【Republic of Armenia episode 6】錚々たる修道院と Areni のワイン

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

アルメニアで出会った超絶綺麗なキャンプ場 Camping 3 GS にて フィリップが去っていった後も少しダラついた後、
腰に根が生える前に出発します。

ここまでのルート

トルコとの国境沿いを下り Khor Virap; ホル・ヴィラップ修道院へ

薄紫のきれいな花が咲く丘で遊びつつ、西方向へと進む。

遠くから湖面が見えたから、ダートを進んで立ち寄ってみる。
ここは Azat; アザット湖。バイクを停めて写真を撮っていると、向こうから来た4WDの車からひとりの男が下りてきて声をかけてくれた。彼の名は Gleb. 彼もバイク乗りのようで、少し話して連絡先を交換した。後の話になるけど、本当に気まぐれでたまたま立ち寄ったこの湖で、本当にたまたまGlebと出会えたのは幸運中の幸運だった。

人との出会いは、偶然性という金では買えない数少ないもののひとつで、といいつつ とても偶然とは思えなかったりすることもある。

いまは南西に向かっているから、どんどんトルコとの国境に近づいている。
そしてだんだんと、アララト山が眼前に迫ってくると、あぁ自分は本当にこんなところまで自分のバイクで走って来たんだなぁという感慨が込み上げてきた。

誰にでも、自分だけの「異国を象徴する」なにかがある。沢木耕太郎の深夜特急に影響を受けた人もいれば、クレージージャーニーに感化された人もいるだろうし、管理人は何がきっかけだったのかもはやよく分からんけど、アララト山は「旅 異国 神話 宗教・・・」と漠然とした非日常をごちゃまぜにしてミキサーにかけた後つくねんと沈殿しはじめる浮遊物のようなものだった気がする。

Artashat の街にて Saint Hovhannes Church.

小さな街の小さな修道院が、思いのほか静寂で心地よい定期。

そして、アララト二峰をバック、修道院のシルエットが遠くに見えて来た。

大アララトをバックにだけ切り取ってみる。うん、なかなか 観光ブックにでも寄稿できそうな写真が撮れたんじゃない?

修道院前のパーキングにテネレを停めて階段を上り、中へ入っていく。

Khor Virap; ホル・ヴィラップ修道院。
アルメニアにおいてゲハルトと並び最も観光客を集める修道院のひとつだ。
修道院はこの写真にある Surb Astvatzatzin教会と、この教会の南西に位置する礼拝堂で構成されている。教会が建てられたのは1662年、列柱に囲まれた鐘楼塔を上にもつガビットと、トンガリドームという、典型的なアルメニア教会の形をしている。

西側にファサードを向けるガビット入り口と、教会内部。

敷地内のハチュカルで、ツバメが飛び立っては戻ってくる。そういえば日本でも、新学期のシーズンになると駅の敷地内にツバメが巣をつくってせわしなく飛んでいた。

教会の城壁を出て、北西側にのびる道をのぼるってみる。

修道院の城壁を含めて、北側から全体を一望できた。

丘の頂上からも、大小アララトを撮ってみる。いまいち、肉眼に比して空と山の輪郭のコントラストがはっきりしない。マイクロフォーサーズのミドル機でも、設定次第でもう少し綺麗に撮れるんだろうけど、ちょっと勉強不足でわからん。それよりはRAWで撮っておいて編集したほうがいいのかな。

修道院全貌、北西より。

さて、ここホル・ヴィラップ修道院が無数に修道院をもつアルメニア内でも随一のスポットなるのには、教会以上にこっちの Surb Gevorg; 聖ゲヴォルグ礼拝堂が由縁している。
聖ゲヴォルグ礼拝堂の原型は、先のSurb Astvatzatzin教会が建てられるより1,000年以上も前の642年に建てられた。

聖ゲヴォルグ礼拝堂内。祭壇はなぜか少しだけ南東方向を向いている。

礼拝堂の床には、2か所地下に通じる部分があって、北西側のこの階段を下ってみると、

かなり狭い地下空間に出る。正直この空間がなんなのかはよくわからん。

そして南東側、ちょうど祭壇の隣に空いた穴には、まじで?これ下りるの?と思うような梯子が地下深くに伸びている。

鉄の梯子は完全に垂直で、管理人の体型でも肩や背中がひっかかるくらい狭い穴をおりていくと、今度はまるで深い井戸の底のような場所にでた。この場所こそ、以前リプシメ教会のエピソードで触れた、啓蒙者グレゴリウスがティリダテス3世によって投獄された地下牢なのだ。

一連のエピソードが本当なのであれば、啓蒙者グレゴリウスはこんな空間で誰かが投げ入れてくれるパンだけを糧に15年も生きながらえたことになる(13年とか14年とか諸説)。人は太陽光がないとビタミンDを体内で合成できないから、きっと啓蒙者グレゴリウスがこの地下から出たときは、体中の骨がボロボロだったに違いない。普通の神経だったら数か月で精神を病むに違いないけど、地下牢から出た彼はティリダテス3世を癒して洗礼するほどに正気と叡智を保っていたわけだから、まさに聖人である。

地下牢のハチュカルたち。

ホル・ヴィラップ修道院前のお土産屋群で、なんか気まぐれでこんなようなのを買った。2,000ドラムといわれたけど 財布を見せて、「いま有り金全部でこれしかないんだよ・・・どうしよう・・・あぁどうしよう・・・」戦法で700ドラムで譲ってくれた。

ホル・ヴィラップ修道院の裏手にある広大な墓地の間を抜けて、

東側の小高い丘にのぼってみる。

小アララトを望んで。
この写真だけみると、富士山の前で撮ってるみたい。

更に丘の向こうに広がる湿地帯はコウノトリが集まっていた。

至宝 Noravank; ノラヴァンク

ホル・ヴィラップ修道院を去った後は、アルメニア南西部にあたるトルコとの国境沿いをどんどん南下していく。

一面に広がる菜の花の絨毯。

小さな山をいくか越える度に、絶景が広がる。

山の上から、Areni; アレニの村が見えて来た。

村まで坂道を下って、

ゲハルトやホル・ヴィラップと並び最もアイコニックな修道院を訪れるために綺麗に整備された道路を南側へ進んでいく。
両サイドを切り立った崖に挟まれた深い峡谷の隙間を縫うような道路だ。舗装状態がよく、走っていて最高に気持ちいい。

観光地化することで、そのサイトが本来もっていた雰囲気が失われ、多くの観光客でごったがえしてしまうなんてのはよくあることだけど、一方でこうして道路が整備されるのはバイク旅行者にとって非常にありがたい。

つづら折りとなる道路の上に、2つの教会が見えて来た。

壁外にテネレを置いて、中へはいっていく。

2つの美しい教会は、まさに至宝と呼ばれるに納得の佇まいで 峡谷を挟む崖の上に鎮座していた。

2つの教会のうち、北西側に建つのが Surb Karapet; 聖カラペット教会。地震で破壊した旧来の教会の址に1227年に完成した。
南側の壁の一部に残る煉瓦の残骸が、元来あった9世紀の遺構だ。

西側ガビットの入口を飾る彫刻。

キリストを抱いて、胡坐のような座り方をする聖母と、父なる神が象られている。 神が左手に持っているのは、洗礼者ヨハネの頭だ。今では、シリアのウマイヤド・モスク内の霊廟内にあるとされている。

13世紀以降も、度重なる損壊と修復を繰り返してきたドーム。

聖カラペット教会内。

北側の壁と、

南側の壁。

壁面のハチュカルと、

床面の石棺。

壁面の碑文。

特に印象的な、北側の壁にあるこの彫刻は、教会建設時 この地を治めていたアルメニア貴族オルベリアン家の騎手が獅子を狩る様子だという。

 

ガビットにある急な階段をのぼると、ドーム下の祭壇がある空間に通じている。ガビットも教会も、照明はなく、天井穴からの採光と 来場者が捧げたキャンドルのわずかな光によってのみ内部が照らされる。

もうひとつの教会は、南東側に建つ Surb Astvatsatsin; 聖母教会。
1339年の完成で、14世紀のアルメニア人天才建築家 Momik; モミクの傑作といわれている。

列柱式のドーム。

西側のファサードは特徴的で、小さな階段が2階部分の入口に通じているが、、、少し前までは上ることができたみたいだけど、今では上るのが禁止になってしまってる。事故でもあったんだろうか。

 

下の門を飾るのは、天使に囲まれた聖母とその子、縁取りには人の頭をもった鳥 ハーピィのような生き物。

2階の入口は使徒に囲まれたキリスト像となっている。

1階のみ内部に入ることができる。聖カラペット教会よりもさらにあっさりとした印象。

壁面のハチュカル。

天井部分に彫られた4つの紋章は、

鷲と翼をもった牡牛、

やはり翼を持った獅子と聖人。

教会の東側の壁を見てみると、

羊を掴んだ鷲の像。ゲガルド修道院ではプロシアン家のシンボルとして登場したけど、これはおそらくオルベリアン家の紋章でもあるらしい。中世アルメニアではかなり貴族にとって汎用的な紋章だったんだろうか。

東側壁面の紋様。

2つの教会のやや北東側には、まるで納屋のような小さな建物が2つ並んでいる。

南側の建物の内部は、

外見にそぐわず、見惚れてしまう程に精緻な彫刻のハチュカルが内蔵されていた。

北側の建物は、

特になにもなかった。

ってなわけで、ノラバンクの魅力を十分堪能したところで再びAreni; アレニ村の方へと戻るとする。

教会の建つ崖の上から、走って来た道を見る。まさに峡谷の縫い道。

Areni; アレニのワイン

途中で気になった Magellan; マゼラン洞窟に寄ってみる。

入口。

まぁ後から写真で見返すとわけがわからんのだけど、ルートは全長で350mあって、中では鍾乳石や化石をみつつ、古代の生活の跡もみることができる。海外あるあるのド派手なライトアップは、ちょっと辟易としちゃうよね・・・。

洞窟内で発見したコウモリ。

洞窟を出て、ブドウ畑を眺めつつ、

樽がワインの街であることを物語るアレニ村。近くにあるアレニ洞窟では、ジョージアに次いで先史時代のワインの痕跡とみられる発見もあって、紀元前4,000年 つまり今から6,000前には既にワインの生産が発達していたと考えられている 生粋のワインの村なのだ。

ファクトリー的なのを探すけど、やや迷いつつ、

やってきた ARENI WINERY.
ここの紋章も、羊を掴んだ鷲だねぇ。

ワイナリーの中にはいってみると、素敵な雰囲気で 試飲もできるみたいだった。

バイクで来てるから飲めないんだよねぇ というと、「ちょっとなら大丈夫よ~」といってグラスに注いでくれるおねぇさん。

くどいようだけど、管理人はワインの味の善し悪しはまじで分からないけど、それなりにおいしいなぁとは思った(小学生みたいな感想しかでてこない)。それより、鍵のデザインのロゴがかわいいのと、ブドウ以外にも、ザクロやチェリーでつくられたワインもある。

店の2階部分はカフェになっていて、

おねぇさんが気を利かせてくれたのか、ワイン蔵を見ていかない?と 鍵を開けて中に入れてくれた。

巨大なワイン樽と大量にストックされたワインたち。もっとも大きい樽で10,000ℓ、2番目にでかい樽で8,000ℓのキャパがあるらしい。

木製樽以外に、こんな感じの手描きのペイントが施された壺も保管手段のひとつになっている。
木製樽と、土からつくられた壺とでは、やっぱり味に変化がでるんだとか。

この工房でワインの製造がはじまったのは1980年代からだから、一番古くても40年物とかになるらしい。
ワイン業界では40年物ってどうなんだろう。まぁ古けりゃいいってもんじゃないんだろうけど、次来る機会があれば、自分と同い年のワインを探したりするのも面白いかもしれないね。

何かまた、嵩張らない小さな記念品でも買おうかなぁとしてると、店のおばちゃんが どうやら数年前に日本に行ったことがあるらしく、スマホでその時の写真を見せてくれた。最終的に全然関係ないシンガポールとか台湾旅行の写真まで見せられて 小1時間はつかまったけど、機嫌をよくしたおばちゃんが、店に戻ってキーホルダーを取ってきて「もってきなよ」とタダでくれた。
そんなおばちゃんと、親切に案内してくれたおねぇさん。

Crossway Camping

ワイナリーを去って今日の野営はどうしようかとふらふら走っていると、ん?電柱の上に鳥?

ウズベキスタンではそこら中にコウノトリのモニュメントがあったから、最初つくりものかと思ったら、まじで電柱の上にコウノトリが巣をつくっていた。

適当に走っていたら、ふと視界の右橋にCAMPINGの文字列が、、、
Uターンして戻ってみると、どうやらキャンプ場のようだ。

おそるおそる中へ入ると、ロシア語しか話せないけど気のいいおばさま風の人が「いいわよいいわよ~、お金は明日でいいから好きな場所にテント張りな~」と出迎えてくれた。

飼い犬なのか知らんけど、やっぱり賢くおとなしいわんころを無料の番犬としてテントを張らせてもらう。

どうやらアルメニアのキャンプ場はこのクオリティがデフォルトなのか?
夜になると綺麗にライトアップされて、3 GS ほどではないけど、快適な空間を完全に独り占めする感じになった。
もともと、コーカサス経由でイランへと抜ける欧州のツーリスで賑わうはずのアルメニアだけど、現在はイスラエルとイランの関係悪化に伴ってこのルートを画策するツーリストが激減してる。
それに加えて、遡ればロシア革命直後から100年以上に渡ってつづくアゼルバイジャンとのカラバフ紛争もいつ再燃してもおかしくない。
90年代の戦闘激化から、幾度となく停戦と再燃を繰り返し、つい昨年の2023年に アルツァフ共和国の消滅をもって今は落ち着いている。

テントを張った後、近くの街に食糧を買い出しに行って、夕飯をつくる。

ピリ辛ツナ缶の炊き込みご飯を食いながら、ゆっくりと写真の整理をするのであった。

つづく

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