新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

伊予鉄道の路面電車、道後温泉駅前、「放生園」にある「坊っちゃんからくり時計」

2024-05-12 06:19:39 | B級スポット

たったの10分ほど、浸かっていただけだけど、熱めの湯だったので
「千と千尋の神隠し」の世界観を彷彿させる
「道後温泉本館」でポッカポカ
もう、極楽気分で、道後温泉の商店街を歩いて廻る


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「千と千尋の神隠し」の世界観を彷彿させる
「道後温泉本館」なのでジブリ推し???

とろとろ(トロトロ)歩いてたら、道後温泉の商店街に「トトロ」が…
目が合ったので???、どうご、どうご???…もとい、どうも、どうもとご挨拶するジブリ??もとい、ソブリ(素ぶり)だけして、素通り…笑



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伊予鉄道の路面電車、道後温泉駅前に向かって「トトロ」…もとい…トロトロ歩いていくと

道後温泉絵図
絵図には、巨大な怪獣っぽい白鷺 ( しらさぎ ) が飛んでますなあ

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そして顔ハメパネル

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坊っちゃんにもマドンナにもなれる優れもの
マドンナといっても「ライク・ア・バージン」とちゃいますよ…


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さてさて、駅前の広場は「放生園」と呼ばれていて
伊佐爾波神社が現在の場所に移されたとき、境内の御手洗川の引水をたたえて、この地に池がつくられていたそうで、その名称が「放生池」
それを埋め立てた場所なので「放生園」とのネーミングにしたとのこと


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明治時代から昭和にかけて、道後温泉本館で使われていた湯釜があって、その湯釜から今も湧き出ていて、そこは足湯となっていました…
たくさんの方が足湯を楽しんでいて、入るスペースなどないほどでした!
まあ、私は身体がサラブレット???
「パカパカ」…もとい「ぽかぽか」ですので、足湯はしたいとも思わなかったけど

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「春風やふね伊豫に寄りて道後の湯」

子規にも推賞された柳原極堂の代表句が石碑に

では、ここで松尾ドショウも一句

「はだかでや ふといよ(太いよ)熱くて どう、この湯」

句意、太ったこの身体、瘦せるためには、この熱い湯は効くんだろうか


まあ、いつか、この句の石碑が
「放生園」に設立されることを願って

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「伊予とまうす国あたたかにいで湯わく」

森盲天外の句碑

ここは、もう一つ、松尾ドショウも詠うことにしよう!!

「ミッキーマウス (魔法の)国あったかな 人出沸く!」

句意、人で込み合ってるミッキーマウスのいる国は、道後温泉にはないとおもうよ…


まあ、いつか、この句の石碑が「放生園」に設立されることを願って


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白鷺伝説!!


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鷺石もありました

石がここにありながら、写真を載せないなんて、詐欺(サギ)みたいだな…笑

そして、正岡子規の像

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きっと、野球をやってるんでしょう
股の三本目の足にしては長すぎるし
まさか、夜、繁華街でバットを振りまわしていた訳ではないでしょう


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さてさて、この「放生園」の目玉と言えば

「坊っちゃんカラクリ時計」

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毎時00分には、カラクリ時計のカラクリが動き出す!!
もう見応えたっぷり!!
夏目漱石の
「坊っちゃん」にでてくる登場人物が次々と現れる!!

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先生っぽいな
左は「赤シャツ」か???

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主人公「坊っちゃん」

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実は、小説「坊っちゃん」を読んだことのない私ですから、登場人物がよく分かんない


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おお、これはわかる!わかる!!
「ライク・ア・バージン」だ???
それって、「ま、どんな女」…苦笑


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もうみていて楽しい!楽しい!!

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道後温泉本館をモチーフにつくられているらしい
この「坊っちゃんカラクリ時計」

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なんといっても、ほっこりするのが
この下段
道後温泉に浸かるおっちゃんたちが


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あの…おっちゃんたちばかりの男湯よりも

かわいいオネーチャンのいる女湯の方が…


いかん!いかん!!心の声が漏れてしまった…

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何事もなかったかのように閉じちゃうこのからくり時計

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正岡子規さんはこの後、きっと「からくり」…もとい「カラブリ(空振り)」三振だったに違いない!!!…笑

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以上、「カラクリ」時計を、ずっと見上げるようにみたので

「カタコリ(肩こり)」が…汗


「道後温泉本館」にある皇室専用浴室「又新殿」を見学する…

2024-05-11 07:49:06 | 歴史史跡

国の重要文化財でありながらも博物館等にならずに
銭湯の営業を続けている

「道後温泉本館」

そこには
全国で唯一、皇室専用浴室「又新殿」がありまして

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もちろん、私、皇室ではありませんので、入浴することなどできないのですが
見学がガイド付きでできるという…
あ、これ、当日じゃなくてWEBから事前予約が必要ですが、前日WEBをみていたら、見つけたので、予約をして
皇室の方々になった気分で???
見学してきました!!

上記の写真の門は

「御成門」

皇室専用の玄関で、御訪問の時だけ開かれるとのこと

御成門の屋根は、下から「軒唐破風(のきからはふ)」「千鳥破風(ちどりはふ)」「起り破風(むくりはふ)」でできているんだって

鬼瓦も三段になっていて、下から「龍」「鳳凰」「湯玉(ゆだま)」





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スタッフのオジサマが教えてくれました

もちろん、私のような一般の民はここ「御成門」からは入りません…その横の受付から
その受付を通り過ぎた待合所(御成門の裏)あたりに置かれていた
鬼瓦

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たぶん、昔の道後温泉本館には、この鬼瓦がのっかっていたのでしょう

さて、ここからは天皇さまが足を踏み入れたという
館内を見学

手前の部屋が御居間(おいま)

御居間は、入浴前にくつろいだりする場所

 


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上記の写真の襖の奥が

「玉座の間」

ここは天皇のみ使用することができる部屋で、金箔地に鳳凰、菊、桐の絵が描かれていて

昭和25年3月19日に昭和天皇が利用されたのが、最後だとのこと
最後の利用が私が生まれるウンと前…
ってことは、70年以上「御成門」は閉ざされたまんまなんだ


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障壁に描かれているのは、鵤(いかるが)と鴲(しめどり)
くすんでいるけど、障壁に貼られているのは金箔
さぞ、きらびやかだったことでしょう

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襖…黒ずんでいるけど、銀箔が貼られているとのこと
金箔はくすんでも、金色なのに、銀箔は真っ黒になるんだ…ってことを今さながらに知った私…

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最も格の高い畳縁
繧繝縁の畳

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さらに高くなっているところには、調度品の数々


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ここからは階段を1階に降りて

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入浴前の脱衣する部屋

洞の間(どうのま)

壁は漆喰
襖の銀箔は新しく張り替えたとのこと
おそらく、昭和天皇が使用したときの部屋の様子に近いはず

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窓外の中庭も日本庭園ふう

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そして、浴槽

「御湯殿」

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浴槽は、御影石(みかげいし)の中でも最上とされる香川県産の庵治石(あじいし)でできていて
実際に入るときには、階段上の部分に腰かけて入浴されていたそうな

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宝珠に彫られた「健歩如故」という文字は、小松宮彰仁殿下の御真筆を浮き彫りにしたものとのこと


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昔は温泉を汲み上げる機械がなかったので、

掘り下げられた浴槽に階段で入るようになっていて

その庵治石(あじいし)でできた浴槽には、大国主命さま、右は少彦名命さまの像が彫られていました…


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昔は源泉がここの真下だけだったので

皇族の方々も一般人も、

この道後温泉本館でしか

入浴することができなかったんだって



最後に紹介するのは
「御厠」

「御厠」とは一度も使われたことのなかった畳敷きのトイレ
…ちなみに使う際には右側が前になり、着物を後ろのところにかける形となるんだって…
中には砂が敷き詰められているとか…

以上、皇室になった気分で、又新殿を後にする



みなさんも「道後温泉本館」に浸る機会があったら
ぜひ皇室専用浴室「又新殿(ゆうしんでん)」にも行っトイレ!!!!

もう一度ゆう、しんで(ん)
行っトイレ!!!!

もう一度言う、死んで(ん)行っトイレ!!!!)…苦笑


「千と千尋の神隠し」の世界観…「道後温泉本館」の「神の湯」で浸る!

2024-05-10 06:36:08 | テーマパーク・温泉

愛媛の観光ガイドをみれば
必ず表紙に載っている

「道後温泉本館」

道後温泉は日本最古の温泉として知られその歴史は3,000年以上だとか…

兵庫の有馬温泉・和歌山の白浜温泉と並び「日本三古湯」の一つ
「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルの一つにされたとも言われている
「道後温泉本館」

松山・道後に行ったなら
何よりも入りたいと思った
「道後温泉本館」

訪ねた時は保存修理工事中で、休憩室のある2階以上は休館していましたが、
「神の湯」で入浴のみの営業はしているとのこと…

その今回入れるという「神の湯」は、この道後温泉本館が営業したときの一番初めてできた「湯」なんだとか
明治27年に営業して以来の木造の3階建ての造り、残念ながら2階以上の休憩室は使えないけど
修理工事中でも、正面から見れば
そこは、まるで
「ジブリ」「ジブリ」「ジブリ」の世界…
「千と千尋の神隠し」の世界観
1994年には国の指定文化財に…なっても、博物館化せずに、こういった銭湯として営業を続けてる…なんとも素晴らしいことじゃないか!

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まあ、工事中ということだけど、その目隠しの壁面のカラフルなこと

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とりあえず、写真におさめようと、ぐるっと一周

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背後は、御覧のように、ほとんどがカラフルな壁面で覆われていました…

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どこかの学園祭のような壁面

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さてさて、この道後温泉本館ですが、初代道後湯之町町長に就任した伊佐庭如矢さんが1890年に老朽化が進んでいた道後温泉本館の改築を行ったそうな…

巨額な費用が必要なため、周囲の反対を受けながらも1894年に、この道後温泉本館を完成させたとか…そのときに一番最初にできたのが「神の湯」

その伊佐庭如矢さんの像も、道後温泉本館の近くにありました!!

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正岡子規、夏目漱石など歴史上有名な人物も数多く入浴している、この道後温泉
そんな夏目漱石の「坊ちゃん」の碑も
道後温泉本館の目の前に
夏目漱石も道後温泉の湯舟に「ボッチャン!!」と飛び込んだのでしょうか???

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噂では、聖徳太子もこの道後温泉で入浴したとか…

聖徳太子は、私の子供の頃の憧れの存在だったですからね…
(単に壱萬円の肖像画が聖徳太子だったから)

そんな「ジブリの世界観」が漂い、聖徳太子も浸ったという道後温泉
誰しもが、入ってみたいと思うじゃないですか
だから、すぐには入れません!!

このように整理券をゲットして

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まあ、温泉街なので、どこでも時間は潰せますしね…


さてさて、道後温泉といえば郷土地誌『予陽郡郷俚諺集』に記されている「白鷺の伝説」
1羽の白鷺が岩の間から噴き出る温泉に怪我をしていた脛を毎日当てていたところ、その怪我がみるみる回復し、遠くへ飛んで行ったとか…
その姿を見た人々が白鷺に習って温泉に入ると、怪我や病気がたちまち治ったことから道後温泉は広く知れ渡ったらしい…この逸話から、道後温泉は白鷺によって見つけられたとも言われているとか…

さてさて、入浴時間がくるまで、温泉街をブラブラ

名古屋人が喜びそうな金のダルマをみつけたり…

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温泉上りの夏目漱石か…??
赤いタオルが一瞬、アントニオ猪木に思えたぞ…

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そして、坊ちゃんとマドンナと…

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そして、道後温泉本館の前でも
歴史を感じて

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あ、ここは皇室専用の浴室(又新殿)と呼ばれる浴室の入り口のようで


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国の重要文化財の前で…

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そんなこんなしてたら、入浴の時間に…
下駄箱…
何番にしようかな…
ここは、大リーグにいってしまったけど、阪神タイガース時代の藤浪くんの背番号で

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ここから階段下が「神の湯」の浴槽です!!
この図にあるように混浴ではありません!!
男湯、女湯に、ちゃんと分かれています…
脱衣室もとことんレトロ
昭和にタイムスリップしたみたい!!

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石造りの浴室内「湯釜」と呼ばれる湯口は、上記の写真のように大きな円柱形をしており、それが一つ…絶えず浴槽にお湯を注いでいる感じ

 アルカリ性単純泉~美人の湯と言われているよう…

特にぬめりなども感じない…


感想を一言でいえば、狭い!!狭い!!
とてもじゃないが、夏目漱石のように「ボッチャン」と飛び込むと他の入浴客に迷惑がかかる!!
入場整理券を配っている意味がよく分かる!!

思っていたより大きくないお風呂
深いし、温泉が熱めで長湯はとてもじゃないができない…
せっかくの「千と千尋の神隠し」の世界観、正岡子規も夏目漱石も、聖徳太子も入ったと言われる温泉…なるべく長く浸っていたいと思ってたけど
熱すぎて、長湯はのぼせそう!!!この歳…だんだん長湯が出来なくなっているこの頃…湯あたりしてぶっ倒れる危険性が!!
そう、ぶっ倒れて「湯婆婆」ならぬ「湯爺爺」のような妖怪となって、ここに棲みついては行けないと思って…
そうだな
実際に入っていたのは10分くらいでしょうか…いや10分も浸って入れなかった気もする…

まあ、石鹸はもっていたので、それを使って、シャンプーはもってなかったので、頭からお湯をかぶって、着替え込みの滞在時間は30分弱だったような…

どおりで…整理券は30分刻みだったのが納得!納得!!

入浴料460円…
この狭さ…このお湯の熱さ…街の銭湯で同じ条件だったら利用しないだろうな…と思いつつも
身体はポカポカ!!

温泉あがりの「クラフトチューハイ」の美味しかったこと…


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ああ、生きててよかった!!湯爺爺にならなくてよかった!!…笑



「松山市立子規記念博物館」で…「しき」を感じて

2024-05-09 05:56:01 | 博物館・美術館

私は…国語の教員である…
だからして…愛媛、松山にきたら興味があるものと言えば
「道後温泉」よりも…「道後温泉」よりも…「道後温泉」よりも…
「道後ビール」よりも…「道後ビール」よりも…「道後ビール」よりも…
「鯛めし」よりも…「鯛めし」よりも…「鯛めし」よりも…

「柿くえば 鐘が鳴るなり法隆寺」

俳人、正岡子規でしょう…

…ってことで
道後公園内にある

「松山市立子規記念博物館」

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短歌の石碑もありまして…

足なへの病いゆてふ伊予の湯に飛びても行かな鷺にあらませば」

「足が萎えて歩行が自由にならない病気が治る、と昔からいい伝えられている故郷の道後温泉に飛んで行きたいものだ もしも自分が鷺だったなら…」の意

明治22年結核になり喀血してから「子規」という俳号を用いるようになったとのこと…その年に全く歩けなくなったとのこと

その「子規」という俳号は鳥のホトトギスのこと。ホトトギスは口の中が赤いため「血を吐いて鳴く」と言われていて、結核に冒され喀血していた自分をホトトギスと重ね合わせたよう
「子規」「死期」とも重ね合わせたのかも知れないなあ…とは、勝手な私の妄想

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入り口にいてる正岡子規

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結核に冒され、療養生活の中で多くの句を発表しつつ、1902年、34歳という若さでこの世を去った正岡子規

元気なころは、野球が大好きであったようで
正岡子規は2002年、野球殿堂入りをしてるらしいんだな

…というのは、子規は英語のベースボール用語を日本語に訳していて、「打者」「走者」「直球」「飛球」などは今でも使われている言葉…
これらを、正岡子規が訳したんだって…へー!!…知らんかった!!

さらに「アウトを除外」と訳したようだけど、これは、今となっては「除外」されてますけど…

ちなみに「しきゅうしき」子規ゅう子規」とは言いません!!
念のため!!


ベースボールを「野球」と訳したのは鹿児島出身の一高野球部監督の中馬庚さんですが、子規は幼名の升(のぼる)という名前にちなんで「野球(のぼーる)」という雅号を用いたりしてたそうな…

なので、この顔ハメパネルの「のぼさん」とは正岡子規のこと
…けして熱めの道後温泉に浸って「のぼさん!」と言ってる訳ではありません!!




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「子規」ならぬ「しっきー」

飛騨春慶塗とか山中塗とか…
それ、「しっき(漆器)」やがな…

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そんな「しっきー」と、松尾ドショウとのツーショット

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平ぺったい柳原極堂さんが、呆れてますなあ…

あ、柳原極堂さんって誰やねん!!と思われてる方も多いと思われるので、簡単に紹介しとくと、愛媛松山の俳人、正岡子規と親交を深めていた正岡子規の1年後輩にあたる方のようで…

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ではでは、早速館内へと

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実は、館内の展示品の数々は
この常設展エリアも撮影禁止でして

子規ならぬ「士気(しき)」は、ダダさがりなんですが…
だって、写真を掲載しながら紹介していくと、書きやすいやん!!

なので、まあ、私の記憶を信じて、だらだら書き綴ることにしようと

まずは、愛媛県の歴史から神話の世界から、松山や道後温泉の発展など
全然、正岡子規とは関係のなさそうな展示品の数々

まるで、松山市道後の民俗資料館の様相
展示品の説明は、お堅く…やや難しく。きわめて真面目
オヤジギャグなんぞの遊びの要素は、全く感じられません!!

古事記の国産み神話によると、日本列島において淡路島の次につくられたのが伊予之二名島(四国)
その四国は2組の男女に喩えられていて、伊予国は愛比売(エヒメ)、讃岐国は飯依比古(イイヨリヒコ)、阿波国は大宜都比売(オオゲツヒメ)、土佐国は健依別(タケヨリワケ)と名付けられていたそうな…

正岡子規とは関係なさそうだけど、勉強になったぞ!!



その後は、正岡子規ヒストリー

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まさに、正岡子規が生まれてから34歳で亡くなるまでの生涯をさまざまな資料、ジオラマ、映像などとともに…

正岡子規は、1867年に松山藩に仕える武士の家系に生まれたそうな…

16歳にして上京…文学へ興味を深め、文人としての道を進んで行き、同窓生には夏目漱石も…

ロビーには平ぺったい夏目漱石もおりました!!


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その後、硬派な新聞社である「日本新聞社」にて新聞記者となり、連載を通して俳句の革新運動を開始するも、日清戦争が勃発すると従軍記者として遼東半島へ…
その従軍記者として戦地に派遣されていたときのカバンも展示されていました!
戦地に赴いた後、子規は現地から日本へ戻る船の中で喀血する…

病気の療養のため、子規は東京に戻らず、生まれ故郷の松山に一度帰ることに…そこで再会したのが、松山で教鞭をとっていた親友の夏目漱石だったそうな…

さてさて、館内で写真OKのエリアが一つありまして…

そこには夏目漱石の住んでいた家屋「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」の復元展示が…



松山へと帰郷した正岡子規は漱石とは旧知の仲であったことから、漱石の家に居候…療養しながらも52日間、連日句会を開きながら漱石と一緒に過ごし、ともに句を詠んでいたそう…



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そのときに詠んだと思われる句碑

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愚陀仏庵は中に入ることができて、その2階から夏目漱石の声が聞こえてきたような…
私、夏目漱石の声を聴いたことはないので、座敷童子だったかも???…笑


かつては復元されたものが「萬翠荘」の敷地内に建てられていましたが、そちらは土砂災害によって倒壊してしまったようで

晩年は、結核を患いながら布団から起き上がることすらできなくなっても療養生活の中で多くの句を発表…

寝たきりで執筆した随筆「墨汁一滴」「病牀六尺」の原稿も展示
「病牀六尺」については彼が亡くなる2日前まで、当時の新聞に掲載されていたとのこと…

正岡子規の生涯が、生きざまがよーくわかった、この記念館

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正岡子規をリスペクトしつつ
ここで、私こと、松尾ドショウも一句、詠むことにしよう!!

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「松山で 子規を感じて 四季感じ」

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しまった!!季語を忘れたー!!

季語を忘れても、士気(しき)を高めて「なんのこれしきー!!」…笑


松山・道後に鎮座する伊佐爾波神社(いさにわ神社)を参拝する…

2024-05-08 05:18:20 | 歴史史跡

道後温泉本館の方面から
湯神社の境内を通り過ぎると…
そこに見えるのは、強烈な…急な角度の石段

「えー!!」と驚きの「ひめい(悲鳴)」がでるほど…
…だから、「えひめー」…汗

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その上には朱色の社殿…

ここが伊佐爾波神社(いさにわ神社)

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…なんでもWEBをググってみれば
伊佐爾波神社の社殿は日本に3つしかない八幡造りなんだそうな…
ご本殿の屋根が2つになっているのが特徴だそう
大分の宇佐神宮と京都の石原水八幡宮と共に、日本三大八幡造と称されているんだって…
「日本三大〇〇」と言われれば、この目でみておきたいぞ!!
八幡造り!!!


かつこの石段…
私が、今度、松山、道後にきたときには、足腰が弱ってて、登れないかも知れない…と思うと…
伊佐爾波神社で参拝するのも、ひょっとしたら一期一会
この機会に…意地でもこの石段を登り切って参拝しなくては!!

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石段の数もググってみたら載ってました…

135段

本当に135段なのか確かめようと…数えながら、上ろうと…
「1、2、3…」と数えながら上っていたんですが…
いつのまにか「ひぃひぃふぅふぅ」に…
何もおもしろくもないのに膝が大爆笑してる…汗

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石段の石の大きさがまちまちなので…足元をよくみて上らないと捻挫しそう…

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石段途中の踊り場…
膝の大爆笑を鎮めるべく多くの人が一旦、ここで足を止めて水分補給したり、振り返って、上ってきた石段や、ここから見える道後の街を眺めることと思われる…

左右に狛犬…
転がしている玉がでかい!でかい!!
両方、を転がしているのは、たまたま、でしょうか…
案外、珍しいタイプの狛犬だなあと…


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石段途中のこの斜めに倒れそうな御神木っぽい巨木もインパクト大ですなあ

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巨木には空洞が

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その石段の途中には摂社である素鵞社が

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横は道になってて、ひょっとしたら足腰が弱ってても、こうして車いすでもいけそうな気も…自動車だとどうなんでしょう???相当な運転技術が必要になりそう…

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さてさて、私は引き続き石段を
「ひぃひぃふぅふぅ」
最初に、石段を数えようと思った意思はどこやら

でも、朱色の社殿が大きく見えるようになってくると、不思議と力が湧いてくる

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やっとの思いで、やっとの思いで、
日本三大八幡造に辿り着いた!!

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この朱色の社殿の美しさを感じる前に…
つい、上ってきた石段を振り返って眺めたくなりますなあ…

「バカは高いところに登りたがる」…まさに、私、そのとおりの性格なので

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よくぞ、のぼったと、大爆笑の膝を褒め称えて…笑



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この社殿を建築したのは江戸時代の三代松山藩主、松平定長(まつだいらさだなが)
定長は、ある日夢枕に現れた八幡大神のお告げにより、江戸城で開かれた弓の競射で見事金的を射止めたそうな…定長はその御礼として社殿の建替えに着手し、寛文7年(1667年)に完成させたとのこと…


伊佐爾波神社は創建について詳細が不明ですが、延喜年間(901~923)につくられた延喜式に載っている古社であることから、1000年以上前から信仰を集めてきたらしい…

もともとは、現在の道後公園の敷地内に建てられていたそうだけど
14世紀前半ごろ、湯築城築城に伴って
湯築城の鎮守として現在の場所に移されたとのこと…

楼門の左右には

見張りの神様の像

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ご祭神は神功皇后さま、応神天皇さま、仲哀天皇さま、三柱姫大神さま

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心願成就の神様に頼みたいことは、ただ一つ

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「元気でポックリ逝けますように」と

いや、もう一つ
「特に変わったことのない穏やかな日々が続きますように」

ついでにもう一つ
「腰痛、なんとかしてよ!!」

…とたった百円の賽銭で、願いことを盛り過ぎたかなと反省しつつ
二礼二拍手一礼

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この日は五穀豊穣を願う「鉢合わせ」で有名な「道後秋祭り」

五穀豊穣を願って神輿も祈祷されていました…たぶん…

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国の指定文化財である伊佐爾波神社(いさにわ神社)の社殿、楼門、回廊など

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「太刀 銘国行一口」や算額が、重要文化財や県指定の有形民俗文化財のようであります

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巨大な絵馬…風…フォトスポット
この年、2023年は、ウサギ年…だったにも関わらず「読売」は残念でしたなあ

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伊佐爾波神社は、楼門から左右にのびる回廊が御本殿を取り囲んでいまして…

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回廊(かいろう)をぐるっと廻ってから、かいろう(帰ろう)…汗

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狛犬…装飾が鮮やか

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門をくぐって回廊内へと

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回廊には、金ぴかで名古屋人が喜びそうな奉納された神輿

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だけに、うまいこと描かれていますなあ
たぶん…源頼朝と思われる『騎馬武者像』

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たぶん、四十七士いると思われる

「四十七士像」…数えてないけど…

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そして回廊からみえる社殿の美しいことよ

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日光東照宮を思わせるような桃山文化の様式
伊佐爾波神社の社殿は、京都の石清水八幡宮を模して建てられたそうで


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さあ、回廊をぐるっと廻ったところで、かいろう!かえろう!!

…とその前に、目に留まった一枚の額

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和藤内の虎退治

あの…2023年は阪神タイガースが絶好調なのよ
日本一しちゃったのよ
なので…2024年も「虎退治(とらたいじ)」はやめてくれー!!

「とらたいじ」じゃなくて「とらだ、いじ(虎だ!意地)」ということにして…

日本シリーズも
さんぱい(参拝)…もとい…さんぱい(三敗)まではいいのよ!!
4勝すればいいのだからと…

阪神タイガースの優勝祈願を忘れてて、再度、さんぱいした私だったのでした…笑