佐々木先生の後をついて面談室に向かう。
ドアを開けると、執刀医の崎森先生が先に待っていた。
「三島さん、おかけください」
少し寒い。カーディガンを持ってくればよかったなと少し後悔する。面談室には大きなホワイトボードがある。何やら私にはわからない医学用語が書いてある。検索したい衝動にかられながら、私は椅子を引き寄せる。
向かい合わせのテーブルに2人の先生が並んで座る。崎森先生の左横にはパソコンのディスプレイがこちらを向いている。画面いっぱいに見えるのは私の肝臓のCT画像だろうか。
私は崎森先生と向かい合わせに座る。崎森先生はいつになく何か黙考している。

佐々木先生が口を開く。
「三島さん、痛みはどうですか」
「それが今回は劇的に痛くないです。医学の進歩を実感しています」
「そうですか、それは良かったです。今は強い痛み止めが解禁されてますからね」そう言いながら、崎森先生に目配せをする佐々木医師。
崎森先生がゆっくりとパソコンの画面をこちらに見せながら口を開く。
「三島さん、お疲れさまでした。今回は非常に大変なオペだったんですよ」
え、そうなん? 痛みが少なかったせいか、体感的には自分としてはそうは全く感じないけどな。
「手術も5回目ともなりますと、もう癒着が本当にすさまじくて、1ミリずつ切っては止血し、切っては止血しを繰り返し6時間続けました。患部に辿り着きさえすれば腫瘍切除に時間はかからないのですが…」
ああ、そうか、今回もなんだかんだとICUに来るまでに8時間はかかっていたっけと思い起こす。毎度のことだが、本当に頭が下がる想いだ。

「先生、本当にありがとうございました。お手数をおかけして、すみません」私は深く頭を下げる。
「いえいえ、それはいいんですよ、このくらいの癒着は我々は想定の上ですからね」
崎森先生が慌てた様子で私を制する。先生はただ説明しているだけなのにどこか「責められている」と感じてしまうのは私の卑屈さ故だ。

「今回、全部摘り切れたんでしょうか」
パソコンの画面を見ながら私は問う。
「それがですね、肝臓と腸をつないでいる門脈という大切な血管がありましてね」崎森先生がペンで指差す先には、何やら真っ白になっているところが一部映っている。
「ここですね。ここに転移しているものを摘出することがどうしてもできませんでした」
「え、なぜですか」反射的に質問してしまう私。
「門脈は、おいそれとは切れないのです。この血管を損傷してしまった後のリスクは、とても大きくてですね、腸も働かなくなりますし、血栓ができれば心臓も止まってしまいます」
まあ、それは大変。面倒くさいところに転移しちゃったのね…
「なので、ここはそのままにして閉じてしまいました」
えっ、じゃあ、今後、ソレはどうなるの。私は一気に狼狽する。
「今後は、手術以外の方法で門脈にへばりついているこの腫瘍をなんとかしなければならないですね」

えっ、ついに来たか。
『切れるからラッキー』
この言葉を心の拠り所にしていた私に、この宣告はショックだ。
「先生、リスクを承知でなんとかコレ、切除していただくことはできませんか」普段はおちゃらけてる私だが、真剣に希う。

「この部分は難しいんです…」佐々木先生がそれを受ける。
「私、抗がん剤は、」使いたくありません、と言いかけて止める。
それを今言ってどうなるというのだ。
それにしてもオペが終わったばかりなのに、残ったものがあるなんてなんてことだろう。

褐色細胞腫の抗がん剤治療は『CVD療法』と呼ばれるものだ。3種の抗がん剤を組み合わせて3~4クールで投与する。さすがにこの頃は同病の治療経験談もたくさん目にできたし、当然、抗がん剤投与経験者の声も耳に届くようになっていた。後で相談してみようかとひっそり考える。

佐々木先生が沈鬱な空気を変えるように明るい声で言う。
「まあ、でもまだオペ直後ですし、今後の肝臓の状態を見てから決めても遅くないでしょう。幸い三島さんはカテコラミンの値が低く、血圧も上昇していませんし体調も良いようですから、しばらくこのまま体力の回復を優先していきましょうか」
崎森先生も続いて、しかと顔を上げて大きく頷く。

5日後、私は退院し、翌日には仕事を再開した。
寝込んだら負け。当時の私は本気でそう思っていたし、何事もなかったかのように振舞えるうちはそうしないと「病人」になってしまいそうでとても怖かった。生徒たちにはもちろん、保護者にも私がこんな稀少病にかかっていることは一切知らせていない。入院した理由も「メンテナンス」とか適当なことを言ってごまかしていた。

それにしても、遂に抗がん剤か…
褐色細胞腫友の会のメンバーにCVD治療経験者がいるので、経過を訊いてみる。でも、本当に副作用は個人差が大きく、また、効果も人によって違っていた。どうするべきか私はずっと考えあぐねていた。

だがその後、何度か検査に通ったが、門脈にできた腫瘍はそれ以上増大することはなかった。さらに何度検査しても、他に転移は見られなかった。そして何より、全くの無症状である。私には痛いところも苦しいところもなく、健康体の人となにひとつ変わらない生活ができていた。

「もしかして、このままイケるかも」
佐々木先生も、私も、そう願いながら日々を過ごしていた矢先だった。
私はまた別の悪性疾患が見つかった。
10年以上も患っていた皮膚の乾燥とかゆみと若干の赤み。それがある日突然増え、痛み出したのだ。町医者に行くと「すぐに大きな病院に行ってください」と紹介状を書かれた。

それは、皮膚由来の悪性リンパ腫だった。

第1回「冬でもノースリーブ
前回 「小さなつづら」



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