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この世の人々は煩悩(ぼんのう)にまみれていて、遥か遠い昔から山のような罪を犯し、迷いに迷いを重ねている。

 

だから、たとえ仏性ぶっしょうという宝を、その身に備えていても、開き現わすことは容易ではない。

 

このような人々の有り様を憐れに思った一人の菩薩(ぼさつ)が、次のような願いを起こしました。

 

私が仏に成る時、私の国に住む全ての人が、必ずさとりをひらけないようなら、私は決してさとりをひらきません。

 

私が仏に成る時、十方のあらゆる人々が、私の名前を聞いて私の国に生まれたいと願い、わずか十回でも南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)念仏(ねんぶつ)をして、もしも私の国に生まれることができないようなら、私は決してさとりをひらきません。

 

このような願いを建てた菩薩(ぼさつ)は、計り知れない程長い間功徳(くどく)を積み、清らかな国を作り、遥か遠い昔に仏に成りました。

 

その仏の名前を阿弥陀仏(あみだぶつ)と言い、その国の名前を極楽(ごくらく)浄土(じょうど)と言います。

 

もしも人が、真剣にさとりを得ようと望むのなら、どうしてもこの仏の力に頼らなければならない。仏の力に頼らずさとりを得ることは、普通の人間にできることではない。

 

もしも人が、この仏の名前を唱えるのなら、大きな利益(りやく)を得ることができる。

 

これまで重ねてきた山のような罪が除かれて、極楽(ごくらく)浄土(じょうど)に生まれることができるのである。

 

わずか十回念仏ねんぶつするだけでも、これほどの利益りやくがあるのですから、ましてや一心いっしんに思うに至ってはなおさらである。

 

だから、この世の人々は、この仏の教えを信じ、極楽ごくらく浄土じょうどに生まれることを願って、念仏ねんぶつをするべきである。

 

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