広島県福山市にある「みろくの里」からのレポートです。
前回までは、原寸大の恐竜たちに出会える「ダイナソーパーク」からのレポートでしたが、今回からは、昭和三十年代の街並みを忠実に再現した「いつか来た道」のエリアを紹介します。
入口を入った正面には、「なかよし地蔵」が安置されています。
今でも、色んな場所の道端にお地蔵様が祀られているのを目にします。
お地蔵様と呼ばれる事が多い地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の菩薩の一尊です。
日本における民間信仰では道祖神(路傍の神様の意)としての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられています。
地蔵菩薩には「地蔵菩薩本願経」の中に28種類の功徳や7種類の利益があるとされ、昔から多くの方が信仰しています。
入口の左手には納屋があります。
納屋の中に置かれているのは、人力により使用されていた農作業用の道具類の数々です。
農機具が本格的に普及したのは第二次世界大戦以降です。
耕運機が登場し普及するのは、昭和28年に「農業機械化促進法」が制定されて国や自治体は農機具による機械化を農家に対して後押しする様々な取り組みが行われるようになってからです。
当初の耕運機の普及台数はわずか3.5万台でしたが、昭和35年には52万台、昭和40年には300万台と一気に普及率が上昇しています。
「つるべ井戸」もあります。
「朝顔やつるべとられてもらい水」と、俳句にも登場するなど日本人に馴染みの深いタイプの井戸ですが、現在でもアフリカやアジアの各地で活躍しています。
大八車とリヤカーが置かれています。
何れも重要な人力で引く大型の荷物運送用二輪車です。
大八車は、寛文年間(1661~73)(江戸時代前期)に江戸で作られ、1657(明暦3)年の明暦の大火後、江戸市中の家の建て直しが急増し、建材などを簡単に運ぶために大八という名の牛車大工が考案したとされる説があります。
江戸時代後期には各地の町村にも普及し、近代になってからも戦前まで用いられましたた。
大八車は車輪も木製ですが、昭和に入り登場したリヤカーは、ゴムのタイヤを使っています。
リヤカーは、大八車より扱いやすいため、昭和30年代(1955-) ぐらいまで引っ越しや農作物の運搬などに多用され、現在でも屋台などに利用されています。
「みろくの里郵便局」にやって来ました。
実際に使われていた建物の一部を移築したものです。
入口では記念撮影も行っています。
こちらの木造の建物は、「弥勒村立中山南小学校」です。
校舎の中では、当時の教室そのままの姿を経験することができます。
「いつか来た道」からのレポートは、まだ続きます。
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