じんべえ時悠帖Ⅱ

御成街道、ゴールの前の出来事

 まずは訂正。一昨日(26日)の「H3、技術者たちの348日」で、

H3ロケットの1号の打ち上げを23年2月27日と書いたのは3月7日

の間違い。逆に2号の打ち上げが今年の2月27日であった。

 348日ではなく「技術者たちの373日」になってしまっていた。

 

 さて、日光御成街道を7日目でゴールしたが、そのゴール直前に

訪れた「葛西用水琵琶溜井記念館」での出来事である。

 圏央道を潜った先の交差点に立つ道標を兼ねた馬頭観音の石塔を

見て振り返ったところにあったのがこの風景。地図には葛西用水路

の記念館と書かれる。用水路の奥に見えるレンガ色の建物だろう。

 どこから入るのか、フェンス沿いに歩くがなかなか入口がない。

 

 一度曲がってやっと着いた入口の門は閉まるが、こんな案内板が

かかる。原則、月・木曜日とあり今日は火曜日。早くゴールして打ち

上げの生ビールをとも思うが一応ドアホンのボタンを押してみる。

 しばらく反応はない。内心「良かった」と立ち去ろうとした時、

「お待たせしました」と作業服姿の年配の男性が出て来る。この方が

ボランティア職員の黒川さんだろう。

 まずは屋外の施設や記念碑などを巡る。昭和七年と書かれた改修

記念碑の題字は徳川家達(イエサト)の揮毫という。徳川十五代の慶喜が

謹慎した後の徳川宗家十六代当主で、貴族院議員となった。

 この上流が昔の琵琶溜井跡。

 下流側の本流が和戸で渡って来た大落古利根川となる。

 更に右の南側水路、左の中郷水路が分岐して行く。

 今は数キロ離れたところで遠隔操作されるが、十数年前までは

レンガ色の記念館が操作所だった。

 と、ここまでは10分ほどの説明。問題は記念館に入ってから。

県庁を定年退職した後、猛勉強してここのボランティア職員となった

という黒川氏の説明は「緻にして密」。

 多くの図版や写真を回りながら、北の利根川から東京葛飾まで

江戸川右岸の穀倉地帯の用水路の歴史のレクチャーは何と1時間を

超える。多少このあたりの水辺を歩いているので興味深いが、頭が

こんがらがって来る。

 長さ5メートルもある航空写真にびっしりと書き込まれた水路群

は圧巻。右端あたりが我が三郷市。

 琵琶の形がわかる古図。

 帰り際に来館者名簿に記帳する。何と前回の来館者は昨年12月。

地元の小学校の見学もあるようだが、溜まりに溜まった思いを一気に

吐き出してくれた訳だ。館内の資料のほとんどは手作りと言う。

 改修記念碑にあった「五閘」。閘とは水を取り入れるところ=水口。

閘門ではない。これは力説していた。パンフレットのこの水路系統の

成り立ちを隅から隅まで聴いたことになる。

 琵琶溜井記念館を出てゴールへ向かうカーブの庚申塔。その脇の

口碑を再掲しておく。要はこういうことである。

 300メートル先の信号がゴールの交差点。この300メートルに

1時間半かかったことになる。


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
実直そうな黒川氏、現役時代にはどんな仕事をされていたのか・・・。
土木系などの技術職ではなかったかも知れませんが、自ら「猛勉強しました」
と言うだけあって熱心な説明でした。
ykoma1949
お疲れつさまでした <(_ _*)> 
ボランティア職員の黒川さん・・本来はお休みの所を
開けて下さり・・熱心にじんべえさまに説明と解説を
してくださって・・今度はじんべえさまもボランティア
職員になれますよね~ (^o^ゞ
親切で熱心なボランティア職員の黒川さんという事で
ご勘弁してあげましょう 
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