リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

『人生の100のリスト』を振り返る~最終回

2024年01月20日 | 楽しむ

このところ更新をサボっていました。とくに変わりはないのですが、前にも書いたようにネタ切れというか、情熱の減退というか・・・。

このブログをはじめるきっかけとなった『人生の100のリスト』。ひさしぶりに自分のリストを読み返してみました。
20年近く前の当時、やりたいことをいろいろ思い巡らせましたが、結局リストアップできたのは30項目にならないほどでした。

少し話が逸れますが、その中に『空を飛ぶ』という項目がありました。残念ながらこれは実現できそうにありません。飛行機に乗せてもらうのではなく、「自分で空を飛んでいる」という感覚を味わいたいと思っていましたが、50代の頃その思いを雑談でカミさんに仄めかしたところ想像以上の反対に遭いました。グライダーはもちろん、スカイダイビングに至っては何をかいわんや――で、その話題を再度取り上げる気もなくなりました。まぁ、今や賛成されたって気持ちは別にしても体力や運動能力がついていかないと思いますが・・・。

それ以外の項目を眺めていて意外だったのが「鉄道模型のレイアウトを作る」を筆頭に、実現できていることが案外多かったことです。実現可能なちっちゃい夢しか描けなかったのか、という面もありますが、「目標を持てば実行は不可能ではない」とよく聞く言葉を現実で学びました。
また、当時はやりたいと思ったことが年を経るにつれそれほどのことでもない、ということも出てきました。環境や年齢、気力などによって考えもけっこう変わるものなんですね。

さぁ、そうなると、これからやりたいことのリストの数と中身が足りないようです。残り少ないこれからの人生の豊かさを保つために、そして「夢翔庵」の名にかけて、一生追えるようなやりたいことのリストを少し補充できるかどうか思案してみましょうか。
ただ最近はこのブログのカテゴリーでも「ひとり言」に入るものが多くて、もしかしたらこれから「やりたいこと」を探すのも容易ではないかもしれません。

そんなことで、新年早々ですがこのブログ、再度「お休み」にさせていただきます。今回は3年ほどのお付き合いでしたがご覧いただいた皆様ありがとうございました。またお会いできるかどうかわかりませんが、その日までさようなら。

(書きたいことが出てきたら単発で登場するかもしれません。)


ときどき、ポカ。

2023年12月26日 | ひとり言
またウッカリ八兵衛が顔を出した、ということではないのですが、考えてみると自分は若い頃からけっこうポカをやってますね。
認知症の前触れだとコワいので思い出したことを並べておいて、今後の教訓にしようと思います。

いちばん古くて憶えているのは小学校4~5年のころ。ランドセルを忘れて登校してしまったことです。
その日は画板やら絵の具やら持っていくものが多くて肝心のランドセルを背負っていないことに気づいたのは教室で誰かに声をかけられて、でした。もちろん走って家まで取りに戻りました。

会社で労働組合との団体交渉に会社側の事務方として出ていたころ。
団交の経過報告を待っていた社長に報告することをきっぱり忘れてしまっていたこと(これはポカというより、バカですね)。
今思い出しましたが、これより以前にも同じようなことが・・・。こちらはまだ組合の役員だったころ。同じく団交の経過報告を待っている支部(支社)の人たちに連絡するのを忘れて待たせてしまったこともありました。

時は飛びますが退職が間近に迫っていたころ。クリーニングに出すべきコートやスーツを何着か、古着類のゴミ収集日に捨ててしまったこと――。比較的新しいものばかりだったので自分のミスながらショックでした。

それこそ忘れているだけで、まだまだありそうですが数々の失敗はどれも、その時ははっきり自覚と自信をもって行動していること。アタマの中を通っている回路が記憶すべきある種のことを完全に消去しているとしか思えない状態でした。
やはり、どこかおかしいのかな?

食べず嫌いとの訣別?

2023年12月17日 | ひとり言
子どものころから相当な偏食でした。
「○○がきらい」というよりも、この中で食べられるものは「これとこれ」と言った方が近いヒドさでした。

例えばたまのご馳走ですき焼きを食べるとすると、お肉と麩としらたき(糸こんにゃく)だけよそって、野菜や豆腐、きのこ類などには一切手をつけませんでした。
味噌汁ならたいていの具はすべて残して液体だけ飲んでいました。
学生のころたくさん出店していたサッポロラーメン屋で「もやし抜き」をお願いして困惑されたことも。<似た記事>

偏食がとてもお行儀が悪く、無作法なことだと当時は思いもしませんでした。商売をしていた家に育ったせいか、幼児期におやつや好きなものだけ食べて過ごしてきたせいでしょう。お腹が空いたという感覚を味わった記憶もないし、食べることにほとんど関心がありませんでした。
正直、錠剤で満腹になるならその方が合理的だなどと、本気で思っていましたし、幾人かにそのことを話して訝しがられたり距離を置かれたこともあります。20代ぐらいまではこんな調子だったと思います。

いま曲がりなりにも食べられるものが増えたのは偏にカミさんの「しつけ」のおかげですし、リタイアして毎日家で食事をするようになって初めて食べたメニューもたくさんあります。
麻婆○○とかあんかけ○○とか、中華風の○○丼とか、一度も食べないですませてきて、最近ようやくその機会ができて「美味しい」と思えるようになったばかりです。

こんなことを書くと、「食べる楽しみがわからないなんて、なんて損をしてるんだ」という声が聞こえてくるようですが、そうして今まで過ごしてきたので、とくに「もったいない人生を送った」とも思いません。味覚に鈍感なのかもしれません。

今までもこれからも、トリ肉や納豆は絶対口にしないでしょうし、今まで一度も食べたことのない多くの食材や料理もあえてチャレンジする気もありませんが、出されたものはいちおう食べてみるくらいの食べず嫌いに固執しない寛容さは持とうと思います。ただ哀しいかな、食べられずに後悔するなんてことは断じてないでしょうが・・・。

ごみの行く末

2023年11月30日 | ひとり言

リタイアしてからは家のごみ処理も主担当を拝命しました(笑)。

それで気づいたのですが、今の団地に住んで30年以上。ごみ収集車が来る時間がまったく変わっていないんですね。なんでわかるかというと、担当する収集車が朝8時前には団地の入り口に待機していてうちにいちばん近いごみ置き場をスタート地点にその日の作業を始める様子だからなんです。
担当する方たちは日々替わってもいるでしょうから手順が決めやすいように収集の順序が決められているんでしょう。その事情はわかるんですが、朝一番に間に合わせるというのはけっこう緊張感があって、遅れてしまって他のごみ置き場まで持ち運んだことも何度かありました。散歩していて見かけるお昼近くまで収集に来ていない場所もあるのに、なんだか不公平(?)なような・・・。

そんなセコいことを思ったりもしますが、作業をしている方の苦労はいろいろ大変なんでしょうね。テレビの『北の国から』の終わりの方で黒板純クンが富良野でこの仕事をしていましたが、偏見も含めてたいへんそうでした。

リタイアしてヒマを持て余し始めた頃、市の案内に応募してごみ焼却場を見学したことがあります。いえ、ねらいは見出し写真に載せた100メートルほどの煙突にある展望台に登ってみたかったからなんですが・・・。
その時の燃えるごみの処理の規模の大きさには度肝を抜かれましたし、持ち込まれたペットボトルや食品トレイを最後は人が一つひとつ分別しているということなど、知らなければなんとも思わなかったであろう大変さの一部を垣間見ました。

また、別の機会でしたが、県内のペットボトル再生工場みたいなところにも貸切バスで連れて行ってもらって、リサイクルやリユースといった概念を勉強したりもしました。

同じ食品トレイでも白いものとお刺身のトレイみたいに印刷されたものとでは処理のしかたが異なり、白のなかに色つきのものが交じると困るとのこと。ペットボトルも然りです。

それ以来、スーパーに持ち込まれる食品トレイのごみのカラフルなことに複雑な思いをいだくようになりました。
少しはエコロジー感覚(?)が芽生えてきたでしょうか。

(ごみの処理方法は自治体などによって異なるみたいですから、ここに書いたことがすべて正しいとは限りません。)


カイラス山~初めて見たテレビ映像

2023年11月11日 | 旅する

チベット高原の奥深く、チベット仏教やヒンズー教などいくつかの宗教の聖地といわれるカイラス山(チベット名:カン・リンポチェ)が聳えます。標高6656m、その周囲をめぐる1周52kmにおよぶ巡礼路を徒歩、あるいは五体投地礼で13周、または108周する敬虔な巡礼が今も後を絶たないといいます。

NHKの番組『グレートネイチャー 大遡行ヤルツァンポ川』を見ました。
ヤル(ン)ツァンポ川というのは大昔インドがアジア大陸にぶつかってできたヒマラヤ山脈の北側をほぼ真横(東西)に流れ、ラサ(拉薩)を通ってブータンの北東で急カーブを切って南西に向き、ブラマプトラ川と名前も変えてアッサム地方からバングラデシュのベンガル湾に注ぎます。
番組ではこの東西に流れる流域をラサから源流の西方に向かって遡上していきました。そして源流といえる土地にある霊峰がカイラスというわけです。この山への憧れを2009年にこのブログに認めていますが、もちろん行けていませんし、今後もほぼ100%ムリでしょう。
ただ、自分の気持ちの中にこういういくつかの「聖地」があって、そのことを思うと強い憧憬の念が湧いてくる、ということだけで生きている歓びのひとつになっている気がするのです(おおげさですね)。

それはそうと、ナレーションの女性アナウンサーがこのヤルツァンポ川の流域はインド亜大陸がアジア大陸に衝突して生じた大地の縫い目だと紹介するのですが、何回も出てくる「インド亜大陸」が「インドア大陸」に聞こえてしまって、ヘンなイメージに囚われてしまいました(笑)。

話がそれてしまいましたが、カイラス山の写真は何種類も見ていますが、映像で見るのは今回が初めてだったと思います。そして映し出されたカイラスの姿が写真で見ていたのと異なり、ピラミッド型の山膚に人間の肋骨と縦に伸びる胸骨に見まがう模様が浮き出ていました。
この山容を見たらこれを修行釈迦かシヴァ神に見立てて、聖山と崇めるのも納得がいきますね。自分はちょっとイメージが狂ってしまいましたが・・・。

世の中に絶えてパソコンのなかりせば・・・

2023年11月01日 | 楽しむ
またしてもデスクトップPCの調子が悪くなって辟易しています。
いまやこうしたデバイスはスマートフォンかタブレット、せいぜいノートPCを使う人が多く大きなデスクトップを愛用する自分のようなユーザーは少なくなっているようですね。

その証拠に完全に壊れた時のために見に行った家電店の店頭にはデスクトップも置いてはあるものの、4年前に買い換えたときと大きく進化した様子もなく価格だけが跳ね上がっている印象を受けました。置き場も気のせいか端の方に押しやられPOPなども力が入っていないな、となぜか僻みたくなる気持ちにさせられました。買い換えたとしてもとても満足の行く買物にはならないでしょう。

自分もスマホもタブレットにもなるノートPCも使いますが、齢を重ねるごとに小さな画面をメガネをかけたりはずしたりしながら顔を近づけて作業していると疲労度も増してきます。

考えてみれば、いつからか広い意味でのパーソナルコンピュータはスマホを含めて一人ひとりの必需品になっていて、これなしでの暮らしなど思いもつかない人がほとんどでしょうが、便利さがいつの間にか当たり前になり、いざ機能しなくなると生活自体が成り立たないぐらいに思い込んでいるのではないでしょうか(自分のことです)。

ここは性急に直すことばかりに右往左往しないで、落ち着いてなにがどうしても必要なのか、代替手段はないのか、それを使わない時の心の平安さとかにも頭を巡らせてみようと思います。
とはいうものの、なんとか直す術が頭から離れないのも煩悩というものでしょうが。

シルバーさんの実力

2023年10月21日 | 住まう

昨年の脳梗塞騒動以来ほったらかしにしたままだった専用庭がずっと気になっていました。
今年2月に毎年恒例にしているふじ棚兼ぶどう棚の強剪定を子どもに頼んで以来、夏がひどく暑かったという言い訳も心のなかでしながら結局雑草も含めて伸び放題で秋を迎えてしまいました。

実はいずれこうなることも予測していたので、昨年秋には市の『シルバー人材サービス』というところに依頼したのですが、申込が混雑していて一年ほど先の今年の10月になるという返事。それまで隣家に迷惑をかけているのではないかと怯えつつ、シルバーさんを迎える日をまだかまだかと、待ち続けました。

2人で来られたシルバーさんは名前の通り自分と同年配か、もしかしたら年上の方々で、(まだ若いくせに甘えやがって)と思われてるのではないかと、腰痛だのアタマだの、言い訳がましいことをブツブツと・・・。

狭い庭ですから2時間半ほどで片付いたようで、すっかり見通しがよくなっていました。その日はそれだけで満足して細かく点検もしなかったのですが、一週間ほどのちに掃除がてら庭に降りてみると・・・。

まあ! なんということでしょう。
自分が口頭でお願いしたことが完璧にできているではありませんか!

それぞれの植物の特性をよく知った剪定のしかた、雑草とその中に紛れ込んでいた小さな植えた草花の見分けと処理。枝や葉の徹底した処分・・・。いや、恐れ入りました。シルバーさんって、シロウトさんだとばかり思っていたのですが、どうしてどうして。少なくとも二人のうち木や花の名もご存じない営業風の方に比べ、寡黙だったもうお一人は「只者ではない」と実感しました。満足度120%の経験でした。
早速次回の予約を入れたのは言うまでもありません。

(写真は20年近く前。リフォーム直後の専用庭です。)

菊人形

2023年10月06日 | ひとり言

子どもの頃。この季節になると「菊人形展」というのがたいてい毎年あちこちで開かれていたような記憶があります。
秋と菊の花は、今以上に強い結びつきがあったようにも感じます。

小学校に上がるかその前か、祖父母に連れられて何度か菊人形を見に行きました。併設の菊自体の鉢植えの品評会みたいなのが主催者側の目的だったようで、菊人形は家族連れや子どもたちを集めるための仕掛けだったのかもしれませんね。

子どもが花を眺めて面白いはずもなく、イベントたる菊人形展を見てまわるのですが、正直言ってあまり好きではありませんでした。
今はどうか知りませんが当時の人形はたいてい文楽のカシラみたいな顔に侍姿や鎧かぶとに菊の花や葉をくっつけたような姿で、ちょっと気味の悪い感じを受けたのだと思います。あの花の独特な香りも相俟ってかもしれませんが。
なかには、凝った仕掛けをして影絵で行灯の油を舐める化け猫なんてのもありました。

ああいう類の人形に、子どもにとっての気味悪さ、無気味さを感じさせる要素があるのでしょうか。
自分のこども達も初めてTDLに連れて行ったとき、”It’s a Small World”の人形が気持ち悪いといって嫌がっていましたから・・・。

今は秋の花と言ってもさまざまなものがあって、昔の菊ほど秋に直結する印象はありませんが、むしろ葬儀のときなどに使われる白い菊の香りがよけいにこの花のイメージを固定しているかもしれません、もちろん、自分にとっての話ですが。

早朝の散歩

2023年09月24日 | 楽しむ

今年もきびしい暑さの夏でしたので、健康維持のための散歩もなかなかできませんでした。それでも早朝に歩く、ということを覚えてから週に何度かは実行できるようになりました。

年寄りは朝が早い、と言いますが自分もその例にもれず外が明るくなる頃にはたいてい目を醒ますようになりました。まぁ、前夜9時過ぎには寝床に潜り込んで本を読んだりしてますから、夜中にトイレに起きることさえなければ睡眠時間は十分に取れているはずですが・・・。

8月は明るくなるのがだんだん遅くなるのがはっきりわかる時期ですね。起きていてもさすがに真っ暗な中を外に出るのは憚られるので時間を見計らって、まだ朝陽の登らない東の空の変化を眺めながら出かけます。

歩くにつれて道の明るさが増し、朝暾の弱い赤い光がみるみる内に白くなっていき、身体がいつのまにか汗ばんでいることに気づいたりします。それでも叢からはいつのまにか秋の虫たちの大合唱がこれでもか、とばかり聴こえています。

小一時間ほども歩いて帰ってくる頃には着替えとシャワーが恋しくなるほどですが、すがすがしい気持ちを保って散歩していると、その間だけでも生活の憂さを晴らしたりすることができるような思いにもなります。

でもこれから深まる秋を思うと、感傷的というか、メランコリックというか、季節の移ろいに合わせて人生の儚さなども沁みてきて古稀を過ぎた老いの行く末を案じたりもします。そういえば、自分はこんな季節に生を享けたのだという気付きも亡き両親への思いとともに浮かんできます。
誕生日おめでとう、to me.

阪神タイガース優勝 おめでとう(泣)

2023年09月16日 | ひとり言
プロ野球、セ・リーグの優勝が決まってしまいましたね。
まずは阪神タイガースのファンの皆様に18年ぶりの優勝のお祝いを申し上げます。

7月にカープがんばれと書いたときはまだまだ好調だったのですが、その後ケガ人や先発投手のコケるのが増えて打線も湿っていきました。

今年はリアルタイムで応援しているとカープが勝つ確率が高いという気がしたものですから、できるだけ時間を作ってテレビの前に陣取るようにしてきました。
ところが、先週金土日の甲子園での阪神との3連戦。新聞を隅から隅まで探しても、テレビの番組表をCS含め全部探しても試合中継の予定が首都圏で視聴可能などの局にもないんですねぇ。

いや、イヤーな予感はしましたよ。
勝手に思い込んだ、観戦していれば勝つ! というジンクスですが、自分の中では精一杯それを信じてカープの勝ちを祈っていたものですから、試合中継自体が見られないとなると、気持ちを大いに挫かれてしまいました。

結果は1-4,1-5,1-5の3連敗! それ以降もアンラッキー?が続いてとうとう阪神の優勝を許してしまったということです。

大阪のテレビ局は連日盛り上がったはずですが、在阪でないタイガースファンはもちろん、対戦相手のファンも楽しみにしているのですから、中継のネットワークの充実を期待したいものです。

ちなみに巨人戦なら、日本テレビ系列、ヤクルト戦はフジテレビ系列、中日戦はJスポーツの2チャンネル、横浜戦はTVK(テレビ神奈川)など・・。もちろんJスポーツの1チャンネルは他局の放送がない場合は優先的に広島カープの中継・・・とだいたい決まっているのに、阪神戦のみ首都圏での放映が薄いような気がするのは自分の勘違いでしょうか?