手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

亡くなった父には今でも謝り続ける私

父が95歳で亡くなってから、今月11月で5年経ちました。

早いもので来年はもう七回忌が巡ってくる。

5年経った今でも、この季節が巡ってくると、時折激しい悲しみの感情に襲われ、涙が止まらなくなることがあるのです。

 

父が亡くなった後、私は母の死も体験したわけだけれど、母のことを思い出しても、今はこんな激しい悲しみの感情に襲われることはないのに。

 

それは母に対する想いは父に対するほど強くなかった、ということではなく、むしろその逆。

私は子供の頃から、父よりも母の方がずっと好きだった。

父の存在のありがたさに心から気づけたのは、亡くなってからといっても過言ではないのです。

 

父は亡くなる2年ほど前までは、自転車に乗ることもでき元気でした。

それから肺炎にかかり、徐々に心不全も進行していき、入院することもありました。

それでも、亡くなる2ヶ月前までは自宅で暮らし続けることができたのです。

 

本来なら、父のお世話をもっと手厚くしてあげるべきだったことは、その時点でも重々承知していました。

でも、そのとき家には、要介護4まで進行していた認知症の母がいました。

父は身体はだいぶ辛そうでしたが、頭はしっかりしていたのです。

放っておいても、なんとか我慢してくれるだろう、という想いで、夜間に苦しみを訴えられても無視していたことも多々ありました。

 

言い訳がましく聞こえるのは承知の上で言わせていただければ、

命に関わるような重篤なレベルでの苦しみではないことは判断できたことと、ただでさえ睡眠不足で両親の介護をしている自分にとって、これ以上の無理はきかないと思ったから。

 

だから私は、自分を優先して父のことを放っておいてしまった。。。

 

今振り返ってみると、父は心細かったんだと思う。

私にもっと、優しくしてほしかったんだと思う。

父に対しては、ああ、あのときもっと優しくしてあげればよかったと、悔やんで自分を責める気持ちが、今でもかなり残っている。

 

もちろん、当時はもうこれ以上は無理だと思える限界レベルまで、父のお世話はしていましたが。

気持ちに余裕が出てからは、優しさの足りなかった自分に気づき、「ごめんね」という気持ちが父に対しては生じてしまう。

 

 

もっと優しくしてあげれば良かったね。ごめんね。

つらかったよね。寂しかったよね。ごめんね。

 

このような後悔と謝罪の気持ちが入り交じった想いで父を思い出すと、今でも深い悲しみに襲われる。

でも、この悲しみの感情は、私にとってなぜか辛いことではない感じがしてきた。

むしろこの感情によって自分は癒され、父への想いをより深いものにする力がある、

と感じるようになってきた。

 

父のこともいつかは、「ごめんね」より「ありがとう」の気持ちが優先されるときがくるような気はしている。

 

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