conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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自分というもの

2024-05-05 21:53:32 | 随想
人は老化とともに体の機能は低下する。欠如することだってある。それを補うだけの心的満足度が伴うなら、自分の内に可視化した世界も開けるだろうと思う。可視化と言っても想念の境地に立つものであるから、体験と思索を重ねた老境の賜物に他ならない。
ただ年を重ねるだけの人生なら、三度の飯を食って寝起きして排泄するだけで終わってしまう。頓知の一休さんは「世の中は 起きて箱(糞)して 寝て食って 後は死ぬを 待つばかりなり」寝て起きて 飯食って糞して 終わる一生、と宣うた。ガチャガチャと戦乱の煙りに明け暮れる現代も、一休さんが見たら地上に垂れた汚物と見るだろうし、そんな無意味な時代で終わらせるなーと活を入れられること必定だ。
 自分の内を観る、内観法というのがあるらしい。自分の内を知るほどに自分の嫌な面、過去から今に至る迄の恥ずかしい行いの数々が見せつけられて、馬鹿だった自分に辟易するのである。この内観法とやらは、醜い自分を反転させる鏡面の役目があり、行動の自覚が善行へと導いて有意義な一生を完成させるとある。願わくば地上に安らぎを与えたまえ。
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