熱海にある來宮神社(きのみやじんじゃ)をレポートするシリーズの3回目です。
前回は、境内にある大楠のところまでをレポートしました。
大楠のレポートの前に、ちょっと別のお話を、、、、
この碑は、戦争で亡くなられた方たちの慰霊のために日露戦争の英雄、乃木希典が揮毫した忠魂碑です、
乃木大将は日露戦争の英雄、息子二人は日露戦争で戦死、乃木希典夫妻は明治天皇の崩御とともに殉死しました。
こちらの碑は、徳富蘇峰の顕彰碑です。
徳富 蘇峰(とくとみ そほう) は、明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家で、『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られています。
1957年(昭和32年)11月2日、熱海の晩晴草堂において。享年95(満94歳没)でその生涯を閉じています。
碑銘の「餘香」は、徳富家の祖と仰ぐ菅原道真公の漢詩の一節にある「捧持(ほうじ)して毎日 餘香(よこう)を拝す」によります。
この詩文は菅原道真が、901年(昌泰4年)9月10日に左遷された大宰府の空にかかる月を眺めながら詠んだものです。
“捧げ持って、毎日、残り香をかぎながら、帝の恩恵を思い起こしている。”という意味のようです。
「餘香」とは、後に残った香のことです。具体的には衣類に香を焚きしめた残り香を指しています。
それでは、大楠の話に戻ります。
大楠の樹齢は、2,100年以上と言われています。
この由緒書きには、“日本最樹齢の樟 国指定天然記念物”と書かれています。
ここで、ちょっと疑問。以前このブログでも紹介した、愛媛県に属し、瀬戸内海のほぼ中央にある大三島に鎮座する大山祇神社にある、「小千命-おちのみこと(乎知命)御手植の楠」の樹齢は、2,600年余りとされています。
2,100年以上とする来宮神社の大楠が、“日本最樹齢の樟”とするのは間違いではないかと・・・・。
と思いましが、「小千命-おちのみこと(乎知命)御手植の楠」の樹齢2,600年余りというのは、あくまでも伝承なので、どちらが最樹齢か比較することは、あまり意味がなく、日本建国以前から生き続ける大楠に失礼だと思いました。
大楠の根元辺りの写真です。
驚愕するような、大きさを改めて感じます。
この大楠の幹周23.9mあります。
その大きさは、昭和63年度に環境庁の巨樹・巨木林調査によると国内第2位です。
因みに第1位は、鹿児島県の蒲生八幡神社にある「蒲生のクス」幹周24.22mです。
願い事のある人は思うことを誰にも云わず一廻りすると願い事がまとまるとも伝えられています。
大楠には、人がスッポリと入るような空洞もありました。
古代の日本民族は、大きな木、岩、滝など巨大な自然創造物に神々が宿っていると信じ、其の自然創造物の前で祭祀を行い、感謝し祈りを捧げる神籬磐境信仰を持っていました。
神社に社殿(本殿・幣殿・拝殿)が作られるようになったのは、7世紀後半頃と言われています。
古代の人々が祭祀を行っていた、それらの自然創造物を中心に社殿、鳥居などが建立され、神社が形成されたといえるようです。
大楠の裏側をみると、このような景色をみることができます。
まさしく「來宮の杜」で、当神社が、緑と水に囲まれた自然の中に鎮座した神社ということが実感できます。
熱海鎮座の来宮神社は江戸末期まで『木宮明神』と称していました。
現在の『来宮』ではなく、『木宮』の字で古文書等記されております。
大楠のところから、階段を上がっていくと、売店がありました。
先ほどは、大楠を見上げていましたが、こちらの上の段にくると、上から或いは大楠と同じ視線で大楠をみることができます。
ここらで一休み。
次回は、上からみた大楠を紹介したいと思います。
それでは、また・・・。
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