人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 8 | 中杉弘の人間の探求

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464 ※生まれるたびに仏に値いたてまつりて、何回生まれても速やかに仏道を成就します。 一番大事なことは、不軽菩薩の精神です。これを骨身に染みなさい。折伏も不軽菩薩の精神です。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 8


 「其の罪畢(お)え已って 命終の時に臨んで」
 
其の罪畢(お)え已って、命終の時に臨んで
 「此の経を聞くことを得て 六根清浄なり」
 此の経を聞くことを得て、六根清浄なり
 「神通力の故に 寿命を増益して」
 神通力の故に、寿命を増益して
 「復諸人の為に 広く是の経を説く」
 復諸人の為に、広く是の経を説く
 「諸の著法(じゃくほう)の衆 皆菩薩の」
 諸の著法(じゃくほう)の衆、皆菩薩の
 「教化成就して 仏道に住せしむることを蒙(こうむ)る」
 教化成就して、仏道に住せしむることを蒙(こうむ)る
 「不軽命終して 無数の仏に値いたてまつる」
 この不軽菩薩は、命が終わって無数の仏に供養することができたのです。
 「是の経を説くが故に 無量の福を得」

この経を説く人は、無量の福を得たのです。
 「漸(ようや)く功徳を具して 疾く仏道を成ず」
 漸(ようや)く功徳を具して、疾く仏道を成ず
 「彼の時の不軽は 則ち我が身是れなり」
 彼の時の不軽菩薩は、則ち我が身是れなり。

その時の不軽菩薩は、仏様から言うと「それは、私ですよ」ということです。貴方ではありません。それは、私なのです。
 「時の四部の衆の 著法(じゃくほう)の者の」
 時の四部の衆の、著法(じゃくほう)の者の
 「不軽の 汝(なんじ)当(まさ)に作仏すべしと言うを聞きしは」
 不軽菩薩の、汝(なんじ)当(まさ)に作仏すべしと言うを聞きしは
 「是の因縁を以って 無数の仏に値いたてまつる」
 是の因縁を以って、無数の仏に値いたてまつる
 「此の会の菩薩 五百の衆」
 此の会の菩薩、五百の衆
 「並及に四部 清信士女(しょうしんじにょ)の」
 並及に四部、
清浄な信仰をもつ在家の男女
 「今我が前に於いて 法を聴く者是れなり」
 今我が前に於いて、法を聴く者是れなり
 「我前世に於いて 是の諸人を勧めて」
 我前世に於いて、是の諸人を勧めて
 「斯の経の 第一の法を聴受せしめ」
 斯の経の、第一の法を聴受せしめ
 「開示して人を教え 涅槃に住せしめ」
 開示して人を教え 涅槃に住せしめ
 「世世(せせ)に 是の如き経典を受持しき」
 世世(せせ)に、是の如き経典を受持しき
 「億億万劫より 不可議に至って」
 億億万劫より、不可議に至って
 「時に乃し 是の法華経を聞くことを得」
 時に乃し、是の法華経を聞くことを得
 「億億万劫より 不可議に至(いた)って」
 億億万劫より、不可議に至(いた)って
 「諸仏世尊 時に是の経を説きたもう」
 諸仏世尊、時に是の経を説きたもう
 「是の故に行者 仏の滅後に於いて」
 是の故に行者、仏の滅後に於いて
 「是の如き経を聞いて 疑惑を生ずること勿(なか)れ」
 是の如き経を聞いて、疑惑を生ずること勿(なか)れ
 「応当(まさ)に一心に 広く此の経を説くべし」
 応当(まさ)に一心に、広く此の経を説くべし。

不軽菩薩の精神を持って、広く法華経を説いていくのです。
 「世世(せせ)に仏に値いたてまつりて 疾(と)く仏道を成ぜん」

生まれるたびに仏に値いたてまつりて、何回生まれても速やかに仏道を成就します。

一番大事なことは、不軽菩薩の精神です。これを骨身に染みなさい。折伏も不軽菩薩の精神です。

今、貴方は気が付かないけれども、本当は仏です。「俺が仏だと?」と思うのです。不軽菩薩は、「そうです、貴方は仏です」と言うのです。相手に疑惑が生じても説くのです。

それを説いている不軽菩薩は、お釈迦様と合体して、長い間、法を説くことができるようになるのです。それが終わると次の寿命も、とんでもなく長いのです。長い間、仏として説法ができるのです。

そのようなことをやっている間に、貴方もいつの間にか釈尊になってしまうのです。不軽菩薩が、釈尊になってしまうということは、不思議ではありません。それは、「不軽菩薩」という名において、釈尊がやっていることです。

「無量義は一法より生じる」ですから、その一法とは、釈尊です。そのような話です。生命とは、とんでもないくらい長い単位です。生まれてくるたびに、「世世(せせ)番番に成道を唱えて」(当体義抄)、仏様に会うことができて、供養することができるのです。

そして、貴方も衆生に向かって法を説くことができるのです。どのような法を説くのでしょうか? これが不軽菩薩の精神です。全ての生命は、仏様の子供です。衆生は、それがわからなくなってしまったのです。

豚や、牛や、馬に生まれると言葉が通じません。ライオンや熊のような猛獣に生まれても、言葉は通じません。それらの動物も、生命の現れたものですから、命そのものは仏です。全て同根です。命あるものは、全て同根です。そのようなことです。不軽菩薩の精神を学んでいきましょう。

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

其の罪畢(お)え已って 命終の時に臨んで

此の経を聞くことを得て 六根清浄なり

神通力の故に 寿命を増益して

復諸人の為に 広く是の経を説く
諸の著法(じゃくほう)の衆 皆菩薩の

教化成就して 仏道に住せしむることを蒙(こうむ)る
不軽命終して 無数の仏に値いたてまつる

是の経を説くが故に 無量の福を得

漸(ようや)く功徳を具して 疾く仏道を成ず

彼の時の不軽は 則ち我が身是れなり

時の四部の衆の 著法(じゃくほう)の者の

不軽の 汝(なんじ)当(まさ)に作仏すべしと言うを聞きしは

是の因縁を以って 無数の仏に値いたてまつる
此の会の菩薩 五百の衆

並及に四部 清信士女(しょうしんじにょ)の

今我が前に於いて 法を聴く者是れなり
我前世に於いて 是の諸人を勧めて
斯の経の 第一の法を聴受せしめ

開示して人を教え 涅槃に住せしめ

世世(せせ)に 是の如き経典を受持しき
億億万劫より 不可議に至って
時に乃し 是の法華経を聞くことを得

億億万劫より 不可議に至(いた)って

諸仏世尊 時に是の経を説きたもう

是の故に行者 仏の滅後に於いて

是の如き経を聞いて 疑惑を生ずること勿(なか)れ
応当(まさ)に一心に 広く此の経を説くべし

世世(せせ)に仏に値いたてまつりて 疾(と)く仏道を成ぜん

 

※次回は、『妙法蓮華経如来神力品第二十一』の講義がはじまります。ご期待ください!

 

 

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