メンタルケアと生命・医療倫理ー医療と宗教 | メンタルヘルス ~希望へ向かって~

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皆さん、こんにちは!

メンタルヘルスナビゲーターのK・HAMANOです。(*^^)v

今日は、メンタルケアと生命・医療倫理(松浦雄一郎:広島大学名誉教授)

Ⅱ.生命・医療倫理各論より、Ⅱ-8.医療と宗教について抜粋して掲載させていただきます。

 

医療の一つの発祥は、それが医療といえるかいえないかは別にして、お祈り、祈祷、お祓いといった宗教的要素が含まれていたが、教会などができてくると病者を教会に収容するなどのことも積極的に行われ、これが後の病院誕生に繋がったともいわれている。

 

一方、医科学を飛躍的に促進させる機動力ともいえる人体解剖などには西欧においても、わが国においても宗教上からも厳しい抑圧がなされたともいわれている。

 

宗教上の違いかと理解されるが、欧米諸国の病院内の廊下で牧師さんに出会うことになんら違和感を抱かないが、わが国では病院内の廊下で僧侶に会うことは滅多にない。

 

医療の絶対性、完全性を求めるのが患者さんやその家族の業ともいえるが、それはかなわぬことで、その対応の一助には宗教やメンタルケアの役割は大きいものといわなければならない。

 

しかし、わが国において、はたして生ある間、心の安らぎを得るにたる真の意味での宗教が、僧侶が機能しているか疑問を残るところである。古来からの我が国の宗教に、葬式宗教の前に生活宗教を期待したい。

 

 

 

宗教に帰依することが真の救いではなく、自己の智慧に依って苦しみを受容し、人それぞれの人生観という名の掲げた旗を見て、まずは自分自身が救済され、その感謝と自信から、人を癒したいという志が芽生えるものです。

当サイトのケアラーは、もともとは四苦八苦に悩みながら、それを克服して人の身体と心を癒すことを使命とされています。

現在、様々なお悩みを抱えておられる方は、ぜひ、当サイトも門戸を開いていただき、あなた様に合ったケアラーを選択し、「癒し」による魂の浄化と「智慧」に依る悩み御解決を図っていただきたいと思います。

 

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生活宗教として、人の正しい倫理観に則って、日本の仏教での教えを改めて見てみると「呼びかけられ、呼び覚まされつつ、この生老病死を生きる」という視点に立って、一つ目は「人間は我が悩みを解決するために生きている」ために、「神」に依る(悩みを神にすがる)・「人間の考え」に依る(悩みを忘れる)・智慧に依ることでこそ、それが悩みの解決が図られていると言えるのではないでしょうか。

例えば、仏教における「苦」についていうと、「一切は苦」で「四苦」(生苦・老苦・病苦・死苦)「八苦」(愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)で構成されていると言われており、これら悩みを、無くするのではなく、「智慧」による解決を図ることが求めらるのではないでしょうか。「悩み」は自分自身の人生の課題であり、「悩みを手だて」に悩み以上のものに出会う(悩みは、人生の深さに出会うための『みちしるべ』)ことと、悩みの「根」に共感する(私だけが悩んでいるのではない。根をたどれば、皆同じものを抱えている)ことが大切な智慧なのではないでしょうか。

 

メンタルヘルスナビゲーター

          K・HAMANO