「わたしはわたしと一緒にいたい」3年間の瞑想体験記 | みえない世界をガイドする BIWANOTERA

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お浄め鑑定☆善神との縁結び/鳴釜神事/瞑想/ヴィーガン&ミニマリスト

3年前オンライン瞑想レッスンを

始めるとき命名した

【幸福度があがる瞑想レッスン】

 

そこには素朴が疑問がありました。

 

この国の人たちは

どうしてみんな

忙しくて疲れているの? 

焦っていて時間がないの?

不満が多くて満たされていないの?

 

実際、毎年行われる

「幸福度ランキング」で

日本は先進国のなかでは最下位。

 

豊かで安全な長寿国

日本は客観的には幸福なのに

なぜ??

 

幸福度をあげるには

瞑想しかない。

 

この瞑想は幸せになる道だと

ブッダが保証しています!

 

 

 
ブッダはそうは言ってるけど
ほんとうにそうか
証拠をみせてほしい?
 
そう、現代人は証拠を
欲しがります。
 
3年間、週1回の瞑想会と
月1回の瞑想レッスンに参加を
続けた方からの
体験記が届きました。
メモメモメモ
 
Hさん 50代のフリーランサー。
マジメな努力家で
専門性の高い分野の仕事で活躍をしています。
 
ご本人の書いているように
ものすごい怒りを掻き立てる出来事がありました。
とても赦せるような生易しいことではなく
その感情に翻弄されるなかで
瞑想をスタートしました。
 
瞑想を続けていくうちに
相手も状況も変わらないのに変化が始まりました。
 
それは、怒らせた相手の背景に、想いを至らせる隙間ができた
ということです。
 
私たちは思考でそのように考えて
納得しようとします。
 
でも、ほんとうの納得というのは
頭で理解するというのとは違います。
「覚った」という感じに近いかもしれません。
 
ちょっと長いですが、そのまま掲載します。
偽りない体験は「証拠」になります。
 
感情と自分自身の間に隙間をつくる。
言うは易しだけれど、そこに至るまでなんと苦しいことか。
そしてそれが叶うと、なんと軽やかになるものか。

自分の内側で起こっていることに気づく。
これも説得力のある言葉だけれど、幾重ものエゴの襞をかき分けて進むような感覚。
でもそれに慣れると、何かがポロポロと剥がれていくよう感覚がある。これが楽しい。

そして、「身体の姿勢」は、諸々の事象への無意識の防衛や執着が身体に蓄積された結果だということに気づけた。
「身体の姿勢」は「生き方の姿勢」なのかも、なんて思った。

以上が、瞑想講座受講と夜の瞑想会参加を3年続けた感想。
とても楽ちんになった。
この3年の感想はこれに尽きるのだけれど、もう少し書きたい。

瞑想を始めた頃の私は、感情と思考に振り回されていた。
それまで、波風立てず、予定調和を旨としていた私(実際そうであったかどうかは別として)が、「私は私の最大の理解者になろう」「一番の応援者になろう」と決めた出来事があった。

とは言え、ものすごい怒りを掻き立てられる出来事だったので、常に怒りに囚われていた。面倒だったのは、怒りを覚え続けることに罪悪感があったこと。

予定調和が図れないことにどこか居心地の悪さもあった。
思考では、「相手に寄り添う」とか「赦さなければ」と思いつつ、私の深いところで、「それ違うんじゃない?」と言っていた。

怒りは二次感情で、その裏には隠された欲求があることは頭では理解していたものの、そんな知識は役に立たず。と言うより、見たくなかったのかもしれない。

ひたすら他人のせいにしたかったのだろうと思う。
思考も感情も休む暇がなかった。
たくさんお皿を割った。

今にして思えば、怒りを覚えても良いし、予定調和なんて幻想だし、寄り添いたい相手にだけ寄り添えば良い。

私は私の真の望みに気づいていればよかっただけ、私の主は私であれば良かっただけなのに、外側の基準のようなものに翻弄されていた。
 
私が勝手に作り上げていた、「求められている人間像」に翻弄されていたのだと思う。
つまり、私が私自身にダメ出しをし、深いところで受け入れていなかったのだった。

そんな中で、夜の瞑想会に参加していた。
週に一度、夜の瞑想会に参加すると、思考や感情がゼロに戻る感覚があった。とても自由で貴重な感覚だった。

それだけだと一過性のものとして忘れてしまったかもしれない体験が、瞑想講座に参加することで、整理され、言語化され、腑に落とされる。

私の中の私を体感して整理する。そんな時間を3年続けることができたのはありがたかった。

悶々としつつも瞑想でゼロに戻ることを繰り返していたある日、長い時間を経て、怒りが私の身体からふっと浮き上がったときの体感を、今でも覚えている。

私と怒りとの間に隙間ができた感じで、文字通り、軽くなった。
その時から、抵抗なく私の内側を探ることができるようになった。

何がトリガーになったのか。本当は何を望んでいたのか。
ぼんやり漂って内観していくうちに、ありとあらゆるニーズが溢れ出てきた。

「休みたかった」「褒められたかった」「わかってほしかった」「感謝してほしかった」などなど。

少し話しが逸れるが、自分でもびっくりしたのは、10年前、あることがあってめちゃくちゃ疲れた後に感じた「眠りたい、休みたい」という欲求が、10年後の昼寝で満たされ、その時の諸々の感情や疲労感にピリオドを打てたことだった。

生理学とか睡眠学的にはありえないかもしれないけれど、私にとっての真実だった。
未完了の欲求や感情は、尾をひく。

自分の責任を自分で取るとか、自分で自分の機嫌をとるってこういうことなのね、と腑に落ちた。

わたしはわたしとして生まれてきた。他の誰でもない。自分の内側に生まれた違和感や感情は、わたしが答えを探し、満たすしかない。

まず自分を知ろう、内側で起こっていることに気づこう。

できてもできなくても、私自身を知ることにフォーカスするというチャレンジを繰り返しているうちに、なにかが満たされたのか、私を怒らせた相手の背景に、想いを至らせる隙間ができた。というより、思考空間が自然に拡がった。理屈ではなかった。

仕事や家事をしながらそんなことを繰り返していたら数ヶ月前、これまでなかったニーズが起こってきた。

わたしはわたしと一緒にいたい。
わたしの内側で起こる、どんな想いにも気づいていたい。

初めて感じた強いニーズだった。

その声にしたがって過ごしていたら、何をしていても、何もしていなくても、満たされた。

急かされることも焦ることもなく、常に生まれたときのゼロ地点にいる感じ。
「こうありたい」も「かくあらねば」もない、中立の場所。
ひたすら楽ちんな場所だった。

ちょっとしたことでは腹も立たなくなった。
腹がたったとしても、「あのことが根底にあるのね。ということは、私の中でまだ満たされていないものがあるのね」とひと呼吸おいて眺められるようになった。

怒りは二次感情。
その裏には、満たされていない感情が必ずある。
それを、「大人のふり」をしてやり過ごすのでなく、内観を通じて探求し、自分で満たしていく。

死ぬまでそんな過程を繰り返していきたいと思っている。

4年目の瞑想講座は、マインドフルネスの範疇を超えることも教われる内容だという。
わたしのとっての幸せや平和を求めていきたいと思っている。
 
 
この体験談が
どこかの誰かの心に届くことを
願っていますクローバー
 
体験をシェアしてくださったHさんに
心より感謝します。
 
子どもの頃
幸せになれると信じて探した
四つ葉のクローバーは
あなたの足元にあるのです。
 
 
 
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光照寺瞑想会(逗子市) 5月14日 6月11日

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*瞑想会はドネーション*光照寺1300円

*オンライン瞑想レッスン(講座)月1回 月額制2500円

 
  
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