「2004年4月、イラクで日本人3人が現地の武装勢力に人質として拘束される事件が起きてから20年がたった。拘束から9日目の4月15日に解放されたが、帰国後に待っていたのは、3人の「自己責任」を問う強烈なバッシングだった。3人の中で最年少だった今井紀明さん(38)は今、困窮する若者を支援する認定NPO法人「D×P(ディーピー)」(大阪市中央区)の代表を務める。今井さんは『自己責任という言葉が広く使われる社会がいいのでしょうか。この言葉にあらがってきた20年だった』と振り返る。」(2024/04/16毎日新聞)。
2004年4月8日の灌仏会の日、イラクでNGO活動をしていた日本人3人がISによって人質に捕られてしまった。ISの要求は日本政府派遣の<自衛隊撤退>、それが容れられない場合には3日後に人質全員を殺害するという脅迫だった。この時の日本政府の返答は<自衛隊の撤退拒否>であった。幸い、同月15日になってISは別の人質二人を取って上の3人を開放するとともに、何が有ったのかは分からないがその翌々17日には人質全員を解放して事なきを得たのであったが、あのとき拘束された三人のうちの中に高校生のような「子ども」がいたが、その彼が上の新聞記事の主人公だったということらしい。
あの時のお騒がせの少年が、今や社会活動家に成長し、孤立や困窮という問題を抱える全国各地の13歳から25歳までの若者1万3000余人の相談にSNSを通じて乗っているという。また、困窮している人々には、「レトルト食品や缶詰、飲み物など30食ほどを箱に詰めて月1、2回程度送り、これまでに計20万食を支援」したり、「困窮度が高い人には現金支援もしており、給付総額は7000万円に達した」という。
あの時、さかんに「自己責任論」をぶっていた日本人たち、その多くは中年男たちであったが、彼らは今どうしているだろうか? 2004年はもう不況構図になっていたとはいえ、「Japan as Number One」のバブル経済の余熱も無いわけでは無かったから、彼らは心無い声も発せられたのであろうが、いまやどうしていることだろう? 「因果応報」、まさか自分たちが「給付」を享ける身になってはいまいか?
上は、「情けは人の為ならず」を痛感させられる新聞記事であった。