確固たる自分。そういった自己に対する幻想。人間はそのようなひとつの統合された自分を期待する。人間とは、そういう生き物。
自己同一性。自分自身は過去も今も未来も、一貫した自分自身を持っている。そのような同一性を持つ自分を期待している。同一なのかどうかは分からないけど、そのように自ら言い聞かせ、記憶付けをし、それで安心した気分になる。
裏を返せば、自分自身が無根拠に自己同一な自分であると確信を持てないという事実がある。常に、自分自身がそういう人間なんだと言い聞かせてあげる事でそう思える自分がいる。
その意味では、統合されない、常に分散している自分がいるわけです。常に頼りなく、安定した自己とはかけ離れた自分がいるわけです。
そもそも、安定した確固たる自己なんて無いわけですから、そのように確固たる自分で生きていこうとする事自体は、無理な話であるわけです。
過去から未来に向かって、今という時点は、常に最前線を走る自分であり、今の先にある未来の自分は、常にどんな自分なのか、過去から延長線上の一貫した自分なのか、分からないわけです。
あくまで、確かなのか過去から今までの自分が辿ってきた軌跡であり、その先の軌跡はあくまで線は未定としての“点線”でしか表せず、いつその点線は過去からの軌道を反れるか分からないわけです。
また、予定された過去からの延長線上の点線の軌道の上を、このまま変わらず走り続けたいのかも分からないわけです。むしろ、違う線路に乗りたいのかもしれないし、新たな線路を敷きたいのかもしれません。
自己同一な自己は、常に暫定的で、振り返ってでしか確認するものでしかなく、常に今から先の未来は、その軌道を、あるいは、その線路の方向を潜在的に変えるのです。
そして、またある未来の時点で振り返って、その時点から自己同一な自分を自分とみなすわけです。常に自分は暫定的であるわけです。
むしろ、統合された自分はなく、常に分散しており、その意味で、自分自身は安定性に欠き、とは言え、同時に、常に安定な自分を望んでいるとも限らない、それが自分自身であるわけです。
いつでも、自分は変わっていく事を期待しているし、変わっていく事に備えようとしているし、常に、自己同一な自分を裏切る自分が、今まで走ってきた線路上の最前線にいるわけです。
あくまで、自分自身とは、暫定的。そして、結果としての自分。そして、潜在的に、常に変わっていく自分。安定した自己同一な自分を自ら裏切ろうとするのが自分。それが自分であるわけです。