固執








學生時代、女子達は誰か少年漫畫のイケメンに夢中になり、其の姿を描いていたものでしたが、ごく僅かに、ロリを好む女子も居ました。プリントの裏はロリの落書きで埋められ、異様な光景でしたが、實際家庭環境も異様らしく、暴れる父親許りを惡とし、母親を殊更に善として居ました。離婚できない母親は、娘より夫を選んで居ると云うことなのに、娘はその事實から目を背けるのです。ロリを描く女子は保健室に入り浸つて、養護教諭や女子生徒としか話せない様でした。
暗はこの型の女子から無言でつけ囘されたり待ち伏せされたりして居り、ロリの落書きのことを考えると、それは性的いやがらせでした。ですが大人達はこの同性のトラブルを、まさか性的なものとは氣づかず、喧嘩かいじめであるとしました。
いまでも、女性が女性に性加害することが認知されて居る乎何うか、わかりません。然し着物警察も、若しその若い女性の顏が好みでなかつたならば、いきなり帯を解いたりしたでしようか。
暗の中では、ロリのロリコンがいるのであれば、性犯罪や性的嫌がらせに、性別も年齢も關係がない、と云うことが最早当たり前となつて居ます。



着物警察同様、高齢女性は10代、20代の魅力的な女性に、よく性的嫌がらせをします。「太つた」等の自虐に始まり、容姿の話、ボデイタツチ、パートナーについての詮索をする女性が、家庭だけでなく偶に職場に居ることもあります。確りしたコンプライアンス研修のある大企業であつても、事務員には輪讀會等がないからでしようか、人権意識が高齢女性の事務員迄は行き届かないのです。
寧ろ百合フエミとなつているとも云えます。若い女性社員にセクハラする自身を、人権意識の高いフエミニストとして誤解しがちなのです。女性はセクハラの被害に遭うだけで加害しないという論調が、女性は男性に選ばれるだけ、という思想をちらつかせ、結局人権とは逆行して居ます。

中高年は若い異性と話して許りいる、というつまらぬ先入観が暗にはあつたので、何故當てはまらない女性がいるのか不思議でしたが、着物警察等も同様に、若干マザーコンプレツクスの傾向があるのかも知れません。同性愛者とは全く別物で、異性愛者の男性恐怖症が高齢になつて、男性とまともに話せないことを開き直り、年齢マウントが加わつた姿です。

周圍の、こうした女性についての陰口には、マウントを取られて悔しいという語り口になる者も居るのですが、誰が女として上なの乎、という視點の中で戦うことそのものがセクハラとなつて了います。マザコン、アダチルといつた精神醫學の問題とすれば、否醫者でもないのに精神病呼ばわりはよくない、と客観的にもなろうとして、怒りが収まるのではないでしよう乎。

學生時代のストーカーは、暗に性慾、性癖がないと勝手に思い込んで居た様に憶います。其れは「お父さんより私が好きだよね?」「男遊びなんかしたことないよね?」と、日頃母親に押しつけている願望です。嘘でもいいので、女性向け風俗を喚んだときのことや、外國人男性のセフレがいるというような話をすれば、マザコンに見放してもらえたのになと憶います。そこまでしなくても、男性と話したほうが樂しいと、普段から本音を公言しておけば十分でしよう。