【独白】違和感の正体 | 美凪のひとりごと

美凪のひとりごと

羽生結弦選手を黒パリ散時代から絶賛応援中!
かなり勝手な“ひとりごと”、しかも不定期の呟きですが結弦くんへの想いを思いっきり叫びます。

一般人の日常は淡々と過ぎていき、結局昨日も何もする気力が湧かず、腑抜けてた。


ずっとモヤモヤな違和感。

金メダルが取れなかったから?

4Aが転倒したから?

泣かせに来てるつもりはないのに、泣かされたインタビュー?

どれも違うような気がする。



(以下、久々ぶちまける黒記事。勝手な独白なんで、穏やかに過ごしたい方はお戻り下さい)



メディアはしきりに三連覇を煽ってた(実際4A跳んで勝つ!と宣言した結弦さんの心に沿う気持ちで、私も94を書いた)けど、ひとりの日本人(アジア人)に9年越しで三回も金メダルを獲らせる穏和な環境は、ほとんど揃って無かったのだと痛感した。


平昌以降のこの4年間の国際試合での採点傾向の事はいわずもがな。GOEが7段階から11段階になったり、3Aと比較して4Aの扱いが余りにも軽すぎのあり得ない基礎点の設定だったり、果ては特定の選手にしか発動しないシリアスエラーだったり。すべて二連覇の王者に引導を渡すための改変だと、よほどの花畑でなければ解ろうというもの。


あからさまになっていく加点と演技構成点。

ノーミスしても勝てなかった試合が存在すると、賢明な彼こそが一番理解していた。


ファンは試合のたびにプロトコルとジャッジリストを確認し、失望しながらもネガティブな発信をなるべく避けようとし、結果の得点にそれなりの合理性を見つけようとした。

時には人間の行う瞬時のjudgmentに、完璧はあり得ないと自分を誤魔化しながら。


よく羽生結弦は減点方式、他選手は加点方式と言われるがその通りで、全く理不尽だった。

あの清廉な人がいるべき世界ではない、と何度も思わされた。それでも彼が愛して止まないスポーツだから信じたくて、ずっと見続けたのだ。


国際試合はやっぱり政治だった。

『羽生結弦』が出場したことで、『三連覇』と『史上初のジャンプ』に大きな注目が集まり、世界中の話題になった。

彼が出場しなければ、五輪の男子フィギュアはどうなったことか。競争心を喪失させるレベルの暴騰スコアは、試合以前に既に結果が見えていた。競技の体を成したかどうかも分からない。

いずれにせよ、羽生結弦が居ないオリンピックに、有休を取る価値がなかったのだけは確実だ。


かくて羽生結弦を風除けに客寄せに、北京開場、試合開始。

果たして3日間の結果は────表彰台には届かなかった。

その一方で、この日のために盛り上げてきた米国(彼は良くも悪くも『強い』を象徴させられ傀儡)が『世界記録』を出して『金字塔』。

日本の後輩『次世代(いつまで?)エース(苦労談付)』と『今やそれを凌ぐ』新鋭の18歳(フィギュア日本人最年少の五輪メダリスト)が狙ったようにダブル台乗り。

日本人がまたしても2人表彰台とは、本来は忌々しいのだろうが、目的は2010年以来の悲願の金だけ。

それは4年前には達成できていたはずの筋書きだった。

故に2番手も生かさず○さず、台頭してきた新鋭も今回は後回しにして危険回避、後顧の憂いを絶ってきた。

下の二つぐらいはくれてやろう・・

あの目障りな無派閥正統的継承者を、脅威にならない程度に陽動してくれる報酬だ。

IOC/ISU/JOC/JSFにとってのシナリオ通りの『最高』の結果になった訳だ。

(あくまでも妄想)


ひょっとすると、羽生結弦の4Aは何が何でも成功させなかったかも知れない。例えクリーンに降りても回転不足位は取るつもりだったかも知れない。4A と金メダルの両方を挫くこと、オリンピックだからこそ渡す引導の価値は大きい。

前記事で私は降りれたら・・と書いたが、降りれても逆に回転不足の判定が必定だったかも知れないと思ってしまった。

観客が入らず、歓声やブーイングが起きないのもこれ幸い、彼らの思うところだったように思う。


自分に向けられたすべての思惑を分かった上で、覚悟して赴いた北京。Rondoで不運にも要素抜けし、公式練習でも怪我が悪化、それでも天地で宣言通り4Aを実施。

足首はもう何度痛めたかわからないくらいぼろぼろ。

経験も叡智も使っても、オリンピックという形を借りた何か執念に満ちたような巨大な勢力には叶わなかった。


発動した正確なシリアスエラー。後半2本のコンボとラストの3Aに付いたGOE。やっぱりね、彼だけは転倒したらこうなる、例えその後が素晴らしくても。


転倒の印象に引き摺られたなどと言えば尤もらしい弁護のようだが、それは論外。ガイドラインは守っていないと白状してるようなものではないか。

基準を守らないのであれば、採点競技として成立しないどころか、真剣に挑むアスリートに対して、またそのアスリートを応援する観客に対しても重大な裏切り行為だ。

しかもこんな事は過去に幾度となく疑惑の採点と言われて指摘されてきた。

最近は隠すこともせず、堂々と働くものだからどうやら『恥じる』という概念は全く無いようだ。


敢えて見過ごし見逃しやっと今の主流とした変異技術を、正確な技術によって駆逐されては、シナリオが思惑通りに進まないから。

表現芸術への敬虔さも同じ。

だから変異"株"を正当化したのだ。それも

オリンピックという、神聖であるべき大舞台で。

この先、羽生結弦が居ないフィギュア競技界で、私には明るい未来の展望は見えない。


全日本の後、オリンピックが怖いと答えていた。4A降りて、それで勝てなかったら仕方ないとも。すべて解っていた。


世界最高峰の試合ではもしかしたらと思い、少しはましな審査がされて欲しいと願っていたが、やはりという失望感。

羽生結弦がどんなに命懸けで立ち向かっても、正当な技術と芸術的な表現は横に置かれてしまった。


決して陰謀などと表さず、周到に老獪に外堀を埋めてきたこの巨大な圧力、じわじわとした不透明なグレーゾーンが、羽生結弦の競技力を削いだのだ。

彼自身は調整に万全を尽くし、あらゆる事態を想定して、自分との闘いに勝つために『最終決戦』に臨んだことだろう。

そして怪我のあるままで、平昌の経験もフル作動して、間違いなく北京での自身に打ち勝った。

刀を鞘に収めるまでの、物語を完遂した。


彼が満足いったなら、それでいい。


でも。何か。

何か違う。

既に二連覇のdefending championが出場するだけで意味があったとか、誰も成功したことの無い挑戦が素晴らしいとか、4Aへの扉はフィギュアの進化に寄与するとか。うん。

それはきっとその通りで賞賛されるべきなんだけど、何か違うように感じたのは。どこか『労い』的な対価を感じてしまったから。


あの戦闘民族の羽生結弦が、あの結果に納得してるはず無いじゃないか、と。

ご褒美シーズンと言ったことはあったけど、それは私たちファンにはそうだったけど、Originで彼は悟ったはずだ。

そして今まで泣いた試合はいくつもあったけど、いつもメラメラした悔しさを隠さなかった。

その彼が、悔しいと言った言葉を打ち消すように、やり切ったと。

正しい努力をしてきたと言うのに、報われないと。

そして何より楽しくなかったと。


そんなふうに言わせた真意の中の、あまりの無力感に、どんなにか無念だったろうと思ってしまった。

自分と闘って諦めずに4Aも実施したし、プログラムの主題も全うした。

でも遣りきれない思いは、競技枠のフィールドで羽生結弦として真に追求してきた技術と芸術の融合たる美学への評価、その勝負の土俵に相応しい秀逸なプログラムを引っ提げて4Aと共に懸けて臨んだにも拘わらず、十分公正に立たせては貰えなかったことにあるのではないか。


未完の4Aが、彼が成し続けた技術=芸術の正当な評価への道と、重なってしまう。

4Aが加点付で認定されたら、泣きながら報われたと笑う羽生結弦がいただろうか。


それを自分で自分を納得させるように、2本の転倒あればこそ、物語が成立したかも知れないと言わしめる心情が切な過ぎた。


勿論、この北京の結果ひとつで羽生結弦のレガシーは少しも揺らがない。 


けれど彼が羽生結弦としての闘いに、今度ばかりは精魂を使い果たしたように思われ、おそらくそれが思い描いた形でなかっただろうことが、口惜しいと思うのである。


そして、その禍は彼が十分警戒していたにも拘わらずちょっとした綻びに忍び寄って蹂躙した、自分の総力を全部注ぎ込んでなお途方もなく強大だったということに。だからもうこれ以上、と言わせたのだという事実に。


いや、自分では褒められないが、誰かに褒めてもらいたいと。

褒め称えるものは有り余るほどだ。

本心からそうなら、イヤというほど。貴方は闘った。闘ってきたから。



11日の平野歩夢くんが(見るつもりもなかったが、家族が見てた)金メダル確定後のインタビューで、2本めのランでノーミスだったのに1位の得点を越えなくて納得いかず、3本めのランにその怒りが良いように作用した?みたいな取りようによっては批判的な感想を淡々と述べていたのを見て(おぉっ直球!)と軽く感動。

不満は溜まるとクラッシュするから、すかさずぶっちゃけた方が、熱が解放されていいなと取り留めなく思った。


結弦さんといい、歩夢くんといい、自分を厳しく律するひとは、顔立ちに美しさが溢れていると実感。



いずれにしても、どんな『羽生結弦』でも、好き過ぎてどうしようもないということ。


フィニッシュの挙手は、9歳のロシアな結弦少年と一緒だったとのこと。

9歳の頃の自分は、彼が時々口にするキーワード。

何も知らないただ遮二無二前だけを目指していた頃の純粋な自分が、ずっと一緒にいたんだね。


出し切った。



できれば天地様を、昇華させてあげてほしい。どこでもいいから。


どうあっても。

これまで決して諦めない不屈の闘志を持つ貴方が、もう疲れたと舞台を降りても、貴方をこんなに疲弊させ痛めまくったさまざまな重力への恨みこそあれ、一点の曇りもなく心は貴方の貴さを叫びまくっている。

羽生結弦から結弦青年に戻っても、それは絶対に変わらない。

私の人生の比類ない宝石です。

何度言っても全然足りない、美しい夢を見せてくれてありがとう。




不死鳥のイメージは火の鳥より、白鳥だなあ・・

食べて眠れているといいな・・




ひとりごとにお付き合いいただき、ありがとうございます!



人気ブログランキング