ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「自分には何ができるか」

 5月3日の今日は憲法記念日です。1947年のこの日に新憲法日本国憲法)が施行されて、77年。憲法遵守義務のある公務員の頂点に立つ総理大臣が、率先して憲法を変えようと呼びかけ、他方で、「立憲民主党」なる名の政党ができるくらいですから、この間、この国でいかに「立憲」の精神がなおざりにされてきたかがよくわかろうというものです。今日は恒例の憲法改正/擁護の集会あり、「憲法改正をすべきか否か」の意識調査の結果発表あり、でしたが、大型連休の最中でもあり、8月15日などに比べると、この日と向きあう人々の「関心」が「特別」という感じはしません。今日の昼のNHKニュースなども、トップは連休後半の行楽についてだったように思います。

 しかし、場所というか、国がちがえば、行楽をトップニュースにしている場合ではないかもしれません。昼に、テレ朝の「ワイド!スクランブル」という番組を見ていたら、現在全米各地の大学に拡大している、イスラエル軍によるガザの攻撃停止を求める学生運動が話題となっていました。4月中旬以降、23州の30以上の大学で1500人以上が逮捕されているというのは尋常ではありません。
全米に飛び火のガザ反戦デモ 学生らが大学に求める「二つのD」 | 毎日新聞

 番組の解説に立ったアメリカ政治の専門家・三牧聖子氏によると、この学生運動はもちろん反ユダヤ主義ではないし、単純な反イスラエルというのも「正確」ではない。ガザ地区で戦闘を続けるイスラエルアメリカ政府が支援していること、大学の運営資金が結果的にイスラエルの軍事侵攻で利益を上げている企業に投資されていることを批判することに主眼がおかれている、とのことでした。これに対するコメンテーターの意見ですが、まず、デーブ・スペクター氏は、金(授業料)を払っているのに、授業を受けられない学生たちの迷惑を考えるべきだ、と言っていました。もう一人、脳科学者の中野信子氏は、当事者ではない人が運動に加わるのはどうなのかと言っていました。その後、唐突に(イスラエルパレスチナ人の土地を返せと言うならば?)アメリカは先住民に「国土」をお返ししなければならないはずだ、と突飛なことを口走ったのは、不自然な感じがしましたが。
 いずれにしても、コメンテーターの二人はこの件には批判的でした。4・5月は米国の大学の卒業前の大事な時期でもあるでしょうし、デーブ氏の言うとおり、ふつうに授業を受けたいと思っている学生はたぶんいるでしょう。あるいは、中野氏が案じたように、外部の人間に煽動されて「上気」し、「本来の姿」を見失っている学生もいるかも知れません。しかし、もし、二人のコメントを聞かされても、渦中の学生たちには説得力のある意見にはなりえない感じがします。それは、学生たちが聞く耳をもたないで近視眼的に突き進んでいるからではなく、学生たちにとっての根本的な疑問(というか、怒り)を氷解させるものではないように思えるからです。彼らの疑問の基点は、ガザでのイスラエルの蛮行に自分たちは責任があるのではないか、ということでしょう。デーブ氏のコメントは、ストライキは人に迷惑をかける式の論によく似た感じがしますし、中野氏の方は、成田空港の反対闘争などで頻出した批判に通じるところがあります(最後の一言はちょっと「錯乱」気味ですが)。むしろ、二人の意見は、日本(の学生)向けにマッチするコメント(警句)だったのではないか、要するに、Me Too運動のときのように米国から国内に“飛び火” されては困る、というどこかの意向が働いてのことではないか、と下衆な勘ぐりをしてしまいます。

 「いちご白書」という半世紀以上前の映画と関連させて、今の動きを1968年のコロンビア大学学生運動に重ね合わせ、60年代とのアナロジーというか(ノスタルジーというか)、時代の再来を見る向きもあります。68年当時はヴェトナム戦争への反戦でしたから、確かに似たところはあります。「令和」の日本には「昭和レトロ」の趣向もあるので、何となく当時に今と「同質」なものを見ようとしてしまいますが、個人的にはちょっと違う感じももっています。もちろん、アメリカの学生の意識の変化など知るよしもありませんが、日本に限れば、60年前の人が「自分は何をすべきか」と考えたのに対して、今の人は「自分には何ができるか」と考える人の方が多いように思っています。このスタンスのちがいはけっこう重大です。

 イスラエルのガザ侵攻から半年以上が過ぎましたが、熊本でこの半年間、ガザでの停戦を訴えるデモや救援を訴える活動を続けている人たちの様子を紹介する記事を見ました。毎日新聞中村敦茂記者の署名記事から引用します。
微力でも無力じゃない ガザ停戦へ、遠い日本で声を上げる意味 | 毎日新聞

……会の発足は、ハマスによる2023年10月7日の越境攻撃から2週間後の同21日。市内の40代女性ら4人が発起人となり、デモ行進を呼び掛けたことが始まりだった。女性は「これからひどくなっていく予感があった」と振り返る。その心配の通り、惨状は拡大。会ではデモ行進や街頭でのアピール行動を重ね、インスタグラムでパレスチナに関する情報を発信するなど活動を続けてきた。
 地方で声を上げる意味をどう考えるのか。女性は「確かに距離は遠いが、中心にいなくても、熊本でも、どこにいても、今世界で何が起きているかを知って行動することはできる。一人一人がカギ。動くことで変えていけることがあると示したい」と力を込める。
 23年12月にメンバーに加わった熊本市中央区のフリーカメラマン、白木世志一(よしかず)さん(53)は今では中心メンバーの一人だ。「ただ見ている人だけの人になりたくない。だからここに立っている」。4月7日のデモ行進後の街頭アピールでマイクを握り、訴えた。「ガザでは家族全員を殺され、自分の名前すら分からない子供たちがいる。祈るだけでなく、今こそすべての人間のための行動を」
 白木さんにも活動の意義を問うと、こう答えた。「かわいそうと思うだけではどうにもならない。街頭に立ったり署名をしたり、他の人と話をしたり、できることはたくさんある。行動することで、まだ動けていない人を後押ししたり、政治を動かしたりできる」
 確かに市民らの声が集まった世論は政治を動かす力だ。当のイスラエルでも強硬派のネタニヤフ首相の退陣を求めるデモが、政権に圧力をかけている。米国でもイスラエルを擁護する政権への反発が広がる中で、バイデン大統領はイスラエル寄りの姿勢を変化させた。
 中東のガザから遠く離れた日本。紛争の当事国ではなく、米国のような影響力もない。そんな国の地方から上がる一人一人の声の力は、確かに小さいかもしれないが、何も行動しないままでいる「ゼロ」とは決定的に違う。積み重なればその分大きくなり、政府や国際社会を動かす可能性を持っている。だから「一人一人がカギ」なのだ。2人の話を聞き、そう考えた。

 大学を卒業するとき、ある先生に色紙に一筆入れていただいたことがあります。そこには「〇〇君へ やるべきことは多い やれることをしよう」と書かれていました。もう大昔のことで、前途洋々たる年齢とは逆の立ち位置ですが、あらためて、この言葉を思い出しました。



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昼、牧原秀樹議員のコメントを聞いて

 今日は体調が悪くないので、短いですが「連投」してみます。
 昼にTVを見ていたら、一昨日の衆院補選・自民党全敗を受けて、テレ朝の「ワイドスクランブル」に自民党牧原秀樹議員が出演していました。牧原議員のことはよくわかりませんが、テレビには自民党の「選挙対策委員会副委員長」の肩書きが示されていました。テレビ画面右上には「信頼回復へ どうすべき?」というテロップも見えます。牧原氏には悪いけれども、もし、自民党が「(裏金問題等々)反省しています」という姿勢を国民に示したいのであれば、岸田総理(党総裁)とは言わないまでも、やはり茂木幹事長クラスの重鎮が出演してしかるべきだったのでは、という感じがしました。あるいは、敢えて選対の「副委員長」が出て来るのであれば、当然「委員長」である小渕優子氏が出るべき筋合いのものでしょう。でも、生出演でミスなくしゃべれるかどうか、(将来の女性首相候補?を)「キズもの」にできないとか、いろいろな思惑が交差したのでしょう。結局牧原氏の出演で手うちをしたのかもしれませんが、この一事をもってしても、日曜の補選の全敗が自民党にとってどれだけの「衝撃」だったのか、実はさしたる「衝撃」ではなかったのではないか、という疑念を抱かせます。あるいは、内田樹さんが言っているとおり、もう何があっても自民党には自から動き出そうとするエネルギーがないのか。党内「良識派」の一人と目されている石破さん、その他の議員も含めて、このまま波風立てずに様子見を続けるのが「得策」ということなのでしょうか。
https://twitter.com/levinassien/status/1784747267498655866

 牧原氏もテレビ出演に自ら手を挙げたとは思えず、「人身御供」にされたとすれば、気の毒な面がないではないですが、しかし、氏の話を聞いていると、アリバイ的というか、基本的に当該時間をやり過ごせればいいという印象を強くもちました(それは牧原氏がというよりも、テレビ局側の意向自体がそうなのでしょう)。だいたい、政治活動費が何に使われているのか知らないとか、安倍派のキックバックの「再開?」がいつどうやって決まったのか誰も知らないとか、党を「代表」してテレビに生出演しているのに、相変わらず選挙前に批判されてきた繰り言を自身でも繰り返すし、進行役の大下さんやコメンテーターの質問や「突っ込み」も「寸止め」ですから。これを見て、もし、自民党は選挙に負けて反省してんだな、と思う有権者がいたら、是非お会いしたいものです。
 それでもコメンテーターの吉永さんが「自民党は不正の当事者なのに、改革案を出すのが、各党の中で一番遅くて、なおかつ一番ゆるいのではないか」と批判すると、牧原氏は「刑事罰付きの案を出しているのは自民党案だけで、全然ゆるくない」と言い張っていました。この「針小棒大」ぶりというか、「すり替え」には、なるほど、小渕氏を出演させないわけだと思いました。しかし、罰則を重くするかどうかが根本の問題でないのは明らかです。実際問題として、罰則が罰金だろうが無期懲役(笑)だろうが、裁判で罪に問われないような法律の建付けにしておけばいいんで、そのための抜け道は現行どおりならいくらでも捻出できるでしょう。根本は「抜け道」を完全にふさぐことができるかどうか、そのためには、政治家や政党への金の出入り、すなわち(パーティー券など)献金する個人や団体(企業)名をすべて特定することと、「政治活動費」という名目で使途不明が許容されている支出先をすべて明らかにすること、この二点が重要で、あとは付随的な問題です。企業献金などは利権政治の温床、つまり贈収賄の下地になっているわけですから、なくすのが本来のあるべき姿です。ところが自民党案はいずれにも後ろ向きです。まさに、ここを曖昧にして、匿名で献金させて、自由に遣える潤沢な資金をもつというのが自民党政治の胆だったからです。これを失えば(白日の下になれば)、旧来の自民党政治は終わりでしょう。まさに「金の切れ目は縁の切れ目」です。
 しかし、問題は自民党だけでは完結しないでしょう。一方に、匿名で献金して、自分たちに有利な法律や施策をとらせたい企業関係者がいます。他方で、自民党資金の支出の恩恵にあずかっている個人や縁者もいます。かりに政権交代が実現したとしても、こういった「勢力」は束になって自民党政治への揺り戻しを画策するかもしれません。しかしまあ、そこまで射程に入れて方策を考えていると、出来ることが出来なくなってしまいます。野党にとっては年明け後もずっと「追い風」ですが、立憲には補選の勝利であまり調子に乗らず、自民党支持者の比較的良識のある層への働きかけを忘れないでほしいと思っています。



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衆院補選とテレビ・ニュースの「風情」

 昨日衆院の補選の投開票がありまして、東京・島根・長崎の三選挙区、いずれも前は自民党議席でしたが、結果は三議席とも立憲民主党の候補が当選しました。自民党は、東京と長崎では候補を立てていません。裏金問題への批判が強く、逆風の最中だったとはいえ、候補者を立てないということは、選挙区の自民党支持者にとっては投票する先がないわけで、党中央や県組織に不満はあるでしょう。地元の支持者にとって何とも失礼な話です。それでも(東京や長崎は捨てても)島根の一議席だけは落としたくなかったらしく、ここに精力を注ぎ込んで選挙に臨みましたが、結果はやっぱりダメでした。
 今朝新聞で投票前日に島根の選挙区入りした岸田首相が演説で放った言葉というのを知って、全敗も無下なるかなと思いました。そのセリフというのが「自民党改革ののろしを島根から上げていただきたい」です――党の1・2年生議員が言うんならいざ知らず、こんなことを党のトップである総裁が言うんだと知って驚きました。党の改革ののろしを島根の有権者に託す? しかも、自民党議員が当選したら党改革が進む? 有権者も聞いてて呆れたんではないかと思います。まず、おめぇがやれよ、です。岸田さんの語法やしゃべり方には前から違和感がありましたが、ここに至って理屈も何もなく、自党の問題にも「他人事」感がまる見えになった気がします。
衆院補選:衆院補選 立憲、「裏金」受け皿に | 毎日新聞

 驚いたのは東京15区です。立憲候補の酒井さんがリードというのは下馬評どおりでしたが、テレビを見ていた限りでは「対抗馬」は乙武さんのような印象でした。ところが、フタをあけたら、2番手は須藤・前参院議員で、乙武さんは何と5番手まで沈みました。千葉の田舎にいると、東京の選挙区内の空気はまったくわかりませんでしたが、これは、メディアも完全に情勢を読み違えていたということなのでしょうか。競馬やスポーツ競技の順位予想など以上に、選挙結果を読み切るのは困難な面があるとは思いますが、それにしても、落差が大きすぎます。ひょっとしたら、読み間違えとは別に、乙武候補を「対抗」と見たり、あるいは、見たくなるような “力” が作用していたのではないかと疑念をもってしまいます。

 マス・メディアの中でもテレビのアナウンス効果はなお絶大で、その影響力は大きいと思います。今朝のテレビ・ニュースもそうでした。空港や景勝地など、人の集まるところで取材をすれば、多くの旅行者の声が拾えます。それをテレビで放映すれば、見ている方は、ゴールデンウィークに入ったことだし、旅行する人が多いんだろうなと思います。しかし、国民全般の実際の姿はどうなのでしょう。
 昨日、小生は自治会の仕事で地元の家々を何軒か訪問して回りました。年寄り世帯が多かったとはいっても、中には若夫婦の世帯もありました。旅行等々で外出して不在だったら、また後日出直さなければならないと覚悟はしていましたが、意外にみなさんどこも在宅で、一度で用件が済んで助かりました。人気ブロガーのきっこさんも、自身のX(twitter)で4月25日に浜松町駅前で、ラジオの文化放送の番組が行った街頭調査の結果をとりあげていますが、それによれば、ゴールデンウィークにどこに行きますか、との質問に対して、50人のうち、どこへも行かないと答えた人が37人だったということです。この限りでは、7割超の人は出かける予定はないということになります。確かに周囲を見回しても(みんなけっこう働いてるし)、実感としてこれに近い感じを受けます。テレビで見ていると、出かける人の方が多数派のような印象をもってしまいますが、これは実態から乖離しているかも知れません。
https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1784520500519276758

 さすがに今朝のテレビ・ニュースのトップは、補選の結果でしたが、補選を3つもやって、自民党がそれまでもっていた3議席を全て失うなどという事態はかつてないことで、これは衝撃をもって伝えられるべき「おおごと」です。ところが、予想されたことだったからでしょうか、冒頭で一瞬ザワついたくらいで、報道の「空気感」はけっこう冷静というか、政局につながるような内容には抑制的で、他の事件事故と大差ない情報量を伝えて以後は、いつもの「通常運転」に戻りました。テレビに対する人々の需要というのは、報道と娯楽が相半ばしているとは思いますが、今日もまた、政治よりもエンタメ、岸田政権よりも大谷選手の活躍といったところでしょうか。確かに、三補選とも投票率が過去最低ということですから、世間的な関心はこの程度なのかも知れません。しかし、卵が先か、鶏(親鳥)が先かではありませんが、互いの「共犯関係」「共棲関係」なしに、こうした「無関心」「無行動」は生まれ得ないでしょう。これでいいのか、これで大丈夫かという思いは残ります。

 「パンとサーカス」とはよく言ったものですが、テレビのニュース番組を見ていると、このローマ時代の詩人の警句を痛感させられます。ガザやウクライナの戦闘で多くの人が亡くなったとか、自民党の裏金議員たちの多くが罰せられず、税金も払わないで済んでるとか、報道されれば、多くの人が情感的に反応します。しかし、キャスターが別のニュースを読み始めると、その余韻もだんだんと薄れていきます。我々は日々身に余る量の、洪水のような情報に晒されながら、キャスターの「次のニュースです」の一言で、情感を切り替えるように仕向けられ、また、その術を身につけています。そのうちに、うまい店や犬や猫の愛らしい様子を紹介するコーナーでも始まれば、さっきの悲しみや怒りはどこへ行ったやら、というほど感情は和らぎ、大谷選手がホームランを打った映像を見せられれば、「日本人として誇らしい」などと思うわけです。個別の番組名を挙げて何ですが、テレビ朝日の朝のニュース番組「グッド!モーニング」に「エンタメワイド」なるコーナーが新設され、芸能人の情報を他のニュースなどと同列で「報道」するようになったとき、歯車がまたひとつ回ったと思いました。いや、それは、たまたまテレ朝だったという話で、他のテレビ局も内容的に大差ないでしょう。

 多岐にわたる個別専門チャンネルが放送されるようになって(もちろん有料ですが)、地上波テレビのニュース番組はますます「総合的」というか「寄せ集め」の風情が増していますが、見ていると、もうそろそろ「限界」というか、飽きられてきた感じもします。新しい「感覚」によって、新しいニュースの「風情」を生み出せないものかと、年寄りなりに考えているところです。 



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