叢草雑記-

徒然なる日々を。わたくしを定義することはやめた。

傷心


とある日の湘南。

写真には撮影者のことが写ると言われるが、この時やたらと淋しかった私の精神が写真に表れているだろうか。

私には、いつも通りの写真にしか見えない。

写真に写るのは、撮影者というより鑑賞者の心情ではないかと思う今日この頃である。



_____

_____


_____



_____


_____


_____


_____


_____


_____

写ルンです


II型とズマールと心中するつもりの私としては、レンズ付きフィルムなんぞ安易に使いたくはなかったのだが、撮影当日が雨予報だったから片手で扱えるカメラとして写ルンですを持って行ったのだ。 

今回はばたこさんの里帰りがテーマだったから、親近感のある写真を撮るという点では良い選択だったと思う。

ただ、写真そのものを見るならば、全体的に色がチープというかなんというか、積極的に使いたいとは思えない写りをしている。

たまに飛び道具として使う分には良いけれど、やはり私はII型とズマールを使い続けたい。


_____


_____


_____


_____


_____


_____


_____


_____


_____


_____


ちなみに下の写真はいつもの愛機で撮ったもの。

やはり違うよね。

_____


_____

ご縁


職場に研修に来ている中国人と、一緒に京都に行くことになるかもしれない。

この人はほとんど日本語が話せず、いつも翻訳アプリを通じて話をしているのだが、逆に言えばそうまでして私とコミニュケーションを取ろうとしてくる。

そういうことであれば、私もそれなりに誠意を見せなければならないと思って色々話をしているうちに、一緒に京都に行こうかという話になったのだ。

正直なところを言えば、中国という国のことはあまり好きになれないし、集団でやかましく騒いでいる彼らのことを苦々しい思いで眺めたことは何度もあるのだけれど、個人同士の付き合いまで否定するほど排他的な人間ではないつもりである。

こういう小さな触れ合いの積み重ねが、いつか国際親善に繋がるかもしれないなどとご大層なことを考えている訳ではないが、個人的な繋がりを大切にすることは決して悪いことではないだろう。

それにしても、大学時代に多少なりとも中国を勉強していたのに、最早まともに内容を覚えておらず、もう少し真面目にやっておけば良かったと思うのは、この前のインド人の時と全く同じである。

人間はいつも同じことで後悔するらしい。

桜の頃


初めてましての、みほさん。

にこにこ柔らかい笑顔の中に、強い意志を持った素敵な女性だと思った。

そういう意志の強さとか、演劇をやっている彼女の表現力とかを撮れれば良かったのだけれど、結局は笑顔の写真か多くなってしまう。

もう少し表情やポーズのバリエーションがあったほうが良いのかなと思うこともあるが、いわゆるキメた写真を見て心が動くことは少ないから、私は私の撮りたいものを撮るしかないのだ。

これからも、女性の笑顔を撮りたい。

_____


_____


_____


_____


_____

_____


_____


_____


盲点


夏の北海道旅は取り止めて、また鹿児島に帰省することになると思う、多分。

最近はどうも旅先の新規開拓をしようという気力が失われてしまっていて、長い休みがあるのなら実家でのんびりしたいという気持ちが強いし、なるべく両親に顔を見せておきたいという思いも多少ある。

問題はもう既に飛行機のチケットが相当高くなってしまっていることで、セントレアから鹿児島まで片道4万円近くする。

お盆の時期だから仕方がないとはいえ流石にこの値段は辛いから、今回は往路に新幹線を使おうかと考えていて、新幹線なら名古屋から鹿児島中央駅まで片道2万円強に抑えられるし、復路の飛行機は2万円程度で取れるから、往復でも5万円には収まる。

それに新幹線利用なら、仕事が終わってすぐに出ればその日のうちに鹿児島に辿り着けるから、時間を有効活用するという点でも実に効率が良いのだ。

今まで、LCCのやたら安い運賃と比較して新幹線が高いと思っていたけれど、実は意外なところにお得な移動手段があったのである。

本心


禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので、昨日はフィルムを1本お釈迦にしてしまった後、ぷつりと切れた集中の糸を繋ぎ直すために入った蕎麦屋で、大変美味しい蕎麦とあおりいかの刺身、清酒を頂くことができた。

特にあおりいかの刺身はしっかりと寝かせてあったようで、ねっとりとした甘みと旨みが素晴らしく、久しぶりに心から美味しいと思える刺身だった。

さらに言うならば、蕎麦屋で時間を潰したおかげで江ノ島到着がちょうど日没のタイミングになったので、新緑よりも余程好きな光景を写真に収めることもできた。

もしもあの時フィルムが駄目になっていなければ、私はそのまま行軍を続けてだいぶ早い時間に江ノ島に到着してしまっていたはずである。

せっかく撮った新緑の写真が消えてしまったことはどう考えても悔しいことだけれど、その代わりに得たものもあったから、今回の旅も結果的には実に愉快なものになった。

部屋にいては得ることのできない何かを、私は常に旅の中から得ている。

誘引


実を申せば、昨日は仕事を休んだ。

接骨院に行き始めてから、手首の動きは良くなりつつあるのだが痛み自体は少し増した気がして、さらに昨日は何となく頭痛もしたので、気合を入れて仕事をする気がなくなってしまった。

そしてもうひとつ、本日の晴天を最大限謳歌したいという欲求を抑えられなかったいうこともある。

天気を理由に仕事を休むなんて私も随分適当な人間になったものだと思うけれど、別に私などがいなくても回る仕事だからと最近は割り切るようにもなった。

そういう過程を経て、私は今日も湘南に来ている。

前に訪れたのはちょうどひと月ほど前だったし、3月末にも来ているから本当に毎月訪れていることになるが、それだけの誘引力がこの地にはあるのだ。

今回はいつもとコースを変えて、北鎌倉駅から明月院だの円覚寺だのを歩きつつ、新緑の美しさをフィルムに焼き付けて行ったのだがここでトラブル発生。

急に巻取りが軽くなってしまった。

フィルムユーザーならご存知、パトローネからフィルムが外れてしまったのだ。

近くにカメラ屋があれば暗室で取り出してもらうことも出来るのだが、タイムロスがいかにも勿体無かったので、そのままカメラからフィルムを取り出してしまった。

勿論、新緑の写真は全てパー。

あの美しさは目に焼き付けてあるから問題ないというのは何とも苦しい強がりで、一気に集中力が切れてしまったので通りで見つけた蕎麦屋で自棄酒をした。

せっかく天気が良かったのに、良い写真が撮れたと思ったのに実に残念である。

人生、思うようにはいかない。