「ご利用は計画的に」
消費者金融の宣伝で、お馴染みの言葉です。
一見、もっともらしくも聞こえるのですが・・・、でも、法定金利のギリギリ上限。
15~20%もの利息を取っておきながら、計画的に!だなんてことが果たして可能なのかどうなのか?
疑問に思ってしまうのです。
給料が上がっていく局面ならばそれも可能なのかもしれませんが、1996年以降、働く私たちの実質賃金は一向に上がらないまま。
その反面、輸出系の大企業こと経団連傘下の企業群の内部留保は毎年過去最高を更新し、555兆円にも上ることがいわれているのです。
計画も立たないし、良くなっていく見込みも一向に見られない。正直、計画的に!とは、なんて無責任な言葉なのだろうと私などは思ってしまうのです。
最近、福島第一原発から出される「放射能汚染水」。この第4回目になる海洋放出が終わった。
こうしたニュースを耳にしました。
汚染水の放出に当たっては、様々な偽装や不正、そしてダマし打ち。さらに放射能を含んだ水そのものにまつわる重大な問題。
これらが話題に上っていました。
でも国と東電は、国際機関ことIAEAのお墨付きを得た!このことを錦の御旗に、昨年8月下旬に海洋放出を断行したのが経緯になります。
国連とか国際機関とか、とかく私たち日本人はこうした言葉に弱いのですが、IAEAなる組織は原子力発電推進の大親分とでもいうべき存在。
いわば原子力村の一番上、最頂点に君臨している存在・・・。
そんな組織に汚染水を垂れ流しても良いですか?と尋ねれば、良い!というに決まっている。
しかもIAEAに提出されたデータもサンプルも、福島原発事故を起こした張本人である東京電力自身が提出しご意見伺いをしたもの。
そしてそのサンプル水もタンクのどの部分から採取されたものであるかすらも、ハッキリとはしていない。
客観的で中立的な第三者機関の手によって採取されたサンプルでもデータでもない。
著しく客観性を欠くものではないか?極めて恣意的なものではないかと思わざるを得ないのです。
実態はさておき、どこか格式が高く、なんとなくイメージの良い。中立かつ公平、それでいて正義の味方。
IAEAなる組織はそんな漠然とした印象を日本国民の多くに与えています。
そんな国際機関の名前を出せば、無知で無学、それでいて国際情勢に疎くて音痴な日本国民などは軽く
"ダマせてしまうだろう"
陰でニンマリとほくそ笑むかのような姿が浮かんできてしまうのです。
IAEAも当然責任は取りたくないわけだから、国と東電に与えた報告書の中で、今回の海洋放出について一定の理解を示した上で、
「(IAEA)は海洋放出を推奨もしないし、責任も取らない」
あくまで日本政府の責任である。こうした文言を報告書の最後の部分で、しっかり免責条項が記されている。
このように指摘されているのです。
国も東電も、そこに群がるお抱え学者の面々も、トリチウムが放出する放射線はベータ線でエネルギーが弱い。
紙一枚程度で遮断できてしまうホドの弱さである。さらには水と一緒に出されてしまうので体内で蓄積も濃縮も一切しない。
よって人体に与える影響は全くないし、海に流したところで問題はない。
こうした文句をひたすら繰り返しているのが現状です。
でも、トリチウムが体内に入ると「有機結合型トリチウム」に変化していく危険性を指摘する声も少なくありません。
私たちの体は普通の水とトリチウムの水とを区別できないことから、DNAやRNA、タンパク質やアミノ酸などの有機物を体内で作り出す際に必要となる水素。
これをトリチウムの水から取ってしまうことにもなりかねない。
つまりは私たちの体の中に、弱いながらも放射線を放出するトリチウムが組み込まれていくことを意味している。
いくら放射エネルギーが弱いからといって細胞の内部にトリチウムの水素が混ざっているならば、至近距離からの被ばく受け続ける結果をも招きかねない。
またトリチウムの水素は時間が経てばやがて半減期を迎えるに至り、最終的には必ずヘリウムガスへと変化していきます。
そうなると、私たちの遺伝子の中のDNAやRNAに組み込まれたトリチウムの水素。
これらはやがて100%自壊することを意味している。それは私たちの体の中の遺伝子があたかも時限爆弾であるかのように、
"自動破壊"
していくことまでをも意味している。
トリチウムは安全ではなく、トリチウムだからこそ危険。このような警告を発する識者だって少なくないのが現状です。
※参考:
今後も放射能汚染水の海洋放出は今後も継続していく予定になっていて、国も東電も30年は続くと述べています。
それが地球環境及び人体に与える影響は計り知れないものがある。
私などはそのように思っているのですが、いかがでしょう。
■結局はクスリ!
アトピー性皮膚炎の治療で最もよく使われているクスリが
「ステロイド剤」
今も昔も、変わらず医療現場において処方され続けているのです。
ステロイド剤は皮膚の炎症や痒みを劇的に鎮める。こうした強い効果があるため、長きにわたって使われ続けているのですが・・・、でも、
・どれだけ使っても根本治癒には至らない
・厳しく重篤な副作用を併発してしまう
・麻薬と同じでステロイドを手放せなくなる
こうしたことから、使用方法がとても難しいクスリ。このようにいわれているのです。
実際にステロイドについて調べてみると、ステロイドの使用は難しいので、必ず医師の指示に従うこと。
ド素人が薬局で買って来て、自己判断で使うようなマネをしてはならない。
お決まりのように、こんな文言が最後に添えられているのです。
あたかも医者の手にかかれば、メリットを最大化でき、デメリットを最小化できるかのような印象を与えている。
これなども本当にどうなのかなと思ってしまうのです。
私自身も12年にわたってこのクスリを使い続けたわけですが、医療機関に赴くと、待合室はいつだって混雑。
診療までの待ち時間は短くて1時間程度。通常は概ね約2時間。それだけに留まらず、さらに調剤薬局においてもまた待たされる。
都市と田舎とでは事情が違うのかもしれませんが、当時私が居たのは人口の多い大都市。
“待つ身のツラさ”、そんな言葉がありますが、膨大な患者の群れを個人の開業医が1人で診る。これが常態化されているのではないかと思うのです。
そしていざ診察室に通されると、
「具合はどうですか?」
決まり文句でこう尋ねられる。かくかくしかじか伝えると、分かりました。今日はおクスリを少し増やしておきますので、これで様子を見てくださいね。
または、今日からクスリを変えてみますので、これで様子を見てください。
こんな風に告げられて、それで終わり。おそらく3分にも満たないのではなかろうか。
これが大学病院や総合病院ともなると、さらに待ち時間と診療時間の短さに拍車がかかる。
自分の経験からもそのように思うのです。
医者としても大量の患者を捌くには、イチイチ話し込んでなんかいられない。長くて3分程度で次々に診療し、処方箋を書き上げるまでの時間を最大限短くしなくては捌き切れない。
こんな診療で果たしてメリットを最大化でき、デメリットを最小化できるのかどうか?本当に疑問。
結局はクスリに頼るしかないのが偽らざる医療の現状といわねばならない。そんなことを思うのです。
■10分診療に?
治癒に向かって着実に進んでいる。
こうした実感があるのなら、待つことだってやぶさかではないのでしょう。
でもアトピーは慢性症状。さすがに1年もクスリを使えば、それはあくまで症状を
「抑える」
ただそれだけに過ぎないことは明らかになってしまう。
投薬では決して治らないことくらい、リアルな実感を以って分ってしまうのです。
どれだけ待っても使っても、決して治癒には至らない。それでも他に解決策がない。だから、クスリを使って抑え続けるより他にない。
生きている限り、クスリで辛い症状を抑え続けなければならない。それは夢も希望も何もなく、ただひたすら苦痛が続く。
そうした時間でもあったのです。
その後私は12年の医者通い・クスリ漬けの日々に終始符を打ち、無投薬・無医療で症状と向き合うことを始めて今日に至ります。
※参考:『無投薬無医療での30年の病気治療・震え続け、濡れ続けた我が闘病の全記録①』
率直に思うのは、あの病院での待ち時間がない。それだけでも、
「どれだけ幸せなことか!」
と感じているのです。
医療の充実をテーマに、今後医師の数は毎年増えていきます。毎年8000~9000人の新米医師が生まれているのが現状です。
日本の人口は今世紀末には7,000万人を切ることがいわれていますが、この医師量産計画は本当に意味があるのだろうか?と思わざるを得ません。
医療の中身に手をつけることなく、単純に医師の数だけを増やしていく。
"医療の充実"とは、3分診療を5分、10分に引き延ばすことなのか?と疑いたくもなってしまうのです。
"安くて正義!"、"消費者の味方!"と農薬まみれ、添加物満点の食べものを推奨するような食と農のあり方。
人工の化学物質のカタマリともえいえるサプリメントなどの栄養補助食品の隆盛。
接着剤に殺菌剤、芳香剤、人工の電磁波、合成洗剤、これらが充満した居住空間。
これらを放置・是認しておきながら、いつ病気なっても良いように、無制限に医者の数を増やしていく。
財源不足には消費税!そうした社会のトーンはいかがなものか。このサイクルをいつまで続けるつもりなのかと思ってしまうのです。
本当の医療の改革、医療の充実とは、
「医者にもクスリにも頼らない生き方」
の実現にこそあるのではないでしょうか?
「治す」のは、どこまでいっても私たちの心と体であって、医者やクスリではありません。
それらはあくまで補助的なもの。一時しのぎに過ぎないことを理解しなければならないと思うのです。
どうしてもクスリを使わざるを得ないこともあるのでしょう。でもその場合も、短期間、しかも効果が弱いもの。
決して長期に使うものではなく、安易に手を出してはならないもの。そのことを原則にしない限り、症状は難治化の一途を辿らざるを得なくなる。
それも事実ではないかと思うのです。そして大元のところ。
症状は体が必要と判断してあえて引き起こしていること。だからいたずらに敵視しない。熱が出るのではなく、熱を出している。炎症が起きているのではなく、あえて起している。
そうした理解のもと、医者やクスリとの付き合い方を見直す必要を思います。