何も考えないでいられるといいかというと そうではなく、知らん間に さまざまなモノに影響されてしまう。

それを意識して取捨選択して、これはいる。これは要らん。こらはすごい! これは大好き!! これ 間違ってる!と出てくる念を 出て整理して おいて置くか捨てるかする。

それしかしてない。

 

どこで何をみて どう興味をもって、なぜ知ったのかはわすれたが、知らん間に目にして聞いて読んで手に取って、出会って話を聞いてしまったすべての人 モノ 本 花 雲 建物 写真から 自分は出来ているのだ。と感じる。

 

 最近読んで、積読状態にあり、すこしずつ完了して言った本

 

 思いがけず利他

 だからあれほどいったのに

 過剰医療の構造

 小林秀雄の人生論

 藤十郎の恋

 

 読みかけてなかなか進まない本

 

 アメリカを蝕む共産主義の正体

 バチカンの狂気

 日本人がしらない世界史の原理

 人生は愉快だ

 善の研究

 日本の戦闘者

 アメリカが隠しておきたい日本の歴史

 

 

読んだのに、何度も読む本

 

 葬送のフリーレン

 ワンピース

 

 

 

 

 自分ひとりの考えは小さくて、ほとんど何もないのだけれど、出会う人 本 映画 写真 風景 に 影響されているのを感じる。

 

 だから自分はこれだ。こういうモノだ。こういう考えだ。と固定してしまうことが、もったいない。

 過去信じた事が、後に反転してしまうことは起こりえる。

 嫌いだったものが好きになり、興味なかったことに興味を持ち、オモシロくないとおもってたことに俄然熱中する。

 おもしろいことだらけだ。

 自分に関係ないとか、out of service とか、言ってしまうことが自己を膠着させ問題を生み出し出来事を複雑化して自己正当化をさせてしまう。

 

 

 何か知って 理解して、「これは こうだ!」「こうすべきだ!」と他人を説得したりする主張への欲求があっても、いつの間にか覚めてしまうののは、すべては思想であり 考えであり、その時 その場 その人が 発言した情報に過ぎないという思いがあるからかだろう。

 

 

 結婚して1年2年目ごろ、夫婦二人とも なぜか強烈に

モンブランケーキが 食べたくなった。休みの旅に 出かけてモンブランケーキを食べあるいた。

ホテルニューオータニのモンブランケーキは3000円と高額すぎて手はでなかったが、いつか購入して 二人で食べてたかもしれない。今となっては なぜあんなに 病気なほど熱中してたのかわからない。

 きっとモンブランの精 に取りつかれてたのだろう。

 

 

 

 


 

 

 


近所で見つけた、庭園。