徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

「モネ展」を始めとして京都の美術館を巡回する

今日は京都美術館ツアー

 翌朝は8時まで爆睡する予定だったのだが、悲しいかな老化に伴う睡眠力の低下で6時に目が覚めてしまう。そのまま起きだす気もしないままタブレットで「転スラ」を読んでいたら、気がついたら8時の目覚ましが。仕方ないので昨日同様に朝食に出向く。

 小さいパン3つなら腹が膨れないが「パンは3つほど」と書いてあったことから、4つもらうことにする。これで少しは朝食らしくなった。

3つ「ほど」とあったので4つ頂いた

 部屋に戻るとシャワーを浴びてからまたゴロゴロ。やはり疲労が完全に取れていない。若い頃のように一晩爆睡したら翌朝はスッキリとはいかないものだ。悲しいもんだな。老化に伴う衰えというものは。

 さて今日の予定だが、今日はコンサートの予定を入れていない。京都の美術館を数カ所まとめて回るつもり。最初は京セラ美術館での「モネ展」だが、これは混雑が予想される(やはり「エジプト、浮世絵、印象派」である)ことからか、日時指定予約となっている。チケットを最初に購入した時には今日の10時半を予約していたのだが。昨日の疲労度合いを勘案して、今日の11時半からに時間変更した。そこで10時半頃までゴロゴロしてから荷物をまとめて、キャリーはホテルに預けた上でチェックアウトする。

 地下鉄で東山駅に到着すると、大量に降車した乗客がゾロゾロと東に向かって歩いて行く。これはとんでもないことになっているのではと思ったら、美術館の入口はごった返していた。入場時刻の10分前に会場に到着したが、すぐに入場が可能になったのでゾロゾロと入場する。

京セラ美術館に到着

 

 

「モネ 睡蓮のとき」京セラ美術館で6/8まで

 1年前に国内のコレクションを集めたモネ展が大阪で開催されたが、本展はフランスのマルモッタン・モネ美術館の収蔵品がほとんどである。同館のモネコレクションはモネの晩年の作品が多いので必然的に展示内容は晩年の比重が高くなる。

 一般的に我々がモネの絵画と言った時に一番イメージするのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのモネが光を追究していた時期で、同じ題材の時間を変えた連作などが登場するのがこの時期。そして光の表現が完成の域にたどり着いた頃に睡蓮の絵が登場することになる。

 その後のモネは執拗に睡蓮の池ばかりを描いているのであるが、この時期の作品が水面の煌めきと水の透き通りを感じさせるまさに光の絵画で、私が魅了された作品群でもある。そして一般的日本人も好む絵画であることから、日本の美術館のモネコレクションは実にこの時期の作品が多い。

多分、こういうタイプの睡蓮が一番一般受けする

この辺りも十分許容されるだろう

この辺りもまだ何とかか

 

 

 しかしその後のモネは、正に色彩の爆発の世界に入り込んでいく。洪水のように渦巻く色彩の中で光の表現以前に物の輪郭が不明瞭になり、やがてはその色彩までが奇妙な彩りになっていく。この辺りはモネが晩年になって患っていた白内障の影響が大きいと思われるのだが、近年はこの時期の作品が後の抽象絵画の萌芽として注目されていたりもする(私個人としてはその論はいささか牽強付会に思えたりもするが)。そしてマルモッタンの所蔵品はその時期の作品が多い。この辺りがいかにも日本人へのウケ線の作品を集めた昨年のモネ展との一番の違いになる。

しかし段々と怪しくなり

随分乱れた絵だなという印象になってくる

この辺りになるとかなりヤバい(この後はこの比ではなくなる)

 そういうわけなのでコアなモネファンなら堪能出来るが、ライトなモネファンの場合は「なんじゃこりゃ」になりそうな危険もあるのが本展の最大の特徴。私の場合はなかなか面白いと感じたのだが、その一方でアカデミズム派が言った「未完成の絵画」という印象派に対する批判も的を射ているとも感じたりするのである。


 本展では第3章が撮影可能エリアだったのだが、そうなったら必然的に混雑がかなりひどいものだった。それにしてもその中でいつまでも絵の近くにじっと貼り付いて、いかにも私は通ですと言わんばかりの態度の輩とか(本来はモネの絵画はむしろ少し離れて見るべきものである)、スマホを構えているのを見ておきながら、わざわざその前に自分のスマホを突き出す輩って何なんだろうか?(まるで中国人団体観光客みたいであるが、明らかに日本人であった) 貧すれば鈍するというか、妙なところで日本人のマナーの悪化も痛感する羽目になってしまったのである。俗にDQNなどと表現される一番のマナー最悪層は多分来ないであろう展覧会というイベントでこのザマとは・・・。


 本日の一番メインと言えるイベントはこれで終了。後は粛々と予定通りに他の美術館を回るのみ。まずは近くの細見美術館へ。琳派の作品を多数所蔵することで有名な美術館であり、つい最近に私はわざわざ広島まで細見美術館所蔵の神坂雪佳の作品展に出向いたところでもある。こちらを訪問するのは数年ぶり。美術館の本体は地下にあって、階段を降りながら地下展示室へ潜っていくという変わった構造になっている美術館である。

数年ぶりの細見美術館

 

 

「細見コレクション 若冲と江戸絵画」細見美術館で5/11まで

 同館が所蔵する若冲の作品を中心に、江戸絵画を展示する。

 まず最初に登場するのは、やはり若冲と言えばこれという鶏を描いた屏風や掛け軸。特に初期の掛け軸などは貴重。

伊藤若冲「花鳥図押絵貼屏風」右隻

同じく左隻

若冲の初期作である「雪中雄鶏図」

 さらに青物問屋の主人だった若冲らしい野菜や植物を描いた作品など、いかにもらしい作品も登場。

瓢箪・牡丹図

糸瓜群虫図

里芋図

 また応挙のモフ図に比べると微妙にかわいくない仔犬の絵とか、ネズミの婚礼とかのユーモラスな絵画も。また若冲の弟子の若演の鶏は師匠のものとは微妙にタッチが違う。

仔犬に箒図

鼠婚礼図

若演「遊鶏図押絵貼屏風」

 

 

 次に若冲と同時代の画家たちの作品。例のBLドラマ「ライジング若冲」で若冲のライバル的扱いを受けていた池大雅に円山応挙の作品、さらに中村芳中のモフ図ではない山水図、森狙仙のこれはモフ図と言える「猿図」なども展示してある。なおあまりの腕前に応挙に入門を拒否されたという逸話が残る土方稲嶺の鯉の絵は圧巻である。

池大雅「児島湾真景図」

円山応挙「若竹に小禽図」

中村芳中「初夏山水図」

森狙仙「猿図」

土方稲嶺「月梅遊鯉図」

 最後の展示室は琳派の細見らしい江戸時代の蒔絵を施した工芸品の類い。この装飾性や豪華さがまさに琳派の神髄。

扇面夕顔蒔絵引出箱

武蔵野蒔絵煙草盆

小倉山蒔絵硯箱

 正直なところ細見美術館の若冲作品は以前に見た記憶があるのでパスしても良いかとも思っていたのだが、改めて見てみるとなかなかに面白いことに気付いた。まあ雨の中を足を伸ばした価値はあったということである。

 

 

 次は地下鉄で烏丸御池まで移動すると、ここの最寄りの博物館へ。ただその前にもう昼時を過ぎているので近くで昼食を取りたい。見渡したところ博物館の向かいにカレーラーメンで知られる「ひゃくてんまんてん」があるので入店。カレーラーメンは以前に食べたことがあるので、今回は「カレーライス(950円)辛口」を注文。

ビル2階の「ひゃんくてんまんてん」

 口当たりは甘いのであるが、後で香辛料の類いがピリピリと効いてくる。具らしい具はほとんど見えないがまずまず美味いカレーである。もっとも場所柄かCPはそんなに良いとは言えない。

シンプルなカレーライス

サラダ付き

 昼食を終えると向かいの博物館に入場する。雨はかなりひどくなっている。

博物館は向かい

 

 

「カナレットとヴェネツィアの輝き」京都文化博物館で4/13まで

 18世紀、ヴェネチアを訪れたイギリスの貴族達は、こぞってヴェドゥータと呼ばれる風景画を買い求めた。今ならさながら絵はがきのようなものであろうか。このヴェドゥータで人気を博していたのが、明るくて美しい風景画を描いたカナレットである。そのカナレットが描いた風景画、及びカナレット後に風景画を描いた19世紀の画家の作品も併せて展示する。

精密な風景画はこのカメラオブスキュラで映して描いたとか

 最初はカナレットの作品が展示。カナレットの作品はかなり精緻な描き込みがしてあり、またカッチリとした描写はいかにも貴族好み。さらにはヴェネチアを象徴する絢爛豪華さと光の煌めきのようなものが記されているが、カナレットの描写の特徴の1つは、この光の煌めきを描くのに光の点を加えていることだという。

カナレット「カナル・グランデのレガッタ」

カナレット「モーロ河岸、聖テオドルスの柱を右に西を望む」

カナレット「昇天祭、モーロ河岸のブチントーロ」

光の点を描き込んである

 なお非常に精緻にカッチリと描いているカナレットだが、実はそこには「映え」を意識した風景の微修正のようなものは入っているという。この傾向は彼の後継者達ではより顕著になる。

ロンドンの人気遊興施設を描いた作品

この道路は明らかに実際よりも幅を広げているとか

 

 

 次の展示室ではまず画家よりも実は舞台デザイナーとして活躍したというマリエスキの作品が登場。加えてその弟子で「第二のマリエスキ」と名乗ったというアルボットの作品など。そしてヴェネチア生まれで伯父のカナレットに学んでから、ドレスデンやワルシャワに移って精緻な風景画を残し、第二次大戦で破壊された町並みの再建の際の参考資料にされたというベロットなどが登場する。

マリエスキ「リアルト橋」

アルボット「騎馬像とオベリスクのある空想的ヴェドゥータ」

ベロット「ルッカ、サン・マルティーノ広場」

 さらにはより「映え」を重視して、架空の風景を構築したカプリッチョと呼ばれる風景画も登場する。そこには同じ風景画内に登場することは絶対にあり得ない遺跡や建造物などを組み合わせて描いたものであるという。そのようなカプリッチョを描いたグアルディの作品も登場。

グアルディ「小さな広場と建物のあるカプリッチョ」

グアルディ「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」

 その後はブーダンやモネなど比較的馴染みのある画家たちのヴェネチアを題材にした作品も登場。ここまで行くともうカナレットと違う普通の風景画となる。


 正直なところネタ的にあまり期待していた展覧会ではないのだが、意外と面白かったかというのが本音。どちらかと言えば芸術作品と言うよりは、ヴェネチア観光ガイド的なニュアンスも強い展覧会ではあったが。

 

 

 展覧会を終えると四条まで一駅を歩くことにする。その途中でホテルに立ち寄って預けていたキャリーを回収、四条駅から京都に移動する。

 京都駅に到着すると伊勢丹のビルへ。少しお茶をしたいと思って都路里に立ち寄ろうとしたのだが、ビルの設計の悪さのせいで何度もエレベータを乗り換えて、その度に延々と待たされることに。毎度のことながら来る度に設計の悪さに怒りを感じるビルである。とにかく動線設計というのが全く出来ておらず、そのために移動をエレベータに頼らざるを得ず、それにも関わらずエレベータの絶対数が圧倒的に不足しているから常に大混雑という、何を考えたらこんなバカな設計が出来るのかと呆れる建造物である。この動線設計の悪さはまさに安藤忠雄にも匹敵する才能。本当にこの国の建築家はこういう使えない建造物を作る天才ばかりである。

 なお散々手間取った挙げ句にようやく都路里に到着したら1時間待ちの状態。ここまででかなり疲れたが、バカらしくなったので美術館に向かうことにするが、そこもまた感動するまでの動線設計の悪さのために無駄に大回りさせられるのである。

 

 

「鶴の来る町ミュージアムコレクション 写実絵画の世界」 美術館「えき」KYOTO
で3/30まで

 鹿児島県出水市の鶴の来る町ミュージアムが所蔵する写実絵画を展示した展覧会。写真と見まがうかという精緻な作品が展示されている。

 まずは静物画。まるでそこにあるかのような実在感にはその技術に圧倒されるのだが、しかしそうであればあるほど「なせ写真でなく絵画である必要があるか」という点が弱くなるきらいがある。

青木敏郎「桜と伊万里」

鶴友那「冷たい花」

藤原秀一「デコポン」

 人物画になると写真には収めきれない作者の意図というのを作り込むことが可能となる。モデルの表情や仕草などに作家の意図が込められていると見るべきなんだろう。

石黒賢一郎「SA TWO」

木原和敏「ノスタルジア」

今井喬裕「Mirror」

長坂誠「清閑の情」

高木公史「友里襖前」

 

 

 風景画の場合、私が以前に写真に対する絵画のメリットとして挙げた、画面の遠景と近景の両方に同時にピントを合わすという状況(これは写真も人の目も無理である)や、さらにピント調整を利用した視線誘導などが可能になるということがある。ただ今回の展示作ではその意図を積極的に活用したと感じる作品は見当たらなかった気がするが。

藤原秀一「晴天の桜」

塩谷亮「夕映」

大畑稔浩「霞ヶ浦夕景」

百瀬智宏「河辺の静寂」

大畑稔浩「雪道ー野呂山風景」

曽根茂「皐月の棚鏡」

 とりあえずこの手の絵画の常によって、感心はするが感動はないってのが正直なところか。自分で絵を描く者なら超絶技巧に感動出来るのかもしれないが、私は書画などの手を動かすものは皆目なんで。

次々回展はこちら

 展示作の中には美麗な裸体画などもあったが、それは掲載するとほぼ間違いなくGoogleAdSenseの規約違反(エロ違反)にされるので避けておく。実際に私は以前にモディリアーニの絵で規約違反(エロ違反)で広告を停止されたことがある。その時は「これはエロ絵ではなくて芸術作品だ」と異議申し立てして数日で解除されたが(機械判定では判別出来ないようだが人の目が見れば一目瞭然)、一番アクセスが増える新記事アップ直後の数日の広告を止められたことで甚大なる経済的損失(と言っても数百円程度なんだが)を蒙ったことがある。モディリアーニの絵ならともかく、これが写実絵画となれば果たして人の目で見ても解除されるかが微妙である。


 これで今回の遠征の予定は完全終了したので、このままJRで帰宅したのである。衰えた体力を考慮して比較的無理のないスケジュールを組んだつもりだったが、結果として2日連続で1万歩を遥かに超える状況に、予想外の肉体的負荷があったのである。やっぱりもっと鍛える必要があるか。

 

 

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work