次女が中学2年生のときだったと思う。
将来は何になりたいか聞いたことがあった。
小さな子に将来の夢を聞くのとは違って、少しは将来の進路を踏まえて聞いたつもりだった。
が、次女から返ってきたのは「お母さんになりたい」だった。
何かしらの職業を期待していた私は正直、心の中で
えっ!?
うそでしょっ!?
私の周りで「将来は何になりたい?」と聞いて「お母さん」と答えた中学生以上の子供は初めてだった。次女、幼いのか?とまで思ったよね。
娘のなりたいものをあからさまに否定したくはなかったが、かなりリアクションに困ったことを覚えている。
「お母さん」だなんて、そんなちっぽけな夢…
冷静さを保っていたけれどかなりショックだった。
次女は勉強も良くできたし、密かに大きな期待をしていたのだ。まぁ、ありがちな医者、弁護士、外交官系のような地位のある仕事を。
今思うと、自分の方が想像力が乏しくつまらないな。(笑)
次女と話した後、なんとか次女の夢を受け入れようと「お母さんになること」についていろいろ考えた。
そして、次女が「お母さんになる」のは、実はどんな職業につくことより難しいんじゃないかと気がついた。
医者だの弁護士だの、何かしらの職業はなりたいと思えば自分の努力でどうにかなる。
でも、「お母さん」になるには、自分一人の努力だけではどうにもならない。
パートナーと出会うことだって縁があってこそ。
子供だって相手がいるからといって授かれるものでもない。
もしかしたら「お母さんになる」って本当に「夢」そのものかもと思うようになった。
それに、「お母さん」= 専業主婦ではない。
自分もずいぶんと「お母さん」と聞いて家庭に入るという昔のイメージが刷り込まれていたものだと気がついた。
おまけに自分自身が「お母さん」をちっぽけな扱いをしてしまっていて…恥ずかしくなった。
いやいや、「お母さん」はすごいよ、と今さらながら思う。
子供をちゃんとした人間に育てていくって本当に大変だし努力も忍耐もいる。それにお母さんの仕事は子育てだけではない。シェフになったり会計士になったり、カウンセラーになったり…けっこう無限で、無給の無休なのだから。
先日、Netflixで多部未華子さんが好きで、何気に「私の家政婦ナギサさん」を見始めた。(意外と面白かった!)
このドラマの中で、家政婦のナギサさん(50代のおじさん)が「私はお母さんになりたかったんです」と言うシーンがあり、このセリフを聞いて、え!と驚いた。
おじさんが「お母さんになりたかった」と言ったからではなくて、次女の他にも「お母さんになりたい」人がいるんだ!と嬉しい驚きだったのだ。
次女にナギサさんの話をし、昔話で盛り上がった。
どうやら、当時、友達にも「お母さんになりたい」と言っていたらしく、最近、その中学からの友人達ともその話題になっていたらしい。
次女、「恥ずかしすぎる」だって(笑)
そして、「お母さんになりたかった」理由を話し始めた。
次女が小さい時、赤ちゃんの人形が大好きで、クリスマスプレゼントはベビー人形という年が続いたり、小学6年生の時には近所の低学年の子の宿題を教えたりしていて、私は単純に子供が好きだからだと思っていた。
すると、次女は
お母さんになりたいと思ったのは、ママと自分の関係が好きだったから。
自分と自分の子供が、ママと自分みたいな関係になりたいと思っていたんだよね。
と。
中学生の次女がそんな風に感じていてくれていたなんて知らなかった。
親としてこれで良いのか悩むことは多々あったけれど最高の褒め言葉をもらったような感じがした。
その次女に「お母さんになりたい」と驚かされてから10年近く経った今、彼女は小児心理士を目指して頑張っている。