カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
春宵や初稿とエシレバター缶 2番線春風運ぶバターの香 大蒜のたっぷりバターは罪作り はるかより愛の菓子待つ陽春や 春隣姉と甥とバター待つ 笊に土筆手鍋耀うバターの香 蓋かぶせアサリバターを黙らせる 入社式の朝バターナイフがない
2月27日のプレバト俳句。 お題は「バター」。 ![]() ◇ 三宅香帆。 春宵しゅんしょうや 初稿とエシレバター缶 字面からは、 初稿が完成した場面かと思えますが、 本人の説明によれば、 執筆中の息抜きにバター缶を開けてるらしい。 俳句の形は出来てるものの、 表現すべき内容と描写にズレがあるのでは? どちらかといえば、 春宵の執筆 エシレバター缶 のように書くべき場面じゃないかと思う。 前回の「置き土産」の句も、 特待生にふさわしいとまでは思えなかったし、 たった2回での昇格はやや不安含みです。 ----Blo-katsu AD---- ----Blo-katsu AD---- ◇ コットン西村。 2番線 春風運ぶバターの香 バターの香はこぶ春風 2番線(添削後) 中七の「春風運ぶ」は、 助詞「を」の省略か「が」の省略かが分かりにくい。 また、 上五に置くにせよ下五に置くにせよ、 季語のない「2番線」だけをワンカットにするのは、 二句一章の形式としてバランスが悪い。 一句一章で、 バタの香を呼ぶ春風の2番線 とも出来るし、 二句一章にするとしても、 春風や バターの香る2番線 と書くほうが形式上のバランスはとれる。 ◇ トラウデン直美。 はるかより愛の菓子待つ陽春や 陽春や ドイツの祖母の愛の菓子(添削後) 表現が抽象的すぎたね。 作者の話によれば、 上五の「はるかより」は、 時間的な意味じゃなくて空間的な意味。 中七の「愛の菓子」は、 バレンタインチョコじゃなくドイツの祖母のクッキー。 どちらも読み手には伝わりません。 かたや添削句のほうは、 動詞「待つ」を省いた結果、 日本にいるのかドイツにいるのか分からなくなってるし、 主観的な「愛」という形容を残したことで、 やっぱりバレンタインチョコかと勘違いさせます。 明瞭に描写すれば、 陽春にドイツの祖母の菓子を待つ のようになるはずです。 ◇ 小山慶一郎。 春隣 姉と甥とバター待つ 春隣 バターの溶けてゆく時間(添削後) なぜ字足らずなのかしら??? 意味としても、 《姉と甥と》でバターを待ってるのか、 《姉と甥とバター》を待ってるのか不明瞭だし、 まして、 《バターが溶けるのを待ってる》とは分からない。 添削句は「姉と甥」を切り捨てましたが、 姉と甥 バターの溶ける春隣 のように書けなくもありません。 ◇ 千原ジュニア。 笊ざるに土筆つくし 手鍋耀かがようバターの香 中七の「手鍋耀う」は、 助詞「に」の省略ではありえないので、 あくまで助詞「が」の省略なのだけど、 意味として考えると、 《手鍋に耀うバター》とか、 《手鍋を耀かせるバター》ならともかく、 《手鍋が耀うバター》ってのはちょっと変なのよね。 耀う主体が「手鍋」なら、 いったい「バター」は何なのか?って話。 嗅覚に焦点を当てるなら、 笊に土筆 手鍋にバター香り立つ 視覚に焦点を当てるなら、 笊に土筆 手鍋にバター耀けり どちらか一方で描写は足りると思います。 ◇ 梅沢富美男。 蓋かぶせアサリバターを黙らせる ここで蓋 アサリバターを黙らせよ(添削後) 性懲りもなくクサい擬人化! 添削句のほうは、 全体をセリフ形式に変えることで、 クサい擬人化を人物の滑稽描写に変えてます。 苦肉の策ではあるけれど、 擬人化を添削する際の有効な手法なのかもね。 ◇ 安藤和津。 大蒜にんにくのたっぷりバターは罪作り 罪作り バターに焦がす大蒜は(添削後) 下五の「罪作り」は、 客観的な描写じゃなく主観的な判断なので、 俳句に用いるべき語彙ではありません。 ただ、 これもセリフ形式の表現に変えれば、 大蒜のたっぷりバター 罪な奴 みたいな滑稽句には出来るかも。 なお、 助詞の「は」で終わる添削について、 先生は例のごとく「余韻が云々」と説明してましたが、 ただの倒置法だよね…(^^; ◇ 清水アナ。 入社式の朝 バターナイフがない これもセリフ形式で、 入社式の朝 バターナイフはどこ と書いたほうがいいのかもしれませんね。
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最終更新日
2025.03.03 22:15:23
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