美の五色 bino_gosiki ~ 美しい空間,モノ,コトをリスペクト

展覧会,美術,お寺,行事,遺産,観光スポット 美しい理由を背景,歴史,人間模様からブログします

中之島香雪美術館「上方界隈、絵師済々」_後期は大坂画壇

2020年02月05日 | 美術館・展覧会

大阪・中之島香雪美術館で行われている展覧会「上方界隈、絵師済々Ⅰ」に行ってきました。
後期になって京都画壇から大坂画壇に展示作品が総入れ替えされています。
大坂画壇の絵師たちの知名度は正直、そうそうたる京都画壇の絵師からは見劣りします。
しかし素晴らしい作品の数々を見ると、「なぜ知名度が低いのか」に大きく関心を持つようになるでしょう。





目次

  • 沈南蘋(しんなんびん)を知っていますか?
  • 木村蒹葭堂(きむらけんかどう)を知っていますか?
  • 大坂でも四条派は町衆にバカ受けした
  • 大坂画壇の絵師たちの実力に圧倒される




沈南蘋(しんなんびん)を知っていますか?

展覧会は三章構成で、第一章は「沈南蘋到来」です。
読めない漢字をあえて前面に押し出すことで、異国情緒を強調する演出でしょう。
そう、沈南蘋(しんなんびん)とは徳川吉宗に招聘された清朝の宮廷画家で、1731(享保16)年から2年間だけ長崎に滞在しました。

宋・元時代の古典的な画風で花鳥画を描き、当時マンネリ化していた狩野派にはない画風がたちまち人々を魅了します。
伊藤若冲や円山応挙が一世風靡した写実的な表現も、実は沈南蘋の影響を強く受けているのです。
わずか2年の滞在の間に長崎の絵師・熊代熊斐(くましろゆうひ)が南蘋の画風を習得し、南蘋派(なんぴんは)と呼ばれた熊代の門人たちによって、写実的で優雅な画風が日本中に広められました。
熊代の門人では、宋紫石(そうしせき)/森蘭斎(もりらんさい)/鶴亭(かくてい)ら、近年注目度が上がっている個性的な絵師がいます。

第一章は、大坂で人気を博すようになった南蘋派の作品です。
沈南蘋「梅月図」、熊斐「鶴性松見図」、鶴亭「牡丹小禽図」と、実に上品で優雅な花鳥画が並んでいます。
多くの人が、異国情緒にあふれたセンスのよい画風に驚くでしょう。


木村蒹葭堂(きむらけんかどう)を知っていますか?

木村蒹葭堂(きむらけんかどう)は大坂の商人ですが、沈南蘋と同じくらいの難読人名です。
「枇杷に小禽図」一点だけが出展されていますが、大いに注目されます。

蒹葭堂も沈南蘋と並んで知名度は低いですが、江戸時代を通じて全国でも一番の知識人と称される「浪速のスーパースター」でした。
文学や書画といった芸術はもちろん、本草学(=博物学)などの自然科学全般に造詣が深く、膨大な書物/地図/楽器/標本など、いわゆる博物館に収蔵されるような珍品の日本一のコレクターとして、全国に知られるようになります。
彼の自宅は、武士から町人まで身分にかかわらずあらゆる知識人が全国から集まる、日本一の文化サロンでした。

蒹葭堂は鶴亭から南蘋派の画風を学んでいます。
本草学の標本を写実的に表現できる画風として注目したのでしょう。
蒹葭堂が活躍したのは18c後半で、円山応挙とほぼ同世代です。
上方の絵師たちが写実画になびくのに、蒹葭堂の及ぼした影響ははかりしれなかったと考えられています。

蒹葭堂は伊藤若冲とも交流がありました。
若冲が描く鶏の絵に、日本の伝統的なやまと絵の趣よりも、中国的な異国情緒を感じませんか?


美術館が入居するフェスティバルタワー


大坂でも四条派は町衆にバカ受けした

第二章は、大坂で大流行した四条派作品を、松村景文(まつむらけいぶん)を中心に紹介しています。
四条派の祖・呉春の異母弟の松村景文は、花鳥画で京都や大坂の町衆に絶大な人気がありました。

兄弟弟子の岡本豊彦が得意とした「山水画」は、モチーフを理解するにはどうしても「難しい」と感じられがちです。
その点、景文が得意とした花鳥画は誰にでも理解しやすく、しかも飾った室内に華やぎを与えます。
景文の洗練されたタッチは、応挙→呉春とバージョンアップを続けてきた写実絵画の魅力をさらに増しました。
肩ひじを張らなくても、誰もがその上質な表現を理解できたのです。


松村景文の「牡丹小禽図」白鶴美術館や「箭竹図」香雪美術館は、景文の個性がとてもよくわかる作品です。
応挙や呉春よりもさらに洗練されていると、強く感じられます。




大坂画壇の絵師たちの実力に圧倒される

第三章は、京都ではなく大坂で活躍した絵師たちを紹介しています。
森狙仙(もりそせん)や西山芳園(にしやまほうえん)ら、実力をたっぷりと感じることができる作品が揃っており、大坂画壇にスポットがあたる絶好の機会を提供してくれています。

昨年も京都・八幡の松花堂美術館で「ご存知ですか?大坂画壇」という絶妙のネーミングの展覧会が行われていました。
私が、大坂画壇の絵師たちの知名度の低さの理由に関心を持つようになったのは、この展覧会がきっかけです。


猿で有名な森狙仙の「子犬図」「猪図」からは、動物の毛のモフモフ感を描かせたら右に出る者はいない、狙仙の超絶技巧をしっかりと感じることができます。
西山芳園「花鳥図」は、京都の四条派とは異なる筆致が魅力的です。
かなりさっぱりしています。


美術館のロビー


江戸の絵師たちの個性は奥が深い。
これからも無名の絵師たちにスポットをあてる展覧会を、期待してやみません。


こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。


なぜこれほど「知」が集まったのか? 驚きの交友ネットワーク




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利用について、基本情報

中之島香雪美術館
企画展「上方界隈、絵師済々 Ⅰ」

主催:香雪美術館、朝日新聞社
会期:2019年12月17日(火)〜2020年3月15日(日)
原則休館日:月曜日、12/29-1/7
入館(拝観)受付時間:10:00~16:30

※2/2までの前期展示、2/4以降の後期展示ですべての展示作品が入れ替えされます。
※前期・後期展示期間内でも、展示期間が限られている作品があります。
※この展覧会は、今後他会場への巡回はありません。
※この美術館は、コレクションの常設展示を行っていません。企画展開催時のみ開館しています。


◆おすすめ交通機関◆

大阪メトロ四つ橋線「肥後橋」駅下車、4番出口から徒歩3分
京阪中之島線「渡辺橋」駅下車、12番出口から徒歩3分
大阪メトロ御堂筋線・京阪本線「淀屋橋」駅下車、7番出口から徒歩8分
JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:10分
JR大阪駅(西梅田駅)→メトロ四つ橋線→肥後橋駅


※この施設が入居するビルに有料の駐車場があります。
※駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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あの本能寺は今どうなっているか?_光秀と信長の夢の跡

2020年01月16日 | お寺・神社・特別公開
日本史上で最大のミステリーと言えば、ほとんどの人が「本能寺の変」をイメージするでしょう。
その舞台となった本能寺が、京都随一の繁華街の中で静かに現在もたたずんでいることは、あまり知られていません。
今年2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも、光秀と信長の人生最後の大一番の舞台として、今から注目を集めています。
そんな歴史的大事件の舞台の今を、お伝えしたくなりました。



寺町通側の総門


目次
  • 本能寺とは?
  • 本能寺の変は、現在地で起きたのではない
  • 信長と光秀の痕跡は今も残っているか?


 


本能寺とは?

みなさんは本能寺がどの仏教宗派に属する寺か、ご存じでしょうか?
本能寺は、京都で観光客が訪れる寺としてはあまり知られていない「日蓮宗」です。
日蓮宗の総本山は山梨県の久遠寺(くおんじ)にあり、京都の日蓮宗寺院で行われる有名な祭りや季節の花が少ないことが知名度が低い一因でしょう。
しかし日蓮宗は、京都の町衆から絶大な人気を誇る宗派なのです。
日蓮宗の個性や人気の秘密は以前にこのブログでも紹介しています、こちらもぜひ。

日蓮宗において京都で初めて天皇の勅願時となった妙本寺(現:妙顕寺)の日隆(にちりゅう)が、師との意見対立で独立し、室町時代半ばの1415年に創建したのが本能寺です。
その後の戦乱や宗教対立で幾度も破却を繰り返しますが、町衆の強い信仰に支えられ、常に迅速に再建されてきました。
信長の時代には皇族出身の住職・日承(にちじょう)の下で、京都の寺でも有数の繁栄を誇るようになります。



本能寺の信長の墓


本能寺の変は、現在地で起きたのではない

これも京都人以外にはあまり知られていませんが、本能寺の変の頃は現在の河原町御池から1.5kmほど南西方向の四条堀川付近にありました。
当時は140m四方の巨大な境内の周囲が濠と塀に囲まれており、あたかも城のような風格です。
戦国時代の日蓮宗は度々、延暦寺や本願寺との抗争を繰り返しており、城のように防御を固めるのは珍しくなかったと考えられます。

「信長は本能寺を京都滞在時の定宿にしていた」と一般的に言われていますが、実際にはわずか数回しか宿泊していません。
信長が約20回宿泊し、定宿と呼ばれるのにふさわしいのは妙覚寺です。
本能寺の変の当日は、嫡男・信忠が宿泊していました。
「本能寺の変」ではなく「妙覚寺の変」になっていた確率の方が、実は高かったのです。



油小路蛸薬師南入る、本能寺跡の石碑


本能寺の変の際の旧境内地の住所は「元本能寺町」で、今は廃校になりましたが「本能小学校」もありました。
京都では創建時から一度も境内地を変えていない寺はほとんどなく、昔あった寺や施設の名前が住所になっているところは多数あります。
1,200年の悠久の歴史の痕跡が、今にきちんと伝えられていることを物語るエピソードです。


信長と光秀の痕跡は今も残っているか?

本能寺が、変で全焼した境内地の再興をはかる際、秀吉の都市計画に従って移転したのが現在地です。
移転当初は北側の御池通りや京都市役所も含む広大な境内でしたが、明治政府が強制的に寺の土地を没収した上知令(あげちれい)により、ほぼ現在のようなコンパクトな境内になりました。



河原町通りに面した裏門


境内には本堂と塔頭の他、信長の墓と共に、江戸時代後期の文人画家・浦上玉堂の墓もあります。
信長の墓は京都各所にありますが、常時参拝可能で知名度も高いため、本能寺を訪れる人が最も多いようです。
境内にある「大賓殿宝物館」では、信長ゆかりの品も展示されており、信長が過ごしていた痕跡を確かめることができます。
本能寺の変の際には、信長がいつも持ち歩いていた四つ目の「曜変天目茶碗」が、信長と運命を共にしたとされています。
これも美術品の宿命ですが、「生きながらえていれば」と思うばかりです。

【寺公式サイト】 大賓殿宝物館の展示品

一方、光秀の痕跡は全くありません。
「大切な客・信長を葬り去り、境内を全焼させたので伝世しないのは当然」と言われれば反論できません。
日本史上最大のミステリーの舞台だけに、期待感は否応なく高まります。



御池通り沿いのホテル本能寺


本能寺の表門は、秀吉が寺を集めた「寺町通」に面しています。
繁華街の河原町通りから入れる裏門は、あたかも勝手口のように小さく目立ちません。
御池通に面した境内地は、寺が経営する「ホテル本能寺」のビルになっており、背後に寺があるとは誰も気付かないでしょう。

京都随一の繁華街の喧騒は、境内に足を踏み入れると不思議なことに全く耳に入りません。
パワースポットに入ってきたような感覚すら頭をよぎります。
信長が400年以上、境内にやって来る人を見つめているのでしょうか。

大河ドラマ「麒麟がくる」で、本能寺がどのように描かれるのか、今から楽しみです。


こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



戦国時代小説の第一人者・安部龍太郎が見た本能寺の変の背景


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利用について、基本情報

<京都市中京区>
法華宗本門流 大本山
本能寺
【公式サイト】http://kyoto-honnouji.jp/

原則休館日:なし
入館(拝観)受付時間:6:00~17:00

※公開期間が限られている仏像や建物・美術品があります。
※公開されていない仏像や建物・美術品があります。
※この寺の境内は観光目的で常時公開されています。



◆おすすめ交通機関◆

京都市営地下鉄・東西線「京都市役所前」駅下車、改札口直結の地下街「ゼスト御池」1~5番出口から徒歩2分
京阪電車「三条」駅下車、7番出口から徒歩5分
阪急電車・京都線「京都河原町」駅下車、3,6番出口から徒歩10分

JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:15分
京都駅→地下鉄烏丸線→烏丸御池駅→地下鉄東西線→京都市役所前駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。
※渋滞/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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美の傑作ものがたり「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板」

2020年01月04日 | 美の傑作ものがたり

幕を開けたばかりの2020年、奈良と東京の国立博物館で展覧会が開かれる「法隆寺金堂壁画」に注目が集まっています。
不慮の火災によって大きく損傷した古代仏教美術の世界的な至宝が驚くなかれ、精巧な写真ガラス原板を通じてほぼ完全にその姿を今に伝えてるのです。

目次

  • 法隆寺の金堂壁画をご存じですか?
  • 便利堂をご存じですか?
  • 法隆寺金堂壁画写真ガラス原板はなぜすごいか?
  • 写真や映画の重要文化財が増えてきた


2020年は、
1935(昭和10)年に便利堂(べんりどう)が法隆寺金堂壁画を写真撮影してから85年
1949(昭和24)年の法隆寺金堂壁画焼損に衝撃を受け、翌年に制定された文化財保護法から70年
の節目の年にあたります。

また来年2021年は法隆寺を開いた聖徳太子遠忌1,400年の大々的な法要が、法隆寺などゆかりの寺で行われます。
法隆寺金堂壁画をキーワードに、文化財保護の意義や価値への関心がますます高まっていくでしょう。
「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板」にどのような価値や魅力があるか、探ってみたくなりました。



奈良博の展覧会、外壁看板


法隆寺の金堂壁画をご存じですか?

世界遺産・法隆寺の伽藍で五重塔と並んで中心をなす「金堂」には、ほとんどの人が訪れたことがあるでしょう。
世界最古の木造建築を目の前にして、ワクワクしながら扉を開け暗い堂内に入ると、幻想的な微笑をたたえた飛鳥仏の最高傑作「釈迦三尊像」が、訪れる者の目をくぎ付けにします。

【法隆寺 公式サイトの画像】 釈迦三尊像


現在は釈迦三尊像にはスポットライトがあてられているため、お顔はよく見えるようになりました。
一方、釈迦三尊像を取り囲む外陣の内側の壁は暗くてよく見えません。
この暗くてよく見えない部分に目を細めると、仏様の描かれた壁画をかすかに見ます。
焼損した「金堂壁画」を、写真ガラス原板の記録をもとに1968(昭和43)年に模写したものです。

法隆寺は、金堂壁画の存在や焼損事故を積極的にPRしていないこともあって、拝観に訪れた多くの人は気付きません。もし焼損事故がなく、世界的な至宝として現存していたら「金堂壁画」の知名度も随分違っていたことでしょう。



法隆寺 金堂


法隆寺の歩みは、以前このブログでも詳しくご紹介しています。
【美の五色】 法隆寺ものがたり ~なぜこれだけの文化財が守り続けられてきたのか

金堂壁画は7c末の金堂再建時に製作されたと考えられています。
当時は天武・持統と二代続く平和な時代で、中国大陸から流入した仏教美術が本格的に花を開いた白鳳文化の全盛期でした。
薬師寺の薬師三尊像に代表されるようにエキゾチックな香りが漂う造形や表現は、日本国内にそれを可能にする仏師や絵師がいたことを意味します。

【文化庁・文化遺産オンライン】 「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板」法隆寺蔵


法隆寺金堂外陣に描かれた壁画は12面もあり、仏像よりはるかに多い多様な仏の姿が表現されています。
悟りを開いた如来として何事にも動じない落ち着きの表情から、苦行に耐える弟子たちの一瞬の表情まで、その表現には言葉が出ないほどの感銘を受けます。
本当に仏の世界に迷い込んだような錯覚すら感じるほどです。

こんな圧巻の芸術作品が1,300年以上前に日本で描かれていたのです。
国宝中の国宝であることはもちろん、インドのアジャンター遺跡や敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)と共に、世界トップクラスの仏教壁画の至宝”だった”ことだけは、間違いありません。


便利堂をご存じですか?

法隆寺金堂壁画の世界レベルの価値は、外国人からの評価が刺激になって、明治の初めから認識されるようになりました。
昭和になってようやく国主導で保存が検討されるようになり、まずは記録のために行われたのが、京都の美術出版社・便利堂(べんりどう)による精巧な写真撮影です。
便利堂は明治に土産物として人気が出た絵ハガキの製造販売で知られるようになり、寺社の古美術品の撮影実績が豊富にありました。

近年でも高末塚古墳壁画の精巧な記録写真を撮影したことで知られています。
カビの問題で古墳壁画を再び確認することが難しくなった今、かけがえのない記録となっていることは言うまでもありません。
便利堂の活動がいかに価値あるものか、本当によくわかります。

便利堂は現在も、美術品の絵ハガキや美術出版、ミュージアムグッズの製造販売など美術を楽しむ事業を行っています。
京都・富小路三条と東京・神保町に直営店があり、京都国立博物館や三井記念美術館のミュージアムショップも運営しています。
美術ファンなら、ほとんどの人が便利堂の商品を無意識に購入していることでしょう。


法隆寺金堂壁画写真ガラス原板はなぜすごいか?

法隆寺金堂外陣壁画の写真撮影は、6人の撮影チームによって75日もかけて行われました。フィルムではなくガラス原板に記録され、今も大切に保存されています。

  • 全12面を分割して原寸大でモノクロ撮影363枚(法隆寺蔵)
  • 全12面の全体モノクロ写真12枚(便利堂蔵)
  • 全12面の四色分解写真48枚(便利堂蔵)
  • 不鮮明になっていた部分の赤外線写真23枚(便利堂蔵)

焼損前の外陣壁画の姿を、その彩色も含めて完璧に記録していたことがわかる分厚い撮影です。

【便利堂 公式ブログ】 法隆寺金堂壁画撮影時の様子が紹介されています

美術品の模写は古今東西行われてきました。
しかし記録ではなく複製や芸術表現の鍛錬を目的としたもので、模写した人の個性が加わるという「芸術としての魅力」があります。
一方記録を目的として撮影された写真は、撮影時点の姿を最大限客観的に記録した「科学的な価値」があります。

今後絶対にあってはならないですが、美術品の消失を未来永劫100%防止することはできません。
記録し、伝えていくことの価値に、便利堂は日本で最も早くから気付いて集団の一つなのです。


写真や映画の重要文化財が増えてきた

写真や映画という近代の科学技術に基づき制作された「芸術や記録」に、重要文化財に指定されたものがあることに、驚きを隠せません。
法隆寺と便利堂が所蔵する「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板」も2015年に重要文化財に指定されています。

写真が初めて重要文化財に指定されたのは1999年で、以来2019年までに15点を数えます。
幕末の島津斉彬や江戸城の姿など、「よくぞのこっていた」と思える作品ばかりです。
映画フィルムも3点が指定されています。

ハードディスクやメモリに記録されたTV番組やアニメ作品も、いずれは重要文化財に指定される日がやって来るでしょう。
写真や映画でも国宝になる作品も現れるかもしれません。
重要文化財や国宝にいつどんな文化財が指定されたか。
時代の鏡を映し出しているようで、とても興味深いものです。



便利堂の集大成がこの一冊に


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法隆寺【公式サイト】http://www.horyuji.or.jp/
便利堂【公式サイト】http://www.kyotobenrido.com/

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カラヴァッジョ展 巡回のフィナーレを大阪で見て思うこと

2020年01月03日 | 美術館・展覧会

札幌・名古屋と巡回してきたカラヴァッジョ展。
 フィナーレをかざる大阪展があべのハルカス美術館で始まっています。
 出展予定作品のドタキャンで注目を集めた展覧会ですが、ルネサンスに幕を下ろしたスーパースター・カラヴァッジョの本物の名品の迫力はやはりケタ違いでした。
 展覧会を見終わった後に、私が思いを強めたこともあわせてお読みいただければ幸いです。




 目次

  •  カラヴァッジョはなぜ光と闇を強烈に表現できたのか?
  •  カラヴァッジョのDNAを最も感じたのはリベラ
  •  斬新な企画とドタキャンへの思い



 


 カラヴァッジョはなぜ光と闇を強烈に表現できたのか?

 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)は、1571年にミラノで生を受けました。
 ミラノ近郊にあるカラヴァッジョ村で少年時代を過ごしたことから、カラヴァッジョという”あだ名”の方が本名より有名です。
 イタリアの人名ではよくあり、レオナルド・ダ・ヴィンチもヴィンチ村出身であることにちなんでいます。

 彼は若い頃からとても激しい気性の持ち主だったようです。
 ミラノからローマに出てきたきっかけ、ローマからナポリに逃避行した理由、ともに喧嘩や殺人といったトラブルや犯罪でした。

 【展覧会公式サイト】 カラヴァッジョ「リュート弾き」個人蔵

 「リュート弾き」個人蔵は、当時のローマの美術界で大きな影響力を持っていたデル・モンテ枢機卿がカラヴァッジョのパトロンとなった頃の作品です。
 デル・モンテ枢機卿に気に入られるという幸運で、カラヴァッジョは出世の階段を駆け上がります。

 枢機卿の館にいたスペイン人の歌手をモデルに描いた作品です。

  •  人物を理想化せずにモデルの表情そのままに描く
  •  画題のドラスティックな瞬間の演出に光と影を極限にまで駆使する

 動画を日常的に目にする私たち現代人が見ても、劇的な瞬間にピタリとポーズ・ボタンを押したかのように、圧巻のドラスティックな迫力が伝わってきます。
 若き日のカラヴァッジョの激しい気性がキャンバスに向かうと、このようなとても若々しく力強い表現に生まれ変わるのです。
 「リュート弾き」は同様の構図の作品が複数存在しますが、この作品は日本初公開です。

 【展覧会公式サイト】 カラヴァッジョ「執筆する聖ヒエロニムス」ボルゲーゼ美術館

 カラヴァッジョによるキアロスクーロ(明暗法)と呼ばれる光と闇の強烈なコントラストは、ルネサンス後のマニエリスムの冗長な表現に飽きていたローマの人々を驚愕させます。
 「執筆する聖ヒエロニムス」ボルゲーゼ美術館は、カラヴァッジョに最も脂がのっていた頃の作品です。

 若さ溢れる「リュート弾き」とは対照的に、齢を重ねてこそ得ることができる「静寂」が表現されています。
 しかし聖ヒエロニムスの横にはさりげなく死の象徴・ドクロが。
 静寂の中にも、ドラスティックな劇場感の表現を忘れてはいません。
 大阪展だけの展示です。



 ハルカス16F展望台


 カラヴァッジョは織田信長のような、強烈な気性と劇的な運命を持ち合わせていたような人物に思えてなりません。
 普通の人では理解できないような考え方があったからこそ、賛否両論あってもとにかく人を惹きつける表現ができた「天才」だったのです。



2019年の年の瀬、ハルカスに設置された「誰でも弾けるピアノ」が大注目


 カラヴァッジョのDNAを最も感じたのはリベラ

 カラヴァッジョのキアロスクーロ(明暗法)は、ルーベンスやレンブラントら、17cのバロック画家の多くが取り入れました。
 カラヴァッジェスキとは、その中でも特に影響を強く受けた画家のことです。
 17cのヨーロッパの美術界はまだイタリアが中心で、多くの画家が訪れていました。

 スペインのジュゼペ・デ・リベーラはその代表格で、この展覧会にも名品が登場しています。
 「洗礼者聖ヨハネの首」ナポリ市立フィランジェリ美術館蔵は、皿の上に置いた生首を描くという、なんとも衝撃的な構図です。
 聖なる殉教というシーンの表現を極限まで追求すると、こんな構図になるのでしょう。
 カラヴァッジョも顔負けの発想です。



 ハルカス美術館の「展示不能」のお知らせ


 斬新な企画とドタキャンへの思い

 今回の展覧会は、カラヴッジョ日本初公開作品を多く含む展示構成もさることながら、「首都圏をとばす」という会場選定が大いに話題になりました。
 国内外の知名度の高い画家の展覧会で、「首都圏をとばす」という話はまず聞いたことがありません。

 「首都圏をとばす」と、見込み入場者数の関係から作品のレンタル予算は抑え気味にせざるをえないでしょう。
 出展リストを見ても、個人蔵はさておき、イタリアにある美術館からしかレンタルしておらず、予算の制約を感じざるをえません。

 今回の展覧会では、リベラ以外のカラヴァッジェスキの作品の充実に、正直物足りなさを感じました。
 展示構成と予算のバランスが取れなかった苦肉の策という印象が残りました。
 展覧会の総合評価は見る人によって印象は異なるため、みなさんなりにご判断いただければと思います。

 展覧会の主役となるカラヴァッジョの名品の出展がドタキャンされるという、悲劇にもあいました。
 日経などの新聞報道では「イタリアの文化財行政機関による出展許可の調整不調」が憶測されていますが、レンタル契約を結ぶ段階で通常はクリアされている問題です。

 この展覧会の主催者は深い反省の念にさいなまれていることと拝察されます。
 私として強く願いたいのは「同じ轍を踏まないためにはどうすればよいか?」の一点だけです。

  •  日本の展覧会に所蔵品を貸し出すと、扱いは万全だしレンタル収入も見込める

 長い時間をかけて日本と世界の美術館の間で築き上げてきた信頼関係です。
 今回の展覧会をきっかけに、こうした信頼関係が新たな段階に昇華していくことを願ってやみません。



 ハルカス美術館、次回は薬師寺


 こんなところがあります。
 ここにしかない「空間」があります。



 イタリア美術と言えば著者の宮下教授、とても表現力が豊か


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 利用について、基本情報

 あべのハルカス美術館
 カラヴァッジョ展
 【美術館による展覧会サイト】
 【主催者による展覧会サイト】

 主催:あべのハルカス美術館、読売新聞社、読売テレビ
 会期:2019年12月26日(木)~2020年2月16日(日)
 原則休館日:2019/12/31、2020/1/1、1/14
 入館(拝観)受付時間:10:00~17:30(火~金曜~19:30)

 ※会期中に展示作品の入れ替えは原則ありません。
 ※この展覧会は、2019年10月まで札幌・北海道立近代美術館、2019年12月まで名古屋市美術館、から巡回してきたものです。
 ※会場毎に展示作品が一部異なります。
 ※この展覧会は、今後他会場への巡回はありません。



 ◆おすすめ交通機関◆

 JR・大阪メトロ「天王寺駅」、近鉄「大阪阿部野橋」駅、阪堺電車「天王寺駅前」駅下車
 あべのハルカスB1Fシャトルエレベーター乗り場まで徒歩3分、エレベーターで16Fへ
 JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:20分
 JR大阪駅(梅田駅)→大阪メトロ御堂筋線→天王寺駅

 【公式サイト】 アクセス案内

 ※この施設には駐車場はありません。
 ※渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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婦人画報が伝えた京都の魅力の展覧会_えきKYOTO 1/20まで

2020年01月02日 | 美術館・展覧会

京都駅の伊勢丹にある美術館「えき」KYOTOで、日本最古の女性誌「婦人画報」が伝えてきた京都の魅力を、13の家元をキーワードに紹介する展覧会が行われています。





目次

  • 「婦人画報」ってすごい
  • 婦人画報が京都に注目する理由
  • 「和」を伝える圧巻の13の家元



「婦人画報」ってすごい

婦人画報。
女性なら誰でも知ってる、男性でも誰もが聞いたことがある、日本有数の雑誌です。
いささか「レトロ」を感じさせるネーミングですが、あえて創刊以来のタイトルを使い続けていることに、「令和」の時代にあっては逆に惹きつけられます。

【婦人画報 公式サイト】

創刊は日露戦争で日本海海戦に勝利した1905(明治38)年、日本国中が湧きたっていた頃です。
初代の編集長は、小説家・ジャーナリストとして活躍した国木田独歩。
日露戦争後に日本が一等国の仲間入りするのを見越して、女性のライフスタイルの向上を社会に提案しようとしたのでしょう。

さらに驚くことに、婦人画報は創刊以来、一度も休刊したことがありません。
第二次大戦中にも発行し続けたということは、よほど上流階級のマダムからの支持が強固だったと考えられます。

えきKYOTOの展覧会場の外側回廊には創刊以来の表紙がピックアップされており、入館チケットを買わなくとも見ることができます。
「時代の鏡」という言葉をよく耳にしますが、婦人画報の表紙を見ているとまさに「時代の鏡」です。
会場内の展示を見終わった後、外側回廊の表紙の展示を「絶対に見忘れない」ようおすすめします。




婦人画報が京都に注目する理由

創刊当時からの長い歴史のなかで、日本文化の継承と女性の生活を豊かにするための提案をしてきたこと。
婦人画報の媒体資料にコア・コンピタンスとして定義されている美しい文章です。

上質な和の文化を提案するためには「京都」が欠かせません。
数えきれないほど京都で取材をし、先端の和の文化のサプライヤーと密接な関係を築いてきました。

婦人画報の公式サイトでは、「上質な京都の今」を伝えるコラム「きょうとあす」に、すべてのページの先頭行からジャンプできるようリンクを配置しています。
婦人画報が京都をいかに大切にしているか、ありありと伝わってくるWeb戦略です。

【婦人画報 公式サイト】 「きょうとあす」

そうした先端の和の文化のサプライヤーとの密接な関係が、今回の展示のメインテーマです。
13の家元をあげ、取材時のエピソードや掲載時に伝えた和の文化の魅力を、掲載当時の写真や記事を交えて紹介しています。
あわせて各家元が生み出した最高峰の作品を目の前にすると、和の文化の素晴らしさに誰もがため息が出ることでしょう。



展示会場入り口の池坊の立花(写真撮影OK、展示は1/2-5)


「和」を伝える圧巻の13の家元


この展覧会で紹介されている家元は以下です。
いずれも多くの人が耳にしたことがある名前でしょう。

  • 池坊家(華道家元)
  • 石田家(ガラス)
  • 伊東家(御所人形)
  • 井上家(京舞井上流)
  • 上村家(日本画)
  • 江里家(截金)
  • 志村家(染織)
  • 千家(茶道裏千家)
  • 徳岡家(京都吉兆)
  • 中村家(塗師)
  • 森口家(友禅)
  • 樂家(樂焼窯元)
  • 冷泉家(冷泉流歌道)


【展覧会公式サイト】 ご紹介した作品の画像の一部が掲載されています

池坊家では、江戸時代後半に新たなスタイルの提案で門弟を大きく増やした家元・池坊専定が描いた「鶴図」にまず目を奪われます。
四条派の一流の絵師の作品かと思ったら、なんと家元の自筆です。
自然の生き物を美しく表現しようとする心は「いけばなも絵画も同じ」とあらためて実感できます。

上村松園のあでやかな「鼓の音」も多くの人を惹きつけています。
黒髪と衣装の色のコントラストが絶品です。

江里家による截金(きりかね)作品「「截金盒子 截金まり香盒」」は、球形の「まり」に表現した紋様が輝いている逸品です。
その文様は直線状に切った金・銀・プラチナの薄い箔で表現されています。
伝統的な和のデザインと、宇宙空間を思わせるようなどこまでも奥深い空間表現の調和が見事な作品です。

井上家では、祇園甲部の芸妓・舞妓がハレの日にまとう「黒地松竹梅留袖」が、その漆黒の色合いから、展示空間を引き締めています。
黒は色の中で、最も表現が難しい色です。
すべての色の印刷は理論上CMYの三原色の組み合わせで表現できますが、黒だけはCMYで表現せずに独自のインクを使っていることからもおわかりでしょう。
この留袖の黒は、まさに最高品質の「黒」を表現しています。

最後に、紙面に幾度も登場している作家の瀬戸内寂聴を、14番目のキーパーソンとして紹介しています。
氏との対話のエピソードから、とてもほのぼのとした気分を味わえること間違いなしです。



京都駅改札も新春モード


雑誌づくりの視点で見た京都の魅力が、とてもわかりやすく紹介されています。
つなぎ、つたえる『人』と『家』。
展覧会のテーマに、京都の魅力が集約されています。


こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



婦人画報ファンの目線で選ばれた「おいしい!」


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利用について、基本情報

<京都市下京区>
美術館「えき」KYOTO
婦人画報創刊115周年記念特別展
婦人画報と京都
つなぎ、つたえる「人」と「家」
【美術館による展覧会公式サイト】
【主催者による展覧会公式サイト】

主催:美術館「えき」KYOTO、ハースト婦人画報社、京都新聞
会期:2020年1月2日(木)~20日(月)
原則休館日:会期中なし
開館(拝観)受付時間:10:00~19:30

※会期中に展示作品の入れ替えは原則ありません。
※この展覧会は、今後の他会場への巡回はありません。
※この美術館は、コレクションの常設展示を行っていません。企画展開催時のみ開館しています。




◆おすすめ交通機関◆

JR/近鉄/地下鉄 京都駅下車、ジェイアール京都伊勢丹7Fへ
JR京都駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:5分

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。
※休日やイベント開催時は、渋滞/駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。


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