人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 6 | 中杉弘の人間の探求

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461 ※得大勢よ、不軽菩薩をバカにしたお坊さん、尼さん、在家の男女は、不軽菩薩に会うことはできません。二百億劫において仏に会うこともできなければ、法を聞くこともなく、僧を見ることもありません。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 6


「其の法の中に於いて、是の法華経を説く。」

其の法の中に於いて、是の法華経を説く。

「是の因縁を以って、復二千億の仏に値いたてまつる。」

また是の因縁を以って生まれて、復二千億の仏に値いたてまつることができたのです。

「同じく雲自在燈王(うんじざいとうおう)と号づく。」
 その時の名前を同じく雲自在燈王(うんじざいとうおう)と号づく。

「自在に燈を灯す王」と名付けたのです。
「此の諸仏の法の中に於いて、受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼(じょうげん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心畏(おそ)るる所無かりき。」
 此の諸仏の法の中に於いて、受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼(じょうげん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心畏(おそ)るる所無かりき。
 不軽菩薩は、畏れるところは何もなかったのです。そのような境涯になるのです。
「得大勢、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、諸の善根を種え、後に復、千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於いて、是の経典を説いて、功徳成就して、当に作仏することを得たり。」
 得大勢よ、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、諸の善根を種え、後に復、千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於いて、是の経典を説いて、功徳成就して、当に作仏することを得たのです。
「得大勢、意(こころ)に於いて云何(いかん)。」

得大勢、意(こころ)に於いて云何(いかん)。

「爾の時に常不軽菩薩は豈(あに)異人(ことびと)ならんや、則ち我が身是れなり。」
 
爾の時に常不軽菩薩は、この人と異なるのか? 則ち我が身是れなり。

仏様は、衆生と同じ活動です。衆生がいるから仏は現れてくるのであり、衆生も仏も同じです。
「若し我が宿世に於いて、此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得ること能(あた)わじ。」
 若し我が宿世に於いて、此の経を受持し読誦し、他人の為に法華経を説けば、阿耨多羅三藐三菩提を得ることができるのです。
「我先仏(せんぶつ)の所(みもと)に於いて、此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。」
 我先仏(せんぶつ)の所(みもと)に於いて、此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。聞いた人も受持した人も阿耨多羅三藐三菩提を得たのです。
「得大勢、彼の時の四衆の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、瞋恚の意(こころ)を以って我を軽賎(きょうせん)せしが故に、二百億劫に、常に仏に値(あ)わず、法を聞かず、僧を見ず。」

得大勢よ、不軽菩薩をバカにしたお坊さん、尼さん、在家の男女は、不軽菩薩に会うことはできません。二百億劫において仏に会うこともできなければ、法を聞くこともなく、僧を見ることもありません。

「千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受く。」
 千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受けるのです。恐ろしいことです。
「是の罪を畢(お)え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇(あ)いにき。」
 是の罪を畢(お)え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇(あ)うのです。(7に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

其の法の中に於いて、是の法華経を説く。

是の因縁を以って、復二千億の仏に値いたてまつる。

同じく雲自在燈王(うんじざいとうおう)と号づく。

此の諸仏の法の中に於いて、受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼(じょうげん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心畏(おそ)るる所無かりき。
得大勢、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、諸の善根を種え、後に復、千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於いて、是の経典を説いて、功徳成就して、当に作仏することを得たり。

得大勢、意(こころ)に於いて云何(いかん)。

爾の時に常不軽菩薩は豈(あに)異人(ことびと)ならんや、則ち我が身是れなり。

若し我が宿世に於いて、此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得ること能(あた)わじ。

我先仏(せんぶつ)の所(みもと)に於いて、此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。
得大勢、彼の時の四衆の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、瞋恚の意(こころ)を以って我を軽賎(きょうせん)せしが故に、二百億劫に、常に仏に値(あ)わず、法を聞かず、僧を見ず。

千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受く。
是の罪を畢(お)え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇(あ)いにき。

 

 

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