働いたらええねん。夜型のあんたはそんな仕事しかないやろ」などと普通にさらっと言ってくる。
私は両親からこういうセリフを昔から何回もよく言われて育ってきた。
未だについ最近も母からLINEで言われた。
このセリフはまずそのような職業の方にも大変失礼な話だし、こういう事を子供に言う親はマジでどういう神経してるのか本当に意味が分からないと思ってしまう。
そういう道に進んでほしくないから逆に言うとしたら子供の為にはマジで逆応援にしかなっていない。
両親は昔から激しくドリームキラーだったが、自分の血の繋がった子に対してこのように明らかに言葉からも暴力、パワハラ、モラハラまでして精神を崩壊させてくるというのは一体何の為に自分の身内としてこの世に存在してるのだろうかと何度も考えたことがある。
確実に魂を磨く為の相手という風に捉える事以外思いつかない。
よくグレずに地味街道を貫けたと今の自分ある意味凄いなと思える。

*小学1年の時から仲良かった友達と中3の時また同じクラスになれてよく遊んでいた。
この友達から私は小学1年の時に自分達で漫画を描く楽しさに目覚めさせてもらい、それからずっと一緒に漫画を描いたり同人活動をしたりしていて当時大親友だと思っていた。
その友達の両親が中3の時に離婚して母親が仕事で毎日帰りが遅く、兄弟でお兄さんもいたらしいが何か事情があり同居していないようでいつも家に家族が誰も居ないのでその子の家に遊びに行きやすかったし、またウチにもよく来ていた。
ウチに来た際は夕方遅くまで居たし、その子の家に行った時も「夜ご飯ウチで食べて帰りよ」と誘ってくれたりして(その子は当時から料理も出来た)長居する事があった。
多分寂しかったんだと思う。
当時あの頃自分達は受験も控えていたり私の父も仕事を退職するなど色々あって、友達関係も親もとても情緒不安定に見えた。
受験勉強もあったけど、お互い漫画の事や恋愛の話など夢中になれる事がありすぎて時間が足りないくらいもっと一緒に遊んでいたいと思っていた。
しかし母が早く帰れと毎回とてもうるさかったし怖かったので渋々帰っていた。
その子がウチに来た際も母は鬱陶しそうで何で早く帰らさないのかと凄く責められた。
その子もだんだん私の母の状態を知って「あんたんとこ親うるさいもんな」と言われ(他の友達にも言われた)少しづつ友情の間に亀裂が入っていった。
そんな時、母から急に「あんな子とはもう二度と遊んだらあかん。縁切りなさい」などと言われた。
当時自分の記憶では、友達は母の前で“あんな子”と言われるような失礼な態度も変な態度もした事など一度もなかったし、見た目も不良系でもなく私と同じく地味で真面目な子だったのにも関わらず何が気に入らないのか?何故そんな風に友達付き合いの事まで口出ししたり一方的に指図してくるのか?母に対して信頼感が崩壊したし相当ムカついた。
当時こういう差別的なセリフを平気で言ってくる母に対して心底人間性を疑った。

*実家に居ると、家の事は全部母がやってて、私は大人になっても何一つ家事が出来ない情けない大人になっていた。
洗濯も母がやってて、私の部屋にベランダがあるので母が何かにつけて私の部屋に入ってくる回数が多くて、部屋の物はほぼ全てチェックされてるようで嫌だった。

*実家で暮らしてる時は、母の足音や扉の開け閉めの音などだけでも身体が常に反応して身構えてる自分がいた。
母の動きは常に俊敏だし部屋にも容赦なく急に入ってくるのであまり落ち着けないのもあったし、私はいつからか常に母の目を気にして本当の自分を押し殺して母に合わせるように暮らしていた事に今になって気付いた。
無意識にストレスも溜まっていて常にしんどい気分が慢性的になっていた。
そして母が眠りにつく深夜だけが唯一干渉なく自由を感じる事が出来て、学生の頃からつい夜型になっていたのはこれが原因なのかもしれない。

*実家にいる時は家で完全に一人になれる空間が風呂くらいしかなかったが、家族4人だから長風呂は出来なくて、最後に入りたくても洗濯に風呂の湯を活用するなどの機械的作業な兼ね合いで当時はどうも出来なかった。
すぐ出ないと母がしょっちゅう怒りに来た。
近所に完全にまる聞こえな馬鹿デカい怒鳴り声で名前を連呼され「早く出なさい!返事しなさい!」とヒステリックに叫ばれる。
風呂の扉も開けてくる。
学生の頃からそれが流石に嫌で風呂の鍵をかけると母は逆上して今度は風呂の鍵を持ってきてこじ開けられたりした。(外側から開けられる扉だった)
この時はマジでドン引きで母の事をより気持ち悪く感じだした時だった。

*母は私が十分大人になった今でも私のメイクや服、下着まで色々言ってくる。
20代の時はプライベートで出かける時だけ凄くコソコソ自分なりにオシャレしていた。
それでも出かける際に母に私の姿を見られると凄く嫌〜な顔でじとーっと見てこられて嫌だった。
派手とかふしだらなどと言いたげな感じだった。
「変な格好して行くねんなぁ」とか言われたこともあった。
逆に褒められて出かけた試しがない。
しかし自分の服装について世間一般的に見ても派手どころか十分地味で無難な格好だと自分では認識していた。
実家で暮らしてると洗濯も母がするので私の下着のサイズなどについてもいちいち言ってきて非常に嫌な気分だった。
なかなか自分らしく居られないのが息苦しかった。

*私が学校や仕事以外のプライベートで出かける時、私が家を出て道からふと家の方を見ると(家の周りは半分建物が無く見晴らしが良い立地になっている)母が窓から私をじとーっと見ている時があったりした。
とても気持ち悪いし今思うとホラーすぎる。

*母は私からすると美的センスが無いし趣味も悪いのに、急に勝手にセールで売ってた服などを私にと買ってくる事がよくあった。(父や弟にも買ってくるがせいぜい部屋着的なものなのであまり影響はないし彼らは服に無関心なので特に抵抗しない)
部屋着的な服なら別に着てたけど普通に外出用の服の時、私は非常に気を遣っていた。
私の趣味とはかけ離れたダサいのを絶対着たくないけど私の為を想って買ってきてくれる母の気持ちも大切にしたいとか思ってしまい汚れても良い仕事の時用などに着たりしていた。
小中学生くらいの頃はまだ親が買ってきて与えられたのを着るのは当たり前かとあまり好きではないデザインの服も仕方なく着ていたが、20代以降にもされるのが流石にしんどかった。
20代の時に逆に私が母に自分の独断で勝手に選んでTシャツを買って(一応年齢問わず無難に着れそうな物を選んだつもり)あげたら、母は「こんなんいらんわ。絶対着ない」とあっさり突っぱねられ、その後返品しに行った事があった。
そういう性格の母という事が身に染みて分かってきたので、今では前ほど気を遣わずはっきりと要らないものは要らない嫌なものは嫌と言えるようになってきた。

*父がゲーム好きで子供の頃から父と弟と私の3人でよくゲームを楽しんでいた。
母はそういう私達を見るといつも凄くイラついていて、「自分はゲームとか大嫌いだからorゲームのせいで勉強しないから」等の理由でゲーム機のコードをハサミで切られたり、夜にするとブレーカーを落とされたりしてしょっちゅう妨害された。
それでよく私と弟は母と喧嘩になったが完全に親に支配されていた。
そして毎回父が配線を修理して直して復活させていた。
今思うと母は自分が熱中できる趣味が無いから嫉妬してたのかもしれない。

*母はしょっちゅう自分の過去の話をしてきた。
その殆どが結婚する前までの話で、学生時代の事や恋愛経験も沢山してきたしイケメンとしか付き合ったことがないなどの自慢的な話だった。
他にも、父親(祖父)の干渉が酷かったが反抗してド派手に遊んで来たとか、親の車を勝手に乗って海に行きしなに事故って友達3人巻き添えで入院してすごい迷惑かけたりもした等、やりたい事をやってきたという。
そして決まって、「あたしに比べてあんたはえらい地味やな」と言ってくる。
地味と知ってて散々不良扱いしてきたのか、母の干渉がキツくて自分の本当にしたい事を自由に思い切った人生をなかなか経験できてないんだが…と毎回憤りを感じていた。
そして母は結婚してからの人生は主に経済面でとにかく地獄といつも愚痴ってきた。
祖父が自営業をしていたのもあったのか独身時代はお金に苦労していなかったらしい。
父と父の育ての母(祖母)の悪口をいつも私に話してきた。
父に対する愚痴は99%お金の事で、父が私が小学生の頃に一社目を退職し中3の頃に二社目を退職したりなど職が安定していなかったのにも関わらずパチンコ依存症で金遣いが荒いとの事で、その頃くらいから私の顔を見る度にお金が無い無いという話や残高などの話題しかしてこなかった。
因みにこのようなお金の話は弟には何故か全くしなかった。
まともに聞き相手になるようなキャラじゃなかったのもあるかもしれないが、私はもっと兄弟平等にそういうヘビーな話を割り振ってくれといつも言っていた。
おかげで私は母と同じような酷く倹約家のドケチ貧乏性人間になってしまったが、弟はお金に無頓着な感じに育ってしまっている。
母から聞かされ続けた話で、私の父は仕事をすぐ辞める根性も経済力も無い男でギャンブラーで金遣いが荒く家庭の事を考えないくせに亭主関白で世間体ばかり取り繕っている一番最低なタイプの人間だと、そんな風にずっと言い聞かされ続けた。
なので中学生頃から私にとって父はとても悪いケースの男性像になっていて、どんどん嫌悪感を感じ軽蔑するようになっていた。
こういう女性を不幸にするような男性とは絶対に関わらないようにとか思うようになっていた。
夫婦喧嘩してる時もよく私が母の味方に加わり援護すると、父は「お前まで俺をそんなに敵に仕立て上げるんか」と信じられないというような軽蔑の顔で見てきたりした。
(因みに母は今現在でも私に話してくる話題は父のお金面の愚痴)
そんな当時、祖父のお葬式かなんかの時に、父の遠い親戚の家であるお隣の奥さんが、母が私に父の愚痴を話していたりするのを見て、「あんた、hookちゃんにあんまり父親の事悪く言ったりしたらあかんで」と注意していた。
その当時奥さんは旦那さんを癌で亡くして数年後くらいだった。
私より10歳以上年上のお子さんが3人おられる家庭だった。
その奥さんの言葉が未だに私の中で印象深いものとして残っている。
私はその後も父の人間性をずっと否定し続け、やがて数少ない出会いの中で結婚に至る出会いがあった。
その人は職業も警察で固く安定していたし倹約家で自分と同じくケチなタイプだったので父とは正反対の自分が結婚するなら理想として求めていた条件の人だった。
結婚に対しては自由がなくなるなどネガティブなイメージしかなかったが、適齢期になった時の母からの顔を見る度に早く結婚して出ていけコールが嫌だったのと、実家を出たかったのと(一人暮らしも失敗経験があった)、職場も居心地が悪くなっていたりお金と身分証の為だけの仕事も辞めたかったし、近所や世間の目も気になったり、同級生達の結婚・出産情報を聞いたり見たりする度に焦らされていたのもあった。
それで6年ほど付き合っていたその人と結婚する事ができ、実家を離れられることができた。
しかし、式(簡単なフォト系の式)や全ての手続きを終えて同居が始まって3日目の夜にその相手から酷いDVを受けた。
きっかけはゴミの分別など些細な事で、急にキレられてまるでドラマや映画のシーンのようなとてつもなくバイオレンスな事をされた。
一通りされた後「顔だけはバレるから避けたった」「これでも軽くしかやってない」みたいな事を言ってきた。
それを聞いた時、ボロボロの頭の中で、衝動的にやったんじゃないのか、サイコパス、犯罪者かよ、と思った。
その後半年以上腕が上がらなかった。
一応薄っぺらいけど6年以上付き合いをしていたのに同居して3日目で人が変わったように豹変された事と、自分が今世で一番ダメージが大きい暴力を受けた事(幼少期から母や同級生の男子など暴力は何度かされてきていた)、などとにかくその時はパニックすぎて私はその時にこの人生で全てを失って一旦死んだような精神状態だった。
〈私の死体を家族が拾って車で運んでるような夢も見た事がある→その記事
この時の体験や思考その後の行動などここでは関係ないので省略しますが、要はこの時に母からの長年の洗脳が解けた。
ずっと最低だと嫌って蔑んでいた父とは反対で尊敬できる違うタイプの男性を選んだが、実態は遥かに劣悪で犯罪者のような男性に出会ってしまいやっとそこで気付けた。
自分の父はそこまで悪い人じゃなかった、むしろ心優しい大人しいタイプの人間だったと。
またこの相手の気質が過干渉以外の部分はほぼ母と似ているという事も分かり、よけいに自分は性格や人格が父に似ていると感じられた。
父は、子供が生まれなかったら後継を貰えという先祖の遺言という理由で叔父の家庭に3歳の頃に養子に出されたらしい。
その叔父夫婦は父の産みの両親夫婦を嫌っていたらしく、父は育ての親から散々酷い虐待といじめを受け、社会人になっても給料をほぼ全て親に貢がされていたとか。
〈父の複雑な家庭事情などについて以前コチラに書きました〉
私は母からは暴力的な虐待を受けたが、そんな虐待を受け続けて育った父からは特別キツい怒られ方をした事が無いし暴力も受けた記憶がない。
よく虐待を受けて育った子は大人になると子供に虐待をして負の連鎖になるなど聞いた事があったがウチの父は違うのかもしれない。
父がキレてもせいぜい物を投げるくらい程度だった。
また父は元々口数が少なく自分の事もほとんど話さないが、人の悪口などもほぼ聞いた事がない。
父が虐待されてきたという話は全部父の周りにいた当時の父を知る人達が母に教えてくれたことらしい。
父の家系事情が複雑だった事実も結婚後に知らされたらしく、騙された的な事を母はよく愚痴っていた。
母は父の事を「本当の親からの愛情を受けてないからあんたら(子供達)に冷たい。無関心すぎる」などとよく言っていた。
だが私としては何故実の親なのに実の子にしかも幼児に対してそんな暴力を振るったり痛めつけたり弱いものイジメみたいな事が平気でできるのか?疑問に思う。
母から受けた事の方が未だに潜在意識に傷となって残っているのが感じられる。

*大人になっても未だにそもそも両親から褒められた事がなかった。
先述したように両親共々非常にドリームキラーで子供の頃から嫌味しか言われなかった。
年に数回の祖父母に会った際も子供達の悪口の話題が9割でそれもさらにオーバーに言うところも非常に嫌だったが、それでも祖父母はみんな私達孫には優しかった。
母は特にママ友達と接する時も基本子供の悪口しか言わない。
中にはいつも自分の子を褒めてて子供の事を自慢げに話してくる奥さんの事を、母は嫌いなのか悪人かのようによく私に愚痴ってきた。
母曰く、一般的に人前では基本的に謙遜したり謙って自分や身内の事を悪く言うくらいが社会での人間関係構築では好感的に思われる、それが普通で常識だと言いたいようだった。
そうだったとしても祖父母の前くらいはやめて欲しかった。
大人になってから客観的に考えてみると、人前でも堂々と自信を持って自分の子供の事を褒めてくれる親ってなんて良い親なんだろうと思ってしまう。
そういう親が羨ましいと感じる。
幼稚園頃からいくつか習い事をさせられていて、中でも書道は一年間に何枚も賞状をもらうので家には結構な賞状の束があった。
他にも学校でも絵などで賞を貰ったこともあった。
賞状以外にも賞でもらう景品のような物も結構あった。
そのような賞状などを貰った日、親に見せても「へー、よかったね。机にしまっときなさい」というかんじで興味無いようで特別褒められたりする事はなかった。
それどころか、母はよく私の友達や同級生の子を見ると私と比較してさらに罵倒してきた。
「みんな凄いしっかりしてハキハキしてやるのに、なんであんたはそんな声も小さいしトロくて鈍臭いし人見知りばっかりで何も出来へんの?」
このような事を高校生になってもまだ言われ続けていた。
思えば母は毎日のように常に誰かの愚痴や悪口を話していた。
家族、祖父母、親戚、近所の人、職場の人、芸能人etc、気に入らない人が多すぎたようだ。
ほんの少しの事でも母は他人を結構ジャッジしていたと思う。
例えば、近所の奥さんや同級生の子のお母さんの事でも、その人が普段からいつも服装やメイクをバッチリ整えておられる方だったりすると、それだけで母からすると悪印象だったらしい。
「子供もいる良い歳したただの主婦なのになんであんなに着飾る必要があるのか?やらしい」的な事を言っていた。
当時は、母が言う「あの人は悪い人、良い人」などという判断基準をまともに素直に信じてしまっており、無意識に私もそういう目でその人を見るようになっていた。
今思うとあれはただの母の個人的な主観で判断された好き嫌いからくるジャッジだっただけで、まんまと洗脳されていたと思える。
私個人の意見としては、ファッションのセンスもないし大人の女性としてあまり綺麗で上品とはいえない自分の母はまあ庶民的で気さくで良いという見方もあるかもしれないが、忙しい日常の中でも歳関係なくオシャレや美容を楽しんで女性性に磨きをかけていつも美しくされている方の方が尊敬できるしなんか好感を感じる。
女性が美しさを追求したり表現したりする事の何がダメなのだろうか?(男性だって自由)
美容やオシャレが趣味な場合それは個人の自由だしいくらでも自由に好きにやっていいのではないかと個人的に思う。

*母は自分の恋愛話をよくしてきた。
先述したように、母は恋愛経験が豊富だったらしく、恋愛経験がほぼ無い私には嫌味で自慢にしか聞こえなかった。
「中学の時もう彼氏いたし」とか「高校の時も(また別の彼氏に)毎朝車で送ってもらってた」とか「あんたの歳やったらもうあんた産んでたで」とか聞いてもいないのに色々昔話をしてこられた。
そして決まって「あんたはあたしと似てなくて凄い地味やな」と言われた。
こんな地味な自分でも幼い頃から好きな人くらいはいた。
ただ、母には友達の話はしても、自分の好きな人の話などは絶対言いたくないと思っていた。
ただでさえ干渉が鬱陶しいし人に対してジャッジも激しいので、さらにあーだこーだ言われたり聞かれたり監視されたりするのが想像できたので、子供の頃から大人になっても頑なに母には自分の恋愛話を打ち明けたことはなかった。
一番最初にそう思ったのは小学1年くらいの頃だった。
私が当時好きだったのは近所の同級生の男子だった。
近所には同級生の男子が数名いて、その子達の母親とウチの母はよく仲良くしていた。
この数名の男子達と私は保育園から小学4年まで偶然ずっと同じクラスだったし、通わされていた水泳や書道も一緒だった。
当時はその近所の男子達と遊んだり接する機会が多く、私はよくその男子達からイジメられたり揶揄われたり、暴力的なイジメをされることもあった。
そんな中、他の男子達を制して一人だけいつも私を助けてくれる男子がいた。
他の子供っぽい男子達と違うところや、堂々とまるで勇者のように自分を助けてくれるところ、ルックスも他の子と違いカッコいいと思っていて、私はその子の事を多分幼稚園の頃くらいから好きになっていた。
いつの間にか多分その子と私は両想いになっていたと思う。
小学1年くらいのある日、私が水泳スクールを休んだ日、水泳から帰宅した夕方にその男子が一人で私の家に突然訪問してきた事があった。
水泳で何かの賞の賞状を貰ったらしくそれを見せてきた。
その子が一人で自ら私の家に来る事自体が珍しい事だったのでその時私は少しびっくりしていた。
その時ウチの母も出てくると、その子の髪がびしゃびしゃに濡れている事に気付いたらしく、ウチに上げてドライヤーで髪を乾かしてあげていた。
母親に賞状を見せたのか?など母が訊くと、どうやらまだ自宅には帰ってないとの事だった。
その子の家は水泳スクールのバス停の位置から私の家より少し近い位置に建っているのに変だなとその時は思っていた。
そして気付くとウチの母とその子だけで色々話をしてて、私はその男子とほとんど何も話せずただその様子をボーッと見ているだけで、髪が乾くとすぐ帰っていったので、彼は一体何しに来たんだろう?とか思っていた。
大人になってから振り返ると、あれは多分真っ先に自分が貰った賞状を私に見せたかったという事かな?などと自分の都合いい解釈で考えるとキュンとした。
母が、私が好きな男子の髪を乾かしながら親しげに話してる様子を見たあの時、コミュ力の高い母には敵わない、というか口も軽い母にまさかあの子が好きだなんて事などは絶対バレたくないと強く感じた瞬間だった。

描きかけボツエッセイ漫画再び、上記のシーンが出てくる部分(名前は仮名)⇩

母親の呪縛、親子のカルマは相当根深くしんどい事を痛感した ©hook
わたしの中にいる天使と悪魔04 ©2019 hook 

母親の呪縛、親子のカルマは相当根深くしんどい事を痛感した ©hook
わたしの中にいる天使と悪魔05 ©2019 hook 

母親の呪縛、親子のカルマは相当根深くしんどい事を痛感した ©hook
わたしの中にいる天使と悪魔06 ©2019 hook 

非常にとんでもなく見にくくてすいません~_~;

*母が未だによく言ってくるのは、「あたしの遺伝子を持ってあたしのお腹から産まれたんやからあたしと同じ性格の人間が産まれてくるもんと思ってた」と。
この考え方や決めつけの思考はとても苦しかった。
母の理論でいくとそれってクローンや人形のように考えてるという風に思えるし凄く気持ち悪い。
先述したように母と私の人格は正反対のように異なっている。
私は個人的に子供の頃から一人の人格の人間として尊重してほしいと思っていた。
私だけ多分一般的な人とは違って変なのかもしれないが、私は子供の頃から人間の赤ちゃんを見ても可愛いとかあまり思った事がない。
動物の赤ちゃんだと物凄く可愛く感じるのに、人間の場合、姿が赤ちゃんだとしても私には一人の人という風にしか見えなかった。
むしろ赤ちゃんの方がどんな大人よりももっと厳かで尊厳な、自分なんかが気軽に近づけないようなそんな偉大な存在のような雰囲気を感じていた。
みんな大抵赤ちゃんを見ると可愛い〜とか言って気軽に抱っこしたり触ったりしているのを見てきたが、私はみんなのようにはなかなかそういう風には出来なかった。


母親の良いと思うところ・尊敬するところ


悪い面が思い浮かびすぎたので良い面も探してみた。

*家族の中で唯一、わりとスピリチュアルな話をしても理解してくれる。
母は学生時代にUFOや動物霊に憑かれた同級生のビフォーアフターを見たりなど意外とオカルト体験をしてきたらしい。
だから見えない世界の事も信じているようだった。

*添加物やワクチンの話も理解してくれた。
これは頼もしかった。

*優柔不断で他人軸で生きてきた自分が、人生の中で酷く迷っていたり躊躇っている時などに決定的な一言を言ってくれて後押しになった事もあった。
例えば、酷いブラック企業で働いてて仕事も好きではなく物凄く辞めたいけど職場の事を考えるとどう切り出せば良いのか分からなくて疲弊していた時など。

*他人に言いにくい事を代弁してくれた事がある。
22歳くらいの頃、嫌々ながら免許を取って周りの意見に流されて折角貯めた貴重な貯金からなんとなく新車を買ってしまったが運転がどうも好きになれず、偶然免許取り立ての友達から連絡が来て車を貸したら事故られて車を修理に出すことになった際に、貸した方と事故った方どちらが悪いかという感じで友達とギクシャクし、お金の面で言い難い事を母が相手の母親に電話で話したりしてくれた。
結果は相手の母親の意見で折半という形に決まり、その友達とはそこで縁が切れてしまった。

*父よりフットワークが軽くすぐ対応してくれるし人間関係や生活の事など父より圧倒的になんでも話しやすいし、融通が効く。

*めちゃくちゃグロい虫(Gとか)も即撃してくれる。私は虫類に対する耐性無さすぎてとても生きにくい状態だが(実家は田舎なのでいろいろ虫が多い)、母は都会育ちだが特にGには慣れてるらしく勇敢に立ち向かって必ず仕留めてくれるのでそういうところは物凄く頼もしい。

*職種経験が多いところ。
銀行員、歯科衛生士、工場作業、介護福祉士など正社員・バイト・派遣、多種多様に経験している。
派遣で救急総合病院のオペ室内での勤務やまた資格を取得して介護の仕事をするなど私は絶対出来そうにない仕事もなかなか面白いと言ったりする母のバイタリティには感心させられた。


産んで育ててくれた事にも勿論感謝の気持ちもあり、それにプラスしてピックアップしてみたが、うーん、改めて文字化してみると、悪い面に対して良い面や尊敬面が圧倒的に少ないな…(-。-;

母親との関係の質問に対しての先生の回答


  1. 先生が言うには、母の前世の女性は私の前世の男性と時代的におそらく結婚していたとの事で、多分結婚前は仲が良かったようだが、子供が出来てからなのか何かがあったのかその辺は分からないが何かのきっかけで、母の前世の女性は私の前世の男性の事を信じられなくなって、そこから憎しみと怨みと執着心の塊みたいな感じでストーカーみたいになっていったらしい。証拠として、私の前世の男性が職場か何処か?にいる時も他の人が「おーい、またお前んとこの嫁来てるぞ…」みたいな声が聞こえてくるとのこと。かなり付き纏われていたという事らしい。さらに、物を投げたりなど暴力も振るったりしてくる人だったとの事。これを聞いて納得できた。私の前世の魂は凄くウザいと思いながらそのままの関係性でお互い死んだのだろう…。
  2. この件については、煩わしい肩の痛みをとにかくもうそろそろ根本解決したいという私の熱意が伝わったのか、なんと先生がお祓いをしてくださった。凄い!お祓い自体も初体験だった。当日2時間ほどしか睡眠がとれてなくて不調だったのと天気も生憎の雨というのも重なり前日夜からじわじわまた肩や頭が左だけ痛くなっていたのに、お祓いを受けた瞬間から本当にパッと痛みや不調が消えて感動した。しかも肩もかなり凝ってたみたいで、なんと右肩も凝ってたらしい。右側は今まで痛くなったり凝りを感じた事がなかったと言うと、自覚症状が無いのが一番ヤバいとの事だった。右側の凝りに気づけないくらい左が重症すぎたという事なのだろうか…。しかしやはりお祓いは一過性のものと聞いたことがあったので、やはり母との関係を自分で変えない限りまた憑かれるし痛くなるとの事。先生が教えてくださったのは、私の肩の痛みは、母の生き霊というのもあるが、私自身が母に対して恨み辛み悲しみ怒りなど今までのネガティヴな感情や気持ちが溜まりに溜まって凝り固まって痛みの元凶を作ってしまっているという事だった。やはり全ては自分の思考次第という事を思い知らされた。対照方法としては、最初先生は、最悪親子でも縁を切るというのも全然ありだと言われていた。しかし私自身も未だになんだかんだ言って母親に頼っている(車の運転が必要な時とか、依存してしまってる)部分もあったりするし別に家族仲が悪いわけでもないという事や私が思う解決にベストかなと思っている経済的自立が必要かなと思ってる事などを話すと、最終的にまとまった調和的な解決方法は、母と適度な距離を取って、なるべく依存しないように自分自身がしっかり自立する事。そして肩が痛くなったとしても、また母が心配してくれてるんだなとポジティブな風に捉えるようにする事。自分で肩をパッパッと手で祓う事でお祓いもできるとも教えてくださった。やはり全ては自分が創っているという事が身にしみて分かる。
  3. YES。もうカルマすぎて腐れ縁の仲になってるらしい。完全に腐ってるから早く終わらせた方が良いらしい。
  4. 勿論、カルマが残ってると、幽霊として憑かれる事になるらしい。今と変わらず痛みや苦しさが続くらしい。絶対嫌だT_T
  5. これは時間的に訊けなかった。だが個人的に推測するに、多分カルマが残ってる限りあの世でも同じような関係性が続行され私の魂はひたすら苦しみそうだなと感じる。
  6. 同じく時間的に訊けなかった。これも個人的妄想だが、もし私が男だった場合それこそとんでもない犯罪的なことにもなりかねないかもしれないとヤベー想像をしてしまった。それがさらにカルマを作ってしまうことにもなりかねないので、わざわざこの宇宙的革命の時代を選んでカルマ解消に生まれ変わるには母と同性として、さらにこういう人格として生まれるのが最善だったのかもとも思える。
  7. こういう事は多分言ってもあまり意味ないし、無意識領域のものだから本人には分からないと思うし、言ったからといって何か変わる事も無いだろう的な風に言われていた。私もそう思いながら一応訊いてみた。だが、今後また母から連絡があった時など何か話さないといけない機会があった際に、世間話のネタ的な感じでポロッとこの事を話してしまうかもしれない。なかなか面白い話だと思うからだ。母や家族がこれを聞いてどういう反応をするのか見てみたい気もする。多分頭おかしいとかキモいとか言われるだけだろうけど。
  8. これも時間的に訊けなかったが、この記事を書いた事で色々思考や感情などが整理されて自分の中で答えがはっきり分かった。私と母は基本的に正反対なタイプなので一緒に暮らすのはおそらく私にとってはストレスになりそうだ。

前世を視てもらって気付いたこと・知ったこと


大人になってから自分の親の事や自分がどのように育ったかなどの話を客観的に第三者の人に聞いてもらう事などなかなか無かったので、今回初めてこのような機会を得られて凄く大きな気づきや人生の軌道修正を感じられた。

そして自分の育った状況をこのように文字化したりして客観的に見ると、改めてやはり自分は毒親の元で育ったんだなと感じた。

それだけカルマの関係だったという事か。

カルマの関係ってこういう苦しく辛い人間関係の事なんだという事もよく分かった。

今回初めて知れたことは、
前世の魂の人格や性質と今世の人格や性質が、たとえ性別など違っていたとしても前世の特徴がほぼ引き継がれているのか、今世のキャラと中身はほぼ同じに思えたこと。

魂のリアルな本質みたいなものを間近で感じれた気がした。

また、自分がなんと前世は男だったという驚愕の事実…

だがこの件に関してはショックだが自分自身なんか納得できるところがある。

幼い頃からなんとなく自分の中に妙に冷静なお爺さん?博士?みたいな人物の男性性を感じていた。

物凄く書物が並んでいる部屋などに籠っている気難しそうな欧米系の老人みたいなビジョンイメージを子供の頃に感じた記憶があった。

最近、数秘術で過去生の数秘を知ると、“7”だった(7は狭く深く追求系を表すらしい)ので、自分が昔感じたビジョンとなんとなく合っている気もする。

今回気付けたことは、
小さい頃からずっと、なんとなく女性や女子全体に対して、初対面の人やあまり親しくない知らない人は特に、どうせみんな裏表があるんだろうというネガティブな先入観を感じていた。

表では愛想良くしていたり優しくても裏では私の事嫌ってたり、何コイツとか思われてるんだろうな、などと悲観的に思ってしまう悪い癖みたいなのがあった。

また男子や友達から暴力を受ける事も多かった。

こういうのももしかすると幼少期に母親から受けた傷が潜在意識に入ってしまった影響なのかもしれないと思えた。

子供が嫌いな原因、アダルトチルドレンの自分


この前世を視てもらって、自分の親や子供時代を振り返ったりしたその日に、YouTubeの毒親関係の動画のコメント欄からとある方の動画を発見した。

橋本翔太さんという方のコチラの動画⇩

コメント欄にあった通りめちゃくちゃ分かりやすく語ってくれていて、心の奥底の核心を突かれて泣きながら物凄く納得できた。

他にも子供時代に不運だった人の為になりそうな良い動画がありそうだった。

私が小学1の頃くらいに、同級生の女子の友達でその歳ですでにもう「早く子供が欲しい、赤ちゃんが好き」とか言っている子がいた。

私は当時全く共感できなかったが、もう少し大人になれば自分もそんな風に思えるものかな?などと思っていたが、その後何歳になろうと子供が欲しい、産みたいなどと一度も思ったことが無かった。

むしろ産む行為は怖いし育てるのも大変そうとしか思えなかったし赤ちゃんも全然可愛いとか思えなかった。

今まで自分の周りで私のような意見の女性を見たり聞いたことが無かったので、やはり女性という性なら本能で子供を愛しいと思える生き物なのだろう、なのに自分は全く思えないとは完全に女性としてはイレギュラーで母性のない冷酷な形だけのヤバい女性なのかもしれないと思っていた。

そして、母もよく「本当は子供なんか大っ嫌いやけどあんたらは自分の子やからまあ可愛いと思ってる」みたいな事を言っていた。

母のその意見は母の私に対する態度などで本音だろうなと痛いほど実感できた。

さらに母が言うには、祖母も子供が嫌いな方だったが自分の子だから育ててたとの事だった。

霊能者の先生に母にされた事などを話すと、「お母さんは自分の事大っ嫌いなのよ。きっとお母さん自身も子供の時あまりまともに育ってないと思う」と言われた。

確かに、母はよく話していたのは、母の母(祖母)が酷い癲癇の持病を持っていたり身体も病弱でよく急に倒れるので、祖母の面倒を見ろと父親(祖父)に言われて物心ついた頃から祖母に常に付きっきりだったなどと言っていた。

橋本さんの動画を観て、母ももしかしたら子供時代に満足いくまで子供らしく居られなかった経験をしているのかもしれないと感じた。

だから私と同じようにあまり子供が好きじゃないのかもしれない。

また、私は反面まるで小さな子供のように、大人になっても一人でわりと遠方の他府県に旅行に行ったり一人で飲食店に入ってご飯を食べたりお茶したりなどが出来ないところがある。

とても勇気がいるし、全くリラックスできない、落ち着かない。

そして、なんと社交的なはずの母もこれに関しては同じ意見だった。

子供が嫌いなくせに大人に成長できていない自分もいる…。

なんと情けないことか…。

動画でも言われていたように、私は子供が苦手、どちらかというと嫌いというよりは、大人の人でも子供みたいにわがままっぽい人だったり凄く感情的な人だったり、子供みたいに自由にはしゃぐ系の人が苦手だしイラッとする事が多かった。

学生の頃もそういう感情に素直に生きてる系のウェイウェイやってるタイプの人のノリが苦手に思っていた。

つい最近の出来事で、マンションのエレベーターに入った時に、サッと小さな男の子が乗ってきた事があった。

私はいつも通りイヤホンをしてて爆音で耳が塞がれていたので、慌てて音量を下げてその子に「何階ですか?」と訊いた。

するとその子は、「5階お願いします」と言い、扉が閉まりかけて、あれ、親はいないのかな?一人で良かったのかな?とか一瞬思ってると、私は何も訊いてないのに「今パパが車を停めてるので僕だけ先に行って大丈夫です」とか言ってきて、私は「あ、はい」みたいな感じでぼけーっとしてたら扉が閉まりエレベーターが動き出した。

そしてまた、私は何も訊いてないのにその子は「僕は、今5歳の子供です」とか言ってきて、私は咄嗟に「あ、どうも…よろしくお願いします」とか言った。

そして私は4階で降りた。

その後その子のセリフに物凄く違和感を感じていた。

とてもしっかりしてて礼儀正しく社交的で大人っぽい子だなと思ったし、ああ、これが今よくスピ界で言われているレインボーチルドレンていう子なのかな?!みたいにも思ったが、いや、それだけじゃなかった。

自分で自分の事を“子供”と言っているところ、ん?普通自分からそんな事言うかな?クレヨンしんちゃんは言ってたっけ?いや、なんかちょっと名探偵のコナン君みたいじゃない?だがコナン君は中身は高校生だぞ?だから大人だから客観的に自分を“子供”として意識できるのは当然だが、あれ、あの子凄くない?リアルに子供なのにもう自分を客観視できるの?!

みたいに思ったりした。

そして自分が5歳の頃の事を思い出したりすると、自分はその頃は当然物凄い人見知りしてたから、保育園の先生にもなかなか自分から話すのは勇気いったし、近所の大人やまして知らない大人なんてほぼ無視してたと思う。

でも、思えば、子供同士だとあまり思えないが、大人に対して接する時はかえって自分は子供だと自覚できてたかもしれない、からまあ普通にあるかもな…とか思った。

あの子はあれで自然なのかもしれないが、もしかして万が一昔の私のように、周りの大人に凄く気を遣って子供の無邪気な部分を封印してしまっているとしたら気の毒だなぁとか要らん心配をしてまった。

また、改めて気付いたのは、私はフランダースの犬ロミオの青い空などのアニメに昔から異常に心が惹かれて必ず号泣してしまう事についての謎も分かった気がした。

どちらも幼い子供が大人に虐待されたり虐められたりするシーンがあるからかもしれない。

他の子供とは違い不幸な環境にいてもそれでも健気に直向きに真面目に前向きに生きようとしてる。

そういうシーンが自分の潜在意識の傷に刺さって感情の癒しやデトックスが起きていたのかもしれない。

また、八日目の蝉という映画を観た時も何故か凄く泣けた。

母(偽の母親だが)と幼い女の子のシーンで何故かとても切なくなり号泣してしまったのは、今思うと、自分の子供の頃の母との記憶と重なり、もっと母から親としての愛情が欲しかったし純粋に甘えたかったという傷を抉られたからかもしれない。

母の事を可哀想と思ってしまう自分もいる。

だがそういう意識・感情は手放そうとしている。

そういうのがカルマを断ち切れない核にもなっているだろうし、人が可哀想か可哀想じゃないのか、幸せか不幸せかなんて本人しか分からない、他人が勝手に図って心配したり決めつけたりするものではないと思うからだ。

最後に


前回、左肩の痛みの原因を追求した記事で、私はをツインレイが原因説もあるかもしれないと考察していた。

だが現実は見事に違うらしい…_| ̄|○

でも、私はまだ希望を諦めずツインレイ説を夢見ようと思う。

それは、私の前世の恋愛関係はツインレイでは無かったという事は確かだという事が判明したからだ。

ただのエゴの恋愛、普通の一般的な条件付きの恋愛だったのだろう。

そして、やはり気になるのは、私が左肩が突然痛くなった時期、その時期に私はツインレイと感じる人に出会った。

母の前世の女性の魂が急に強烈に嫉妬や心配、束縛をしてきたのは、私が魂の片割れの相手と出会ったからなんじゃ?

などと妄想してしまう。

このような妄想癖の拗らせた人間は流石にヤバいだろうか…?

執着なのだろうか…?

しかし、今回の癒しフェア初日の日に、鍼灸師の方に鑑定してもらったブースで、私はまたツインレイの相手の名前を耳にし、目にすることがあった。

これをサインと思いたい。


今回私を霊視してくれた先生は、紫龍のり子先生という方です。



最後まで見てくださりどうもありがとうございました。

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