日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

亡父のカーディガン

タイトル、つまりは遺品。

父が亡くなって、もうすぐ19年。

忘れていることもあるけれど、「遺品整理」について。

父が亡くなった時、先輩が「楽しいことがあると、どうしていないのかなといつまでもさみしいものよ」と言った。

本当にそうだなと今でも思う。

では、いってみよう!

 

画像:手編みセーター、製作中、祖母から孫へ、張り切り具合が縄の本数に表れている

 

遺品整理*わが家の場合

 

はじめに:「遺品整理」で検索していただくと、まぁまぁな数の記事があります。よかったらどうぞ!

 

ざっくり言うと、「素早かった」

父が亡くなって間もなく、わが家は大きく様子を変えた。

私は会社勤めだったが仕事の一環として、わが家を半分リノベーションした。リフォームとの違いは壁や設備を解体して躯体までにしてから造り直したのだ。

父の闘病中に家の中の小さな不具合を器用な末弟がDIYで解消してくれてはいたが、葬儀の後上弟が「お母さんには間に合わせよう!」と言って帰っていった。

そのかけ声に私はこれからの暮らしを考えて、プランを練った。

当時、他の仕事も忙しく自宅にはりつくわけにはいかなかったが、私の考えていることをよくよく理解したヒトがいた、母だ。職人さん達に「監督」と呼ばれ、現場(わが家だけど)は着々と出来上がっていった。

気がつけば、父の衣類やゴルフ道具は工事に携わってくれた皆さんが引き継いでくれて、いつも座っていたソファーは処分されていた。母は工事を見守るだけでなく、父の遺品整理も進めていたのだ。

 

 

身近な遺品

 

眼鏡やカメラ、よく使っていた小物は今も残っている。

家の中と暮らしが落ち着きはじめた頃、母とまた父のモノを整理をした。

私が今使っているタンスは父が使っていたモノ。その引き出しの1つを処分しがたい、残しておきたいモノを収めた。

引き出しを開けるだけで見渡せる遺品たち。まだまだ、すぐ近くにいるような気がする。

 

 

じぃじの服、ない?

 

昨年末の上弟一家帰省時に、高校生の甥っ子が言った。

古着が大好きで、今はオシャレに興味津々。そこでサブタイトルの言葉。

父も服が大好きだった。私とどちらが多いかっていうくらい。

テーラーになりたかった」母に言ったことがあると後々に知った。

私の服装にもいつもチェックが入り、「それで出かけるのか?」「組み合わせが合ってない」など色々言われた。めんどくさかったが自分でも心当たりがあって、出かける前に着替えることも。父が選んだモノを着ていると他人様にほめられることもあって、父のファッションチェックも「しょうがないな」と思うようになっていた。

 

「もう、ないなぁ~」一応、「父引き出し」を開けてみた。

母の編んだカーディガンが1着。

「これならある~」と甥っ子に見せたところ、すぐに着た。手足が長く、まだまだ成長中で華奢な甥っ子と昭和一桁生まれの体型の違いは大きい。

なのに、なんだかよく似合っている。甥っ子は「もらっていい?」と。

「いいよぉ~~~」祖母である母がうれしそうに即答。

「だいじにしてね」私からはそんな言葉が出た。

 

 

空いた引き出し、遺品整理の終わり

 

甥っ子はマフラー(これは父が晩年に自分で編んだモノ、先生(母だけど)がいるので編物じじぃになっていた、端材を組み合わせるのが上手かった)も持って行った。

父が亡くなった後に生まれた甥っ子(父には2人目の孫)が、颯爽と父のカーディガンを着ている。器用にクルクルッと大ぶりなマフラーを巻く。

思いがけず2024年の終わりに、父のモノが減った。これも「遺品整理」なのだろうか。

上弟はまったく洋服に興味がなく(文句はある)、義妹もさほど。

会えてはいないけど、間違いなく父のDNAがあるかのよう。

もし父が元気でいたら、孫とファッション談義をしただろうか。一緒に古着屋さんへ出かけただろうか。先輩、19年経ってもさみしいです。

 

ばぁば(母だけど)の手編みを気に入った甥っ子。

父が亡くなって、欲しがるヒトがいなくなり編む機会も減っていた母がここのところ俄然張り切っている。せっせと孫(私には甥っ子)のために編んでいる。

ラインで細かなやりとりもしている様子。

こういう遺品の流れ、その後の暮らしに変化もあるんだなぁ。

 

父の遺品整理はこれにてお終いだけど、「思い出深いモノを少し残しておく」って悪くないと思った出来事。

 

(ま)

 

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まなみ

遺品、亡くなったヒトのモノ。モノはなくなっても、なくならない何かがあるよね。